冷徹な支配者の蠢き
脳裏にフラッシュバックしたのは、あの薄汚れた、けれどどこか「帳簿の外」にあるような静謐さを湛えていたあばら家。
託児所として使われる前のその場所で、不法占拠者として居座っていたあの狂老人の姿だ。
「……あの、……薄汚れたおじいさん」
ルナの声が、わずかに震える。
あの日、老人から投げかけられた『お前は何の力を失うのだろうな』という言葉。
当時は「不採算な独り言」として切り捨てたはずの言葉。
今、光主の話した「魔法を発見した男」というピースと、恐ろしいほどの精度で噛み合ってしまった。
「……光主様。その男、……もしかして、……雰囲気。……私と似たような、……雰囲気を、……持っていなかった?」
光主は答えず、ただ静かに目を伏せた。
その肯定とも取れる沈黙が、ルナの脳内にある「王家の闇」という名の巨大な貸借対照表に、決定的な一行を書き加える。
「……あはは。……笑えない冗談だわ。」
ルナは自嘲気味に口角を上げたが、その瞳には碧いの炎が宿っている。
「夢を担保に、王家の『清掃員』として使い倒された。」
ルナはなにか思うところが有るのだろう、言葉に力がこもっていく。
「精神を摩耗しきったところで、ゴミ箱(あばら家)に捨てられた……。」
少し低くなったルナの声。
「王家は、自分たちの不祥事という名の『負債』を、一人の天才の人生を丸ごと使って『損切り』したわけね」
ルナは握りしめた拳を震わせた。
彼女が最も嫌悪するのは、非効率な経営ではない。
自らの帳簿を綺麗に見せるために、他者の「資産」を数字としてすら扱わずに踏みにじる、その傲慢な欺瞞だ。
対決の時は意外にも早くやって来た。
例の似顔絵を王家と昵懇にしている貴族が入手したらしい。
更に市井でそれを使って教会が人探しをしているという情報まで王家に伝わったらしい。
光主のもとに
『他意はないと思うので貴族院開催の日に申し開きに来るよう』
という内容の書状が届けられた。
「……『申し開き(プレゼンテーション)』ですって? 笑わせないで。」
ルナの、書状が来たと聞いた時の最初の反応は白けていた。
「ただの強制捜査に、仰々しい招待状を送ってくるなんて、王家も相当に焦っている証拠ね」
ルナは光主のデスクに放り出された、王家からの重厚な書状を冷徹な目で見下ろした。
その指先は、すでに敵の「脆弱性」を正確にマークしている。
「市井にバラまいた人相書きという名の『毒素』が、予想以上の速さで彼らの不換紙幣を浸食したみたいだわ」
ルナの言葉に光主も頷く。
「教会が人探しをしている……。その『人』が、彼らが隠蔽し続けてきた『負債の象徴』だと気づいて、慌てて火消しに乗り出したというわけね」
光主が「他意はないと思うがか。穏便に済ませろと暗に言ってきているようなものだ。」と笑う。
「……ふん。他意はない、ね。その一言にどれだけの『隠し金利』と脅迫が詰め込まれているか、考えただけで虫ずが走るわ」
ルナは光主の冷めた笑いに合わせるように、鼻先で冷笑を漏らした。
「『穏便に』なんて、経営破綻寸前の企業が監査法人に泣きつく時の決まり文句じゃない」
どこの世界のコンサルか?というようなセリフを
ルナは吐く。
「自分たちの不祥事を帳簿の隅に押し込んで、見かけ上の均衡を保てと言っているのよ。」
ルナは本当に嫌だという顔をする。
「そんな不健全な取引、私の主義が許さないわ」
ルナは光主を真っ向から見据え、その瞳に真っ青の苛烈な輝きを宿らせた。
「光主様。あなたが彼らの顔色を伺って『特別損失』として処理しようとしても、私は一切手を抜かないわ」
ルナは光主を牽制するかのように言う。
「いい? 貴族院という市場に、偽造勇者という名の『不良債権』が引きずり出された瞬間に、この国の信用格付けは暴落する」
ルナは椅子から立ち上がり、窓の外、王宮のそびえ立つ方角を指差した。
「……光主様。申し開きの場には、最高の『修正予算案』を持って行ってあげるわ。王家が二度と立ち上がれないほどの、ね」
光主の口角が、聖域の闇に紛れるように深く吊り上がった。
「……ククッ、穏便にか。左様。嵐の前の静けさを『穏便』と呼ぶのであれば、これほど適切な言葉もあるまい」
光主の瞳に宿るのは、慈悲深い導き手の光ではなく、盤面を完全に掌握した冷徹な支配者の色だ。
ルナを「非効率な呼び出し」でこの場所へ引きずり出し、王家の不祥事という劇薬を彼女の手に握らせた。
その時点で、王家との「なあなあ」な均衡など、彼はとっくに損切りしている。
「副光主を王妃に接近させ、親交を築かせたのは、何も茶飲み話のためではない」
光主はこれまでの副光主と王妃二人の関係性に自信を抱いている。
「あの二人の関係は王家の懐深くへ、我らの『影響力』という名の楔を打ち込むための先行投資に過ぎん……」
光主は、ルナたちが去った扉の向こうを見つめ、独り言ちた。
「ルナよ。お前のその苛烈な合理性で、王家という腐った巨木を切り倒すがいい」
その後に残る広大な『焼け跡』を、我らルス教が最も効率的に再編させてもらう。」
「……今回は、教団の地位を『対等』から『絶対』へと引き上げる、千載一遇のてこ入れの機会だ」
王家が「穏便に」と命じる申し開きの場は、光主にとっては、王家の喉元にルス教の教義という名の鎖を巻き付けるための『儀式』に他ならない。
「……行け、銭導士。お前が真実の暴露を引き起こすとき、私がその混乱を全て、ルス教の『純利益』に変えてやろう」
光主は手元の古びた経典を閉じると、それをまるで攻略済みの事業計画書のように、乱暴に机の隅へと追いやった。




