「落書き」を清書する
ギルドの喧騒が静まり、街の灯りがポツポツと灯り始める頃。いつもの行きつけの食堂の隅で、女三人の「女子会」が始まった。
「ちょっとぉ、先輩、今日はどうしたんですかぁ? 私語厳禁の鉄の女みたいになって、怖かったですよぉ」
新人の受付嬢が、ジョッキを片手に冗談めかして唇を尖らせる。
普段なら「ギルドマスターの物忘れがひどい」だの「あの冒険者の体臭がキツい」だの、他愛もない愚痴で盛り上がる時間だ。
だが、勘定方の女性は笑わなかった。
彼女は周囲に誰もいないことを慎重に確認すると、懐からシワの寄った数枚の紙束を取り出し、油の染みたテーブルの上に広げた。
「……これを見て」
「なんです、これ? ――『人的資源の流動的資産管理案』? 文字が細かくて頭が痛くなりそう……」
もう一人の受付嬢が顔を近づけ、そこに並んだ異質な単語をなぞる。
しかし、読み進めるうちに、彼女たちの顔から酔いが急速に引いていった。
「……これ、今日あの『銭ゲバ神官』様が持ってきた資料ですよね? マスターが『ゴミ』だって言ってた……」
「ええ。マスターは落書きだと切り捨てたわ。でも、中身を見て。」
勘定方の女性は丁寧に見るべき場所を指し示した。
「ここ……『窓口業務における産前産後休暇の制定、および期間限定の代行要員確保に関するコスト分析』」
他の二人の目が『休暇』に吸い寄せられる。
「私たちがずっと、口に出すことすら諦めていたことが書いてある」
勘定方の女性の指が、ルナが執念で書き殴った「産休」という文字を強く指し示した。
「私たちが子供を産んでも、仕事を辞めなくていい。その間の穴は、ギルドを熟知した経験者が埋める」
勘定方の女性の声に熱が入る。
「ギルド側には教育費用の削減という『利益』を提示して、私たちの居場所を守る……。これ、ただの要望書じゃないわ。」
勘定方の女性は断言した。
「私たちを盾にして、ギルドの喉元に突きつけるための『契約書』よ」
新人の受付嬢は、資料に並ぶ冷徹なまでの数字の羅列に息を呑んだ。
「……ルナ様って、ただの守銭奴だと思ってましたけど……。これ、本気で私たちを『利用』して、ギルドを書き換えようとしてるんですね」
「利用されるのは癪だけど、その対価が『自分の人生』なら、安いものだと思わない?」
三人の間に、これまでになかった奇妙な連帯感が生まれる。
ルナが仕掛けたのは、慈悲ではない。
現状を打破したいという彼女たちの「強欲」に火をつけ、組織の内部から火の手を上げるための導火線だった。
「……この『落書き』、明日から私たちが『正書』にしていきましょう。」
受付嬢二人を見つめながら勘定方の女性は言葉を続けた。
「マスターが『検討』なんて言葉で逃げられないくらい、完璧な現場の数字を積み上げてやるわ」
勘定方の女性が静かに宣言する。
食堂の片隅で、ルナの狙い通り、ギルドの「内臓」たちが静かに反旗を翻し始めていた。
「でもぉ……どうやってそんな『改革』なんてするんですかぁ?」
一番年下の受付嬢が、ジョッキを置い不安げに首をかしげた。
彼女は愛嬌があり、冒険者からもギルド職員からも人気が高い。
それゆえに、自分がいずれ結婚や懐妊といった「事態」に直面し、この冷徹なギルドの仕組みによって切り捨てられる未来。
それを誰よりもリアルに自覚していた。
そんな彼女に対し、勘定方の女性は不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「簡単よ。明日から、今までよりほんの少しだけ『真面目に』、正確に仕事をするの」
「えぇー? 真面目にやるのが改革なんですかぁ?」
「そうよ。ミスを無くし、効率を上げ、事務処理の速度を極限まで高める。
少し意地悪い笑みを勘定方の女性は浮かべる。
「マスターや男の職員たちに、『私たちがいないと、このギルドは一日たりとも正常に回らない』という事実を、骨の髄まで叩き込んでやるのよ」
彼女はルナの資料を指先でトントンと叩いた。
「『有能な個人』が抜ける穴がいかに恐ろしいかを知らしめた上で、この資料を突きつけるの。」
既に勘定方の女性は今日その片鱗は披露済みだ。
「今日はあなたたちに早くこれを見せたくて、私もついつい仕事をぶっ飛ばしちゃったけれど」
その言葉に、三人は顔を見合わせて吹き出した。
あんなに不機嫌そうに、かつ猛烈な勢いでペンを走らせていた理由が「女子会でこれを見せるため」だったとは。
「あはは! 先輩、気合入りすぎですよぉ!」
「でも、いいですね。マスターの鼻をあかすためなら、いくらでも働けそうですわ」
夜の食堂に、明るい笑い声が弾けた。
それは、昼間のあのピリついた空気とは違う、明日への希望と、自分たちの価値を証明してやろうという「野心」に満ちた笑いだった。




