第45話 星兎の里
「星兎の里に行く。」
そう決めたあとも、ミミルはずっと落ち着かなかった。
公園のベンチの上で、行ったり来たり。
右へぴょこぴょこ。
左へぴょこぴょこ。
また右へぴょこぴょこ。
「ミミル、目が回るよ……。」
リノが苦笑すると、ミミルはぴたりと止まった。
「ご、ごめん。」
けれど、耳は不安そうに揺れている。
リノはそっとミミルの隣に座った。
「怖い?」
ミミルはすぐには答えなかった。
少しだけ空を見上げて、それから小さく頷く。
「……怖い。」
「星兎の里に行くの、久しぶりなんだ。」
「昔はね、楽しい場所だった。」
「星屑の草原があって、小さい丸い家がいっぱいあって、夜になるとみんなのしっぽの星がぴかぴか光るんだ。」
話しながら、ミミルの表情が少しだけ柔らかくなる。
けれど、それはすぐに曇った。
「でも……今はちょっと怖い。」
「どうして?」
「だって。」
ミミルは両手をぎゅっと握る。
「ボクの仲間の中に、先生と同じ考えの星兎がいるかもしれないんでしょ?」
「魔法少女を守るために、眠らせた方がいいって。」
「もし本当だったら……ボク、何を信じればいいのか分からないよ。」
リノは何も言わなかった。
星兎は、魔法少女の隣にいる存在。
ミミルはずっと、そう信じてきた。
リノもそうだった。
だからこそ、ミミルの不安が痛いほど伝わってきた。
「ミミル。」
リノはそっと手を伸ばす。
ミミルはその手に、小さな身体を預けた。
「私も怖いよ。」
「……リノも?」
「うん。」
リノは胸元の灰色リボンに触れた。
「星兎のことも、キャンディのことも、先生のことも。」
「まだ分からないことばっかり。」
「でも、知らないまま会議に行く方がもっと怖い。」
ミミルは顔を上げる。
「だから、行きたい。」
リノはまっすぐに言った。
「ミミルたちのことも、ちゃんと知りたい。」
「星兎が何を考えているのか、自分の目で見たい。」
ミミルはじっとリノを見つめた。
そして、小さく笑った。
「リノは……強くなったね。」
「そうかな。」
「うん。」
ミミルは少しだけ胸を張る。
「でも、無理したらボクが怒るからね。」
「うん。怒って。」
「ほんとに怒るよ?」
「うん。」
「すっごく怒るよ?」
「うん。」
リノが笑うと、ミミルも少しだけ笑った。
⸻
「お待たせしました。」
その声に振り返ると、ひまりの肩に乗ったピリカがいた。
白い身体。
オレンジがかった赤い耳。
星のしっぽが、淡く光っている。
ひまりは大きく手を振る。
「リノちゃん!ミミル!」
「ひまり。」
「ピリカも来てくれたんだね。」
ピリカは落ち着いた声で頷いた。
「星兎の里へ向かうなら、私も同行します。」
「里のことは、ポルルだけでなく私からも説明できます。」
ミミルが少し緊張したように耳を立てた。
「ピリカ……。」
ピリカはミミルを見る。
その表情はいつも通り冷静だった。
けれど、声は少し優しい。
「ミミル。不安なのは分かります。」
「でも、逃げていても答えは出ません。」
ミミルは小さく頷く。
「……うん。」
ピリカはリノたちへ向き直った。
「星兎の里は、星の庭園とは違います。」
「天城先生の場所ではありません。」
「私たち星兎が生まれ、魔法少女との契約を学ぶ場所です。」
リノは思わず聞き返す。
「契約を……学ぶ?」
「はい。」
「星兎は、生まれてすぐに魔法少女の相棒になるわけではありません。」
「魔力の扱い方、契約の結び方、魔法少女の心を支える方法。」
「そういったものを里で学びます。」
ひまりが少し驚く。
「ピリカたちにも学校みたいなのがあるんだ?」
「学校とは少し違いますが、近いかもしれません。」
ミミルがぼそっと言う。
「ボクは座学がちょっと苦手だった……。」
ピリカがじっと見る。
「ちょっと?」
「……けっこう。」
「正直でよろしい。」
リノは思わず笑ってしまった。
少しだけ空気が軽くなる。
⸻
「準備できたよ〜!」
明るい声が聞こえた。
雨宮るりが、水たまりの上を跳ねるように歩いてくる。
その隣には、ポルル。
るりは小さな袋を大事そうに抱えていた。
「おやつも持ったよ〜!」
ポルルがすぐに言う。
「るり、これは遠足じゃないよ。」
「でも、おやつは大事だよ?」
「それは否定しない。」
ポルルが真面目な顔で答える。
ミミルが目を丸くした。
「否定しないんだ!?」
「長い移動になる可能性があるからね。」
ポルルは落ち着いた声で言う。
「糖分は大事だよ。」
るりは嬉しそうに袋を掲げた。
「ほら〜、ポルルもこう言ってる!」
ひまりが苦笑する。
「るりちゃん、ほんと変わらないね。」
「えへへ。」
るりはにこっと笑う。
「ひまりちゃんも変わらないよ〜。」
「すぐ心配して、すぐ燃えるところ。」
「それ褒めてる?」
「うん!」
「じゃあいいけど……。」
ルルとノアも合流した。
ルルは空を見上げる。
「ここから星兎の里へ行けるの?」
ポルルは頷く。
「普通の道では行けない。」
「星兎の里へ入るには、星兎と魔法少女の絆が必要なんだ。」
ピリカが続ける。
「契約の光を道しるべにします。」
「星兎のしっぽの星と、魔法少女のリボン。」
「その光を重ねることで、入口が開きます。」
リノはミミルを見る。
「私たちにもできる?」
ミミルは一瞬だけ不安そうにした。
けれど、すぐに頷く。
「できるよ。」
「だって、ボクたちはもう一回結んだんだから。」
リノの胸が温かくなる。
「うん。」
⸻
公園の中央に、三組が並んだ。
リノとミミル。
ひまりとピリカ。
るりとポルル。
ルルとノアは少し離れて見守る。
ミミルの星のしっぽが、淡い光を灯した。
リノの灰色リボンも、それに応えるように輝き始める。
ひまりの赤いリボン。
ピリカの赤い星。
るりの青いリボン。
ポルルの水色の星。
それぞれの光が、空中でゆっくり重なっていく。
赤。
青。
灰色。
星の光。
リノの灰色リボンが、ふわりと揺れた。
その瞬間。
周囲の色が、少しだけリノのリボンへ吸い込まれるように見えた。
赤い光も。
青い光も。
星の光も。
灰色の中に混ざり、でも消えることはない。
白にも黒にもならない。
すべての色を静かに結んだまま、リノのリボンは優しく輝いていた。
ポルルが小さく目を見開く。
「灰色リボン……。」
「やっぱり不思議だね。」
リノは少し不安そうに自分のリボンを見る。
「変……かな。」
ポルルは首を横へ振った。
「変じゃないよ。」
「ただ、今まで見たことがないだけ。」
ピリカも静かに頷く。
「未知であることと、危険であることは同じではありません。」
ミミルはすぐに言う。
「そうだよ!」
「リノのリボンはリノのリボンだよ!」
リノは少しだけ笑った。
「ありがとう。」
光が強くなる。
公園の空気が揺れる。
足元に、星の輪が広がった。
やがて目の前に、光でできた小さな門が現れる。
門の向こうには、夜空のような道が続いていた。
星の川。
無数の小さな星が流れる、静かな道。
るりが嬉しそうに手を叩く。
「開いた〜!」
ポルルが頷く。
「行こう。」
「道は長くない。」
「でも、途中で気を抜かないで。」
ひまりが拳を握る。
「うん!」
リノも一歩前へ出る。
その足は、もう震えていなかった。
⸻
星の川の道は、不思議な場所だった。
上下の感覚が曖昧で、歩いているのに、空を渡っているような気がする。
足元には星が流れ、遠くには小さな銀色の橋がいくつも浮かんでいる。
リノは静かに歩きながら、ふと自分の足元を見た。
きらり。
また、星の庭園に似た光が揺れた。
今度は、リノ自身にもはっきり見えた。
「……また。」
ミミルが不安そうに耳を伏せる。
「リノ、足元……。」
「うん。」
リノは立ち止まる。
灰色の光とは違う。
あれは、天城のキャンディを食べた時に見た、夜空色の光だった。
ポルルも表情を曇らせる。
「天城先生のキャンディの影響かもしれない。」
ひまりがリノの隣に立つ。
「リノちゃん……。」
リノは足元の光を見つめた。
怖くないと言えば嘘になる。
自分の足は戻った。
けれど、その回復には天城の力が関わっている。
それは消えない事実だった。
「でも。」
リノはゆっくり顔を上げる。
「この足で歩くって決めたのは、私だから。」
ひまりが小さく笑う。
「うん。」
「リノちゃんが選んだ足だよ。」
ミミルも頷く。
「先生のものじゃない。」
リノは胸元のリボンに触れた。
「うん。」
「この足で、私は星兎の里へ行く。」
「ちゃんと知るために。」
「ちゃんと選ぶために。」
その言葉に、星の川が少しだけ明るくなった気がした。
⸻
道の終わりに、ひときわ大きな星が浮かんでいた。
ピリカが足を止める。
「着きます。」
ミミルの耳がぴんと立つ。
「……。」
リノはミミルを見る。
「大丈夫?」
「うん。」
ミミルは一度だけ深く息を吸った。
「大丈夫。」
「ボク、逃げない。」
光が広がる。
視界が白く染まる。
次の瞬間、リノたちは広い草原に立っていた。
「……わぁ。」
リノは思わず声を漏らす。
そこは、星の光でできたような村だった。
空は夜なのに明るい。
地面には、星屑のような草が一面に広がっている。
小さな丸い家が、ぽこぽこと並んでいた。
屋根には星型の飾り。
窓からは柔らかな光。
空中には細い橋が浮かび、星兎たちが軽やかに渡っている。
遠くには、透き通った鐘の塔。
風が吹くたび、ちりん、ちりんと星の音が鳴った。
るりが両手を広げる。
「星兎の里、到着〜!」
ミミルは小さく呟いた。
「……ただいま。」
その声は、懐かしさと不安で少し震えていた。
けれど。
すぐに歓迎の声が返ってくることはなかった。
近くにいた星兎たちが、一匹、また一匹と足を止める。
視線がリノへ向く。
正確には、リノの胸元の灰色リボンへ。
「……灰色?」
「人間の魔法少女……?」
「ミミルが連れてきたの?」
小さな囁きが広がっていく。
リノは思わず一歩下がりそうになった。
けれど、ミミルがそっと前に出た。
「この子はリノ。」
「ボクの魔法少女だよ。」
その声は震えていた。
でも、ちゃんと前を向いていた。
ピリカも隣へ並ぶ。
「そして、灰色リボン代表候補です。」
ざわめきが大きくなる。
ひまりはリノの横に立ち、るりはにこにこしているようで、目だけは周囲を見ていた。
ポルルも静かに言う。
「私たちは、話を聞きに来ました。」
「星兎の中で何が起きているのか。」
「天城先生と関わっている星兎がいるのか。」
その言葉に、周囲の空気がぴんと張り詰めた。
すると、里の奥からゆっくりと一匹の星兎が歩いてきた。
白銀の毛並み。
長い耳。
星のしっぽは、青白く静かに輝いている。
他の星兎たちが自然と道を開けた。
ミミルの耳がぴたりと止まる。
「ラピス様……。」
その星兎――ラピスは、ミミルを見つめた。
「ミミル。」
「戻りましたか。」
「……はい。」
ラピスの視線が、リノへ移る。
リノは緊張しながらも、背筋を伸ばした。
「あなたが、灰色リボンの魔法少女ですね。」
「……はい。」
「リノです。」
ラピスは静かに頷いた。
「歓迎します。」
その言葉に、リノの表情が少しだけ和らぐ。
けれど、ラピスは続けた。
「ただし。」
「あなたの存在を、すべての星兎が受け入れているわけではありません。」
風が吹いた。
星屑の草原が、ざわりと揺れる。
ミミルがリノの前に立つ。
ひまりが拳を握る。
るりの青いリボンが、ほんの少しだけ揺れた。
ラピスは静かな声で告げる。
「灰色リボンの魔法少女。」
「そして、天城のキャンディで歩き出した少女。」
「あなたが何を選ぶのか。」
「この里も、見極めなければなりません。」
リノは胸元のリボンを握った。
怖い。
でも、逃げない。
「分かりました。」
リノはまっすぐラピスを見る。
「私も、ちゃんと知りたいです。」
「星兎が何を思っているのか。」
「ミミルたちの里で、何が起きているのか。」
「だから……話を聞かせてください。」
ラピスはしばらくリノを見つめていた。
やがて、ゆっくりと目を閉じる。
「よいでしょう。」
「星兎の里へ、正式に迎え入れます。」
鐘の塔が、ちりんと鳴った。
けれどその音は、歓迎の響きというより。
これから始まる問いかけの合図のように聞こえた




