増幅なしの敗北としたたかな計算
「うちの親父を雇ってやってくれ。」
大工の棟梁が割り込んできた。
商店主と違いストレートだ。職業での考え方の違いもリュンヌは体感する。
「....棟梁、....直球。....商店主さん....より、....ずっと、....分かりやすい。」
リュンヌは、駆け引き抜きで身内を売り込んできた棟梁の潔さに、少しだけ安心したような顔をした。
商売人の「絡め手」とは違う、職人の「直感」と「信頼」に基づいたストレートな交渉。
ルナは一瞬だけ意外そうに目をしばたたかせたが、すぐに獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべる。
「あら、素晴らしいわ! 商店主さんの『リスク回避』とは対照的な、迅速な『リソース投入』ね!」
彼女は帳面を広げ、棟梁の親父――つまり先代のスペックを書き込み始めた。
商店主は「箱が出来て、人が集まってから声かけして下さいな。」と社交辞令混じりに手を振って帰って行く。食堂の親父も似た感じだった。
ルナは「そうね。少し方法を考えないと。」と呟く。
「素直な聖職者や直球の騎士とは、当然だけど違うわね。」と少し苦笑した。
「....ルナ、....苦戦? ....珍しい。....計算、....狂った?」
リュンヌは、去りゆく商人の背中を見送りながら、少しだけ意外そうに相棒の横顔を覗き込んだ。
雰囲気で押せぬ相手、金で釣れぬタイミング。それは、ルナが最も苦手とする「保留」という名の不透明なコストだ。
説法は皆の心を高揚させ術中に嵌めるための手段。だが今日はその増幅なしの戦いだったのだ。
ルナは指先で銀髪をくるくると弄び、不敵な、しかしどこか楽しげな苦笑を浮かべる。
「失礼ね。躱されたんじゃないわ、『価格交渉』のフェーズが一段上がっただけよ。」
ルナはウキウキしているようだ。
「彼らは私の提示した『便益』を理解した上で、さらに有利な条件を引き出そうとしているの。」
彼女は新品の掲示板を見つめ、静かに、しかし熱を帯びた声で続けた。
「いい、リュンヌ。素直な騎士は使いやすいわ。」
それは自分を鼓舞しているようにも見える。
「こうして牙を隠した商人を盤面に引きずり出す過程こそ、最大のリターンを生む投資なの。」
まるで、楽しい遊び道具を見つけた子どものようだとリュンヌは思った。
「....さて、彼らの『損得勘定』を根底から揺さぶる、次の一手を仕込まないと。でも明日は他にやることがあるわ。」
ルナの瞳は、躱されたことへの屈辱など微塵もなく、この託児所事業の仕上げにかかる興奮に、再びギラリと輝き始めていた。
翌日、ルナは第二夫人夫妻の屋敷を訪れていた。ルナは、夫妻に託児所の完成を報告する。そして以下の様に提案した。
「託児所の利用者の最初の募集は、私とリュンヌで行わせて頂きます。そして、最初の入所料の1割だけ教会のお布施としてお納め頂けませんかしら。」
「....ルナ、....また、....外から....埋めてる。....奥様たち、....逃げられない。」
リュンヌは、豪華な調度品に囲まれた応接室で、借りてきた猫のように背筋を伸ばしつつ、相棒の「集金術」を横目で見守る。
ルナは慈愛に満ちた完璧な淑女の微笑みを浮かべ、茶を一口啜った。
「入所料の1割を『お布施』として納めていただく。」
ルナは悠然とした態度で交渉を行う。まるでそれがルス神の言葉せあるかの様に。
「これは単なる寄付ではなく、託児所という聖域への『神聖なる承認』を頂くための正当な対価(ライセンス料)ですわ。」
彼女の瞳が夫妻をじっと見つめる。
「私からお願いしたいのは二点だけです。託児所の中にある掲示板とそれについてくる浄財をまず私達の管理とさせて頂きたいのです。」
ルナは続けて宣言した。
「託児所の中の不浄な物から生まれし堆肥。その売上。こちらも立派な浄財になりますのと、穢らわしいもの故、私達で管理致しますわ。」
真っ当な奉仕のフリした詐欺であった。
「....ルナ、....また、....えげつない....二択。....掲示板と、....『不浄な物』....両方、....大事。」
リュンヌは、豪華な応接セットの端で、相棒の「集金システム」が完成に近づく音を聞いた気がした。
情報と、廃棄物(利益)。その両端の利益を握るという、冷徹なまでの独占宣言だ。
ルナは第二夫人夫妻に向かって、これ以上ないほど慈悲深い、聖女のような微笑みを深める。
「掲示板の管理を私に預けていただく……。」
「これは、託児所に集まる『労働力』というリソースを、最も効率的に、....」
託児所から、最も遠い方向性で方針を語り出した。
「かつ教会の権威を損なわない形で最適配置するための『情報統制』ですわぁ。」
ルナの語尾が妙になっているが気がついていないようだ。




