表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/14

第八話 わたしの檻-前編


月森セナが初めて「手伝ってほしい」と言ったのは、次の日の朝だった。


 教室の前。

 まだ人の少ない廊下で、セナは両手に抱えたプリントを見つめながら、先生に向かって小さく頭を下げていた。


「すみません。これ、ひとりだと今日中に終わらないかもしれません」


 声は震えていた。


 けれど、ちゃんと言えていた。


「何人かに、手伝ってもらってもいいですか」


 先生は少し驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。


「もちろん。ごめんね、月森さんに任せすぎていたかもしれない」


 その言葉を聞いた瞬間、セナの肩から力が抜けた。


 リノは少し離れた場所から、その様子を見ていた。


 昨日、夜の教室でセナのノイズを浄化した。

 鳥かごのノイズ。

 良い子でいなければ自分に価値がないと信じてしまった、苦しい檻。


 リノはその檻を壊さなかった。


 鍵を開けた。


 マジカル・リボン・アンロック。


 あの魔法を使った瞬間、セナは初めて「疲れた」と言えた。


 そして今、セナは自分の足で、もう一度外へ出ようとしている。


 よかった。


 心から、そう思った。


 なのに。


 リノの胸の奥に、小さな針のような痛みがあった。


「リノちゃん」


 振り返ると、ミカが立っていた。


 いつの間にか、ミカはリノのことを「白咲さん」ではなく「リノちゃん」と呼ぶようになっていた。

 まだ少し照れくさいけれど、嫌ではない。


「おはよう」


「おはようー!」


 ミカはセナの方を見て、ほっとしたように笑った。


「月森さん、ちょっと元気そうでよかった」


「うん」


「昨日、何かあったのかな。なんか、前より少し話しかけやすくなった気がする」


 ミカはそう言って、セナのところへ歩いていった。


「月森さん、プリント手伝おうか?」


 セナは驚いた顔をした。


 それから、少し迷って、頷いた。


「……お願いしてもいい?」


「もちろん」


 ふたりは並んで職員室の方へ歩いていく。

 ミカは何か冗談を言ったらしく、セナが小さく笑った。


 その笑顔を見て、リノも嬉しくなった。


 嬉しいはずだった。


 でも同時に、胸の奥がすっと冷たくなる。


 リノはその感情に名前をつけられなかった。


 ミカが笑っている。

 セナも笑っている。

 昨日よりずっと自然に。


 リノが願った通りだ。


 助けた子たちが、少しずつ自分の足で歩けるようになっている。


 だから、これは喜ぶべきことだ。


 なのに。


 リノは廊下にひとり残されたような気がした。


「……やだな」


 小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。


 その日の授業は、いつもより長く感じた。


 黒板の文字がぼやける。

 先生の声が遠くなる。

 ノートを取る手は動いているのに、頭の中にはミカとセナの笑顔ばかりが浮かんだ。


 私が助けたのに。


 そんな言葉が、ふいに心の底から浮かび上がってきた。


 リノは慌てて消そうとした。


 違う。

 そんなふうに思っちゃだめ。


 ミカが元気になるのは良いこと。

 セナが誰かに頼れるようになるのも良いこと。

 自分がいなくても大丈夫になっていくのは、本当はとても良いこと。


 なのに。


 胸の奥の声は消えない。


 私が助けたのに。

 私だけが知っていたはずなのに。

 私がいなくても笑えるんだ。


 リノはシャーペンを握る手に力を込めた。


 芯が、ぱきんと折れた。


 昼休み。


 リノは手洗い場で手を洗っていた。


 水は冷たかった。

 指先を流れる水を見つめながら、リノは何度も自分に言い聞かせる。


 嬉しいこと。

 これは嬉しいこと。

 寂しいなんて思うのはおかしい。

 助けた相手が元気になるのは、良いこと。


 何度も、何度も。


 蛇口を閉めようとしたとき、水道の金属部分に、自分の顔が映った。


 その後ろに、黒いリボンの影が揺れる。


「ほらね」


 リノの動きが止まった。


 鏡の中のリノが、そこにいた。


 黒いリボン。

 冷たい瞳。

 リノと同じ顔で、リノよりずっとリノの本音を知っている顔。


「嬉しいはずなのに、寂しいんだ」


「違う」


 リノは小さく言った。


「違わないよ」


 鏡のリノは楽しそうに笑った。


「助けた子が、自分から離れていくのが怖いんでしょ?」


「離れていくとか、そういうんじゃ」


「じゃあ、どうして苦しいの?」


 リノは答えられなかった。


 鏡のリノは、蛇口の中で頬杖をつく。


「リノは優しいね。みんなを助けたいんだよね。でも、助けたあとで、その子が自分を必要としなくなるのは嫌なんだ」


「やめて」


「ありがとうって言われたい。特別に思われたい。あなたがいてくれてよかったって、何度でも言ってほしい」


「やめて」


「だって、それが本音でしょ?」


 胸元のブローチが熱くなる。


 白いリボンの端にある黒い染みが、じわりと疼いた。


 リノは蛇口から目をそらした。


「私は、そんな子じゃない」


 鏡のリノは、少しだけ悲しそうに笑った。


「そうやって捨てるんだ」


「え?」


「自分の嫌な気持ちを、また私に押しつける」


 その言葉は、リノの胸に刺さった。


 私はあなたの敵じゃない。

 あなたが捨てた気持ちを、私が拾ってるだけ。


 少し前の校舎裏で聞いた言葉が蘇る。


 リノは水道の金属部分を見た。


 けれど、そこにはもう黒いリノはいなかった。


 映っているのは、青ざめた自分だけ。


 その足元に、黒い羽根が一枚落ちていた。


 リノは息をのむ。


 羽根には、小さな文字が浮かんでいる。


 ――放課後、噴水で待ってる。


 差出人の名前はなかった。


 でも、誰からなのかは分かった。


 黒羽ノア。


 放課後、リノは古い噴水の前に立っていた。


 夕方の商店街は人通りが多いはずなのに、その場所だけがぽっかり切り抜かれたように静かだった。

 噴水の水は澄んでいる。

 けれど底の方に、黒い影がゆらゆらと沈んでいるのが見えた。


 リノは胸元のブローチを握る。


「来たんだ」


 声がした。


 噴水のふちに、ノアが座っていた。


 黒いパーカー。

 黒いリボンのブローチ。

 どこか退屈そうで、それでいて楽しそうな目。


「ノア」


「こんにちは、リノ」


 ノアはリノの名前を呼んだ。

 白い子ではなく。


 リノはそれだけで少しだけ身構えてしまう。


「何の用?」


「用がないと呼んじゃだめ?」


「……だめじゃないけど」


「じゃあ、話しに来ただけ」


 ノアは噴水の水面を指でなぞった。

 その指先から黒い波紋が広がる。


「セナちゃん、元気そうだったね」


 リノの心臓が跳ねる。


「見てたの?」


「見てたよ。ミカちゃんと笑ってた」


 ノアはリノを見た。


「嬉しかった?」


「嬉しかった」


 リノは即答した。


 ノアは口元を緩める。


「じゃあ、寂しくなかった?」


 リノは言葉を失った。


 ノアは楽しそうに笑う。


「人を救うって、置いていかれることでもあるんだよ」


「置いていかれる……?」


「そう。助けた相手が元気になるほど、あなたは必要なくなる」


 ノアの言葉は、静かだった。


 だからこそ、深く刺さった。


「それは、良いことじゃん」


 リノは言った。


「その子がひとりで歩けるようになるなら、それで」


「本当に?」


 ノアは噴水から立ち上がる。


「じゃあ、見せてあげる」


「何を?」


「あなたの檻」


 ノアの黒いリボンが、ふわりとほどけた。


 その瞬間、商店街の景色が音もなく歪んだ。


 店の看板が遠ざかる。

 通行人の声が水の中に沈むみたいにぼやけていく。

 夕焼けの空は、劇場の天井みたいに高くなり、足元のタイルは黒いステージへ変わった。


「なに、これ……」


 気づけばリノは、どこかのステージの上に立っていた。


 白いスポットライトが、リノだけを照らしている。

 観客席は真っ暗だった。


 誰もいない。


 なのに、拍手の音だけが聞こえた。


 ぱち、ぱち、ぱち。


 顔のない誰かが、どこかでリノを褒めている。


 その音が、なぜか怖かった。


「見て」


 ノアの声が、暗い観客席から響く。


 リノが顔を上げると、ステージの遠くにミカとセナがいた。


 ふたりは楽しそうに話している。


 ミカが笑う。

 セナも少し照れたように笑う。


 リノはほっとした。


 昨日より、ふたりとも自然に笑えている。

 それは嬉しいことのはずだった。


 けれど、リノが一歩近づこうとしても、ふたりとの距離は縮まらなかった。


「ミカちゃん、今朝はありがとう」


 セナが言った。


「ううん。セナちゃんが言えたの、すごいよ」


「リノちゃんにも、ちゃんとお礼言わなきゃね」


「うん。でも、もう大丈夫だよね」


 もう大丈夫。


 その言葉が、リノの胸に落ちた。


 本来なら、とても嬉しい言葉のはずだった。


 ミカが元気になった。

 セナも、自分の足で歩き出そうとしている。

 リノが願った通りだ。


 なのに、胸の奥が痛い。


「ねえ、リノ」


 ノアの声が近づく。


「嬉しい?」


 リノは答えられなかった。


「それとも、寂しい?」


「……違う」


「何が?」


「寂しいなんて、思ってない」


 そう言った瞬間、ステージの床に黒いリボンが這った。


 リボンには、ピンク色の文字が浮かんでいる。


 ありがとう。

 助かったよ。

 もう大丈夫。

 リノがいなくても平気。


 最後の一文を見た瞬間、リノの呼吸が止まりかけた。


「やめて」


「どうして?」


 ノアは暗い観客席のどこかで笑う。


「いい言葉じゃん。もう大丈夫。あなたが救った証拠でしょ?」


「そうだけど……」


「でも、痛いんだ」


 リノは唇を噛んだ。


 否定したかった。

 そんなこと思っていないと言いたかった。


 でも、言えなかった。


 助けた相手が、自分なしで笑えるようになる。

 それは喜ぶべきことだ。


 それなのに。


 どこかで、置いていかれたような気がした。


「助けなきゃ」


 どこからか声がした。


「必要とされなきゃ」


 リノは周りを見る。


 ステージの中央に、いつの間にか黒い鳥かごが現れていた。


 セナのノイズに似ている。

 けれど、これはセナのものではない。


 鳥かごの柵は、白と黒のリボンでできていた。

 ところどころに鏡の破片がぶら下がり、その中にはリノの顔が映っている。


 笑っているリノ。

 泣きそうなリノ。

 魔法少女のリノ。

 黒いリボンをつけたリノ。


 鳥かごの中心には、空っぽの椅子があった。


 誰かに座ってほしいのに、誰も座っていない椅子。


 リノはそれを見た瞬間、胸が苦しくなった。


「ありがとうって言われなきゃ」


 ノイズの声が、リノの心の奥から響く。


「誰かの特別じゃなきゃ」


 鳥かごの扉が、ぎい、と開いた。


「私は、ここにいられない」


 リノは息をのんだ。


「これ……私の……?」


「そうだよ」


 ノアがステージの端に現れた。


 黒いリボンのブローチを指でなぞりながら、リノを見ている。


「リボンケージ・ノイズ。あなたの檻」


 リノの胸元で、白いリボンが激しく震えた。


 次の瞬間、鳥かごから無数のリボンが伸び、リノへ襲いかかった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ