ルナ、「おっぱい飲む」にフリーズする
「いい、リュンヌ? 有能な現場リーダーを一人、一時の『身体変化』で使い捨てる。」
リュンヌに向かってまるで懺悔相談で、お金を説くような時の口調で語り出す。
「それは、組織としては三流以下のマネジメントよ。そして、その穴を埋めるのが、私達の『人材育成紹介所』の役目というわけ」
ルナはニヤリと、獲物を追い詰めた狐のような笑みを浮かべた。
「つまり、先輩には『産前産後の時短任務』を与える。」
ルナの言い出す言葉を、リュンヌは聞き漏らさないよう必死になる。
「その間は私が紹介する『育児で引退した元女性冒険者』たちが、彼女の抜けた穴をカバーする……。」
リュンヌは何か抜けている気がして考え込む。
「これ、ギルドに新しい『福利厚生プラン』として売りつけられるでしょ?」
誇らしい顔をするルナ。
リュンヌはまず素直な感想を口にした。
「……ルナ……また……高いもの……売ろうとしてる……」
「失礼な。これは『持続可能な冒険者ライフ(サステナブル・クエスト)』の提案よ! 」
ルナは心外だと言わんばかりに抗議する。
「タイパ重視の私の辞書に、『遊んでいる資産(人材)』を放置するという選択肢はないの!」
リュンヌは違和感の正体を口にした。
「……ただ……赤ちゃん産んだ……それじゃ終わらない。……赤ちゃん……おっぱい飲む。」
「…………あ」
ペンを走らせていたルナの動きが、物理的に凍りついた。
ドヤ顔で書き殴っていた「効率的復帰プラン」の書類の上で、インクの滴がじわりと滲む。
「……おっぱい……飲む……」
リュンヌのその、あまりにも根源的で、生物学的で、抗いようのない一言。
「産んだらすぐ現場復帰」「託児所で一括管理」というルナの超効率化重視の計算式。
それは、その「授乳(エネルギー供給プロセス)」という、母親という個体にしか不可能な、極めて属人的なタスクを完全に省いていたのだ。
「……そ、それは……ええ、そうね。魔法で代用……いやそんなものないわ……。……山羊? いえ、成分が……」
ルナは下着姿のまま、珍しく視線を泳がせ、あわあわと指を動かす。
金勘定と組織論では無敵の銭導士も、生命の神秘(という名の非効率な仕様)を前にして、初めてその計算板をストップさせた。
「……ルナ……御神像……」
リュンヌは、自分の相棒が「おっぱい」という単語一つで、ここまで見事に機能停止したことに驚きつつ、少しだけ溜飲が下がる思いだった。
「……くっ、不覚ですわ! 命の営みというやつは、なんて、なんて非効率(コスト高)なのよ……!」
ルナは真っ赤な顔でベッドに突っ伏し、枕を叩いた。
だが、数秒後。
彼女はバサリと顔を上げると、髪を振り乱したまま、眼光鋭くリュンヌを睨みつけた。
「……いい、リュンヌ? ならば解決策は一つよ。……搾乳と、代用乳の開発……。」
ルナは意地でも出産して即時復帰論で行くらしい。
「あるいは、『子連れ出勤』を可能にする、新しい防護服のライセンス……! 」
クエストに赤ちゃん同伴は無茶苦茶とリュンヌは呆れる。
「私は諦めないわよ。この『おっぱい問題』すら、ビジネスチャンスに変えてみせるわ!」
「…………ルナ……。……とりあえず……服……着て……」
リュンヌは、羞恥心すらも野望の炎で焼き尽くそうとする相棒に、そっと部屋着を差し出した。
「……休む……戻る……それでいい」
リュンヌは、あまりに当たり前すぎる案を口にした。
疲れたら休み、癒えたら戻る。それは風邪を引いた時や、軽い怪我をした時と同じ、ごく自然な命のサイクルだ。
だが、ベッドから起き上がったルナは、部屋着のボタンを留めながら、今までにないほど険しい顔で首を振った。
「リュンヌ、それが一番ハードルが高い(コストがかかる)ことなのよ」
「……なんで? ……休むだけ……なのに」
「いい。冒険者という仕事にとって、数ヶ月から一年の『空白』は、ただの休みじゃないわ。『戦力の喪失』であり、『席の消滅』なのよ」
ルナは、着替え終えた襟元を正し、冷徹な現実を突きつける。
「戻ってきた時に、彼女の居場所が残っている保証は? 地位は?」
流石、規約をしこたま読んだだけの事はある。
現役冒険者であるリュンヌよりもつらつら言葉が続く。
「連携を組んでいたパーティー(チーム)は、先輩を待たずに新しい戦力を補充してしまうわ。」
そして本質的な事を告げた。
「……そして何より、一度『戦い』の最前線から降りた人間に、以前と同じ難度の危険な依頼を振る勇気が、保守的なギルドにあると思う?」
リュンヌは言葉に詰まった。先輩が言っていた「仕事がなくなるのが嫌」という恐怖の正体は、それだったのだ。
「『休んで戻る』という当たり前の権利を維持する。」
ルナも『休んで戻る』が当然と思っているらしい。
「先輩がいなくても回るシステムと、彼女が戻るための椅子を誰にも取らせないための『利権』が必要なのよ」
ルナは鏡の前で髪を整え、ニヤリと口角を上げた。
その瞳には、すでに「産休・育休制度」という、この異世界には存在しない魔導書の構想が、不気味な光を放っていた。




