素行不良の極致
市井の人々は噂、特に他人の不幸というものに弱い。更に貢献していいことをしたように思いたいという心理も働く。
「……ふふ、見て。この『情報の伝播効率』。期待値を大幅に上回るスピードだわ」
ルナは、人相書きの前に群がる市井の人々を、少し離れた建物の陰から冷徹に観察していた。
彼女の隣には、慣れない王都の喧騒に身を固くしているリュンヌがいる。
「……ルナ、……すごい人。……みんな、……指さしてる。……あのお父さん、……見つかる?」
事情をよく飲み込めていないリュンヌは、本気でルナに問う。
「見つかるも何も、これは『善意という名の承認欲求』を燃料にした、巨大な包囲網なのよ」
ルナはリュンヌに説明をはじめた。
「リュンヌ、人間はね、『良いことをして、誰かの役に立った』という自己肯定感の利益が大好き」
あまりにも世知辛いルナ理論にリュンヌは眉うぃひそめる。
そこに『他人の秘密を暴く』という背徳的なボーナスが乗れば、もう誰も止められないわ」
掲示板の前では、買い物籠を抱えた主婦たちが、まるでバーゲンセールの目玉商品を品定めするように人相書きを囲んでいる。
「あら、この鼻のライン……お隣の通りに最近引っ越してきた、あの若旦那にそっくりじゃない?」
「あら、私はどこかの騎士団で見かけた気がするわ。ほら、いつも高い馬に乗ってる……」
噂は、尾ひれという名の「追加資本」を蓄えながら、王都の隅々まで高速で回流していく。
「……リュンヌ、よく見ておきなさい。これが王家という巨大な不履行債権を解体するための、最初の『取り立て』よ」
リュンヌは『王家』と言う言葉が聞こえた気がしたが、聞き間違いと思いスルーした。
「アホな『勇者』が、どこで、誰に、どんな『隠し資産』を運用しているか……明日にはすべての帳簿が私の手元に揃うわ」
ルナは銀髪を風になびかせ、凶悪なまでに美しい微笑みを浮かべた。
市井の「おやつ」となった偽りの勇者の顔。それが本物の絶望に変わるまで、もはや時間はかからない。
二、三日もすると教会の一室には市井からのまことしやかな申出が大量に入ってくる。
「……案の定ね。情報のスクリーニング(選別)は終わったわ」
ルナは作業を終え大きく伸びをする。
「大半はただのノイズ……『不採算な噂話』だったけれど、その底に溜まっていたのは、想像以上に真っ黒な『負債』だったわね」
ルナは、教会の一室に積み上げられた報告書の山から、数枚の羊皮紙を抜き出した。
その指先は冷徹で、獲物の急所を正確に突く監査官のようだ。
「……ルナ、……それ、……ひどい。……仲間を、殺した? ……女の子を、襲った……? これが、……勇者?」
隣で資料を覗き込んだリュンヌの声が、怒りと嫌悪で低く震える。
書かれた名前は、あるものは綴りが崩れ、あるものは一部相違だった。
だが、他の文字を照らし合わせれば同一人物であることは火を見るより明らかだった。
「勇者という名の『偶像』を維持するために、あの家がどれだけの不祥事を揉み消し(損切りし)、被害者の声を握りつぶしてきたか……。」
「この申出の一枚一枚が、あの家の帳簿に載せられなかった『隠し債務』そのものよ」
ルナは銀髪をかき上げ、碧い瞳に冷酷な計算を宿らせた。
「身勝手な振る舞いで仲間を切り捨て、略奪と暴行を繰り返す『素行不良の極致』。」
ルナは呆れを通り越しているようだ。
「こんな欠陥商品(欠陥勇者)を、国一番の資産として国民に売りつけていたって。」
リュンヌは、無言で床を見つめ言葉すら今は発せないようだ。
「……ねえ、リュンヌ。これだけの証拠が揃えば、もう『市場』は黙っていないわ」
ルナは、特に詳細な被害状況が記された一枚を手に取り、不敵な笑みを浮かべた。
それでもなお、ルナは慎重だった。
自分の街の冒険者ギルドの女性ギルドマスター宛にいくつかの名前のパターンを見繕い、噂でいくつかの名前を聞いたと手紙をしたためる。
腕利きと聞いたので仕事を頼みたいが、正確な名前が分からない。あなたを通じて紹介して欲しいとわざと頼んだのだ。
4日後。返事が来た。『見た目と普段の態度は良いが、人格的に難有り。やめたほうがいい。現在所在不明』
「……やっぱり。表面上の『評価益』だけを整えた、典型的な粉飾決済物件ね」
ルナは、馴染みのギルドマスターから届いた辛辣な回答書を、冷ややかな目で見つめた。
自分の街の、冒険者として酸いも甘いも噛み分けてきた女性ギルドマスターの言葉だ。
その「人格的に難有り」という一言は、市井の噂という名の「二次データ」を、確固たる「一次ソース」へと昇華させる。
「……ルナ、……所在不明って。……逃げた? ……それとも、……どこかに、……隠れてる?」
リュンヌが不安げに尋ねると、ルナは唇を吊り上げ、獲物の足跡を特定した猟犬のような笑みを浮かべた。




