第55話 待ってるから
――ポタッ。
暗闇の中、水滴の落ちる音がした。
しばらくして。
カラン……。
今度は、金属が擦れるような音。
「……ん……」
こはくは、ゆっくりと目を開いた。
ぼんやりとした視界。
見知らぬ天井。
身体を起こそうとして――。
ガチャッ。
「っ……!」
手首が強く引かれた。
見ると、黒い拘束具が巻き付いている。
そこから伸びた細い鎖が、壁へ繋がっていた。
「……何よ、これ。」
こはくは眉をひそめる。
指先へ力を込めた。
いつものように、琥珀色の雷を呼び出そうとする。
けれど。
バチッ!
「痛っ……!」
黒い拘束具から逆流するように光が走り、魔法が消えた。
「魔力封じ……。」
こはくは舌打ちする。
改めて部屋を見渡した。
窓はない。
冷たい壁。
鉄の扉。
壁際には、透明なケースがいくつも並んでいる。
その中には――。
「キャンディ……。」
黒いキャンディ。
神殿へ投げ込まれ、ノイズを生み出したものと同じだった。
嫌でも理解する。
「ここが……商会。」
その時。
こはくは何かを探すように辺りを見回した。
「……パチル?」
返事はない。
「パチル。」
もう一度。
やっぱり、返事はない。
そして思い出す。
『リノたちをお願い。』
自分で言った言葉だった。
「……そっか。」
こはくは俯く。
「ちゃんと残ってくれたんだ。」
ほんの少しだけ笑った。
「……いい子。」
でも。
その笑顔はすぐに消えた。
静かだった。
あまりにも静かだった。
ここには誰もいない。
パチルも。
仲間たちも。
あれほど強がっていたこはくの指が、ほんの少し震えた。
膝を抱える。
「……怖いな。」
以前の自分なら、絶対に口にしなかった言葉。
代表なんだから。
強くなきゃ。
弱いところなんて見せちゃいけない。
ずっと、そう思っていた。
でも今は。
『怖い?』
ひまりの声を思い出す。
そして。
『絶対に迎えに行く!!』
今度は、リノの声。
こはくはゆっくり顔を上げた。
「……約束したんだから。」
少しだけ口元が緩む。
「ちゃんと来なさいよ。」
一拍置いて。
小さな声で。
「……リノ。」
自分で口にしてから、こはくは少しだけ目を見開いた。
「……。」
いつもなら。
灰色。
そう呼んでいたのに。
「……別に。」
誰も聞いていないのに、言い訳する。
「名前くらい……普通でしょ。」
その時。
ガチャ。
扉の鍵が開いた。
こはくの表情が一瞬で変わる。
立ち上がり、身構えた。
扉が開く。
入ってきたのは――。
メイ。
リゼ。
ユキノ。
「おはようございます、こはくさん♪」
メイはいつもの笑顔だった。
「よく眠れました?」
「最悪。」
「あらぁ。」
「それは残念です。」
こはくは三人を睨む。
「何が目的?」
メイは首を傾げる。
「目的?」
「私をさらってどうする気?」
「ああ。」
メイは楽しそうに手を叩いた。
「それなら簡単です♪」
そして。
笑顔のまま言った。
「あなたは餌です。」
「……は?」
こはくの表情が固まる。
リゼが淡々と端末を見る。
「救出行動。」
「発生確率――高。」
「灰色リボンの来訪を予測。」
こはくの瞳が大きくなる。
「まさか……。」
ユキノが微笑む。
「あなたを助けるためなら。」
「あの子は、きっと来るでしょう?」
こはくは拳を握る。
「……ふざけないで。」
メイは嬉しそうに笑った。
「来ますよ。」
「あなたも信じてるんでしょう?」
少し顔を近付ける。
「リノちゃんが。」
その瞬間。
こはくの目つきが変わった。
「……その名前。」
「はい?」
「気安く呼ばないで。」
一瞬。
沈黙。
メイが瞬きをする。
そして。
「……ふふ。」
「なるほどぉ♪」
「な、何よ。」
「いえ?」
「何でもありません♪」
なぜか楽しそうなメイに、こはくは少しだけ頬を赤くする。
「ムカつく……。」
リゼが端末へ視線を戻した。
「準備を開始。」
ユキノも扉へ向かう。
最後にメイだけが振り返った。
「では。」
「一緒に待ちましょうか。」
「あなたのお迎えを♪」
扉が閉じる。
ガチャリ。
再び静寂。
こはくは俯いた。
商会は待っている。
リノが来るのを。
つまり。
ここは罠。
「……来ちゃダメ。」
小さく呟く。
でも。
胸の奥では。
正反対の気持ちが叫んでいた。
――来て。
こはくは目を閉じた。
「……バカ。」
「こんなの……どうしろっていうのよ。」
ー ー ー
「今回の目的を確認する。」
ノアが机の上へ地図を広げた。
リノたちが、その周囲を囲む。
ラピスが指先を地図へ向ける。
「商会のアジトは、現実世界にありながら、完全には現実世界に存在していません。」
「どういうこと?」
ひまりが首を傾げる。
「星の異空間と現実世界。」
「その境界に隠されているのです。」
るりが少し驚く。
「じゃあ、普通に行っても見つからない?」
「はい。」
ラピスは頷く。
「ですから。」
「ほしふねカプセルを使います。」
リノは顔を上げた。
「あのカプセルで?」
「ただし。」
ラピスの表情が険しくなる。
「神殿へ向かった時とは違います。」
「今回は、商会が管理する異空間へ強制的に侵入します。」
ノアが続ける。
「当然、見つかる可能性も高い。」
ひまりが拳を握る。
「それでも行く。」
「分かっている。」
ノアは静かに頷いた。
「だから作戦を三段階に分ける。」
地図へ三つの印を置く。
「侵入。」
「こはくの捜索。」
「そして脱出。」
ノアは全員を見る。
「覚えておいてくれ。」
「敵を全滅させる必要はない。」
「こはくを助けて。」
「全員で帰ってくる。」
「それが今回の勝利条件だ。」
リノは静かに頷いた。
「うん。」
以前なら。
商会を倒さなきゃ。
自分が何とかしなきゃ。
そう思っていたかもしれない。
でも今は違う。
「絶対に。」
「みんなで帰ってくる。」
パチルも強く頷いた。
「ボクも行く。」
小さな声だった。
でも。
迷いはない。
「こはくが、みんなをお願いって言った。」
「だから。」
「今度はボクが、みんなをこはくのところまで連れていく。」
ミミルが笑う。
「一緒に行こう。」
ピリカも頷いた。
「もちろん!」
ポルルは優しくパチルの背中へ前足を添えた。
「今度は一人じゃないよ。」
「……うん。」
パチルは涙をぬぐった。
救出へ向かうのは。
リノ。
ひまり。
るり。
そして、四匹の星兎。
ルルとノアは現実世界から通信で支援。
ラピスは異空間への接続と帰還経路を維持する。
他の代表たちは、商会による別地点への襲撃に備えることになった。
「準備できた?」
ルルが尋ねる。
「うん。」
リノがカプセルへ向かおうとした時だった。
ぎゅっ。
「え?」
右手を誰かに握られる。
「ひまり?」
「……。」
ひまりはそのまま手を離さない。
「どうしたの?」
「離れないように。」
「まだ出発してないよ?」
「いいの!」
「えぇ?」
リノが笑う。
その反対側から、るりが近付いてきた。
「あ、リノちゃん。」
「ん?」
「ちょっと待って。」
るりがリノの襟元へ手を伸ばす。
少し曲がっていた服を優しく直す。
「はい。」
「これで大丈夫。」
「ありがとう、るりちゃん。」
「どういたしまして。」
るりは柔らかく微笑んだ。
「……。」
ひまりが二人を見ている。
「ひまり?」
「……なんでもない。」
「?」
なぜだろう。
ほんの少しだけ。
胸の奥がモヤッとした。
でも。
その理由は、ひまり自身にもまだ分からなかった。
「行こう。」
リノがひまりの手を握り返す。
「……!」
「こはくちゃんを迎えに。」
ひまりのモヤモヤが一瞬で消える。
「うん!」
ー ー ー
カプセルの扉が閉じる。
透明な窓の向こうで、ルルが手を振った。
ノアは通信機を確認する。
ラピスが装置へ手を添えた。
「異空間接続。」
「開始します。」
光がカプセルを包む。
ふわり。
身体が浮くような感覚。
次の瞬間。
窓の外いっぱいに星空が広がった。
「わぁ……。」
ひまりが思わず声を漏らす。
青。
紫。
桃。
無数の星が尾を引きながら流れていく。
以前通った星の道。
けれど。
進むにつれて。
一つ。
また一つ。
星が消えていった。
「……暗くなってる。」
るりが呟く。
青かった空間は紫へ。
紫は濃紺へ。
そして。
黒へ。
ミミルの耳がぴくりと動いた。
「嫌な感じ……。」
ピリカもリノの肩へ近付く。
「空気が違う。」
その時。
パチルが突然、顔を上げた。
「……!」
「パチル?」
リノが振り向く。
パチルは胸元を押さえていた。
「分かる。」
「何が?」
「こはく。」
全員の表情が変わる。
「こはくの気配がする。」
「本当に!?」
「うん。」
パチルの瞳に涙が浮かぶ。
「まだ繋がってる。」
「ちゃんと。」
「ここにいる。」
リノは胸元の灰色リボンを握る。
「よかった……。」
しかし。
次の瞬間。
ピピピピピッ――!!
カプセル内に鋭い警報音が鳴り響く。
窓へ赤い文字が浮かんだ。
【警告】
【未確認領域へ侵入】
【外部干渉を検知】
「来るよ!」
ひまりが身構える。
通信機からノアの声が響いた。
『全員、構えて!』
『何かがそっちを捕捉した!』
窓の外。
完全な暗闇。
その奥に。
巨大な影が見え始める。
「……あれ。」
るりが息を呑む。
闇の中へ浮かぶ巨大な建造物。
遠くから見れば、美しいお菓子の城にも見えた。
丸みを帯びた塔。
キャンディを思わせる装飾。
淡く光る窓。
けれど。
近付けば近付くほど。
その可愛らしさが、どこか歪んで見える。
黒い液体のようなものが壁を伝い。
塔の周囲には、無数の黒い値札が浮かんでいた。
ラピスの声が通信から響く。
『間違いありません。』
『あれが――』
『ノワール・キャンディ商会。』
リノは真っ直ぐその建物を見つめた。
「待ってて。」
胸元のリボンを握る。
「こはくちゃん。」
「今。」
「迎えに行くから。」
ー ー ー
暗い部屋。
こはくは膝を抱えたまま、静かに目を閉じていた。
その時。
「……!」
胸の奥が。
ほんの少しだけ温かくなった。
理由なんて分からない。
何も聞こえない。
何も見えない。
なのに。
こはくはゆっくり顔を上げた。
そして。
小さく笑った。
「……来たんだね。」




