集団心理操作
「その得物は預けて頂きたい。」
守衛の兵士がリュンヌの薙刀を取り上げようとする。
光主が無言で革製の小さな小物入れに見えていた手にしていたものを、リュンヌの薙刀の刀身に被せる。
革製の鞘、しかもご丁寧にも薙刀と同じ黒い一輪の花の彫りがある。
「文句はありませんな。」
柔らかいが有無を言わせぬ口調に、兵士は頷かざるを得ない。
「……ふん。流石は光主様、現場の『リスク管理』に関しては、抜かりがないわね。」
ルナは、兵士が気圧される様子を鼻先で笑った。
リュンヌの薙刀を単なる「武器(凶器)」から、光主の認めた聖具という「聖域の保護下にある資産」へと一瞬で書き換えたのだ。
あの黒い一輪の花が刻まれた鞘を被せられた以上、それに触れることは光主への不敬、すなわち王家と教会の「全面戦争」を意味する。
「……ルナ。……これ、……光主様が、……くれた。……少し重いけど、……綺麗」
リュンヌは、鞘がかぶさった薙刀を抱きしめ、守衛の兵士を射抜くような鋭い視線を向けた。
その瞳には、もはや怯えはない。自分の「半身」を守られたことで、彼女の中に眠る誇りが、冷たく静かに再起動している。
「いい、兵士さん? その娘の得物に触れることは、ルス教の『聖域』に土足で踏み込むのと同じことよ。
ルナは少し忠告するような口ぶりで言う。
「そんな不採算な真似、あなたの上司(王家)が許すと思っているのかしら?」
ルナは黄金色の瞳を細め、兵士を冷徹に見据えた。
光主は無言のまま、革の小物を差し出した時と変わらぬ泰然とした態度で、ゆっくりと歩き出す。
「……行くぞ。これ以上、入り口で、時間の、浪費を、するのは、無益だ」
副光主もまた、掌で口元を隠しながら、兵士の横を通り過ぎる際に小さく耳打ちした。
「……うふふ、お仕事ご苦労様。でも、あまり彼女たちを刺激しない方がよろしくてよ?兵士さん、お仕事がなくなってしまいますわ」
兵士が顔を青ざめさせ、震える手で扉を押し開ける。
「……さあ、リュンヌ。行きましょう。その薙刀は、あなたが『真実』を切り拓くための執行官の杖よ。誰にも渡す必要なんてないわ」
ルナはリュンヌの手を引き、ついに開かれた貴族院の深奥へと足を踏み入れた。
そこには、香煙と虚飾に満ちた、この国で最も「不透明な取引」が行われる円卓が待ち構えている。
貴族院を支配するその空気は、まさに「集団心理による市場の過熱」そのものだった。
王家が事前に流した『ルス教に不穏な動きあり』という悪意あるオーダー。
……それを受注した貴族たちが、恩賞という名の配当を求めて、勝ち誇った顔でこちらを睨みつけている。
「……あはは。これ、完全に『出来レース』の会場じゃない。光主様、私たち、とんでもない高値掴みをさせられそうな雰囲気ね」
ルナは、円卓を囲む貴族や背後の雛壇にいる貴族たちの醜悪な欲望を、まるで暴落寸前のチャートを眺めるような冷徹な目で見渡した。
玉座に座る王の視線が、光主と副光主を通り越し、その後ろに控える「異物」――すなわち、自分とリュンヌに注がれるのを感じる。
銀髪の少女神官と、黒い瞳に東方の装束、そして黒い花の鞘に収まった薙刀を携えたリュンヌ。
「……ルナ、……みんな、……こっち見てる。……目が、怖い。……でも、……負けない。」
リュンヌは薙刀の柄を握りしめ、王の威圧感に真っ向から視線をぶつけた。
その黒い瞳には、かつて勇者が「損切り」したはずの、生きた真実の輝きが宿っている。
「この度は、かような申し開きの場をご用意頂きありがとうございます。慈悲深き王よ。」
光主は堂々と礼を述べる。
一人の貴族が早速に立ち上がり、
「この人相書きをばら撒いたのはルス教の他でもない大聖堂。王の寵臣である武官をこのように蔑むとはどういう了見か?」
副光主はきょとんとした顔をする。
「貴族様はおかしな事をおっしゃられます。私共はその武官さまとお会いした事もないのです。どうしてそのような事ができましょうか?」
副光主は本心から言っている。
「そうよ、閣下。証拠もなしに当教団の『広報活動』を非難するなんて、随分と杜撰な監査能力をお持ちのようですわね」
ルナは光主の背後から、貴族たちの顔を一人ずつ値踏みするように見渡しながら、涼しげな声を響かせた。
彼女の碧色の瞳は、怒号を飛ばす貴族の動揺を正確に「市場の歪み」として捉えている。
「私たちが探しているのは、生き別れた父を想う健気な少女のために必要な『ただの一般人』」
「それがたまたま、王家が重用する武官の方に似ていたというだけでこちらが糾弾される。」
「……それはもはや、その方が過去に『多方面で債務を抱えていた』という、統計的な必然の証明ではありませんかしら?」
「黙れ、小娘! 王家に対して不遜であるぞ!」
貴族が顔を真っ赤にして叫ぶが、ルナはそれを鼻先で笑い飛ばし王に向い一礼した。




