純白主義者のQOL
一週間後。ギルドの執務室で、ギルドマスターは届いたばかりの公文書を手に、首を傾げていた。
「王都の本部からだと……? なんだ、定期報告の査査か? 私は不祥事など起こしていないし、収支も完璧なはずだが……」
不敵な笑みを浮かべながら封を切り、中身に目を落とした瞬間、彼の表情は凍りついた。
【人事異動通知】
発令事項: 現職を解任し、北方の支部への異動を命ずる。
後任: 同支部のギルドマスター(女性)を当街のギルドマスターに充てる。
理由: ギルド本部および王家、教会の三者合意に基づく「組織運営方針」の転換のため。
「い、異動……!? しかも、あんな何もない、家畜の数でも数えていろというような、平和すぎるド田舎だと!?」
彼は椅子を蹴って立ち上がった。
今の街は、ルナたちが立ち上げた、新たな人材紹介ビジネスで活気づき、これから利権を貪れる「成長市場」だったのだ。
そこから強制的に、一切の出世どころか二次収入も望めない「窓際」へと左遷される。
「そんな馬鹿な! 本部に根回しした届け物はどうなった!? 理由が『方針転換』だけだなんて、納得できるか!」
だが、書状の末尾には、彼は奇妙なものがが並んでいる事に気づく。
ギルド本部の総合マスターの印、これは普通だ。
だが、残り二つは見たことすらない。
彼は印を確認してわななく。
ルス教本部の副光主、そして、およそ一地方のギルド人事には現れるはずのない「王妃殿下の私印」が、重々しく、かつ冷徹に押されていた。
何度目をこすってもそれははっきりと存在する。
「……王妃、殿下……? なぜ、一介のマスターの人事に、国の頂点が……?」
彼は、自分がいつ、どこで「最強の人事権を持つ者」たちの逆鱗に触れたのか、理解することすらできなかった。
「……ふん。まあ、いいか。……命まで取られるわけじゃないんだ。」
ギルドマスターは、震える手で持っていた書状をデスクに放り出した。
改めて詳細な労働条件を確認すれば、給与等級も、将来の退職金の積立額も維持されたままだ。
「……北方のあの田舎町なら、物価も安い。今の給与のままなら、実質的な給与は上がる計算だ。」
この切り替えの早さは彼がずっと築き上げて来た強みだ。
「……あくせく働いて利権を奪い合うより、適当に判子だけ押して、余生を謳歌するのも悪くない……」
彼は背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。
野心という名のハイリスクな投資に疲れ果てた男の、妥協という名の「損切り」だった。
「……問題は、家族か。」
住み慣れたこの街の交友関係に馴染んでいる妻や、教育環境を変えたくない子供たち。
彼らをどう説得し、この「左遷」をポジティブな「早期リタイア準備」としてプレゼンするか。
それが、彼に残された最後の人事案件となった。
「……まあ、あの『聖女』たちとこれ以上やり合うよりは、よっぽど楽な人生だわ。」
彼は自嘲気味に笑い、事務机の引き出しから隠していた一瓶の高級酒を取り出した。
一方その頃、宿の部屋では、ルナが窓の外を見やりながら、静かに帳簿を閉じていた。
「……チェックメイト。不良債権の清算、完了ね。あちらさんも、これ以上の抵抗は『追加損失』にしかならないって気づいたみたいだし。」
「……ルナ、……冷たい。……でも、……優しい。」
リュンヌは母の形見を抱え、新しく来る女性ギルドマスターという「未知の資産」に思いを馳せた。
「優しくなんてないわよ。ただ、効率的に『不純物』を取り除いただけよ。」
だが、リュンヌは血を流さず済ますルナは優しいと内心で声をもう一度かけた。
湯気に包まれた宿の浴場。
金貨20枚の「先行投資」と、ギルドマスターの「強制決済」という大きな案件を終えた二人の体には、心地よい疲労感が染み渡っていた。
「……はぁ、今回は流石にリソースを使い果たしたわ。政治工作(ロビー活動)って、結婚式のお祈りより神経削れるわね」
ルナは湯船の縁に頭を預け、洗い場で身体を洗っているリュンヌを眺めた。
全てを脱ぎ去った彼女の背中は、すらりとしていて、戦士特有のしなやかな筋肉が躍動感を感じさせる。
だが、その白い肌の一部には、連日の護衛任務で刻まれた赤々とした日焼けの跡が残っていた。
「ちょっと、リュンヌ! 今度は日焼けのケアもしなさいよ!」
ルナは全身が白くあるべき主義者だ。
「 せっかくの『聖女の護衛』がそんなムラのある肌じゃ、商品価値に関わるわ!」
「……私、……護衛。……外、……走る。……日焼け、……仕方ない。」
リュンヌは短く、淡々と「不可抗力」であることを主張する。だが、ルナのプロデューサー魂に火がついた。
「私の広告塔は、いついかなる時も完璧なアセット(資産)であるべきなの! 」
お肌純白主義者のボルテージが上がる。
「翌朝の肌のコンディション(利回り)まで計算して動きなさいよ!」
勢い余って、ルナはザバァッ! と派手な音を立てて湯船から立ち上がった。白く、しなやかな曲線美が湯気の中に露わになる。
「……ルナ。……丸見え。」
リュンヌは視線を逸らさず、ぽつりと、どこか楽しげに指摘した。
「……っ!? ……な、なによ、女子同士で今さら……っ!」
一瞬で顔を真っ赤にしたルナは、慌てて水しぶきを上げながら湯の中に座り込んだ。お湯が顔にかかり、銀髪が張り付く。
「……ルナ、……最近、……よく……動く。……面白い。」
「ほんと最近、あんた言い返すようになったわね! 昔はもっと『はい、……はい』って従順な投資先だったじゃない!」
ルナがぷうっと頬を膨らませて抗議すると、リュンヌは小さな声で「クスクス……」と喉を鳴らして笑った。
母の形見を取り戻し、心に平穏が戻った証拠だろうか。
二人の笑い声は、宿の風呂場の高い天井に、温かな響きとなって消えていった。
5章完




