その場の雰囲気
副光主とリュンヌのいる奥の部屋の方からは副光主の「そうですわ。それはルナ同志なら言いそうです。」という楽しそうな声がする。
「……ふん。あちらの『情動部門』は、随分と盛り上がっているようね。」
ルナは光主との殺伐とした「資本提携(密約)」を終え、椅子の背もたれに預けていた体を起こした。
奥の間から漏れ聞こえる副光主の弾んだ声と、それにポツリポツリと応えるリュンヌの気配。
そのあまりに無防備な平穏が、今のルナには少しだけ眩しく、そして守るべき「守り(アセット)」として胸に響く。
「……光主様、取引成立よ。私は私のやり方で、その『勇者』という名の不良債権を市場から強制退場させてあげるわ。」
ルナは可憐な銀髪の少女の顔に戻り、光主を一瞥もせずに部屋を出た。
重厚な扉を開ければ、そこには副光主の「わんこ攻撃」にタジタジになりながらも、どこか穏やかな表情をしたリュンヌがいた。
「……ルナ、終わった? ……副光主さま、……お菓子、……いっぱいくれた。……あとルナの、……子供の時の恥ずかしい話、……聞いた」
「ちょっと! 余計な『内部情報』をリークしないでちょうだい! リュンヌ、行くわよ。」
ルナは少し赤い顔をしてふくれっ面で副光主をにらむ。
「次のプロジェクト……いえ、『人探し』の仕込みを始めるわ!」
ルナはリュンヌの腕を強引に引き、大聖堂の回廊を歩き出す。
背後で「また遊びにいらしてね!」と手を振る副光主と、それを見届ける光主の視線を背中に感じながら。
「……ルナ、……急に、……やる気。……怖い。……また、……誰か、……破産させる?」
「失礼ね。私はただ、世界という名の『歪んだ帳簿』を、あなたと一緒に正しに行くだけよ。…」
ルナが小さく、誰にも聞こえない声で呟くと、
リュンヌの肩が微かに跳ねた。
夕闇が迫る大聖堂に、二人の足音と、これから始まる「巨大バブル崩壊」の予感が静かに響き渡った。
光主は副光主を呼ぶ。
リュンヌとのたわいのない話の内容は光主は聞き流したが、ある話題で光主の目が光る。
「リュンヌさんには姓があるそうです。ミツミという。海が満ちるという意味だそうです。詩的ですね東方の姓って。」
副光主は夢見る少女の顔だ。
「……ミツミ(満海)、か。」
光主の呟きは、聖堂の冷たい空気に溶けて消えた。
副光主の「詩的ですね」という無邪気な感興を、彼は一滴も漏らさず、冷徹な「確信」へと蒸留していく。
「ええ、本当に。リュンヌさんも大切そうに仰っていましたわ。」
副光主は完全に仕事をわすれている。
「東方の地では、名はただの記号ではなく、一族の『魂の所在』を示すあせっとのようなものなのでしょうね」
副光主は、ルナからうつった経済用語を無意識に混ぜながら、うっとりと頬を緩めている。だが、光主の脳裏にあるのは情緒などではない。
(……やはり、繋がったな。あの『不都合な真実』。王家が最も恐れたものが、彼らの嘘を飲み込むものが現れるとは)
光主は、去っていったルナとリュンヌの背後にある「目に見えない巨大な負債」を幻視する。
「……副光主、その話は他言無用だ。特に、王家の耳にはな」
「あら……? 光主様、お顔が怖いですわよ。せっかくのお茶の余韻が、赤字決算のような冷たさになってしまいますわ」
副光主は首を傾げたが、光主の眼光はすでに「次の礼拝」という名の市場介入を見据えていた。
『リュンヌの姓』とルナにも明かさなかった『情報』の整合性を確認した光主。
彼はすぐに行動を起こした。
「……ふん。この『偶像』の素材、随分と多彩なバリエーションが作れるではないか」
光主は大聖堂の奥深く、薄暗いアトリエで、仕上がった数枚の人相書きを見下ろし、冷徹な笑みを浮かべた。
ルス教お抱えの絵師たちが総力を挙げて描き上げたのは、王家が秘匿する「名ばかり貴族」――勇者の素顔だ。
「ある時は、地方から出てきたばかりの純朴な冒険者。またある時は、東方の絹を扱う、やり手の若手商人……。」
光主はバレにくいはずだと感じる。
「髪型と服装を変えるだけで、これほど『その場の雰囲気』に合わせられるとはね」
光主は指先で、冒険者風の男の絵をパサリと弾いた。
「そして、この『物語性』。……『生き別れた少女が、父を探している』。ふはは! 実に安っぽく、そして大衆が最も好む悲劇だ」
光主の目は笑っていない。この人相書きは、ただの尋ね人ではない。
王家が何百年もかけて築き上げた「勇者と魔王のマッチポンプ」という巨大な不履行債権を、白日の下に引きずり出すための儀式なのだ。
「副光主、次の礼拝の後、この『父親』という名の似顔絵を、大聖堂内だけでなく、王都の表通りにある掲示板にも、余すところなく貼り出せ」
「ええ、光主様。……でも、この『お父様』、何だかとても……『不幸せな資産』を抱えていそうなお顔ですわね」
副光主は首を傾げながらも、ルナからうつった経済用語を無意識に混ぜ、人相書きを愛おしそうに見つめている。
「……左様。この男の正体が知れわたるとすれば、王家は全財産を投げ打ってでも、この『損失(真実)』を買い戻そうとするだろうな」
光主は謎めいた言葉を呟く。副光主はその言葉には気づかなかった。




