第44話 星兎について
星の庭園には、朝も夜もなかった。
空にはいつも星が浮かび、花々は眠るように揺れている。
クリスタルの広場には、淡い光が静かに満ちていた。
その光の中で、天城は一つのクリスタルを見上げていた。
中では、少女が眠っている。
笑っているようにも見える。
泣くことを忘れたようにも見える。
「安定しています。」
背後から、低く落ち着いた声がした。
天城は振り返らずに答える。
「ありがとうございます。」
そこにいたのは、一匹の星兎だった。
ミミルやピリカとは違う。
白い体に、黒い耳先。
星のしっぽは灰色に濁り、瞳には冷たい光が宿っている。
名前は、ノワル。
天城に協力する星兎の一匹だった。
ノワルはクリスタルへ近づき、眠る少女をじっと見つめる。
「この子は、もう泣きません。」
「ええ。」
「傷つくこともありません。」
「ええ。」
天城は静かに頷く。
「少なくとも、この庭園にいる限りは。」
ノワルは小さく目を細めた。
「それで十分です。」
「魔法少女は、戦えば傷つく。」
「傷つけば、壊れる。」
「ならば壊れる前に眠らせる。」
「それが、本当の保護です。」
その言葉は冷たかった。
けれど、怒りや憎しみではない。
長い時間、何かを見続けてきた者の疲れがにじんでいた。
天城はノワルへ視線を向ける。
「あなたは、今でもそう信じているのですね。」
「はい。」
ノワルは迷わず答える。
「私は、もう見たくありません。」
「魔法少女が笑いながら戦い、泣きながら壊れていく姿を。」
少し離れた場所で、レイナがその会話を聞いていた。
その隣には、白乃ゆらが座っている。
ゆらは手のひらの白いキャンディをころころと転がしていた。
「ノワルは、優しいんだね。」
ゆらが言う。
ノワルは振り返る。
「優しさではありません。」
「判断です。」
「ふうん。」
ゆらはふわりと笑った。
「でも、先生と似てる。」
天城は穏やかに微笑むだけだった。
⸻
「先生。」
今度はコトが広場へやって来た。
静かな足取り。
淡いピンクの髪が、星の光に照らされて揺れる。
「報告なの。」
「お願いします。」
コトは小さく頷く。
「魔法会議が動き始めてるの。」
「灰色リボンの子も、呼ばれるみたいなの。」
レイナの表情が少しだけ変わった。
「リノちゃんが……。」
その声は、甘く、重かった。
「代表候補なんて。」
「リノちゃんには重すぎますよぉ。」
コトはレイナを見た。
「心配なの?」
レイナはくすりと笑う。
「もちろん。」
「だって、あの子はまた無理をします。」
「笑って、我慢して、大丈夫って言って。」
「そうやってまた壊れていくんです。」
レイナは胸に手を当てた。
「だから私が、ちゃんと止めてあげないと。」
コトは何も言わなかった。
ただ少しだけ目を伏せる。
その表情には、どこか複雑な影があった。
「コト?」
レイナが首を傾げる。
コトは静かに首を横へ振った。
「なんでもないの。」
けれど、その手はわずかに震えていた。
天城はそれに気づいていた。
「コト。」
「はいなの。」
「無理をしていませんか。」
コトは少しだけ驚いたように目を開く。
そして、いつものように穏やかに笑った。
「大丈夫なの。」
「先生がいるから。」
その言葉は、信頼にも聞こえた。
依存にも聞こえた。
⸻
広場の奥から、軽い足音が響く。
「先生ー!」
スミレが手を振りながら現れた。
その後ろにはメルもいる。
メルは何かが入った小さな袋をくるくると回していた。
「ただいま〜。」
天城は二人を見る。
「おかえりなさい。」
スミレは肩をすくめる。
「外、ちょっと騒がしくなってきたよ。」
「騒がしく?」
「うん。」
メルが袋を揺らす。
中で、いくつもの小さなキャンディがかすかに音を立てた。
「キャンディ狩りの連中が、また動いてるっぽい。」
その言葉に、広場の空気が冷えた。
レイナが眉を寄せる。
コトも顔を上げる。
ノワルの瞳が細くなる。
天城だけは、表情を変えなかった。
けれど、その静けさはいつもより少し深かった。
「……そうですか。」
スミレは軽く笑おうとして、でも笑いきれなかった。
「相変わらず最悪。」
「人の心をキャンディにして、売り捌くなんてさ。」
メルは袋を握る手に力を込める。
「先生のやり方とは、全然違うよね〜。」
いつもの軽い声。
けれど、その奥にははっきりとした嫌悪があった。
ゆらが不思議そうに首を傾げる。
「売る?」
「キャンディを?」
スミレはゆらを見て、少しだけ言葉に詰まった。
「……うん。」
「いるんだよ。」
「人の痛みとか、願いとか、そういうのをただの商品みたいに扱うやつらが。」
コトがぽつりと言う。
「壊れても、気にしない人たちなの。」
メルは笑った。
でも、その笑顔は少しだけ乾いていた。
「昔からいるよ。」
「そういうの。」
「泣いてる子の心ほど、高く売れるって思ってる連中。」
その言葉に、リノたちが知らない過去の影が一瞬だけ落ちる。
コトの沈黙。
スミレの嫌悪。
メルの軽すぎる笑み。
それぞれが、何かを知っている。
何かを経験している。
けれど、誰もまだ語らない。
天城は静かに目を閉じた。
「キャンディは、心から生まれるものです。」
「商品ではありません。」
「利用するものでもありません。」
「預かるものです。」
ノワルが低く言う。
「ですが、彼らはそうは考えない。」
「ええ。」
天城は目を開ける。
「ですから、彼らとは相容れません。」
レイナは少しだけ意外そうに天城を見た。
「先生でも、許せないんですねぇ。」
天城は穏やかなまま答える。
「もちろんです。」
「選ぶ自由を奪う者を、私は救済とは呼びません。」
その言葉に、ゆらが小さく瞬きをした。
「選ぶ自由……。」
彼女は手のひらの白いキャンディを見つめる。
「私は、選んだんだよね?」
天城はゆらに視線を向けた。
「ええ。」
「あなたは、自分で目覚めることを望みました。」
ゆらは安心したように笑う。
「そっか。」
「じゃあ、私は大丈夫なんだ。」
その笑顔を、レイナは黙って見つめていた。
⸻
一方その頃。
リノたちは、るりとポルルから話を聞いたあと、近くの公園へ移動していた。
雨は完全に上がり、遊具に残った水滴が光っている。
けれど、さっきまでの明るい空気は少しだけ重くなっていた。
ミミルはベンチの上で落ち着きなく耳を動かしている。
「星兎の間で意見が割れてるなんて……。」
「信じられない。」
ポルルは静かに隣へ座った。
「ミミルの気持ちは分かるよ。」
「でも、星兎にもいろんな考えがある。」
「魔法少女を守りたい気持ちは同じでも、守り方が違うんだ。」
ミミルはぎゅっと拳を握った。
「眠らせるなんて違う。」
「それは、一緒に未来を守ることじゃない。」
リノはミミルを見つめた。
自分も、星の庭園で眠りそうになった。
苦しくない世界。
誰にも傷つけられない場所。
あれを救いだと思う気持ちが、まったく分からないわけではなかった。
だからこそ、怖かった。
「ポルル。」
ノアが口を開く。
「その考えの星兎は、キャンディ先生と繋がっている可能性があるんだよね。」
ポルルは少しだけ沈黙した。
「断言はできない。」
「でも……その可能性は高いと思う。」
ひまりが拳を握る。
「じゃあ、どうすればいいの?」
るりは水たまりをつつきながら言った。
「聞きに行けばいいんじゃないかな〜。」
リノが首を傾げる。
「聞きに行く?」
るりはにこっと笑う。
「星兎の里。」
ミミルの耳がぴんと立った。
「星兎の里……。」
リノはミミルを見る。
「ミミルたちの?」
ポルルが頷いた。
「星兎たちが暮らす場所だよ。」
「星の庭園とは違う。」
「先生の場所でもない。」
「星兎たち自身の里。」
ルルが少し考え込む。
「そこに行けば、星兎側の考えが分かるかもしれない。」
「うん。」
ポルルは静かに言った。
「そして、天城に協力している星兎が本当にいるのかも。」
ミミルは黙った。
その表情には迷いがあった。
自分の仲間を疑うことになる。
星兎の里へ行くということは、知らなかった現実を見ることになる。
リノはそっとミミルの隣に座った。
「ミミル。」
「リノ……。」
「私、行きたい。」
ミミルが顔を上げる。
「ミミルたちのことも、ちゃんと知りたい。」
「星兎が何を考えているのか、自分の目で見たい。」
リノは胸元の灰色リボンに触れる。
「それに、私は灰色リボン代表候補なんだよね。」
少しだけ苦笑した。
「だったら、知らないまま会議に行くわけにはいかないと思う。」
ルルが一歩前へ出る。
「私たちも一緒に行くよ。」
ノアも頷いた。
「リノたちだけを行かせるわけにはいかない。」
ひまりも笑顔で言う。
「みんなで行ったほうが安心だもん!」
けれどラピスは、ゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ありません。」
その一言で、その場の空気が少し静かになる。
「星兎の里は、誰でも入れる場所ではありません。」
「今回、ご案内できるのは――」
ラピスはリノを見る。
「灰色リボンを持つリノさん。」
そして、ひまりへ視線を向ける。
「そして、その証人となる赤代表・夕凪ひまりさんのみです。」
「えっ……私だけ?」
ひまりは驚いて目を丸くした。
ラピスは静かに頷く。
「灰色リボンは、星兎族にとっても前例のない存在です。」
「そして赤代表は、今回の出来事を正式に見届ける役目があります。」
ノアは腕を組み、少し考える。
「……つまり、これは星兎族の決まりなんだな。」
「はい。」
「里の掟です。」
ルルは少しだけ残念そうに笑った。
「そっか……。」
「じゃあ今回は我慢だね。」
ミミルがルルの肩へぴょんと飛び乗る。
「ルル、ごめんね。」
ルルは優しくミミルを抱き上げた。
「謝らなくていいよ。」
「リノをお願いね。」
「うん!」
ノアはリノの前まで歩いてくる。
「リノ。」
「はい。」
「星兎の里で分かったことは、全部持ち帰ってきてくれ。」
「こちらでも商会について調べておく。」
リノは力強く頷いた。
「うん。」
「任せて。」
ルルもリノの肩へそっと手を置く。
「帰ってきたら、またみんなで話そう。」
「うん!」
ひまりは拳をぎゅっと握る。
「リノ!一緒に頑張ろう!」
「うん!」
ラピスが杖を静かに掲げた。
「それでは、お二人を星兎の里へご案内します。」
足元に、星の魔法陣が浮かび上がる。
ミミルはリノの肩へ。
ピリカはひまりの肩へ。
ルルとノアは、その光景を静かに見送った。
ルルが小さく手を振る。
「行ってらっしゃい!」
ノアも優しく笑う。
「気を付けて。」
リノは振り返り、大きく手を振った。
「行ってきます!」
ひまりも元気いっぱいに叫ぶ。
「すぐ帰ってくるからね!」
星の光が二人を包み込む。
眩い輝きの中、リノとひまりの姿はゆっくりと消えていった。
ルルは光が消えた空を見上げ、小さく呟く。
「……無事に帰ってきてね。」
ノアも静かに頷く。
「きっと帰ってくる。」
その言葉を残し、二人はそれぞれ現実世界でできることを始めるため、歩き出した。
⸻
星の庭園。
天城は、遠くの星空を見つめていた。
ノワルが静かに近づく。
「彼らは動きます。」
「星兎の里へ向かうでしょう。」
天城は穏やかに頷いた。
「そうでしょうね。」
「止めますか。」
「いいえ。」
天城は微笑む。
「見てもらいましょう。」
「星兎たちが、何を見てきたのか。」
「そして。」
一瞬だけ、天城の声が低くなる。
「キャンディを商品にする者たちが、どれほど心を踏みにじってきたのか。」
ノワルは黙って頭を下げた。
「承知しました。」
天城は静かに目を閉じる。
甘い風が、庭園を通り抜ける。
その風の奥に、かすかに黒いキャンディの匂いが混ざっていた。




