【第3話】引き継がれたバトン
会社で一つの社内公募が目に留まった。
すでに稼働していた障がい者雇用専門の部署が、このたび業務拡大を行うことになり、それに伴う新しい人員の募集だった。
主な業務は、障がいを持つスタッフ達を引率して店舗へ赴き、清掃業務を側で見守るというのが主な業務だ。
けっして簡単な仕事ではないだろう。誰にでもできる仕事ではないことも、十分に分かっていた。
感情が高ぶると口調がキツくなってしまい、おまけに慣れてくるとついつい横柄になってしまう自分の性格のせいで、せっかくの縁が離れていってしまった経験も一度や二度ではない。
人との出会いを何より大切にする『一期一会』という言葉が好きなのに、理想の自分になれないもどかしさが、ずっと胸の奥に澱のように溜まっていた。
だからこそ、この公募だけは絶対にやらずに後悔したくなかった。
五十代を迎えた自分にとって、おそらくこれが会社人生で最後の大きな挑戦になるだろう。
そんな不退転の覚悟が、私の背中を押した。なにより、今の私には健康麻雀サークルでの経験があった。
以前に比べて少しずつ話し方もソフトになり、弱い立場にある人にそっと寄り添えるようになった今の自分なら、きっとこの大切な役割を果たせるはずだ。
そう信じてエントリーシートを提出し、面談を経て合格の知らせを受け取った時は本当に嬉しかった。
年齢的に厳しいと思っていたからである。実際の配属はもう少し先、とだけ告げられた。
それまでの数ヶ月間、私はこの先の仕事に少しでも活かしたいと考え
「障がい者施設での麻雀ボランティア」を始める事を決めた。それは人生で初のボランティアであった。
私はいつも入居者の磯村さんという男性のお手伝いをさせていただいていた。
磯村さんは体つきがガッチリとした男前の人なのだが、心は本当にピュアで愛らしい人だった。
手が少し不自由だったため、私が代わりに牌をツモってきて、捨てる牌が決まったらそれを代わりに卓へと並べる。
たまに「どれを捨てたらいいかな」と、嬉しそうに相談される時間も愛おしかった。
ボランティアの終わり際、磯村さんはいつも「来週も来れる?」
と、本当に愛らしい表情で私を見つめて聞いてくるのだ。私はそのたびに
「ええ、来られますよ」
と心からの笑顔で答えた。
短い期間だったが、私にとって毎週火曜日のその時間は、何物にも代えがたい大切な楽しみになっていた。
また、一緒に麻雀のお手伝いをしていた施設職員の松村さんともすっかり打ち解け、「いつか私たちの健康麻雀サークルにも遊びに来てくださいよ」と、熱心に誘うようになった。
その時はお孫さんが生まれたばかりで、手伝いが多くて忙しいと見学は叶わなかったが、私のサークルへの愛着は十分に伝わっていたと思う。
しかし、新しい部署への配属の足音は近づいてくる。障がい者雇用の現場へ移れば、平日の昼間にここへ通うことは難しくなってしまう。
「せっかく根付いたボランティアの灯を、ここで消したくはない。誰かに引き継いでもらえないだろうか……」
悩む私の脳裏に、サークル内である一人の女性の姿が浮かんだ。
女性会員の一之瀬さん。サークルの中でも抜群に麻雀が強く、周囲への気配りが細やかで誰からも信頼されている人だった。
私は意を決して、一之瀬さんに思いを打ち明けることにした。自分が障がい者雇用の現場へ行くこと、
このボランティアがどれほど自分にとって大切な場所であるか、ここを去らねばならない無念さを、一つひとつ丁寧に話した。
私の代わりに、この活動を引き継いでいただけないだろうか、と。
突然の相談に、一之瀬さんは驚いた表情を見せた。一之瀬さん自身、まだ現役でお仕事をされている。
「行ける時だけでいいなら」と、私の最後のボランティアの日に、一之瀬さんは一緒に施設へ足を運んでくれた。
私の思いを受け止めてくれた一之瀬さんは、ボランティアを引き継いでくださったのだ。
それから時間は流れ、今でもお忙しい仕事をなんとか調整してまでも、月に三回ほど施設へ通い続けてくれている。
あのピュアな磯村さんは、今では一之瀬さんのことをとても慕っており、一之瀬さんからもよく磯村さんの楽しそうな話を聞かされる。
私だけでなく、一之瀬さんもまた、磯村さんのあの純粋なお人柄に深く魅了されているのだ。
さらに一之瀬さんは、私がサークルに誘っていた職員の松村さんのことも、ボランティアの現場で根強く誘い続けてくれていた。
私と一之瀬さん、二人分の想いが、いつか松村さんへと届く日を心待ちにしていた。
その後、私は予定通りに新しい職場での仕事をスタートさせた。当然、良いことばかりではなく、一筋縄ではいかない大変な日々だった。
しかし、障がいを持つスタッフたちと向き合い寄り添い、彼らの成長を側で見守る中で、胸の奥からじわじわと湧き上がるような強い「やりがい」を感じていた。
(ああ、私はずっと、この仕事を続けていきたいな)
そう心から思えたとき、不意に気づかされたのだ。
トゲだらけだった自分をここまで変え、この天職へと導いてくれたのは、みんなと牌を囲んだ温かい時間だったのだと。
健康麻雀は、私の人生を変えてくれたと言っても過言ではない。
確実に新しい一歩を踏み出し、障がい者雇用の現場で真摯に向き合う私を、この後に訪れる激動の日々の中でも、一之瀬さんという存在が一番近くで支えてくれることになる。
(第4話へ続く)




