鋼鉄の少女
そして翌々日。
ルス教大聖堂本部の一角。厳格な石造りの建物の中にあって、そこだけは少し雰囲気が違った。
窓辺には季節の生花が瑞々しく活けられ、机の隅には職人の手による愛らしい小物の置物が並んでいる。
その部屋にある「未処理書状入れ」に、事務方の神官の手によって各地から届いた報告書や陳情書がドサリと無造作に放り込まれた。
束になった羊皮紙の山。その中には、ルナが放った「光士」の紋章が刻印された一通の書状が紛れ込んでいる。
「……ふぅ、今日も多いなあ」
部屋の主である副光主が、愛用している「聖女の祝福」の清潔な使い心地を密かに噛み締めながら、その山に手を伸ばした。
彼女の正義感が、ルナの描いた「子供を授かった功労者を切り捨てる悪徳ギルド」という物語。
その、あまりに分かりやすく、かつ許しがたい「不良案件」を見つけ出すのは、もはや時間の問題だった。
「……お腹が少し重いわ。でも、これがあるだけで本当に救われる。領主夫人には感謝しかありませんね」
副光主は、窓辺に飾られた生花に目を向けながら、独り言のように呟いた。
「聖女の祝福」の清潔な使い心地は、職務に追われる彼女にとって、数少ない「QOL(生活の質)」を支える不可欠な資産となっていた。
「左様でございますね。……副光主様、まずは届いた書状の仕分けをいたします。少しお待ち下さい」
お付きの女性神官が、申し訳なさそうに告げて、しかしテキパキとした手つきで書状の山を整理し始める。
巷では「鋼鉄の少女」だの「厳しい精査官」だのと噂されている彼女だが、その実態を知る側近たちの評価は全く異なる。
仕事に対しては一切の妥協を許さない厳格さ(ハイ・スタンダード)を持っているが、理不尽な無理難題を押し付けることは決してない。
むしろ、弱きを助け、不正を正すことに情熱を燃やす、高潔な正義感の持ち主なのだ。
「分かっているわ。……あら?」
彼女が書状の束から一通を抜き出した。
そこには、地方の光士の紋章……それも、例の「聖女の祝福」の開発者と聞いている、若き光士の刻印があった。
「……開発を共にした方の友人が、懐妊を理由に失職……?」
読み進めるうちに、副光主の眉間に深い皺が刻まれる。彼女の瞳に、静かだが激しい「義憤」という名の炎が灯った。
「新しい命を宿した功労者を、あろうことか『お荷物』として切り捨てる……? 」
少し低い声が副光主の口から漏れ出た。
「冒険者ギルドは、いつからそんなに不浄な組織になり下がったのかしら」
お付きの神官たちは、その声の温度が一段と下がったのを感じて背筋を伸ばした。
それは、副光主が「悪徳な不良債権」を強制執行するためのスイッチが入った合図だった。
「副光主様、どのような内容なのですか?」
一人の女性神官が聞く。
「『聖女の祝福』をルナ同志とともに開発した方……そのご友人が懐妊を理由に、冒険者ギルドから職を追われようとしているそうなのです」
副光主の声には、隠しきれない鋭い「義憤」が混じっていた。手元の書状を握りしめる指先に、わずかな力がこもる。
「なんと……それはまた……」
一人の若い神官が絶句する中、副光主の傍らで控えていた年配の女性神官が、静かに、しかし冷徹な現状を口にした。
彼女は副光主に以前から仕えてきた、知恵袋とも呼べる老練な実務家だ。
「……ですが副光主様。恐縮ながら、冒険者ギルドの規約というものは、古くからそのようになっております。」
知恵袋は、市井にも詳しく副光主もその声にきちんと耳を傾ける。
「危険な任務や不規則な労働を前提とする組織ゆえ、身重の者を戦力外として扱うのは、彼らにとっては『常識』の範囲内かと」
老神官の言葉は、冷たい事実だった。
組織の効率を最優先する冒険者ギルドのマスターのような人間にとって、動けない妊婦は切り捨てるべき「不良資産」でしかない。
「……古くからのルール、ですか。では、そのルールは『神の祝福』よりも優先されるべきだと?」
副光主の瞳が、いっそう冷たく、かつ情熱的に細められた。
「新しい命という最大の『祝福』を、組織の都合という『不浄』で相殺しようなど……。」
知恵袋の言葉は逆効果だったようだ。
若さと情熱だけでない、副光主は実行に移せる権力もある。
「これはもはや、単なる人事権の問題ではありませんわ。ルス教の教義に対する、明白な不誠実です」
副光主は、机に置かれた可愛らしい子羊の置物を指先でなぞった。
「その『常識』とやらが、市場の健全な統制を損なっているのであれば……」
副光主のギアは更に上がってしまったようだ。




