第33話 終点のないノイズ
電車が止まった。
いや。
止まったように感じただけだった。
窓の外では、灰色の景色だけがゆっくりと流れている。
線路だけが、どこまでも続いていた。
「なんなの……これ」
ミカが窓へ近づく。
ガラスを叩く。
何も起こらない。
乗客たちもざわめき始めた。
「故障?」
「こんな場所あった?」
「駅は?」
誰も答えられない。
車内アナウンスだけが静かに響く。
『ご乗車ありがとうございます。』
ザーッ……
『本日は終点のない旅をお楽しみください。』
「……!」
リノの背筋が震えた。
普通の人には、ただのノイズ混じりの放送にしか聞こえない。
でもリノには違った。
誰かが笑いながら話しているように聞こえる。
『みんな一緒だから、寂しくないよ。』
黒い声だった。
◇
「通信できません。」
セナがスマートフォンを見つめる。
「圏外です。」
「私も。」
ミカも画面を見せる。
いろはも首を振った。
「電話もダメ。」
車掌室へ向かおうとする乗客がいた。
しかし。
「開かない!」
運転席へ続く扉は、びくともしない。
「押して!」
「開けて!」
何人かで力を合わせても動かない。
その瞬間。
天井から。
ぽたり。
黒い雫が落ちた。
床へ落ちる。
じわり。
黒いリボンへ変わる。
「!」
一本だった。
しかし。
ぽたり。
ぽたり。
次々と落ちてくる。
窓枠から。
照明から。
つり革から。
黒いリボンが生まれていく。
「逃げて!」
セナが叫ぶ。
乗客たちが後ろへ下がる。
しかし黒いリボンは床を這い始めた。
まるで蛇のように。
足元へ絡みつく。
「きゃあ!」
「離して!」
「動けない!」
リボンは一人、また一人と足を縛っていく。
車椅子の前輪にも伸びてきた。
「リノちゃん!」
ミカが前へ出る。
黒いリボンを蹴る。
しかし。
すり抜けた。
「え?」
影を蹴ったようだった。
その間に。
ぐるり。
車輪へ巻き付く。
前輪。
後輪。
ブレーキ。
全部。
「動いて……!」
リノは車輪を押す。
びくともしない。
まるで床へ縫い付けられたようだった。
◇
車内アナウンスが笑う。
『ご迷惑をおかけしております。』
『お急ぎのお客様は……』
ザーッ……
『どうぞ、降りてください。』
その瞬間。
ドアが開いた。
しかし。
ホームではない。
灰色の線路だけ。
下には何もない。
どこまでも続く闇。
一歩出れば落ちる。
「閉めて!」
乗客が叫ぶ。
しかしドアは閉まらない。
冷たい風だけが吹き込んでくる。
◇
その頃。
現実世界。
「反応が消えた!」
ルルが立ち止まる。
目の前を走っていた電車が。
突然、消えた。
「そんな……。」
ノアが空を見上げる。
「空間ごと飲み込まれた。」
ひまりも駆けつける。
「え!?」
「電車がない!」
ピリカの耳がぴんと立つ。
「星の匂いがする!」
「でも中に閉じ込められてる!」
ルルは拳を握る。
「ノイズ空間。」
「しかも今までで一番大きい。」
ノアが静かに言う。
「助けに行く。」
「もちろん。」
ルルは胸元のリボンを握った。
「マジカル・スター・ドレスアップ!」
金色の光が弾ける。
ノアも続く。
「ブラック・リボン・ドレスアップ。」
黒いリボンが夜空へ舞う。
ひまりも元気よく叫ぶ。
「レッド・リボン・ドレスアップ!」
赤い光が体を包む。
胸元の大きな赤いリボン。
白いフリルが揺れる。
「立っていたからの魔法少女…………ひまり!」
三人の魔法少女が、灰色の空間へ飛び込んだ。
◇
電車の中。
リノは何もできなかった。
魔法は使えない。
車椅子も動かない。
黒いリボンは少しずつ車内を飲み込んでいく。
「ごめん……。」
小さく呟く。
「また……。」
乗客が苦しんでいる。
ミカも。
セナも。
いろはも。
全部。
自分が乗っていたから。
そんな考えが頭をよぎる。
「違う!」
ミカがすぐ否定する。
「リノちゃんのせいじゃない!」
「でも。」
「違うって!」
ミカはリノの肩を掴んだ。
「ノイズが悪いの!」
その言葉を聞いても。
リノの心は晴れなかった。
車内アナウンスが囁く。
『あなたが来なければ。』
『みんな助かったのに。』
「違う……。」
耳を塞ぐ。
でも聞こえる。
『あなたが乗ったから。』
『止まった。』
『迷惑。』
『邪魔。』
リノの目から涙がこぼれた。
◇
その時だった。
ガシャァァン!!
天井を突き破るように。
星の光が降り注いだ。
「間に合った!」
ルルだった。
続いて。
黒いリボンを切り裂きながらノアが着地する。
「全員下がれ!」
最後に。
赤い光が車内へ飛び込む。
「みんな無事!?」
ひまりだった。
リノは思わず顔を上げる。
「ルル先輩!」
「ノア!」
「ひまりちゃん!」
三人は車内を見渡す。
黒いリボン。
拘束された乗客。
動けないリノ。
ルルは静かに呟いた。
「今までのノイズじゃない。」
その瞬間。
電車全体が。
ゆっくりと笑った。
ギィィ……
車体そのものが軋む。
窓ガラスが目のように細く歪む。
ドアが口のように開く。
つり革が腕のように揺れ始める。
車内アナウンスが笑う。
『ようこそ。』
『終点のない電車へ。』
巨大なノイズが。
ついに、その本当の姿を現した。
巨大な電車が、笑った。
車体そのものが脈打つ。
窓ガラスはぎょろりと動き、何十もの目のように車内を見つめている。
つり革は腕のように揺れ、床を這う黒いリボンは獲物を探す蛇のようだった。
『終点のない旅へ、ようこそ。』
機械音に混じった少女の笑い声が響く。
ルルが一歩前へ出る。
「みんなを守るわ!」
星の光が弓へ変わる。
「スター・アロー!」
放たれた光が車体へ突き刺さる。
しかし。
バンッ!
窓ガラスが弾くように光を跳ね返した。
「なっ……!」
跳ね返った光が天井へ当たり、車内を大きく揺らす。
「普通のノイズじゃない!」
ノアが黒いリボンを展開する。
「ブラック・リボン・スラッシュ!」
黒い斬撃がドアを切り裂く。
だが切れたはずの鉄板は黒いリボンへ変わり、すぐ元へ戻ってしまう。
「再生してる……!」
ひまりも飛び出した。
「レッド・リボン・ライン!」
赤いリボンが乗客たちの前へ壁を作る。
飛び散る黒いリボンを防ぎながら叫ぶ。
「みんな!しゃがんで!」
子どもを抱いた母親が震えている。
ひまりは笑顔を作った。
「大丈夫だから!」
「絶対助けるから!」
その声だけで、小さな子どもは泣き止んだ。
◇
一方。
リノは車椅子のまま動けない。
車輪には黒いリボンが何重にも巻き付いていた。
引っ張っても。
押しても。
びくともしない。
「悔しい……」
拳を握る。
何もできない。
戦えない。
ミミルもいない。
魔法もない。
車内アナウンスが囁く。
『役立たず。』
『見てるだけ。』
『また守られてる。』
リノは耳を塞いだ。
「違う……!」
『何が違うの?』
鏡のようになった窓へ目を向ける。
そこには立っているもう一人のリノ。
黒いリボンを胸に結び、静かに笑っている。
「もう終わりだよ。」
「みんなを助けるなんて無理。」
「だから、先生のところへ行こう?」
リノは首を振る。
「行かない……!」
「まだ……!」
「まだ諦めたくない!」
その叫びを聞き、ミカが振り返る。
「リノちゃん!」
◇
突然、電車が大きく傾いた。
「きゃあ!」
乗客が転ぶ。
荷物が棚から落ちる。
ひまりは咄嗟に飛び込んだ。
「危ない!」
落ちてきたスーツケースを受け止める。
「重っ……!」
赤いリボンが衝撃を和らげる。
その隙を狙って黒いリボンが伸びる。
ひまりの足へ。
「しまっ――」
ギンッ!!
黒い刃が飛ぶ。
ノアだった。
「前だけ見ろ。」
「ありがとう!」
ひまりは笑う。
「助かった!」
「礼は後。」
ノアはすぐ次の攻撃へ向かった。
◇
ルルは電車全体を見渡していた。
「おかしい。」
「どこを壊しても止まらない。」
セナも頷く。
「普通のノイズなら、核があるはずです。」
「でも見つからない。」
その時。
リノがあることに気づく。
運転席。
さっきから。
黒いリボンは全部、運転席へ集まっている。
「……あ。」
誰も見ていない。
でも。
リボンだけが、そこへ流れていく。
「ルル先輩!」
リノが叫ぶ。
「運転席!」
「え?」
「全部あそこに集まってる!」
ルルが見る。
「何もないわ!」
「違う!」
リノは必死だった。
「見えないだけ!」
「お願い!」
「信じて!!」
一瞬だけ沈黙が流れる。
ルルはリノを見る。
震えている。
泣いている。
それでも叫んでいる。
ルルは静かに頷いた。
「分かった。」
「リノを信じる。」
弓を構える。
「スター・ブレイク!」
最大出力の一撃。
黄金の光が運転席へ突き刺さる。
その瞬間。
ガアアアアアッ!!
今まで聞いたことのない悲鳴が響いた。
運転席の奥。
誰もいなかったはずの場所から。
黒い球体が姿を現す。
「核!」
ノアが飛ぶ。
「ブラック・リボン・スラッシュ!」
黒い刃が球体を裂く。
ひまりも続く。
「レッド・リボン・バースト!」
赤い光が爆発した。
核へ直撃する。
黒い球体にヒビが入る。
『イヤダ。』
『止マリタクナイ。』
『皆、一緒ニ。』
最後の悲鳴。
そして。
パリン。
黒い球体が砕け散った。
◇
世界が白く染まる。
灰色の線路。
黒い空。
全部が崩れていく。
気づけば。
電車は普通の線路を走っていた。
車内アナウンスが流れる。
『次は〇〇駅です。』
乗客たちは辺りを見回す。
「……寝てた?」
「変な夢見た。」
「急に気分悪くなったな。」
誰もノイズを覚えていない。
魔法少女たちだけが、静かに息を吐いた。
「終わった……。」
ひまりが座り込む。
「疲れたぁ……。」
「お疲れ。」
ノアが手を差し伸べる。
ひまりは笑ってその手を掴んだ。
◇
ミカがリノの車椅子へ駆け寄る。
「大丈夫?」
「うん。」
リノは頷いた。
でも笑えない。
最後。
ルルは自分を信じてくれた。
でも。
「私……。」
何もできなかった。
「違う。」
ルルが言う。
「あの核を見つけたのはリノよ。」
「でも戦ったのはみんな。」
「それでも。」
ルルは微笑む。
「リノがいなかったら勝てなかった。」
リノは首を振る。
「偶然かもしれない。」
「偶然でもいい。」
「助かった。」
その言葉だけが胸へ残った。
◇
少し離れた車両。
レイナは静かにスマートフォンをしまう。
画面には動画が映っていた。
叫ぶリノ。
乗客の混乱。
車椅子。
窓ガラスが割れる音。
魔法少女は映っていない。
普通の人には。
ただ車内で一人の少女が騒いでいるようにしか見えない。
レイナは動画を再生する。
何度も。
何度も。
そして微笑んだ。
「十分。」
優しい笑顔。
そのまま。
小さく呟く。
「少し編集したら。」
「みんな信じるよねぇー?」
送信ボタンの上へ指を置く。
でも押さない。
「まだ。」
「もっと絶望してから。」
画面を閉じる。
電車の窓へ映るレイナの笑顔は。
黒いキャンディのように。
どこまでも甘く、冷たかった。
その頃。
リノは気づいていなかった。
この動画が。
自分の日常を壊し始める最初の一歩になることを。




