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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 4 心に値段はつけられない

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第46話 星屑の村

「それでは、里をご案内しましょう」


ラピスの静かな声とともに、集まっていた星兎たちが左右へ道を開けた。


リノたちは少し緊張しながら、星兎の里の奥へと足を踏み入れる。


「わぁ……!」


広がっていたのは、まるで絵本の中から切り取ったような景色だった。


頭上には夜空が続いている。けれど、暗くはない。


大小さまざまな星がゆっくりと流れ、淡い光を草原へ降らせていた。


丸い屋根の家々には、月や星をかたどった飾りが並んでいる。空中には透明な道が幾重にも浮かび、その上を小さな星兎たちが楽しそうに駆け回っていた。


風が吹くたび、軒先に吊るされた星の飾りが触れ合う。


ちりん。


ちりん。


透き通った音が、里のあちこちから聞こえてくる。


「ここが……星兎の里」


リノがつぶやくと、肩に乗っていたミミルが大きく息を吸った。


「懐かしい匂いがする」


「匂い?」


「星の草と、焼きたてのパンと……あと、先生に怒られたときの匂い」


「最後のは分からないよ」


リノが笑うと、ミミルは気まずそうに視線をそらした。


「細かいことはいいの!」


その少し前を歩いていたひまりが、振り返って笑う。


「ミミル、絶対何かやらかしてたでしょ」


「やらかしてないよ! ちょっと宿題を忘れたり、授業中に寝たり、勝手にお菓子を食べたりしただけ!」


ひまりの隣にいたピリカが、呆れたように耳を垂らした。


「それを、やらかしたと言うのよ」


「昔の話だから!」


「今もあまり変わっていない気がするけど」


ポルルが穏やかに付け加えると、るりが勢いよく頷いた。


「うんうん。ミミルちゃん、さっきも入り口でつまずいてたもんねー」


「それは関係ないでしょ!」


笑い声が、星明かりの下へ広がっていく。


里へ来たばかりの緊張が、ほんの少しずつほどけていった。



「星兎たちも、皆さんと同じように暮らしています」


先頭を歩くラピスが、里の建物を示しながら説明する。


「食事をし、学び、遊び、家族や友人と過ごす。そしていつか、共に歩む魔法少女と出会う日を待つのです」


「星兎って、生まれたときから相手が決まってるわけじゃないんだ」


ひまりが尋ねると、ラピスはゆっくり首を振った。


「契約は、名簿を見て決められるものではありません。互いの願いや心が触れたとき、初めて結ばれるものです」


リノは隣に浮かぶミミルを見る。


ミミルもこちらを見て、小さく笑った。


一度は切れてしまった契約。


それでも、二人はもう一度、自分たちの意思で結び直した。


初めから決められていたからではない。


離れたくないと、互いに願ったから。


リノがそっと微笑むと、ミミルは照れくさそうに前を向いた。


「あっ!」


突然、るりが大きな声を上げた。


「いい匂い!」


るりが鼻をひくひくさせる。


石畳の先には、小さな煙突の付いた店があった。


店先には星形のパンや三日月形のクッキーが並び、焼きたての湯気がふわりと立ち上っている。


看板に描かれていたのは、大きなパンを抱える星兎だった。


「パン屋さんだー!」


「るり、走ると危ないよ」


ポルルが声をかけたときには、るりはすでに店先まで駆けていた。


「おいしそう! これ全部食べていいの?」


「全部は駄目だよ」


「じゃあ半分!」


「減らせばいいという話ではないんだ」


ポルルが困ったように笑う。


そのとき、ミミルが店の奥をのぞき込み、目を丸くした。


「……あっ!」


大きな体をした茶色い星兎が、焼き上がったパンを運んでいた。


「おじさん!」


その呼び声に、店主の耳がぴんと立つ。


「その声は……ミミルか?」


「久しぶりー!」


ミミルが店の中へ飛び込む。


店主は目を細めると、粉の付いた前足でミミルの頭を乱暴に撫でた。


「ずいぶん長い旅になったな」


「うん。いろいろあったけど……ちゃんと帰ってきたよ」


「ああ」


店主は短く答え、リノたちへ視線を移した。


「その子が、お前の魔法少女か」


「うん! リノだよ」


リノは慌てて頭を下げる。


「初めまして。ミミルには、いつも助けてもらっています」


「そうかそうか」


店主は嬉しそうに笑った。


「昔は授業を抜け出して、売り物のパンをつまみ食いしていたミミルがなぁ」


「ちょっと待って! それ言わなくていいから!」


「やっぱり、やらかしてたんじゃん」


ひまりが笑う。


「一個だけだよ!」


「三日続けてな」


「おじさん!」


店内が笑い声に包まれた。


店主は焼きたての星形パンを籠に入れ、全員へ差し出す。


「里まで来た客人に、何も出さないわけにはいかん。食べていきな」


「やったー!」


るりが真っ先にパンを手に取る。


一口かじると、その頬が一気に緩んだ。


「ふわふわで、あまーい!」


「本当だ。おいしい!」


ひまりも目を輝かせる。


リノも小さな星形パンを口へ運んだ。


表面は少し香ばしく、中は雲のように柔らかい。噛むたびに優しい甘さが広がり、不思議と胸の奥まで温かくなっていく。


「……おいしいです」


「それはよかった」


店主は嬉しそうに頷いた。


その横で、るりは二個目へ手を伸ばしている。


「るり」


ポルルが優しく呼び止めた。


るりの手が空中で止まる。


「……一個だけ?」


「あとで皆と分けようね」


「はーい」


残念そうに返事をしながらも、るりは籠から目を離さなかった。



パン屋を出ると、小さな広場へ着いた。


中央には星の形をした噴水があり、青白い水が重力に逆らうように空へ流れている。


その周りを、十匹ほどの子どもの星兎たちが駆け回っていた。


「まてまてー!」


「こっちだよー!」


「あっ、転んだ!」


一匹の星兎が転ぶと、周りの子たちが一斉に集まって起こしてやる。


その様子を見たるりの瞳が、きらりと輝いた。


「かわいい……!」


「るり?」


「一緒に遊んでくる!」


ポルルが止める間もなく、るりは子どもたちの輪へ飛び込んだ。


「るりお姉ちゃんが鬼ねー!」


「いいよー! つかまえちゃうぞー!」


「きゃー!」


子どもたちと同じくらい楽しそうに走り始める。


「どっちが子どもか分からないね」


ひまりが笑うと、ピリカも小さく頷いた。


「けれど、ああ見えて青リボンの代表なのよね」


「その落差がすごいよね」


リノも微笑んだ。


だが次の瞬間、胸元に刺さるような視線を感じた。


広場の端。


店の窓。


通りを歩いていた星兎たち。


皆がこちらを見ている。


正確には、リノの胸元に結ばれた灰色のリボンを。


「灰色……」


「本当に存在していたんだ」


「魔法会議で、新しい代表枠が作られたって……」


「でも、あの色は……」


ひそひそと交わされる声。


強い悪意があるわけではない。


けれど、純粋な好奇心だけでもなかった。


戸惑い。


警戒。


そして、わずかな恐れ。


リノは無意識に、胸元のリボンを手で覆った。


黒でもない。


白でもない。


光と闇、どちらにも染まりきらなかった色。


自分で選んだ未来を表す色。


それでも、知らない者から見れば、何を意味するのか分からない不気味なものなのかもしれない。


「リノちゃん」


ひまりがリノのすぐ隣へ立った。


「大丈夫?」


「うん。平気だよ」


そう答えたものの、声は少しだけ小さくなった。


ひまりは周囲の星兎たちへ向き直る。


「リノちゃんは、私たちの大切な仲間だから」


いつもの明るい声。


けれど、その言葉には迷いがなかった。


「灰色だからって、怖い子じゃないよ。誰よりも悩んで、それでも自分の未来を選んだ子なんだから」


広場が静かになる。


近くにいた星兎の一匹が、気まずそうに耳を下げた。


「……ごめんなさい。じろじろ見てしまって」


「悪く言うつもりはなかったんです」


リノは首を横に振る。


「大丈夫です。私だって、このリボンのことを全部分かっているわけじゃないから」


ラピスが静かに前へ出た。


「灰色リボンは、長い星兎の歴史にも記録がありません」


銀色の瞳が、リノをまっすぐ見つめる。


「存在しなかったものを、すぐに理解しろというのは難しいでしょう。しかし、知らないことと、拒絶することは同じではありません」


周囲の星兎たちは申し訳なさそうに頭を下げ、それぞれの場所へ戻っていった。


リノは胸元のリボンから手を離す。


「ありがとう、ひまりちゃん」


「別に、お礼を言われるようなことじゃないよ」


ひまりは照れくさそうに鼻の下をこする。


「仲間なんだから、当たり前じゃん」


その言葉に、リノの胸が少しだけ温かくなった。



次に案内されたのは、里の中央に建つ大きな建物だった。


丸い屋根の上には時計塔がそびえ、その先端では小さな星がくるくると回っている。


開かれた窓から、元気な声が聞こえてきた。


「ここは学校です」


ラピスが扉を開く。


中には、何十匹もの幼い星兎たちが机を並べて座っていた。


黒板に大きく書かれているのは、


『魔法少女を支える心』


という文字だった。


教壇には、丸い眼鏡をかけた年配の星兎が立っている。


「契約とは、魔法少女へ力を与えるだけのものではありません」


落ち着いた声が、教室に響く。


「喜びを分け合い、悲しみに寄り添い、間違ったときには止めること。たとえ意見が違っても、相手の心を決めつけてはいけません」


子どもたちは真剣な表情で話を聞いていた。


「星兎も勉強するんだね」


リノが小声で言うと、ミミルがそっとリノの後ろへ隠れた。


「ミミル?」


「しーっ」


「どうしたの?」


「先生だよ」


「先生?」


「昔、すっごく怒られた先生」


その瞬間。


教壇にいた教師の耳がぴくりと動いた。


眼鏡の奥の目が、まっすぐミミルへ向けられる。


「ミミル」


「ひゃいっ!」


妙に裏返った返事が、教室中へ響いた。


「久しぶりですね」


「お、お久しぶりです!」


ミミルは背筋を伸ばし、宙に浮かんだまま直立する。


教師は静かに眼鏡を押し上げた。


「里の外でも、授業中に眠ってはいませんでしたか?」


「授業がないので大丈夫です!」


「質問への答えになっていませんね」


子どもの星兎たちが一斉に笑った。


ひまりも口元を押さえている。


「ミミル、顔真っ赤」


「笑わないでよ!」


教師もわずかに目を細めた。


「立派な相棒になったようで、安心しました」


「先生……」


「ただし、里へ滞在する間に、未提出の課題を――」


「行こう、リノ! 次の場所に行こう!」


ミミルはリノの背中を必死に押し始める。


「ちょっと、まだ話の途中だよ」


「いいの! 先生の話は長いから!」


「ミミル。聞こえていますよ」


「ごめんなさーい!」


笑い声に送られながら、ミミルは逃げるように学校を後にした。



学校から離れるにつれ、家の数が少なくなっていった。


賑やかな声も聞こえなくなり、風の音だけが耳に残る。


やがてラピスが足を止めた。


その先には、巨大な石門がそびえていた。


古びた門には太い鎖が何重にも巻かれ、表面を淡い光の結界が覆っている。


門の向こう側は白い霧に包まれ、その奥を見通すことはできない。


ただ、霧の隙間から時折、砕けた結晶のようなものがきらりと光っていた。


「ここは……?」


リノが尋ねる。


ラピスの表情から、先ほどまでの穏やかさが消えた。


「立ち入りを禁じられている区域です」


「どうして?」


るりが首を傾げる。


「この里が、最も多くのものを失った時代。その記録と傷跡が、門の向こうに残されています」


「傷跡……」


ひまりが、霧の奥を見つめる。


ラピスは石門へ視線を向けたまま続けた。


「かつて、魔法少女と星兎の間で大きな対立が起きました。守るとは何か。救うとは何か。その答えを巡り、多くの者が異なる道を選んだのです」


リノの脳裏に、天城先生の姿が浮かんだ。


苦しむくらいなら、眠らせた方がいい。


心を抜き取り、傷つかなくなった少女たちを、彼は救われた者として扱っていた。


間違っている。


それでも、天城先生の言葉には、ただ人を傷つけたい者の冷たさとは違うものがあった。


「あの……」


リノは迷いながら尋ねる。


「天城先生のそばにいる人たちも、その対立と関係があるんですか?」


ラピスはすぐには答えなかった。


しばらく門を見つめたあと、静かに口を開く。


「彼のもとへ集った者たちは、初めから誰かを傷つけるために歩いていたわけではありません」


ひまりたちが黙って耳を傾ける。


「大切な人を失った者。自分の選択を悔やみ続けた者。何度立ち上がっても、再び絶望に引き戻された者」


ラピスの銀色の瞳が、わずかに伏せられる。


「救いを求めた先に、天城という人物がいた。それだけなのかもしれません」


「じゃあ、あの人たちは悪くないの?」


るりが尋ねる。


ラピスは首を横に振った。


「事情があれば、行いのすべてが許されるわけではありません。しかし、相手を悪と決めつければ、その者がなぜそこに立っているのかを見失います」


ポルルが穏やかに言葉を重ねる。


「相手を理解することと、相手に従うことも違うからね」


「そっか……」


るりは難しそうに眉を寄せた。


「分かるような、分からないような……」


「るりは、まず聞こうとするだけで十分だよ」


「うん!」


るりはすぐに明るい表情へ戻った。


そのときだった。


ピピピピピッ――!


甲高い警報音が、静かな空気を切り裂いた。


「えっ!?」


リノが周囲を見回す。


里の上空へ、青白い光の線が一斉に走った。


次の瞬間、半透明の画面がいくつも空中へ展開される。


星明かりに照らされていた道や建物が赤い警告灯に染まり、空には巨大な魔法陣が何重にも浮かび上がった。


画面に赤い文字が点滅する。


《スター・アラート起動》


【緊急警報】


外縁結界・第三層の損傷を確認


ノイズ反応を検知


全住民は指定区域へ避難してください


「ノイズ!?」


ひまりが叫ぶ。


里の星兎たちが一斉に動き始めた。


「子どもたちを避難所へ!」


「結界維持班は北側へ急いで!」


「学校の人数を確認して!」


さっきまでの穏やかな里が、ほんの数秒で緊迫した空気へ変わっていく。


ラピスが空中の画面へ前足をかざした。


地図が表示され、赤い点が激しく点滅する。


「侵入地点は……」


ラピスの目が見開かれた。


「この禁止区域のすぐ近くです」


画面が突然、大きく乱れる。


ざざっ、と黒い砂嵐が走り、赤かった表示が暗く染まった。


【UNKNOWN】


未登録ノイズ反応


脅威レベル:測定不能


通常個体との一致率――0%


「通常個体との一致率、ゼロ……?」


ミミルの声が震える。


ポルルは目を閉じ、耳をぴんと立てた。


「来るよ」


地面が大きく揺れた。


石門の近くで空間が歪み、黒い裂け目が生まれる。


ばりばりと不快な音を立てながら、裂け目の中から巨大な腕が伸びてきた。


「下がって!」


ラピスが叫ぶ。


黒い影が、地面へ降り立つ。


通常のノイズより、二回り以上大きい。


獣のような四本の脚。


歪んだ人の上半身。


全身には鋭い黒い結晶が突き刺さり、胸の中心では紫色の光が心臓のように脈打っている。


その顔に目はない。


代わりに、横へ裂けた大きな口から黒い霧を吐き出していた。


「グ、ギギ……」


「これが、ノイズ……?」


るりの顔から、いつもの無邪気な笑みが消える。


「違う」


ポルルが低い声で答えた。


「ノイズに、何かが混ぜられている」


怪物はリノたちを見ようともせず、巨大な腕を地面へ突き立てた。


そして、禁止区域の石門へ一直線に駆け出す。


「門を狙ってる!」


ひまりが声を上げた。


ラピスの表情が険しくなる。


「あの門を破壊させてはいけません!」


怪物が腕を振り上げた。


黒い結晶に覆われた拳が、結界へ叩きつけられる。


ドォンッ!


淡い光の膜が激しく揺れ、石門に細い亀裂が走る。


「もう一度攻撃されたら、結界が持ちません!」


ラピスの言葉を聞いたリノは、胸元のリボンを強く握った。


「みんな、止めよう!」


「もちろん!」


ひまりが赤いリボンを掲げる。


るりも一歩前へ出た。


「大切な里だもん。絶対に壊させないよ」


三人は横一列に並ぶ。


リノが息を吸い込んだ。


「くるくる結んで、きらきら光れ!」


灰色のリボンが風に乗り、リノの周囲へ広がっていく。


「涙も勇気も、未来へ結んで! 魔法になあれ!」


光が弾け、衣装が灰色と淡い桃色の輝きに包まれる。


「マジカル・リボン・ドレスアップ!」


続いて、ひまりが強く地面を蹴った。


「もう二度と、諦めない!」


赤い炎がリボンの形となり、その体を包み込む。


「赤いリボンに願いを結んで!」


「レッド・リボン・ドレスアップ!」


最後に、るりが両手を胸元で重ねた。


「涙も痛みも、ぜんぶ包んで。」


周囲の空気から水が生まれ、青い帯となって舞い上がる。


「青いリボンに願いを結ぶ。」


「ブルー・リボン・ドレスアップ。」


灰色、赤、青。


三色の光が星兎の里を照らした。


怪物が再び、石門へ拳を振り上げる。


「させないよ!」


るりが手を突き出した。


「ウォーター・プリズム!」


地面から幾本もの水柱が噴き上がる。


水は怪物の腕へ巻き付き、その動きを空中で止めた。


「ひまりちゃん、今!」


「任せて!」


ひまりが炎をまとい、勢いよく跳び上がる。


「フレイム・リボン!」


赤い炎のリボンが空中を走り、怪物の胸元へ直撃する。


激しい爆発。


黒い煙が周囲へ広がった。


「やった?」


ひまりが着地する。


しかし、煙の中で紫色の光が脈打った。


怪物の巨体が、何事もなかったかのように立っている。


炎が当たった場所には傷一つない。


全身を覆う黒い結晶が、赤い光を吸い込むように輝いていた。


「効いてない!?」


「魔法が吸収されています!」


ラピスが叫ぶ。


怪物の体から黒い針が一斉に射出された。


「危ない!」


リノは反射的にリボンを広げる。


「リボン・シールド!」


灰色のリボンが壁となり、鋭い針を弾き返した。


だが、すべては防ぎきれない。


一本がリノの頬をかすめ、背後の地面へ突き刺さる。


「リノ!」


ミミルが叫ぶ。


「大丈夫!」


リノは頬の傷を拭いながら、怪物を見つめる。


黒い結晶が、攻撃を受けるたびに明滅している。


魔法を完全に消しているわけではない。


吸い込んで、体の中へ送っている。


「ミミル、あの結晶……」


「うん。魔力を胸の光に集めてる」


ミミルが怪物の中心を指す。


「だったら、先に結晶を剥がさないと!」


リノは大きく頷いた。


「私が動きを止める。るりちゃん、結晶の隙間に水を入れられる?」


「できるよ!」


るりが笑顔を取り戻す。


「ひまりちゃんは、水が入ったところを一気に熱して!」


「なるほど。中から壊すんだね!」


「うん!」


怪物が再び石門へ走り出す。


リノは正面から駆けた。


「リノ、無茶だよ!」


ミミルの声を背に受けながら、怪物の足元へ滑り込む。


「リボン・スパイラル!」


灰色のリボンが何本も地面を走り、怪物の四本の脚へ絡み付いた。


「グギィィィッ!」


怪物が暴れ、リボンを引きちぎろうとする。


腕へ強い衝撃が走り、リノの体が前へ引かれた。


「まだ……離さない!」


一度失った足。


けれど今は、自分の意思で立っている。


誰かに選ばされた未来ではない。


自分で選んだ足だ。


リノは地面を強く踏みしめた。


「るりちゃん!」


「うん!」


るりが両手を合わせる。


「アクア・スレッド!」


細い水の糸が何百本も生まれ、黒い結晶のわずかな隙間へ入り込んでいく。


怪物の全身が、内側から青く輝いた。


「ひまりちゃん、お願い!」


「いっくよー!」


ひまりが両腕を広げる。


炎が二本のリボンとなり、水の糸を伝って怪物の全身へ駆け抜けた。


「フレイム・バースト!」


一瞬の静寂。


次の瞬間――。


バキバキバキッ!


急激に熱せられた水が膨張し、怪物を覆う黒い結晶を内側から砕いた。


結晶の破片が星空へ舞い上がる。


胸元の紫色の核が、むき出しになった。


「リノちゃん、今だよ!」


「うん!」


リノは絡ませていたリボンを手繰り寄せ、その反動で高く跳び上がる。


怪物の目の前。


紫色の核が不規則に脈打っている。


その奥で、小さな黒い何かが揺れていた。


一瞬だけ、泣き声のようなものが聞こえる。


――たすけて。


「……!」


リノの手が止まりかけた。


けれど怪物は腕を振り上げ、禁止区域の門へ狙いを定める。


今は止めなければならない。


ただ壊すのではない。


中に閉じ込められたものを、解き放つ。


「未来まで、奪わせない!」


灰色のリボンが大きな輪を描き、怪物の全身を包み込む。


「リボン・リンク――フィナーレ!」


まばゆい光が弾けた。


灰色のリボンは核を締め付けるのではなく、複雑に絡まっていた黒い力を一本ずつほどいていく。


紫色の光に亀裂が走った。


「ギ、ギギ……アァァァァッ!」


怪物の絶叫が里中へ響く。


やがてその体は、細かな星の粒となって崩れ始めた。


黒い霧が晴れ、光の粒が空へ昇っていく。


最後の一粒が消えると、里に静寂が戻った。


「……倒した?」


ひまりが肩で息をしながら尋ねる。


「うん」


るりはその場へ座り込み、大きく息を吐いた。


「三人なら、もっと楽に倒せると思ってたぁ……」


「普通のノイズじゃなかったからね」


ポルルがるりのそばへ寄り、その頭を優しく撫でる。


「でも、よく頑張ったよ」


「えへへ」


るりは疲れた顔のまま笑った。


リノも地面へ降り立つ。


張り詰めていた力が抜け、膝が少し揺れた。


ミミルがすぐに飛んでくる。


「リノ! 足は大丈夫?」


「大丈夫。ちょっと力を使いすぎただけ」


「本当に?」


「本当だよ」


リノが笑うと、ミミルはようやく安心したように息を吐いた。


そのとき。


ころん。


何かが、石畳の上へ落ちた。


全員の視線が集まる。


そこにあったのは、小さなキャンディだった。


包み紙はない。


飴玉そのものが、光を吸い込むような漆黒に染まっている。


表面には細い亀裂があり、そこから黒い霧がわずかに漏れていた。


「キャンディ……?」


リノが近づき、手を伸ばす。


「触れてはいけません!」


ラピスの鋭い声が飛んだ。


リノは驚いて手を止める。


ラピスは慎重に黒いキャンディへ近づくと、周囲に小さな結界を張った。


銀色の光に包まれたキャンディが、空中へ浮かび上がる。


ラピスの顔から、血の気が引いていった。


「そんな……」


「ラピス様?」


ピリカが不安そうに呼びかける。


「これは、ノイズの核ではありません」


ラピスは黒いキャンディを見つめたまま告げる。


「何者かがキャンディを使い、人工的にノイズを変質させたのです」


「誰かが、あのノイズを作ったってこと?」


ひまりの問いに、ラピスは小さく頷く。


「そして、この里の結界を破るよう仕向けた」


ポルルが禁止区域の石門を見る。


門の表面には、怪物の攻撃によって新しい亀裂が生まれていた。


「目的は、やっぱり門の向こう……」


ラピスは何も答えない。


だが、その沈黙が答えのように感じられた。


リノは黒いキャンディから目を離せなかった。


天城先生から渡されたキャンディとは、まるで違う。


先生のキャンディには、苦しみと同時に、どこか人を守ろうとする温かさが残っていた。


目の前のものには、それがない。


あるのは、誰かの心を無理やり押し潰し、道具へ変えたような冷たさだけ。


「これも……天城先生が?」


リノが恐る恐る尋ねる。


ラピスははっきりと首を横に振った。


「いいえ」


迷いのない声だった。


「これは、天城の作るキャンディではありません」


「でも、キャンディを作れる人が、ほかにもいるってこと?」


「正確には――」


ラピスが言葉を続けようとした瞬間、空中の警告画面が再び乱れた。


ざざっ。


黒い線が走り、一瞬だけ見知らぬ紋章が表示される。


円の中に並ぶ、三つの飴玉。


その中央を、値札のような印が貫いている。


表示はすぐに消えた。


「今のは……?」


リノが尋ねる。


ラピスの瞳が険しくなる。


「長老会を招集します」


「ラピス様?」


「この事件は、里への単なる襲撃ではありません」


ラピスは結界に包まれた黒いキャンディを強く見つめる。


「心を商品として扱う者たちが、再び動き始めたのかもしれません」


「心を……商品に?」


ひまりが眉をひそめる。


ラピスはそれ以上答えず、石門へ向き直った。


門の亀裂から、淡い光が漏れている。


その奥で、何かが目を覚まそうとしているかのように。


かすかな音が聞こえた。


それは、遠い昔の子守歌にも似ていた。


リノの胸元で、灰色のリボンが淡く光る。


――やっと来た。


「……え?」


リノは石門を見上げた。


「どうしたの?」


ミミルが尋ねる。


「今、誰かの声が……」


その瞬間、門の向こうの光は消えた。


残ったのは、冷たい霧と静寂だけ。


ラピスはリノを見つめていた。


けれど、その表情から何を考えているのかは読み取れなかった。



星兎の里から少し離れた、高い丘。


黒い外套をまとった人物が、遠くの石門を見下ろしていた。


その手には、ひび割れた黒いキャンディが握られている。


「試作品では、あれが限界か」


声に悔しさはない。


むしろ、楽しんでいるようだった。


人物は指先でキャンディを転がす。


「けれど、十分な結果は得られた」


黒い外套の奥で、口元がわずかに持ち上がる。


「星兎の里の結界構造」


「封じられた記録の位置」


「そして――」


遠くに立つリノへ、視線が向けられる。


「灰色リボンの反応」


手の中のキャンディが、音もなく砕けた。


黒い粉が風に乗り、夜空へ溶けていく。


「商品価値は、想定以上かもしれないな」


人物は踵を返す。


その背後の空間に、三つの飴玉が並んだ紋章が浮かび上がった。


「計画を少し早めよう」


黒い裂け目が開き、その姿を飲み込んでいく。


丘には、誰もいなくなった。


ただ一枚。


値札の付いたキャンディの包み紙だけが、星明かりの下へ残されていた。

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