第34話 後編 優しい嘘♡♡♡
夕暮れ。
ひまりと別れ、リノは家へ帰ってきた。
「ただいま」
玄関を開けると、台所から母の声が聞こえる。
「おかえり。今日は早かったね」
「先生に少し相談があって」
「そうだったの。体調は大丈夫?」
一瞬だけ言葉に詰まる。
大丈夫じゃない。
でも。
「うん、大丈夫」
自然に笑ってしまった。
「無理しないでね」
「ありがとう」
そのまま二階へ上がる。
部屋のドアを閉める音が、やけに大きく響いた。
笑顔が消える。
「……」
ベッドへ座り、制服のまま俯いた。
静かだ。
静かすぎる。
学校では誰かの声が聞こえていた。
家では母がいる。
それなのに、一人になると胸が苦しくなる。
机の上には、ミミルがいつも座っていた場所。
「帰ってきてよ……」
返事はない。
◇
机の上に置いたスマートフォンが光った。
通知。
思わず画面を見る。
すぐに伏せる。
「見ない」
そう決めた。
もう今日は見ない。
ベッドへ横になる。
一分。
二分。
三分。
頭の中に、動画のコメントが浮かぶ。
『迷惑』
『怖い』
『また騒ぐのかな』
耳を塞ぐ。
それでも消えない。
「……少しだけ」
確認するだけ。
何も増えていなければ安心できる。
リノはスマートフォンを手に取った。
SNSを開く。
その瞬間だった。
画面いっぱいに、自分の姿が映る。
【急上昇】
【50万再生】
【車椅子の悪い子】
【電車で叫んだ女子高生】
「っ……!」
思わず息をのむ。
自分の叫ぶ姿。
電車の中。
あの日の映像。
画面を閉じようとする。
しかし、おすすめ欄を下へスクロールしても。
【車椅子の悪い子 まとめ】
【検証してみた】
【学校はどこ?】
【続報】
どこまでも、自分だった。
「違う……」
震える指で動画を開く。
再生回数。
五十万。
コメントは数万件。
『まだおすすめ流れてきた』
『毎日見るんだけど』
『迷惑系?』
『車椅子だから許されると思ってそう』
『かわいそうだけど怖い』
『学校特定まだ?』
『先生も大変そう』
リノの視界が滲む。
「違う」
コメントを閉じる。
でも、次のおすすめも同じだった。
「もうやだ……」
スマートフォンを伏せる。
画面は見えなくなった。
それでも。
頭の中では、コメントだけが流れ続けていた。
◇
一方、その頃。
ルルたちはノアの家へ集まっていた。
「投稿時間は?」
「午後七時四十二分」
セナがノートパソコンを操作する。
「最初の投稿から三十分以内に十件以上転載されています。」
「そんなに早く?」
ミカが驚く。
「最初から拡散する前提で動いています。」
ノアが腕を組む。
「つまり偶然じゃない。」
「はい。」
セナは画面を切り替える。
「動画も複数回編集されています。」
「編集?」
いろはが覗き込む。
「音声の切り貼り。
映像のカット。
時間の短縮。
非常に丁寧です。」
「誰がこんなこと」
「まだ分かりません。」
セナは首を振る。
「ですが、一つだけ断言できます。」
全員がセナを見る。
「これは衝動ではありません。」
「最初からリノさんを悪く見せる目的で作られています。」
静かな部屋。
誰も口を開かなかった。
ルルだけが、小さく呟く。
「許さない。」
◇
翌日。
学校。
「レイナ先輩!」
一年生の女子生徒が駆け寄る。
「昨日ありがとうございました!」
「どうしたの?」
「先生に相談してくれたおかげで解決しました!」
「よかった。」
レイナは柔らかく笑う。
「また困ったら来てね。」
「はい!」
女子生徒は嬉しそうに走っていく。
「さすがレイナさん。」
先生も笑う。
「本当に助かっています。」
「そんな、大したことじゃありません。」
深く頭を下げる。
誰が見ても、優しくて真面目な生徒だった。
◇
放課後。
人気のない旧校舎裏。
風だけが吹いている。
「おつかれ〜。」
屋上から飛び降りるように、メルが現れた。
黒いキャンディを口の中で転がしている。
「見た?」
「うん。」
レイナはスマートフォンを見る。
「五十万回。」
「すごいじゃん!」
「まだだよ。」
メルは首をかしげる。
「十分じゃない?」
「まだ笑える。」
「え?」
「リノちゃん。」
レイナは画面を見つめたまま言う。
「まだ我慢してる。」
「もう泣いてるじゃん。」
「泣けるなら、まだ大丈夫。」
メルは少しだけ真顔になった。
「先生のところ来そう?」
レイナは静かに首を横へ振る。
「まだ。」
「どうして?」
「リノちゃんはね。」
少し悲しそうに微笑む。
「自分より周りを優先しちゃう子だから。」
「へぇ。」
「だから。」
レイナは空を見上げる。
「もっと『自分がいない方がいい』って思わないと。」
メルは小さく笑う。
「やっぱレイナちゃんって怖い。」
「違うよ。」
レイナは本当に悲しそうな顔をした。
「私は助けたいだけ。」
「助ける?」
「うん。」
「苦しいまま生きる方が、かわいそうだから。」
その目に嘘はなかった。
メルも、それ以上は何も言えない。
◇
夜。
リノの部屋。
部屋の灯りだけが静かに揺れている。
眠れない。
ベッドから起き上がる。
ふと鏡を見る。
黒いリボン。
もう一人の自分が立っていた。
『見ちゃったね。』
「……。」
『五十万回。』
「やめて。」
『みんな見てるよ。』
「違う。」
『学校も。』
『先生も。』
『知らない人も。』
『みんな、あなたを知ってる。』
「違う!」
鏡へ近づく。
布をかける。
姿は見えなくなった。
でも。
『あなたが乗らなければ。』
『動画はなかった。』
『あなたが叫ばなければ。』
『誰も困らなかった。』
「違う……」
『本当に?』
リノは耳を塞ぐ。
『ミカも。』
『セナも。』
『ルルも。』
『先生も。』
『みんな、あなたのために時間を使ってる。』
「違う……!」
『迷惑だね。』
「違う!」
『悪い子。』
その一言で。
リノの肩が震えた。
「私は……」
言葉が続かない。
涙だけが落ちていく。
スマートフォンが光る。
画面にはまた、おすすめ通知。
【急上昇】
【車椅子の悪い子 65万再生】
リノは画面を裏返した。
黒くなった画面に映るのは、自分の顔。
そして。
その後ろで微笑む、鏡のリノだった。
その笑顔だけが、どこまでも静かで優しかった。




