力持ちし者よお前は何を失った
「……ふん。結局、一番不採算な『感情』なんてものに、ポートフォリオをかき乱されるなんてね」
ルナは赤く腫れた頬をさすりながら、誰に聞かせるともなく、あのあばら家にいた老人に届けるように小さく呟いた。
「おじいさん……。あたしが最後に失った『力』は、あんたの予想通りだったかしら。」
ホッとした雰囲気がルナを覆っている気がするのは気のせいだろうか?
「……冷徹な『効率』という名の盾を失って、あたしはただの、お節介で計算違いな女の子に成り下がったみたい」
自嘲気味な言葉とは裏腹に、ルナの碧い瞳からは、淀んだ迷いが消えていた。
効率を捨てて手に入れたのは、リュンヌという名の、決して手放してはならない「純利益」なのだから。
その頃――。
かつて勇者と持て囃された男は、冷たい石壁に囲まれた、王宮の最深部にある幽閉室にいた。
外の喧騒も、ルナが突きつけた断罪の言葉も、今の彼には遠い霧の向こうの出来事のようだった。
男の視線は、壁の隅に刻まれた、狂人の指先で抉り取ったような歪な落書きに吸い寄せられていた。
『力持ちし者よ、ここでお前は何を失ったのだ?』
それは、かつてこの場所で、同じように「王家の道具」として使い潰された天才が、正気を失う間際に遺した呪いか、あるいは救いか。
「……何を……失った……?」
男はその文字を指でなぞった瞬間、目に見えない巨大な渦に引きずり込まれるような感覚に襲われた。
自分が奪ってきた他人の人生、踏みにじった夢、そして王家に差し出した己の魂。
それら全てが、一気に「負債」となって彼の脳内に雪崩れ込んでくる。
男は、その凄まじい「計算」の重みに耐えきれず、獣のような叫び声を上げてその場に崩れ落ちた。
王都の光の下でルナが新たな歩みを始める一方で、闇に沈んだ男は、永遠に解けない「後悔」という名の演算に囚われ続けていく。
「……さあ、行きましょう、リュンヌ。もう、後ろを振り返る必要はないわ。」
翌日、王都からいつもの街へと二人は帰路につく。
「これから私たちが作る帳簿は、真っ白で、一番美しい数字だけで埋めてあげるんだから」
ルナはリュンヌの手を強く握り、差し込む朝光の中へと足を踏み出した。




