第27話 小春の声・後編
赤いリボンが、強く光った。
世界が、ほどけた。
夕焼けの水面が、赤い光になって散っていく。
ひまりは、校舎裏に立っていた。
足元には、水たまり。
夕焼けを映した赤い地面。
そして、さっきまで小春ちゃんがいた場所には、ほどけた赤い光だけが残っていた。
「小春ちゃん……?」
呼んでも、返事はなかった。
ただ、ひまりの胸元で赤いリボンが揺れている。
小春ちゃんが結んでくれたリボン。
いらないと言ったのに。
持っていてと言ったのに。
それでも、ひまりのところに残ってしまったもの。
ピリカが、ひまりの肩に落ちるように乗った。
「ひまり……」
その声は、泣いていた。
ひまりは、ピリカを見られなかった。
見ると、全部本当になってしまう気がした。
小春ちゃんがいないことも。
小春ちゃんのリボンが、ひまりに結ばれていることも。
その時、黒い影が笑った。
「赤いリボン、そっちに移ったんだ」
校舎裏の地面に、裂けた口のような影が広がっている。
小春ちゃんが押さえ込んでいたはずの敵。
小春ちゃんが倒しきれなかったもの。
その口元には、ちぎれた赤いリボンの欠片が揺れていた。
「じゃあ、次はきみを食べればいいね」
ひまりの足が震えた。
怖い。
逃げたい。
泣きたい。
胸元の赤いリボンが、熱い。
熱すぎて、息が詰まりそうだった。
『ひまりちゃん』
声がした。
小春ちゃんの声。
遠くて、近い。
頭の中ではなく、胸の奥から聞こえるような声。
『ちゃんと見て』
ひまりは、涙でぼやける目をこすった。
「……見る」
声が震えた。
「ちゃんと、見る」
黒い影が、ゆっくりと近づいてくる。
ピリカがひまりの肩から飛び降りた。
「ひまり、できる?」
「分かんない」
ひまりは正直に言った。
「でも、やらないと、小春ちゃんのリボンまで食べられちゃう」
ピリカは涙をこぼしながら、それでも頷いた。
「うん」
ひまりは胸元のリボンを握る。
小春ちゃんの手のぬくもりが、まだそこに残っている気がした。
強すぎず。
弱すぎず。
小春ちゃんが折り紙のリボンを教えてくれた時みたいに。
ひまりは息を吸った。
「レッド・リボン・ドレスアップ!」
声は震えていた。
けれど、その言葉に応えるように、手首の赤いリボンがするりとほどけた。
ほどけたはずなのに、消えなかった。
赤いリボンは、ひまりの指先をくるりと回り、腕へ、肩へ、胸元へと走っていく。
それは強く縛るものではなく、ひまりを包むように結び直されていった。
制服の上に、白い光が重なる。
短いジャケットのような上着が形を作り、胸元には大きな赤いリボンが咲いた。
その中心には、小さな赤い星の光。
小春ちゃんが最後に結んでくれたリボンのぬくもりが、そこに残っている気がした。
赤いスカートが、夕焼けの風を受けるようにふわりと広がる。
裾には細い白い線が走り、まるで「ここから先はだめ」と告げる境界線のように光った。
足元には赤いショートブーツ。
一歩踏みしめると、地面に赤い光の線がすっと伸びる。
背中で、大きな赤いリボンが開いた。
羽ではない。
飾りでもない。
誰かを守るために、誰かと痛みの間に引く線。
ひまりは涙を拭わなかった。
頬に涙を残したまま、胸元の赤いリボンを握る。
赤い魔法少女は、泣いていた。
でも、立っていた。
「魔法少女……ひまり!」
赤いリボンが、夕焼けの中で強く光った。
黒い影が笑う。
「できたばっかりの赤」
裂けた口が、ひまりへ向かって開く。
「やわらかそう」
ひまりは、胸元のリボンを握った。
小春ちゃんのリボン。
でも、今は自分の胸にあるリボン。
どう使えばいいのか分からない。
燃やせばいいのか。
縛ればいいのか。
逃げればいいのか。
赤いリボンが、ひまりの手から地面へ伸びる。
「レッド・リボン・ライン!」
赤い線が、ひまりと黒い影の間に走った。
でも、その線は小春ちゃんのようにまっすぐではなかった。
震えている。
途切れそうになっている。
黒い影がその線に触れると、赤い光がじゅっと揺らいだ。
「ひまり、息して!」
ピリカが叫ぶ。
「赤は怒りだけじゃないよ!」
「怒ってる!」
ひまりは泣きながら叫んだ。
「怖い! 小春ちゃんいない! でも……でも!」
喉が痛い。
涙が止まらない。
それでも、ひまりは線を消さなかった。
「小春ちゃんみたいに、痛いって言えない子を見つけたい!」
その瞬間、赤い線が強く光った。
震えていた線が、少しだけまっすぐになる。
黒い影が後ろへ下がった。
「熱い」
影の口が歪む。
「赤い願い、熱い」
ひまりは、敵の口元に揺れる赤い欠片を見た。
小春ちゃんのリボン。
食べられた欠片。
「それ、小春ちゃんのだよ」
ひまりの声が低くなる。
「返して」
「食べたものは、返さないよ」
黒い影が笑った。
「願いも、痛みも、記憶も、ぜんぶ甘い」
ひまりの赤いリボンが燃え上がる。
飛び出そうとした瞬間、ピリカが叫んだ。
「ひまり、燃やしすぎないで!」
「だって!」
「小春が言ったでしょ!」
ピリカの声が震える。
「線を、間違えないで!」
ひまりは、はっとした。
線。
どこに引けばいいのか。
誰を止めればいいのか。
何を守ればいいのか。
「分かんないよ……」
ひまりは泣きながら呟いた。
「線って、どこに引けばいいの?」
胸の奥で、小春ちゃんの声がした。
『痛いところと、痛くしてくるものの間』
ひまりは顔を上げた。
黒い影全体を見る。
裂けた口。
伸びる黒い腕。
そして、その奥に絡まった赤いリボンの欠片。
全部を燃やしたら、小春ちゃんの欠片まで消えてしまう。
だから。
「燃やすんじゃない」
ひまりは赤いリボンを両手で握った。
「取り返す」
背中のリボンがほどけ、赤い光の帯になって広がった。
それは炎のようで、でも、ただ燃やすだけのものではなかった。
「レッド・リボン・ブレイズ!」
赤い光が走る。
黒い影を焼き払うのではなく、影と赤い欠片の間に入り込む。
黒いものだけをほどくように。
小春ちゃんのリボンを、傷つけないように。
影が悲鳴を上げた。
「痛い」
「痛い痛い痛い!」
ひまりは歯を食いしばった。
「痛いなら、やめて」
赤いリボンが、黒い口を縛る。
「痛いって分かるなら、食べないで!」
影が暴れる。
地面が揺れる。
ピリカが、ひまりの横に飛んだ。
「ひまり、あと少し!」
「うん!」
ひまりは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、赤いリボンを引いた。
強すぎず。
弱すぎず。
小春ちゃんが、折り紙のリボンを教えてくれた時みたいに。
「もう誰のリボンも」
ひまりは叫ぶ。
「食べさせない!」
赤い光が、黒い影を包んだ。
影の口が閉じる。
ちぎれた赤い欠片が、黒い中からするりと抜け出す。
黒い影は、砂糖菓子が崩れるみたいに、ぼろぼろと黒い粒になって消えていった。
最後に、小さな黒いキャンディの欠片だけが、地面に落ちた。
ひまりは、赤いリボンの欠片を両手で受け止めた。
それは小さくて、軽くて。
でも、触れた瞬間、胸が痛くなるくらいあたたかかった。
『ひまりちゃん』
小春ちゃんの声がした。
『ありがとう』
ひまりは首を振った。
「ありがとうじゃないよ」
涙が、リボンの欠片に落ちる。
「帰ろうって言ったじゃん」
少しだけ、風が吹いた。
『うん』
小春ちゃんの声は、やさしかった。
『いつかね』
ひまりは、欠片を握りしめた。
「いつかって、いつだよぉ……」
ピリカが、ひまりの腕にしがみつく。
二人はしばらく、校舎裏で泣いていた。
夕焼けの赤が、少しずつ夜に変わっていく。
その日。
ひまりは、赤い魔法少女になった。
小春ちゃんのリボンを受け取って。
小春ちゃんが倒せなかった敵を倒して。
そして、小春ちゃんの声を胸に残したまま。
世界が、現在へ戻る。
リノは、息を吸うことを忘れていた。
見てしまった。
ひまりの過去を。
小春という子を。
小春の足元から、赤色が広がっていったことを。
赤いリボンが、ひまりへ託されたことを。
そして、ひまりが泣きながら初めて戦ったことを。
「ひまり……」
ミカが小さく呼ぶ。
ひまりはその場に立っていた。
顔は青い。
けれど、もう無理に明るく笑ってはいなかった。
「……見えちゃったんだ」
声は、小さかった。
ピリカが、ひまりの肩で震えている。
「ごめん、ひまり」
「ピリカは悪くないよ」
ひまりは小さく言った。
「悪いのは、見せたやつ」
その声に、黒い甘さが混じった笑い声が重なった。
「えへへ」
校舎裏の影が、黒くにじむ。
メルが、黒い短冊をひらひらさせながら現れた。
「赤リボンちゃん、初めてにしては上手だったよね」
ひまりの赤いリボンが震える。
「小春ちゃんが倒せなかった子、ちゃんと倒したんだもん」
ひまりは、メルを見た。
「なんで」
声が震えた。
「なんで、メルがそれを知ってるの?」
メルは、にこっと笑った。
「先生が教えてくれたから」
リノは一歩前に出る。
「先生……キャンディの先生?」
「うん」
メルは黒いキャンディをひとつ取り出した。
それは、いつもより少し赤く光っていた。
「先生はね、食べたリボンの味を覚えてるの」
ピリカの体が強張った。
「やめて」
「赤いリボンは、熱くて、ぴりぴりして、ちょっと泣きそうな味がするんだって」
ひまりの指が、赤いリボンを握りしめる。
「食べた……?」
メルはキャンディを光に透かした。
「小春ちゃんの赤、少しだけ先生の中に残ってるんだよ」
ミミルの顔色が変わった。
「黒いキャンディは……食べたリボンの記憶を混ぜているのか」
メルは嬉しそうに笑う。
「さすがうさぎちゃん。分かるんだ」
リノはミミルを見る。
「ミミル」
ミミルは、目を伏せた。
その沈黙だけで、リノは分かってしまった。
「知ってたの?」
ミミルは、すぐには答えなかった。
やがて、小さく頷いた。
「……知ってた」
空気が冷える。
メルは楽しそうに、黒いキャンディを指先で転がしている。
ミミルは震える声で言った。
「魔法少女のリボンは、強い願いそのものなんだ」
リノは息を止める。
「それを食べる敵がいる」
ピリカがひまりの肩で、ぎゅっと目を閉じた。
「リボンを断ち切れば、その子の力を奪える。願いの力も、色も、記憶の欠片も」
ミミルの声は、かすれていた。
「小春の赤いリボンは、全部奪われたわけじゃない。中心は、ひまりに託された」
ひまりの胸元の赤いリボンが、静かに揺れる。
「でも、断ち切られた時に散った欠片を、あいつらは拾った」
メルがにこにこと頷く。
「そうそう。だからメルも知ってるの」
メルの目が、ひまりを見る。
「小春ちゃんが最後に、ひまりちゃんを呼んだことも」
ひまりの赤いリボンが、炎のように揺れた。
ピリカが叫ぶ。
「メル、それ以上言わないで!」
「えー」
「小春の記憶を、おもちゃにしないで!」
ピリカの声は、泣いていた。
リノはミミルへ視線を戻す。
「なんで、言わなかったの?」
ミミルは何も言えない。
「魔法少女を食べる敵がいるって、なんで言わなかったの?」
「怖がらせたくなかった」
ミミルは、絞り出すように言った。
「君たちを、怖がらせたくなかった」
リノの声は静かだった。
でも、自分でも分かるくらい、怒っていた。
「知らないまま狙われる方が、ずっと怖いよ」
ミミルの耳が、ぺたりと下がる。
「ごめん」
「守るためって言って、また隠したの?」
「……うん」
ミミルの声が震えた。
「ぼくはまた、守るためって言いながら隠した」
ピリカがミミルを見た。
いつものような軽い声ではなかった。
「ミミル、これは隠しちゃだめな話だよ」
ピリカはひまりのリボンを見つめる。
「ひまりは、ずっとそれを背負ってる」
ミミルは何も返せなかった。
メルは、黒い短冊をくるくる回す。
「でもね、隠しても無駄だよ」
甘い声が、校舎裏に落ちる。
「今はうさぎちゃんたちが、魔法少女のリボンの気配を隠してるんでしょ?」
ミミルが顔を上げる。
メルは笑う。
「契約線を隠して、リボンの色をぼかして、星の裏側に居場所が漏れないようにしてる」
ミミルの表情が強張った。
「それも知ってるのか」
「先生が知ってるもん」
メルは楽しそうに言う。
「でも、完全じゃないよね。黒いキャンディに触れたり、強い願いが暴れたり、誰かがとってもおいしそうな色になったりしたら」
メルの目が、リノの胸元の灰色の糸を見る。
「漏れちゃうかも」
リノの背筋が冷たくなった。
ミミルが、リノたちの前に立つ。
「今は、君たち魔法少女を食べようとする敵から、星兎族が気配を抑えている」
ミミルは言った。
「でも、どこから情報が漏れるか分からない」
その目は、リノを見ていた。
ミカを。
セナを。
いろはを。
ルルを。
ノアを。
ひまりを。
「気をつけて」
その言葉は、とても遅すぎる警告に聞こえた。
その時、校舎裏の空気が大きく歪んだ。
さっきからかわれていた女の子の周りに、笑顔の紙仮面が浮かび上がる。
白い仮面。
にっこり笑った口。
でも、目の穴は真っ黒だった。
仮面のついたリボンが、校舎の壁から何本も伸びる。
「笑ってたよ」
「嫌なら言えばよかったのに」
「冗談だったのに」
「空気読もうよ」
「怒る方が悪いよ」
スマイル・ノイズ。
笑顔の下に押し込められた声が、黒い仮面になって現れていた。
ひまりの赤いリボンが、強く燃えるように揺れる。
「……また」
ひまりの声が震えた。
「また、笑ってるからって」
メルが甘く笑う。
「赤リボンちゃん」
ひまりの耳元で、黒い声が囁く。
「小春ちゃんの赤で、また怒るの?」
ひまりの体が固まる。
「それ、自分の怒り?」
メルの声が、さらに甘くなる。
「それとも、小春ちゃんの怒り?」
ひまりは、赤いリボンを握った。
「わたしの赤って……」
声が震えている。
「わたしのものなの?」
リノは、ひまりの横に立った。
胸元のリボンが揺れる。
黒い染み。
灰色の糸。
小さな赤い光。
「受け取ったものでも」
リノは言った。
「今、ひまりが誰かを守りたいって思っているなら、それはひまりの赤だよ」
ひまりがリノを見る。
目に涙が浮かんでいた。
ピリカも、ひまりの頬にそっと前足を当てる。
「小春は、ひまりに怒ってほしかっただけじゃないと思う」
ピリカの声は、震えていた。
「痛い子を、ひとりにしないでほしかったんだと思う」
ひまりは、唇を噛んだ。
「じゃあ」
赤いリボンが、涙のように揺れる。
「泣いてても守っていい?」
リノは頷いた。
「いいよ」
「怒ってなくても、赤でいていい?」
「いいよ」
リノはひまりの手を取った。
「ひまりの赤は、怒りだけじゃない」
ひまりは、こぼれそうな涙をぬぐわなかった。
赤いリボンを握ったまま、スマイル・ノイズを見た。
「小春ちゃん」
小さく呟く。
すると、ひまりの中で声がした。
『ひまりちゃん、ちゃんと見て』
ひまりは息を吸った。
「うん」
『笑ってる子の手を見て』
からかわれていた女の子は、笑顔の仮面の下で、手をぎゅっと握っていた。
ひまりは赤いリボンを伸ばす。
でも、燃やさない。
線を引く。
「レッド・リボン・ライン」
赤いリボンが、女の子と周りの声の間に、あたたかい境界線を作った。
「ここから先は、冗談じゃ済まないよ」
リノもステッキを掲げる。
「マジカル・リボン・アンミュート」
灰色のリボンが、笑顔の仮面にそっと触れる。
「笑ってるから平気、じゃない」
仮面の奥から、小さな声がこぼれた。
「やめてって言ったら、変な空気になると思った」
仮面が一枚、割れる。
「笑わないと、もっと言われると思った」
もう一枚。
「ほんとは、嫌だった」
最後の仮面が、震える。
ひまりは、涙をこぼしながら言った。
「痛かったなら、痛いって言っていいんだよ」
赤いリボンが、仮面の周りを包む。
燃やすためではなく。
守るために。
スマイル・ノイズは、光になってほどけていった。
校舎裏に、静けさが戻る。
メルはつまらなそうに頬をふくらませた。
「つまんないの」
でも、その目は少しだけ楽しそうだった。
「赤リボンちゃん、泣いてても強いんだ」
ひまりはメルを見た。
涙のあとが頬に残っている。
でも、声ははっきりしていた。
「メルが知ってるのは、小春ちゃんの欠片だけ」
メルの目が、少しだけ細くなる。
「わたしが聞いてる小春ちゃんの声は」
ひまりは赤いリボンを握った。
「わたしに託してくれた声だもん」
ピリカが、泣きながら笑った。
「ひまり……」
「だから」
ひまりは、少しだけ頬をふくらませる。
「小春ちゃんの声を、いじわるに使わないで」
その言い方は、子どもらしかった。
でも、とても強かった。
メルは黒いキャンディをくるりと回した。
「ふうん」
そして、にこっと笑う。
「じゃあ、今日はここまで」
「待って」
ノアの黒いリボンが伸びる。
けれど、メルは黒い星の影に沈む方が早かった。
「魔法少女のリボン、気をつけてね」
メルの声が、遠ざかる。
「先生は、おいしい色を見つけるのが上手だから」
黒い影が消えた。
甘い匂いだけが、夕方の空気に残った。
戦いが終わったあと。
からかわれていた女の子は、先生のところへ向かった。
ミカとセナが付き添い、ルルが周囲の気配を確認する。
いろはは、その子の落としたノートをそっと拾って渡した。
「ゆっくりでいいよ」
そう言ういろはの声は、やさしかった。
ひまりは、公園のベンチに座っていた。
赤いリボンは、まだ少し熱を持っている。
ピリカはひまりの膝の上で、小さく丸くなっていた。
リノは、ひまりの隣に座る。
少しの間、何も言わなかった。
ひまりも、何も言わなかった。
やがて、ひまりがぽつりと話し始めた。
「小春ちゃんはね」
声は小さかった。
「ひとつ上の幼なじみだったの」
リノは頷く。
「うん」
「家が近くて、よく一緒に帰ってた。折り紙のリボン作るのが上手で、わたしのぐちゃってなったリボンも、いつも直してくれた」
ひまりは少し笑った。
「笑うのが上手な子だった」
そして、目を伏せる。
「でも、ほんとは痛かったんだと思う」
ピリカが、ひまりの膝の上で小さく震えた。
「小春の担当だったの、わたし」
ピリカの声は、いつもよりずっと静かだった。
「小春を守れなかった。だから、ひまりまで失いたくなくて……すぐ止めちゃう」
ひまりはピリカをそっと抱きしめた。
「知ってるよ」
「ごめん」
「ピリカは、ひとりにしないでって言われたんでしょ」
ピリカは泣きそうな顔で頷いた。
「うん」
「なら、ちゃんと守ってくれてるよ」
ピリカは、何も言えなくなった。
ひまりは、リノを見る。
「小春ちゃんの声、今も聞こえるんだ」
リノは静かに聞く。
「怖い時に、こっちだよって言ってくれる」
ひまりは赤いリボンを握った。
「笑ってる子の手を見てって。怒ってる時ほど、線を間違えないでって」
「うん」
「聞こえると、安心する」
ひまりの目に、また涙が浮かぶ。
「でも、聞こえるたびに思い出すの」
声が震えた。
「小春ちゃんは、もう隣にいないんだって」
リノは、ひまりの手にそっと手を重ねた。
「会いたい?」
ひまりは、少しだけ迷ってから頷いた。
「うん」
そして、泣きそうに笑う。
「でも、会ったら何て言えばいいか分かんない」
「分からないままでも」
リノは言った。
「会いたいって思っていいんじゃないかな」
ひまりは目を閉じた。
夕方の風が、赤いリボンを揺らす。
「……うん」
その時、ひまりの中で、小春の声がした。
『ひまりちゃん、ちゃんと見て』
ひまりは小さく頷く。
『でも、今日は少し泣いてもいいよ』
ひまりの涙が、ぽろっと落ちた。
「うん」
声は震えていた。
けれど、そのあとに少しだけ笑った。
「泣いたら、あとでおやつ食べる」
リノも、少し笑った。
「うん。食べよう」
「星形クッキーがいい」
「探してみよう」
「えへへ」
ひまりは赤いリボンを握ったまま、空を見上げた。
星はまだ見えない。
でも、声はある。
小春の声。
ピリカの声。
リノの声。
そして、ひまり自身の声。
赤いリボンは、誰かから託された願いだった。
けれど今、その赤は、ひまりの胸で確かに結ばれている。
怒りだけじゃない。
涙だけでもない。
痛いって言えない子を、ひとりにしないための赤。
夕焼けの中で、赤いリボンが静かに揺れた。




