【第4話】二つの転機、それぞれの覚悟
金子さんが二代目会長に就任してから二年が経った頃、突然の転機が訪れた。
「私はもう、会長を降ります」
金子さんがそう言い出したのだ。サークルの行く末を考えれば、今ここで舵取りを失うわけにはいかない。
私は覚悟を決め、請われる形でその後を継ぐことにした。
ところが、その直後のことだった。会社から、長野への異動内示を言い渡されたのだ。
「これから会長としてサークルを引っ張っていくというのに、遠く離れた長野へ転勤になるなんて……」強い不安に襲われた私は、すぐに初代会長の音羽さんと現会長の金子さんに相談した。
しかし、お二人の答えは温かくも力強いものだった。
「大丈夫、予定通り会長をやってください。みんなで支えるから」その言葉に背中を押され、私は三代目会長への就任と同時に、長野県への新しい生活をスタートさせた。
長野での一年目は、言葉通り「慣れない環境」との戦いだった。新しい職場での日々は心身ともに大変なことが多く、張り詰めた糸が今にも切れてしまいそうな夜も少なくなかった。
そんな私の孤独を救ってくれたのが、一之瀬さんとの繋がりだった。スマホの画面に届く一之瀬さんからの温かいメール、電話の向こうから聞こえる穏やかな声。「そっちの生活には慣れた? 無理はしすぎないでね」その何気ないやり取りが、張り詰めた私の心をどれほど柔らかく解きほぐし、支えになってくれたか分からない。
私は、月に一度は必ず時間を作ってサークルの麻雀に参加していた。往復の道中は決して近くはなかったが、あのお馴染みの薄茶色の牌を囲み、懐かしい仲間たちの笑顔に会うだけで、すり減ったエネルギーが100%満たされていくような気がした。
以前から「いつか諏訪の美術館に行きたい」とコツコツ貯金をしていたという一之瀬さん。私が諏訪に赴任すると話した時の、あの嬉しそうな顔は忘れられない。
諏訪にやってきた一之瀬さんの希望で、念願だった二箇所の美術館へ私もお供した。
お昼には「お蕎麦を食べたい」というリクエストに応えて、事前に調べておいたお店へ案内する。滞在中に合計3回ほど一緒に食事を重ね、大人の小旅行を生き生きと楽しむ彼女の姿に、私自身もたくさんの元気を分けてもらった気がする。
車の中では色々な話をした。その中で、驚くべき奇跡のような共通点が次々と浮かび上がってきた。
「実は、私の長女が今、大学に通っていまして……」何気なく娘の大学名を口にすると、速水さんは目を丸くした。「あら! 私の出身大学と同じだわ。もしかして学部は……?」確かめ合ってみると、なんと大学だけでなく、一之瀬さんが若い頃に学んだ学部まで全く同じだったのだ。世代を越えて、私の娘が彼女の後輩にあたるという不思議な巡り合わせだった。
驚きはそれだけでは終わらなかった。「下の次女は、高校でかるた部に入って頑張っているんです」と話すと、一之瀬さんは嬉しそうに声を弾ませた。「まあ、本当に? 実は私、趣味でかるたをやっているのよ!」この不思議なご縁に、一之瀬さんは我が事のように喜び、それ以来ずっと娘を応援してくれるようになった。
先日などは、一之瀬さんに誘っていただき、次女と一緒に地域のかるた会に体験で参加させてもらったほどだ。
「この後、諏訪湖を一周してから帰りましょう」私の提案で、夜の静かな諏訪湖をぐるりと一周ドライブした。優しくきらめく街の明かりが、湖面に美しく映り込んでいた。
車の助手席に座る一之瀬さんの、どこかほっとしたような横顔を見つめていたときだった。私の胸の奥から、なんの混じり気もない、素真な言葉が自然とこぼれ落ちた。
「……なんだか、一之瀬さんみたいなお姉さんが欲しかったな」
下心も、ご機嫌取りのつもりも一切ない。
温かい速水さんの優しさに包まれる中で、ただただ心から溢れてしまった本音だった。そのとき、一之瀬さんは少し驚いたように、でもとても嬉しそうに微笑んでくれたのを覚えている。
キツい言葉で人を遠ざけていた私の中に、こんなにも優しく、尊い一期一会が育まれている。健康麻雀が繋いでくれた一之瀬さんという存在が、離れた土地で暮らす私の心を、いつでも一番温かい場所で支えてくれていた。
それからずいぶん後になって、二人で静かに話していたとき、一之瀬さんがふと愛おしそうに目を細めて言った。
「そういえば前にね、あなた『お姉さんが欲しかった』って言ってくれたわね。私、あの言葉、すごく嬉しくて、今でもずっとよく覚えているのよ」
大切に胸にしまっていてくれたんだ、と思ったら、言葉にならない愛おしさが胸に満ちた。
私が三代目会長になって一年が過ぎ二年目に差し掛かった頃、サークルの体制をより強固なものにするため、私は信頼できる二人の人物を新しい役員として推薦した。
一人は、かつて私がこの世界に誘った元同僚の神山さんだ。会社を退職された後、神山さんは「家にいるとついついお酒ばかり飲んでしまうから、あのとき麻雀に誘ってもらえて本当に良かった」と、私に深く感謝してくれたことがあった。
そんな風に実直で、誰に対しても丁寧な神山さんは、サークル内でも実に見事な紳士だった。その物腰の柔らかさと誠実な麻雀の打ち方は、瞬く間に女性会員の皆さんを魅了し、今やサークルになくてはならない、とても慕われる存在になっていた。
そしてもう一人は、いつも周囲を明るく見守ってくれる女性会員の松本さんだ。
お二人は私の役員推薦を快く引き受けてくれ、頼もしい仲間たちが運営陣に加わってくれた。
長野の地で揉まれながらも、一之瀬さんの支えと、神山さんや松本さんという心強い役員仲間に恵まれ、三代目会長としての歩みは順調に進んでいるように思えた。
しかし、夏の足音が聞こえ始めた七月。前会長である金子さんから、私のスマートフォンに一通の衝撃的なメッセージが届いた。それは、ある会員の「除名案件」に関する、あまりにも横暴な発議だった――。
(5話へ続く)




