懇願と雑談
翌日、リュンヌは一人でふらりと街へ出た。喧騒の中、聞き覚えのある男性の声が彼女を呼び止める。
「リュンヌさん!」
振り返ると、そこにいたのは冒険者ギルドの若手職員だった。
以前は鼻持ちならない態度で応対していた男だが、今はその面影もなく、酷くやつれた顔で縋るように立ち尽くしている。
「……ギルド、……人。……何か?」
リュンヌが警戒してナギナタの柄に手をかけると、職員は周囲を気にするように声を潜めた。
「お願いです、ルナさんに……もうギルドに来ないよう、伝えてもらえませんか? あの……あの提案のせいで、マスターがずっと不機嫌で」
リュンヌの警戒状態すら目に入らないほど切迫しているようだ。
「八つ当たりが酷くて、僕らも、事務方の女性たちも、みんな仕事が手に付かないんです」
かつての傲慢さは霧散し、ただ組織の軋轢に磨り減った一構成員の悲鳴がそこにはあった。
「……マスター、……怒ってる。……みんな、……困ってる。」
リュンヌは、ルナが撒いた「変革」という名の種が、ギルド内部で望まぬ摩擦を生んでいる事実を突きつけられた。
「……実は、女性陣がマスターに提案のことを口にしたら、マスターの逆鱗に触れてしまって。『全員クビにする』と言い出したんです」
リュンヌは話の展開に一瞬目が点になった。
「リュンヌさんなら、ルナさんに言えますよね? もう、みんな疲れ切ってるんです……」
かつては態度の悪かった職員が、今は形振り構わず、震える声で懇願してくる。
その言葉の重みに、リュンヌはナギナタの柄を握る手に思わず力が入った。
(……全員、……クビ。……マスター、……本気……?)
二人が撒いた変革の種は、ギルドをより良くするはずのものだった。
しかし、その正論が通じない権力者の前で、現場の女性たちは今、生活の基盤すら脅かされるという最大級の「負のコスト」を支払わされている。
「……みんな、……限界。……分かった。……ルナに、……伝える。」
リュンヌは短く答え、重い足取りで歩き出した。
自分たちの正しさが、守りたかったはずの事務方の人々を追い詰めているという皮肉。
一人で羽を伸ばすはずだった休日は、あまりに苦い報せと共に、ルナの待つ宿へと引き返すための時間に変わった。
その頃、ルナは教会で懺悔相談を終えて大教会長と雑談をしていた。
ルナはさりげなく、
「ルス教本部って冒険者ギルド本部とは交流はあるのですか?」
と大教会長に聞く。
「ああ、あると思いますよ。そもそも、我々の方が国中で教えを広めていますからね」
布教経験も当然長い大教会長は、ルナの言葉に即座に反応した。
「地理や風土、生物の分布にいたるまで、我々の方が各地の『生きた情報』を握っていますし」
大教会長は穏やかに、しかしその言葉には確かな自負を滲ませて答えた。
教会のネットワークは、冒険者ギルドのそれを遥かに凌駕する広がりと歴史を持っている。
「左様でございますか。それほどまでに深い繋がりがあるのでしたら……」
ルナは大教会長の執務室の静かなな空気の中で、さりげなく、しかし獲物を逃さない投資家のような鋭い光を瞳に宿した。
「ギルド本部の意思決定プロセスにおいて、教会の『知見』がその運営指針に影響を与える」
一番聞きたい事柄を、言葉を選びつつルナは紡ぎ出す。
「……なんていう、相互互恵的なコストバランスも存在するのかしら?」
大教会長はルナの聞きたい事柄を察したようだ。
「まあ、さすがに冒険者ギルド内の運営方針や人事方針にまでは口出しできませんよ」
話は分かってるぞと言う意味でわざと『人事方針』と単語を混ぜてくる大教会長。
「せいぜい、『この街のギルドに対して、このような噂が立っていますよ』と、事実を共有する程度でしょうね」
確かに悪い噂が立っていれば、忠告はあり得るのでこれも大教会長は嘘は言っていない。
「私自身、そういった政治的な経験はないので、これが正確な答えかどうかも不明ですよ、ルナ同志」
大教会長は穏やかに、どこか世俗の揉め事を遠巻きに眺めるような口ぶりでそう締めくくった。
宗教組織としての「中立性」というコストを支払いつつ、最低限の情報提供に留めるという、老獪なバランス感覚だ。
「……『噂』、ですか。なるほど、客観的な市場評価として情報を流すルートは、確立されているということね」
ルナは銀髪を指先で弄りながら、大教会長の言葉の裏にある「隙間」を見逃さなかった。
直接的な人事介入は無理でも、外部からの「評価」という形で圧力をかけるスキームは、十分に構築可能だと踏んだのだ。
(……『噂』が本部に届けば、それはもはや単なる陰口じゃない。監査を呼び込むための、立派な『不利益情報』になるわ)




