「くっころ」神官
宿の部屋に戻っても、ルナの「バグ」は収まらなかった。
「ルス神様以外で天国だなんて、どの口が……! 収支報告もなしにそんな非論理的な……」
ブツクサと呪文のように繰り返される不敬な(?)独り言。
それを間近で聞き続けるリュンヌは、逃げ場のない羞恥心で顔を真っ赤に染め続けていた。
(……黙らす……無理……止め方……そうだ、ギルドマスター……敵。)
リュンヌは決死の覚悟で、ルナの意識を「天国」から「戦場」へと引き戻すための言葉を絞り出す。
「……ルナ。……ギルドマスター……いいの? ……ルナ、……負けたまま。」
その瞬間、ルナの独り言がピタリと止まった。
虚空を彷徨っていた銀色の瞳が、急速に冷徹な光を取り戻していく。
「……負けたまま?」
「そうだわ、あの狸凡人をやり込めないと気が済まない。でも、狙っていた内部分裂は不発だったし……」
ルナはベッドに座り込み、執念深い投資家のような目つきで空を睨む。
内部からの突き上げでマスターを屈服させる算段が、思うように機能していない。
「……でも……雰囲気……1回目行った時……2回目、……今日……違ってた。」
リュンヌは赤みが引かない頬を抑えながら、ギルド職員たちの硬い表情を思い出し、ぽつりと違和感を口にした。
「そうね……。言われてみれば、二度目に訪問した時の空気と違って、何かに怯えているような重さがあったわ。」
ルナもリュンヌの意見に同意する。
「多分、裏で何かがあって、彼女たちが動けなくなったのね」
ルナは銀髪をかきむしり、手元の帳簿を睨みつける。
「予想外に頑強だわ……。保身というコストを支払ってでも、現状を維持しようというのかしら」
自身の予測モデルが外れた事実に、ルナは忌々しげに頭を抱えた。
頭を抱えるルナの視界に、ベッドに放り投げていたルス教のチャームが入り込んだ。
それは神官としての彼女の身分を証明する、清廉な信仰の証のはずだった。
「……祈れって? そんなの、効くはずないでしょ!」
ルナは突如として、チャームに向かって鋭いツッコミを入れた。
神官が自らの仕える神を真っ向から否定し、あろうことか罵倒するという、あまりにも不敬な(バグに近い)光景。
「……神官、……自分の神様、……怒ってる。……不思議……すぎる。」
リュンヌは赤みが残る顔のまま、目の前で繰り広げられる奇妙な絵面に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「くっ……これを使えと!? まさに『くっ、殺せ(くっころ)』の気分だわ!」
ルナは、チャームの頭部に付け足された小さな「輪」を凝視しながら、ルス神像に向かって血走った目で語りかけている。
それは神官が神託を受け取ったというより、不本意な契約を迫られた投資家の断末魔に近い。
「……ルナ……近寄るの……無理。……怖い、怖い、怖い。」
リュンヌは、自分の仕える神に対して「くっころ」などと口走る狂乱の神官を前に、数歩じりじりと後ずさった。
ナギナタの柄を盾にするように抱え直し、完全にドン引きした表情で、独り言を続ける相棒を見守る。
その光景は、もはや聖職者の祈りではなく、禁忌の儀式に手を染める呪術師のそれだった。
結局、あの「くっころ」騒ぎのあと、温かい食事を摂り入浴を済ませたことで、ルナはようやく投資家らしい冷静さを取り戻した。
「……明日は、私一人で教会へ行くわ。少し、確認しておきたい『資産』があるの」
湯上りの髪を拭きながら、ルナは淡々と告げた。その瞳からは先ほどの狂乱は消え、代わりに冷徹な計算の光が戻っている。
「……分かった。……私、……気分転換、したい。……明日は、別行動。」
リュンヌは、ルナの奇行に振り回された一日の精神的コストを精算するかのように、短く答えた。
たまには一人でナギナタの手入れでもしながら、静かな時間を過ごしたいのが本音だ。
二人はそれ以上の言葉を交わすことなく、それぞれの明日に備えて深い眠りについた。




