特別名誉会員
若手職員が戻って差し出した書類を、ルナは流れるような手つきで埋めていく。
羽ペンの走る音が静かな会議室に響いた。
書類の最上段には、会員の地位を示す「五つの区分」が記されている。
ルナは全ての項目を書き終えたところで、わざとらしくペンを止め、眉をひそめて逡巡するふりをした。
「……あら、ここですけれど……」
小首を傾げ、困ったように唇を噛む。
その姿は、一見すれば可憐な少女が重大な決断に迷っている図そのものだ。
(……ルナ……芝居下手……)
だが、隣に座るリュンヌだけは、その「迷い」が、相手の油断を引き出させるための安っぽい三文芝居であることを確信していた。
一方、ギルドマスターと若手職員は、その「溜め」に知らず知らずのうちに生唾を飲み込む。
「何か、不都合でも?」
ギルドマスターが探るように声をかける。
「いいえ。ただ、この区分で私が会員になると、ギルドの慣習が激変して、職員の方々の『心労』が大きくなってしまわないか」
リュンヌはギルドの慣習が激変と言う言葉に不穏な空気を感じる。
「……老婆心ながら心配になってしまいまして」
嫌味たっぷりの慈悲を垂れ流しながら、ルナは最後に区分左端を力強く書き込んだ。
「ルナさん、金貨1枚は右端ですよ。印をつける場所を間違えて……」
若手職員が勝ち誇ったように訂正を促したその瞬間、会議室にズシリと重い音が響いた。
ルナが机に置いたのは、はち切れんばかりの革袋だ。
「金貨20枚。これで『特別名誉会員』の枠ですわね。どうぞ、お改めを」
静まり返る室内。
若手職員の指が、書類の上で止まったまま震えている。
右端の「1枚」どころか、左端の「20枚」——ギルドの予算規模からして今までにない個人出資額だ。
「……ルナ、それ……どこから出したの……? また誰かの財布、空にした?」
リュンヌが引きつった顔で耳打ちするが、ルナは涼しい顔で、動揺を押し殺しているであろうギルドマスターを真っ直ぐに見据えた。
「これで私は、ただの『掲示板の管理人』ではなく、ギルドの運営に口を挟める『大株主』。
「……文句は、ございませんわね?」
聖職者の皮を被った詐欺師が、ついにギルドへの侵食を開始した。
ギルドマスターは奥歯を噛み締めたが、辛うじて鉄面皮を維持した。
規約の隅に、埃を被ったまま放置されていた「名誉会員」の条項。
それはギルド設立当初、多額の寄付を行った貴族や大商人に儀礼的な称号を与えるために形骸化していた、いわば「余白を埋めるためだけの一文」
実益もなければ、物好きな成り上がりすら見向きもしない死に体のルール。
だが、目の前の銭ゲバ少女神官はその「死に体」に、金貨20枚という劇薬を流し込み、無理やり心臓を動かしてみせた。
「……本気ですか、ルナ殿。名誉会員など、実務上の権限は何一つ保証されん飾りですよ?」
ギルドマスターはとりあえずの言葉だけかけた。
「あら、形ある権限など後でいくらでも作れますわ。」
ルナは心配無用という顔をする。
「大事なのは、私がギルドにとって『無視できない出資者』であるという事実……その一点ですもの」
ルナは、若手職員が震える手で革袋を改めるのを眺めながら、勝ち誇ったように目を細めた。
「……ルナ、それ……ただの……高い名刺……?」
リュンヌの呆れ顔に、
ルナは
「先行投資よ、リュンヌ。信用は金で買えるうちに買っておくものよ」
と、悪魔のような囁きを返した。
嵐が去った後の冒険者ギルドの会議室には、重苦しい沈黙と、机に残された革袋の鈍い余韻だけが漂っていた。
「……どこから、あんな大金……」
若手職員は、中身を改めた後の震える指先を見つめ、呆然と呟いた。
一介の聖職者が個人で保有している様な額ではない。
「……とりあえず、次にあの娘が来たらすぐに俺のところへ通せ」
ギルドマスターは苦々しく吐き捨て、ギルドマスター室の椅子の背もたれに深く沈み込んだ。
その瞳には、先ほどの「銭ゲバ」の少女が、金貨の輝きを纏った巨大な怪物に見えていた。
「いいか、これからは俺一人で対応する。余計な口を挟んで隙を見せるな」
「は、はい……ですが、あんな名誉会員なんて特例、認めちゃって良かったんですか?」
若手職員の不安な問いに、ギルドマスターは冷ややかな笑みを浮かべた。
「あそこではねつけれんし、構わんさ。あの娘が何を要求してこようと、答えは決まっている。」
『前例がない』——それだけで全て撥ね退ければいい。ルールを盾にするなら、こちらもルールの壁で防衛するまでだ」




