取り戻した資産(きずな)
「……母さんの、ね。」
ルナの細められた銀色の瞳が、冷徹な投資家のそれから、獲物の価値を品定めする鑑定士のそれに変わる。
「駄作なら許されないわよ。私のポートフォリオに、思い入れ(センチメンタル)だけでガラクタを混ぜる趣味はないから。」
それは、以前にリュンヌの革鎧を処分しようとした時の言葉に通ずるものだった。
リュンヌは一瞬身を固くする。
「……金貨20枚分の『価値』、私に証明しなさいよ」
だが、突き放すような言葉とは裏腹に、ルナは迷いのない足取りで立ち上がった。
自らの私物が仕舞われたクローゼットの奥から、重厚な装飾が施された鍵付きの箱を取り出す。
カチリ、と硬質な音を立てて蓋が開くと、そこには整然と並べられた金貨の輝きが、部屋の空気を一変させた。
「……行きなさい。その『朱色』と『黒い花』を、今すぐ市場から回収してくるのよ。」
リュンヌの目がその言葉を聞き見開かれる。
「……リュンヌ、これはあなたへの『貸付』じゃない。あなたの『正当な報酬』よ」
ルナは迷わず金貨の詰まった袋をリュンヌに差し出した。
その瞳には、親友が失った半身を取り戻しに行くことへの、言葉にしない「期待」が宿っていた。
宿の扉を蹴破る勢いで飛び出したリュンヌは、喉が焼けるような呼吸も構わず、街の雑踏を裂いて走り抜けた。
「はぁ、……はぁ、……これ、……金貨……20枚!」
天幕に滑り込み、驚愕で目を見開く行商人の鼻先に、ずっしりと重い革袋を叩きつける。
硬質な金貨同士がぶつかり合う、鈍くも確かな「資産」の音が周囲に響き渡った。
「お、お嬢さん、今しがた出て行ったばかりじゃ……金策に走ったのではなかったのかい!?」
行商人が言葉を失い、周囲の買い物客たちも、普段の静かなリュンヌからは想像もつかない殺気立った様子に、引き気味に道を開ける。
「……ある。……ここに、……ある! ……だから、……渡して。……誰にも、……触らせないで」
リュンヌの黒い瞳は、朱塗りの柄一点だけを射抜いていた。
金貨20枚という、この街では一生拝むことすら稀な大金を、ただ「過去」を取り戻すためだけに一瞬で決済する。
その異常なまでの執着と、溢れ出た戦士としての気迫に、行商人は気圧されたように頷いた。
「……分かりました。これほどの『覚悟』を見せられては、商人も引くしかありませんな。……さあ、受け取りなさい」
商人は金貨を確認すると居住まいを正して薙刀を
丁寧に手に取った。
「これが、あなたの探していた……あるいは、あなたを待っていた『分身』です」
震える手で行商人が差し出した朱塗りの薙刀。
リュンヌがその柄に触れた瞬間、掌から全身へと、懐かしくも鋭い「母の熱」が駆け巡った。
賑やかな店先であることすら忘れ、リュンヌはその朱色の柄を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめた。
「……お母さん……っ、……お母さん……」
頬を伝う涙が、黒い一輪の花の彫刻を濡らす。
かつて自分を導き、守ってくれた温もり。
失われたはずの「資産」が、いま確かな質量を持って彼女の腕の中に戻ってきた。
その光景を静かに見守っていた行商人は、得心がいったように深く頷くと、表情を引き締めて告げた。
「……そういう事でしたか。ならば、一つだけ忠告しておきましょう」
行商人の声が、商売人のそれから、業物を扱う目利きとしての厳格な響きへと変わる。
「それは、普段使いにするにはあまりに惜しい。その刃は、東方の卓越した技術が注ぎ込まれた、極めて繊細な品だ。」
商人はまるで、武芸の師範の様な雰囲気すら漂わせる。
「……お嬢さん、ここぞという『勝負時』の時だけ、その鞘を払いなさい」
リュンヌは涙を拭い、行商人の言葉を噛み締めるように短く頷いた。
「……分かった。……大事にする。……これ、……私の、……命。……ここぞという時、……だけ」
使い慣れた今のナギナタは「日常の盾」として。そしてこの朱塗りの一振りは、自らの魂と過去を懸ける「決戦の矛」として。
リュンヌは、母の形見という名の最高位の装備を背負い、誇らしげに、しかしどこか晴れやかな足取りで、ルナの待つ宿へと歩き出した。
宿の扉をそっと開けると、リュンヌは宝物を抱く子供のように、朱塗りの薙刀を大切に抱えて部屋へ戻ってきた。
ルナは椅子から立ち上がり、獲物を値踏みする投資家の目つきで、その一振りににじり寄る。
「……ちょっと見せなさいよ。……どれどれ。」
ルナは刃の形状を見て反射的に何か思い浮かんだようだ。
「……っ!? ゲルググ、げふんげふん! ……な、なによ今の、なんでこんな不条理な単語が脳内に割り込んできたのかしら……」
一瞬、口をついて出た謎の言葉にルナ自身が激しく困惑し、首を振って思考を強制終了させる。
気を取り直すように、まじまじとその刃紋と彫刻を凝視した。
「ふーん……。朱塗りの発色もいいし、この刃紋の積層構造……かなりの高コストな技術が注ぎ込まれてるわね。」
食いつき気味に分析するルナ。
「単なる武器じゃない、立派な工芸品だわ。……見る目あるわね、あんたのお母さん」
ルナは満足げに鼻を鳴らし、ようやく合格点を出した。
「金貨20枚。……これなら市場価値も下がらないわ。いい投資をしたわね、リュンヌ」
「……ルナ、……ありがと。……私、……これ……宝物。」
リュンヌは赤みが差した顔で、改めて母の形見を握りしめた。
ルナの毒舌混じりの賞賛は、彼女なりの「祝福」であることを知っている。
「さあ、いつまでも浸ってないで。明日からはその重い『過去』を背負って、しっかり利回り(働き)を出してもらうわよ」
ルナはリュンヌの肩をポンポンと軽く背伸びして叩く。
「まずはあのギルドマスターという『不良債権』の処理、大詰めなんだから」
ルナは不敵に微笑むと、再び机に広げた怪しげな「噂」の草案へと視線を戻した。




