狂気と黒髪と匂い
「不法占拠という名の『既得権益』を主張しに来たのかしら? でも残念、ここはもう私の管理ドメインよ。」
老人が何か言いかける前に、ルナは彼を指差して断言する。
「いい、おじいさん。」
ルナはあえて優しい声で語りかける。
「無断居住はリスクですが、その土地の『歴史(過去のトラブル)』を知っているなら、それは貴重な知財ですわ。」
「なので、追い出したりはいたしません。ただ、その情報を『家賃』としてお支払頂けるとありがたいのです。」
ルナの瞳は、浮浪者という名の「生きたデータベース」を、タダで使い倒す算段を終えている。
だが、老人はルナの聖女としての声かけに全く乗らなかった。
それどころかルナに向かって、「どいつもこいつも善人面しおってからに。所詮は金、金、金。」だと吐き捨てた。
「....おじいさん、....図星。....ルナ、....金の亡者。」
リュンヌは、老人の罵倒に普段のルナの言動を重ね深く頷き、ナギナタの柄を軽く叩いて同意を示す。
だが、ルナは傷つくどころか、最高の賛辞を受けたかのように目を輝かせた。
「あら、素晴らしいですわ! 善意という不透明な通貨より、金という共通言語を信じるその姿勢、嫌いではございませんよ。」
彼女は泥まみれの老人に歩み寄り、冷徹に、しかしどこか楽しげに告げた。
「そう、所詮は金です。だからこそ、私はあなた様を『可哀想な浮浪者』として施しで誤魔化したり致しません。
探し求めていたものを見つけたような勢いで、老人にルナは畳み掛ける。
「対等な『ビジネスパートナー』として、その廃屋に住み着いて得た情報を時価で買い叩いて差し上げますわ。」
ルナの瞳は、老人の怒りすらも交渉のテーブルに乗せる「コスト」として、冷酷に計算し尽くしていた。
「くだらん。実にくだらん。その程度か。」と老人はルナを睨みつけた。
次にリュンヌを見て一瞬真顔になったあと不気味に笑って言った。
「黒髪に黒い目に奇天烈な得物。そうかそうか。」
そして二人に背を向けて言う。『わしは人ならぬ力を得た。魔法というな。」
「....おじいさん、....怖い。....魔法、....言った?」
リュンヌは背筋に走る不気味な震えを抑え、ナギナタの柄を握り直した。
自分を見つめたあの老人の濁った瞳には、明らかに「正気」とは別の何かが宿っていた。
ルナは眉一つ動かさず、去りゆく老人の背中を冷徹に観察している様に見えた。
「魔法? あら、そんな非科学的な不確定要素をドヤ顔で語られても困りますわ。」
彼女はすぐさま懐から羽ペンと帳簿を取り出し、さらさらと何かを書き込み始めた。だが、よく見るとそれはポーズであり指が震えている。
「いい、リュンヌ。もしそれが本当なら、彼はコスト度外視の『規格外リソース』よ。」
強い口調で老人の言葉を否定するルナ。だが皆が老人の雰囲気に気圧されてその様子に気づいていない。
「物理法則を無視した出力なんて、市場の安定を乱すバグでしかないわ。」
ルナは敢えて気丈に言い放つ。
「だがな、力を得る変わりに色々な物を失った。自分の存在価値すら。」
老人は立ち去りつつ言う。
「わしと同じ匂いがする神官の娘よ。お前は何を失うのだろうな。」
狂気を帯びた高笑いとともに彼は去って行く。
「....ルナ、....じいさん....同じ匂いって....言った。」
リュンヌは、老人の消えた路地を睨みつけ、微かに震える手でナギナタを握りしめた。
ルナは、コンポストの臭い混じりの空気を吸い込み、眉一つ動かさずに去り行く背中を見送る。
「....失うもの? 笑わせないで。リスクを取らずにリターンを得ようなんて、市場を舐めている証拠よ。」
彼女は震える指先を隠すように腕を組み、努めて冷徹に言い放った。
「存在? 感情? そんな原価不明の非流動資産、いくらでも差し出してあげるわ。それで、私が失うのは、ただ一つ。....『収益性のない未来』だけよ。」
リュンヌは気づいていた。ルナのその声がいつもより少し張りがない事に。
「気味の悪いジジイが住んでいるという噂があったが本当だったのか....。」と大工の棟梁が呟く。
「あいつ、街で一度も見たことないわよ。どうやって生きてたのよ。」とおばちゃんも話に加わる。
「街に出てないって、なに食って生きてたんだよ。まさか死体とかじゃないよな....。」
作業の手を止めて様子を見ていた、調理担当の元冒険者が身震いした。
「....じいさん、....変な言葉....唱えてた。....ルナより、....ずっと....不気味。」
リュンヌは、去りゆく老人の残像を自らとルナの脳裏から振り払うように、ナギナタの石突で地面を強く小突いた。
その表情には、物理的な脅威とは異なる「理解不能なもの」への生理的な嫌悪が滲んでいる。
ルナは、リュンヌの言葉に「比較しないでくれる!」と悪態をつきつつも、視線は老人が消えた路地の奥から離さない。
「だいたいね狂気なんて、経済合理性から最も遠い場所にある非効率なノイズなのよ。....でもね、リュンヌ。」
ルナは懐から手帳を取り出し、老人の特徴を「要注意リスク」の欄に書き加える。
「『気が触れている』という属性は、時に予測不能な行動コストとして跳ね返ってくるの。」
ルナは冷静さを取り戻しつつあるようだ。
「魔法だか魔術だか知らないけれど、この託児所の資産価値を下げる要因になるなら、徹底的に排除……いや、減価償却の対象にするまでね。」
ルナの瞳は、老人の不気味さよりも、彼がもたらすかもしれない「風評被害」という名の損失を冷徹に計算し始めていた。




