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面影と噂とおばちゃん

黒髪の女性が朱色の柄に鋭利な刃の薙刀を抱えほほ笑んでいる。柄の石突の近くには黒い小さな花が一輪彫られている。


「……お母さん」幼い.リュンヌが声をかけるとその姿はぼやけていく。久しぶりに見た夢だ。


視界を縁取る少し白みがかった陽光が、微かな湿り気を帯びた睫毛を揺らす。


朱色の柄も、石突に咲いた一輪の彫刻も、今はもう夢の澱に沈んで見えない。


胸の奥に灯った小さな熱が、覚醒とともに寂寥感へと形を変えていく。


残ったのは、母の得物に似せて作った自らの得物に一緒の音の名前を冠した記憶だけだ。


「……久々、……これ。」


リュンヌは重い瞼を押し上げ、独りごちた。守りたかった面影は、いつも肝心なところで霧のように霧散する。


「……いつまで、……子供。……情けない。」


自嘲気味に呟き、彼女は上半身を起こした。隣のベッドからは、まだ規則正しい、けれどどこか計算高そうな寝息が聞こえてくる。


銀髪の相棒が「朝のゴールデンタイムを無駄にするのは重罪よ。」と騒ぎ出すまで、あと数分。


リュンヌはその短い静寂を、逃した夢の余韻で埋めるように、じっと自分の掌を見つめていた。


リュンヌは今日は薬草摘みの護衛だ。

大きめの布を何枚か重ね合わせ、ずれない様に紐で身体に固定する。


月1回の憂鬱な時にリュンヌが活動するのは今までなかった。


ルナ特製の真のクソマズ粉末から市販されている現在のベリー味に至るまで、「芍薬もどき」を毎日飲んだ成果か、身体は以前に比べ遥かに軽い。


「……よし、……漏れ、……なし」


リュンヌは腰の紐をきつく締め直し、布の重なりを指先で確かめた。


かつては泥の中を這うような重苦しさに支配されていた「あの時期」が、今は嘘のように静かだ。


「……粉末、……効いてる。……ルナ……嘘つき……違う。」


リュンヌの口端がわずかに綻ぶ。かつて安宿の部屋で蹲っていた自分が見たら、今の足取りの軽さに驚愕するだろう。


「……でも、……不味い。……良薬、……口に……、苦すぎ。」


独りごちながら、彼女は愛用の薙刀を手に取った。

夢に見た母の面影はまだ胸の奥で揺れているが、今の彼女には、『めんどくさい雇用主』がいる。


「……行ってくる。……無駄……、ない……仕事。」


宿の扉を出ると、朝の清冽な空気がリュンヌの頬を撫でた。


薬草摘みの護衛という『地味な案件』も、今の絶好調な身体なら、最高の状態で完遂できそうな予感がしていた。


実は、今日の薬草摘みの護衛はギルドを通した依頼ではない。例の託児所の掲示板を通したものだ。


「ギルドを介さない……脱税、じゃなくて、ええと……『産直』ね。」


ルナの得意げに言う顔が浮かび、リュンヌは独り表情を緩める。


託児所の掲示板——そこは、子育てや家事に追われる元女性冒険者たちの、生活感と実益が交差する『影のギルド』だ。


ギルドでなら必要な依頼受諾の手数料をカットし、掲示料の一部までリュンヌの懐に入る。


この「高効率」な仕組みを提案したのは、もちろんあの銀髪の強欲神官だ。


「……手数料、……なし。……私、……取り分、……増える。……ルナの、……計算、……助かる」


クソマズ粉末と『桂枝もどき』の効能で下腹部の重みは軽く。布を重ねた腰回りも、激しい動きをしなければ違和感はない。


騒がしいおばちゃん達と合流し薬草摘みに向かう。おばちゃん達のもっぱらの話題は「魔王」だ。


「魔王ってのはさあ……。南の城にいて、城からおぞましい魔獣が這い出してくるんだってさ!」


若手(といっても十分な年嵩だが)の威勢のいい声が、朝の湿った空気を震わせる。


「南だったかね。南西だろ。南西」


言い出しっぺのおばちゃんに別の少し大柄なおばちゃんがツッコミを入れる。


そもそもおばちゃん達は、魔獣が強いのか弱いのかや魔王の城の場所すら噂レベルでしか知らないいい加減さだ。


現に「魔獣はクマやオオカミより強いのか?」という低俗な話題で盛り上がる始末だ。


「オオカミより怖いうえに、味も悪いんだったらかなわないねぇ」


最高齢のばあちゃんの暢気な返しに、リュンヌは思わず薙刀の柄を握る手に力を込めた。


「……魔王。……実在?。……想定外……脅威」


リュンヌの脳裏に、どす黒い不安がよぎる。


だが、おばちゃんたちの話題はすでに「魔王の倒し方」から「魔獣肉は煮込みに合うか。」という、極めて生活感の強い領域へシフトしていた。


「……たくましい。……魔王より、……おばちゃん……強い?」


リュンヌは小さく溜息をつき、周囲の警戒を強める。


彼女たちの賑やかなお喋りは、最高の魔除けになる一方で、森の捕食者たちを呼び寄せる撒き餌にもなりかねないからだ。


「……私、……仕事、……する。……安全、……守る。」


おばちゃん達の一歩先を進みながら、


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