詐欺師の親玉、真っ赤な御神像になる
「……三回連続の『不在』。確率論的に言っても、もはやギャグの領域だわ」
ルナはギルドの重厚な扉を背に、忌々しげに吐き捨てた。手元の帳簿を叩く指先が、怒りでわずかに震えている。
「……ルナ、……顔、怖い。……あの受付の人、……震えてた。」
リュンヌはナギナタを抱え直し、隣を歩く相棒の横顔を不安げに覗き込む。
「当たり前でしょう? 誠実な交渉に対するリターンが、中身のない定型文なんて。」
ルナは地面を踏んでちょっとばかりジタバタする。
「これは私に対する、最大級の『機会損失』よ!」
ルナの碧い瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く細まる。
「……でも、……居ないものは、……会えない。……どうするの?」
「居ないはずがないわ。内部の風通しが悪すぎて、澱んだ空気がここまで漏れ出しているもの。」
どこの危険物保管施設かというような評価である。
「……そこまでして『変化』というコストを拒むなら、外側から外堀を埋めて、逃げ場のない黒字に叩き落として差し上げますわ」
二人は踵を返し、ギルドではなく、職を失う恐怖に怯える女性職員たちが窓から見守る先へ、力強く踏み出した。
「そういえば、リュンヌ。あんたの先輩はどうなったのよ? 」
リュンヌは突如、もう一つの現実問題に向き合わされる。
「まさかあれからSSR(最高レア)どころかSRでもない、天然記念物状態とかじゃないわよね?」
ルナは歩きながら、隣の相棒へ水を向けた。
リュンヌは重い溜息をつき、どんよりとした視線を虚空へ投げる。
「……そんな……呪文連発……理解無理。……先輩、……もう、……別の生き物されてる。」
ナギナタの重みを感じながら、彼女はただ遠い目をしていた。
「……そういえば……その後会ってない……」
リュンヌは少し不安気に答える。
「……まさか、既におぎゃあ!?」
ルナは青ざめた顔で言い出す。
「 産休制度を制定する前に、当人がフルスロットルで実績を作ったというの!? 恐るべき回転率だわ!」
ルナは驚愕に目を見開き、ありもしない「超スピード出産」のコスト計算を脳内で開始する。
銀髪を振り乱して取り乱すその姿は、計算高い神官というより、ただの暴走機関車だ。
対照的に、リュンヌは呆れ果てたように肩をすくめ、力なく笑った。
「……ルナ、……極端すぎ。……相談聞いてから、……まだ一月もない。……人間、……そんなに早くない。……それは、……もう怪物。」
常識というコストを完全に度外視した相棒の飛躍に、リュンヌはただ苦笑いを浮かべ、遠い目で首を振るしかなかった。
そこへ「リュンヌ!」とくだんの先輩女性冒険者の声が追いかけてきた。
「……先輩……走るの、ダメ。……赤ちゃんに、良くない。」
リュンヌは真顔で、全力疾走してくる先輩を制止するように両手を広げた。
その必死な様子に、駆け寄ってきた先輩女性冒険者は明るい笑い声を上げる。
「あー、そうそう! それそれ、違ってたのよ。来たのよ、アレ。ただちょっと、遅れてただけだったわ!」
先輩女性冒険者は膝を叩き、文字通り腹の底から笑い飛ばした。その顔色は、以前の土気色が嘘のように血色良く、生命力に満ち溢れている。
「はぁ!? じゃあなによ、私の感動リソースを返しなさいよ! 妄想だったなんて詐欺よ、完全な収支報告漏れ(ミスリード)じゃない!」
ルナは右手を振り回し、ありもしない「おぎゃあ特需」が消えたことに本気で憤慨する。
その身勝手な言い分に、リュンヌは冷ややかなジト目を向けた。
(……詐欺師の親玉が、……何言ってる。……どの口が、……言う。)
ルナの呆れた暴走を無言で糾弾するリュンヌを余所に、先輩女性冒険者は豪快に笑い飛ばす。
「ああ、ごめんごめん! 前にリュンヌと会って話してる最中にさ、急に気分が悪くなっちゃって。」
リュンヌは、確かに先輩女性冒険者が席を立った事を思い出す。
「ほら、よく言うじゃない? サソリ……じゃなくて、つわりってやつ。」
リュンヌは先輩女性冒険者が方向性は違うが、ルナと同じく用語ガバガバ人と認定する。
「あの時は、お昼に食べた物が悪かっただけでさ、勘違いだったの。結局、単にアレが遅れてて、重い生理痛が来ただけだったわ!」
先輩はアッハハハと喉を鳴らし、自分の勘違いを太陽のような明るさで笑い飛ばした。
「ごめんね、ほんとごめんね。」
先輩女性冒険者は二人にペコペコする。
「……先輩、天国いけても……そういうこと、ダメ。絶対。」
リュンヌは耳まで真っ赤に染め、ナギナタの柄をぎゅっと握りしめて決死の忠告を繰り出した。
純真な彼女にとって、先輩の「おめでた(勘違い)」から「生理痛」への急転直下は、倫理的にも情緒的にも気絶寸前の過激さだ。
既に、隣のルナは音もなく「真っ赤な御神像」と化していた。
脳内の損益計算書が真っ赤に染まり、期待利回りが一瞬で霧散したショックと、理解不能な羞恥心で魂がどこか別の次元へログアウトしている。
「うーん、多分無理かなぁ。天国は天国だし!」
先輩女性冒険者は全く懲りた様子もなく、カラリと笑って後頭部をかく。
その潔すぎるバイタリティの前では、リュンヌの必死の訴えも心地よいそよ風程度のコストにしかならないらしい。
直後、リュンヌの耳に「ドサッ」という重苦しい音が届いた。
横を見ると、限界を迎えた真っ赤な御神像が、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏している。
「……ルナ!? ……しっかりして。……倒れるの、……予定外。」
リュンヌは慌てて相棒に駆け寄る。
銀髪の投資家が、自身の「妄想」による精神的ダメージで行動不能に陥るという、もっとも非効率な事態に直面していた。




