功績や伝統
一方その頃、宿屋の部屋では。
「……ルナ。……ギルドの女の人たち……なんか、怖い顔してた」
リュンヌが昼間の光景を思い出して呟くと、ルナはベッドの上で優雅に計算書をめくりながら、満足げに口角を上げた。
「ふふ、それでいいのですわ、リュンヌ。不満が『目的』に変わった瞬間の人間ほど、効率的な労働力はありませんもの。」
まるで、成功を確信したような顔だ。
「彼女たちが真面目に働けば働くほど、私の提案の価値は上がっていく。自らの対応が自分の首を絞めているとも知らずにね」
ルナは、窓の外で笑う女性たちの気配を感じたかのように、闇の中で金貨を弄ぶように指を動かした。
名誉会員という「権限なき立場」を最大限利用し、現場の女たちの「欲望」を燃料に変え、ギルドという巨大歯車を逆回転させんとする銭導士。
「……ルナ……やっぱり……悪い人……」
リュンヌは溜息をついたが、その表情はどこか安心したようでもあった。
「……先日の件ですがね」
席に着くなりギルドマスターは切り出した。
「やはり、これまでの受付嬢たちの功績や、ギルドの伝統を考えますと、そう簡単にはいかないという話になりまして」
右手を後頭部にやり少し頭を搔きバツが悪そうな声で続ける。
「いやはや、申し訳ないですなあ」
3日後、再訪したルナとリュンヌを前に、ギルドマスターは薄い笑みを浮かべて言葉を締めくくった。
その手元には、例の「落書き」がまだ残っているはずだが、彼の態度は完全に門前払いだ。
(……えっ……)
リュンヌは唖然として、隣のルナを見やる。
あんなに完璧な資料を出し、期待に胸を膨らませていた3日間は何だったのか。
だが、ルナは表情一つ変えず、静かにギルドマスターの言葉を受け流している。
「それにですね、事務方だけそんな特別扱いはやりづらい」
少ししかめっ面をしてギルドマスターは理由をつけ足していく。
「命を懸けている冒険者たちと比較しても差がつきすぎますし。不公平感が出るのは避けたいのですよ」
ギルドマスターは、もっともらしい「平等」という言葉を盾に追加した。
そして、席を立つ準備をしながら砂時計をチラリと見る。
「では、私は申し訳ないのですが、後の予定が詰まっておりましてね。失礼します」
「……あ……後ろ……誰もいない……」
リュンヌは思わず、誰もいない待合スペースと、暇そうにパイプを燻らせている職員たちの姿を思い出して口に出しそうになった。
が、隣のルナに脇腹を鋭く突っつかれ、言葉を飲み込んだ。
「……っ」
「失礼いたしました。お忙しいところお時間をいただき、感謝いたしますわ、ギルドマスター」
ルナは優雅に一礼し、憤るリュンヌの腕を引いて、さっさと執務室を後にした。
廊下に出た瞬間、リュンヌが爆発する。
「……ルナ! ……嘘、ついてた。……後ろ、誰も……いないのに!」
「落ち着きなさい、リュンヌ。あの凡人が嘘をつくのは想定の範囲内よ。」
最初から返事がわかっていたのかと逆にリュンヌは、愕然としながらルナの言葉を聞く。
「大切なのは、彼が『後が詰まっている』という言い訳をしなければならないほど、私達を前にして居心地を悪くしているという事実よ」
「……それに、今言ったわよ。事務方だけ優遇すると、冒険者と差がつきすぎるって」
ギルドの廊下を歩きながら、ルナは不敵に、そしてどこか楽しげに口角を上げた。
「だから次は、冒険者も産前産後に休めるようにする資料を持ってくるだけよ。」
そして、既に勝ったような気分を見せる。
「……ふふ、あの凡人、自分の言葉が自分の首を絞めるロープになるとも知らずに」
「……ルナ……それ作るだけ……むだ。……どうせ……また……読まない」
リュンヌは溜息をつき、肩を落とす。あんなに冷たくあしらわれたのに、また新しい資料を作るなんて、それこそタイパが最悪ではないか。
「違うわよ、あんた。手ぶらで来るわけにはいかないの」
ルナは立ち止まり、ギルドの喧騒を背に、真剣な眼差しで相棒を見つめた。
「来ることに意味があるの。あの凡人に、『私は何度でも、理屈を持ってここへ現れる』という恐怖を植え付けるのよ。」
ルナは覚悟を決めた様に言う。
「彼が『検討』という名の逃げ道を選ぶたびに、私は外堀を埋めるための『材料』を一つずつ置いていく……」
ルナは窓の外、事務方の女性たちが真剣な面持ちで、かつてないほど迅速に仕事をこなしている姿を指差した。
「資料を読むのは、彼ではなくていいの。捨てられた紙束を拾う者が、この建物の内側にいる限り……。」
ルナに対しては一瞥もしない女性陣だが、何かを三人が共有している雰囲気がある。
「私が『無駄な訪問』を繰り返せば繰り返すほど、現場の熱(不満)は高まり、組織の歪みが限界を迎える。あの凡人は手強いのよ」
「……粘着質……。……でも……わかった。……先輩のため……資料……手伝う」
リュンヌはぶっきらぼうに言いながらも、ルナの横に並んだ。
「ええ、期待してなさい。次は『冒険者の出産・育児に伴う一時離脱と、復帰後のランク維持に関する保険制度』……」
リュンヌは耳にしただけで頭がクラクラした。
「あの凡人が聞いただけで卒倒するような、完璧な計算式を叩きつけてあげるわ!」




