守るための撤退
冒険者ギルドの重い扉を押し開けると、そこには淀んだ空気が満ちていた。
リュンヌは周囲の痛いような視線を突き抜け、受付カウンターへと歩む。
一番若い受付嬢が、まるで宣告を待つ罪人のような硬い表情で、ルナの認めた紙を受け取った。
「……これ、……ルナから。……読んで。」
震える指先で紙を広げた受付嬢は、そこに書かれた内容を目にした瞬間、一気に脱力したように肩を落とした。
その瞳には、望みが絶たれたような落胆と、破滅を回避したような安堵が、複雑に混ざり合って揺れている。
「……名誉会員を……辞退する、って……」
彼女は消え入るような声で呟くと、その紙を隣の勘定方の女性へと回した。
「……辞退。……ルナ、……もう来ない。……これ、……決定。」
リュンヌは、事務方の女性たちがその一行に救われ、同時に「変革」という光を失ったことを悟った。
彼女たちの生活を守るための、ルナなりの「損切り」。
しかし、その静かな幕引きの裏で、ルナがさらに巨大なレバレッジを仕掛けていることを、この時のリュンヌも含む全員はまだ知る由もなかった。
ギルドマスターは、これまでにないほど上機嫌だった。
手元に届けられた「名誉会員辞退」の一筆を眺め、ふんぞり返って椅子を鳴らす。
「ふん、やはり普通のガキよりは多少なりとも頭が回るようだな」
その顔は解放感で輝いている。
「……お前たちもよくやった。これであいつも、世間というものの厳しさが少しは身に染みたことだろうよ」
傲慢な笑みを浮かべ、マスターは満足げに鼻を鳴らした。
「神様の世界とは違うんだ。理屈や理想だけで飯が食えると思うなよ。……全く、手間をかけさせやがって」
その様子を冷ややかに、しかし胸を撫で下ろしながら見ていたのは、若手職員の二人だった。
彼らは顔を見合わせ、言葉少なに目配せを交わす。
(……ようやく、終わったのか。)
いかにこれまでルナを敵視し、煙たく思っていたとはいえ、実務を放棄してまで「居留守」の片棒を担ぎ続ける。
それは、組織の人間としてあまりに寝覚めが悪かった。
「……はい。これで、ギルドの運営も正常化しますね、マスター」
一人が追従するように声をかけると、マスターはさらに気分を良くしたように、分厚い書類の束を放り投げた。
嵐が去った後のような静けさが、重苦しいギルドの事務室にようやく戻ってきたかに見えた。
冒険者ギルドを後にしたリュンヌはルナに聞いた行商人の店を覗きに行く。
街の武器屋とは、漂う空気が違った。
王都から来たという行商人の天幕には、洗練された意匠の武具が整然と並べられている。
実用一辺倒な地元の品に比べ、どれもが洗練された輝きを放っていた。
「……すごい。……これ、……高級な鋼……? ……それとも、……別の素材……?」
リュンヌは使い込んだ得物を背に、吸い寄せられるように展示品を眺めた。
買い替えるつもりはない。このナギナタは、彼女の分身のようなものだ。
だが、優れた武具が放つ特有の「圧」は、戦士としての本能を心地よく刺激する。
「……目の保養。……ルナ、……経費って言ったけど、……これ、……一財産。」
値札に並ぶ貨幣の金額を見て、リュンヌは小さく溜息をついた。王都の相場は、この街の常識よりかなり上だ。
ナギナタの石突をそっと地面に立て、彼女は静かに、しかし熱心な視線で一つ一つの穂先を吟味し始めた。
たとえ買わなくとも、優れた職人の仕事に触れることは、彼女の「感覚」という名の資産を磨くことに他ならないからだ。




