第40話 ② 選択
リノは静かにクリスタルへ額を寄せた。
透明な結晶の向こう。
ミミルは眠ったまま、ぴくりとも動かない。
「……ねぇ。」
「ミミル。」
「聞こえてる……?」
返事はない。
静かな寝息だけが聞こえてきそうなほど、穏やかな表情だった。
リノはそっと笑う。
けれど、その笑顔はすぐに崩れた。
「ごめんね……。」
「約束したのに。」
『絶対守る!』
ミミルの笑顔が脳裏によみがえる。
『リノは一人じゃない!』
『ボクがずっと一緒だから!』
「……なのに。」
「私……。」
「何も守れなかった。」
ぽたり。
涙がクリスタルへ落ちた。
その雫はゆっくりと結晶を伝い、足元へ落ちる。
静かな音だけが広場へ響いた。
天城はリノの少し後ろで、その姿を見守っている。
決して急かさない。
決して声を荒らげない。
ただ、リノが自分の答えを見つけるのを待っていた。
しばらく沈黙が続く。
やがて天城が静かに口を開いた。
「リノさん。」
リノはゆっくり振り返る。
「あなたは、本当によく頑張りました。」
「……。」
「たくさん傷つきました。」
「苦しみました。」
「それでも、人を想い続けました。」
「……。」
「誰かを守ろうとした。」
「誰かのために泣いた。」
「だからこそ。」
天城は優しく微笑む。
「あなたの心は、とても美しい。」
リノは目を伏せる。
「……そんなこと。」
「ありません。」
「私は弱いだけです。」
「みんなに迷惑ばっかりかけて。」
「ミミルも失って。」
「何も……。」
「何も残ってない。」
天城は静かに首を横へ振った。
「残っています。」
「あなたの想いです。」
「その想いは、今も消えていません。」
リノは胸へ手を当てる。
そこには、もう契約の温もりはない。
けれど。
痛いほど鼓動だけは伝わってきた。
天城はゆっくり手を差し出す。
「リノさん。」
「もう、自分を責めなくてもいいのです。」
「苦しまなくても。」
「泣かなくても。」
「あなたは、もう十分頑張りました。」
リノは差し出された手を見る。
その手は温かそうだった。
怖くない。
優しい。
だからこそ。
心が揺れる。
鏡のリノが静かに現れる。
『もう頑張らなくていいよ。』
『誰も責めない。』
『ここなら、苦しくない。』
『もう学校へ行かなくてもいい。』
『車椅子で苦しまなくてもいい。』
『泣かなくてもいい。』
『ミミルも苦しまなくて済む。』
リノの瞳から涙がこぼれる。
「私……。」
「もう……。」
「疲れちゃった……。」
その言葉を聞いた天城は、優しく頷いた。
「ええ。」
「だからこそ。」
「休んでもいいのです。」
風が優しく吹く。
花びらが二人の間を舞う。
広場全体が静まり返っていた。
天城はもう一度手を差し出した。
「ここには、あなたを否定する者はいません。」
「焦る必要もありません。」
「誰かと比べる必要もありません。」
「あなたは、あなたのままでいい。」
リノはゆっくりと手を伸ばす。
震えている。
怖い。
でも。
その優しさに、心が救われそうだった。
「……。」
「私……。」
天城は穏やかな笑みを浮かべたまま言う。
「選ぶのは、あなたです。」
「私は、その選択を尊重します。」
リノは小さく頷いた。
そして。
「じゃあ……。」
震える声で呟く。
「お願いしま──」
⸻
「待ってーーーーーーー!!!!」
庭園中に響き渡る、大きな叫び声。
リノの身体がびくりと震える。
天城も静かに振り返った。
夜空を切り裂くように、一筋の赤い光が走る。
次の瞬間。
星の門が勢いよく開いた。
「リノちゃーーーーん!!」
聞き慣れた声。
忘れるはずのない声。
リノは目を見開く。
「……ひまり?」
門の向こうから、全力で駆け出してくるひまり。
肩にはピリカ。
その後ろには、ルルとノアの姿もあった。
息を切らしながら、それでもひまりは止まらない。
ただ真っすぐ、リノだけを見つめて走ってくる。
天城はその様子を静かに見つめ、小さく目を閉じた。
そして、穏やかな声で告げる。
「……皆さん。」
「お願いします。」
その一言が合図となるように、庭園の奥からゆっくりと複数の足音が響き始めた。
木々の影から現れる、新たな人影――。




