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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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第三話 鏡の中のわたし


 翌朝、リノは目覚ましが鳴る前に目を覚ました。


 眠った気がしなかった。

 体はベッドに沈んでいるのに、意識だけが夜の商店街に置き去りにされたままみたいだった。


 耳の奥で、まだ声がする。


「あなたも、見てほしいんでしょ?」


 リノは布団を頭までかぶった。


「……違う」


 小さく言ってみる。

 けれど、その声はあまりにも弱くて、自分でも信じられなかった。


 机の上には、白いリボンのブローチが置いてある。


 昨日の夜、黒い星が落ちた。

 ミミルが現れた。

 リノは魔法少女になった。

 そして、ミカの心から生まれたノイズを浄化した。


 全部、夢みたいだった。


 でも、夢ではない証拠がある。


 白いリボンの端に浮かんだ、小さな黒い点。


 リノはベッドから起き上がり、そっとブローチを手に取った。

 昨日より大きくなっている気がした。


「……気のせい、だよね」


 指先でこすってみる。

 けれど黒い点は消えなかった。

 汚れではなかった。

 まるでリボンそのものの内側から、黒がにじんでいるみたいだった。


「おはよう、リノ」


 枕元から声がして、リノはびくっと肩を跳ねさせた。


 ミミルが、ぬいぐるみのふりをやめて起き上がる。

 星形のしっぽをゆらゆら揺らしながら、リノの顔を覗き込んだ。


「眠れなかった?」


「……ちょっとだけ」


「昨日、初めて戦ったんだもん。無理ないよ」


 ミミルは優しく言った。

 けれどリノは、その優しさに少しだけ苛立ってしまった。


 無理ない。

 大丈夫。

 よく頑張った。


 そういう言葉は、まるで薄い絆創膏みたいだと思った。

 貼られた瞬間は安心するけれど、傷の奥までは届かない。


「ミミル」


「なに?」


「この黒い点、昨日より大きくなってない?」


 リノがブローチを見せると、ミミルの耳がぴくりと動いた。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、ミミルは顔をこわばらせた。


 でもすぐに、いつものかわいい顔で笑った。


「大丈夫。まだ小さいよ」


「まだ?」


 リノはその言葉を聞き逃さなかった。


「まだって、どういうこと?」


「あっ……えっと」


「これ、もっと大きくなるの?」


 ミミルは黙った。


 その沈黙が、答えだった。


 リノの指先が冷たくなる。


「昨日、ミミルは言ったよね。私、ちゃんとミカちゃんを助けたって」


「うん。助けたよ」


「なのに、どうして黒くなるの?」


「それは……」


 ミミルは視線を落とした。


「ノイズに触れたから」


「でも、触れないと助けられなかった」


「うん」


「じゃあ、助けるたびに黒くなるの?」


 リノの声が少し震えた。


 ミミルは答えなかった。

 何か隠していることがありそうだ


 その代わり、窓の外から朝の光が差し込む。

 いつもと同じ朝。

 だけどリノには、その光さえ少し嘘っぽく見えた。


「……学校、行かなきゃ」


 リノはブローチを机に戻し、制服に着替え始めた。


 ミミルが心配そうに見上げる。


「リノ、今日は休んでも」


「休まない」


 思ったより冷たい声が出た。


 リノ自身も驚いた。

 けれど、謝る気にはなれなかった。


「普通にしてないと、変に思われるから」


 ミミルは何か言いたそうに口を開いたけれど、結局何も言わなかった。


 通学路は、いつも通りだった。


 同じ時間にすれ違う犬の散歩のおじいさん。

 自転車で急ぐ高校生。

 焼きたてのパンの匂い。

 信号機の電子音。


 昨日、あの商店街で怪物が出たなんて、誰も知らないみたいだった。


 リノだけが、世界の裏側を見てしまった。


 学校に着くと、教室はいつもより少し騒がしかった。


「ねえ、昨日のニュース見た?」

「商店街で停電あったらしいよ」

「なんか黒い煙見たって人もいるんだって」

「やば、都市伝説じゃん」


 リノは席に座りながら、胸がぎゅっと縮むのを感じた。


 誰も本当のことを知らない。

 知らないから、好き勝手に言える。


 ふと、教室の入口にミカが立っているのが見えた。


 ミカはいつものように笑っていた。

 けれどその笑顔は、昨日までとは少し違っていた。


 薄いガラスみたいに、今にも割れそうだった。


「あ、ミカ! 昨日大丈夫だったの?」


 クラスメイトのひとりが声をかける。


「うん、平気平気。ちょっと貧血っぽくなっただけ」


 ミカは笑う。


 また笑っている。


 リノは思わず立ち上がりそうになった。


 違う。

 平気じゃないって、昨日言ってたじゃん。

 笑ってなくてもいいって、言ったじゃん。


 でも、その言葉は喉の奥で止まった。


 言えるわけがない。

 昨日のことをここで話したら、ミカが困る。

 リノが魔法少女だとばれるかもしれない。

 それに、ミカ本人が隠そうとしているのなら、リノが勝手に暴いていいはずがなかった。


 リノは椅子に座り直した。


 その瞬間、ミカと目が合った。


 ミカは一瞬だけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。

 昨日の夜みたいな、少し不器用で本物っぽい笑顔。


 リノも、ぎこちなく笑い返した。


 そのときだった。


 胸元が、ちくりと痛んだ。


「っ……」


 制服の下、リボンのブローチを入れたポケットが熱い。

 リノは慌てて手で押さえた。


 黒い点が疼いている。


 まるで、何かに反応しているみたいに。


 昼休み。


 リノはひとりで校舎裏に来ていた。


 本当はミカと話したかった。

 でも、何を言えばいいのか分からなかった。


「昨日のこと、覚えてる?」

「本当は平気じゃないんでしょ?」

「私はあなたの心の声を聞いたよ」


 どれも言ってはいけない気がした。


 だからリノは逃げた。


 校舎裏の水道で手を洗いながら、ポケットからブローチを出す。

 白いリボンの端に、小さな黒い点。

 朝より、やっぱり少し大きい気がする。


「……なんで」


 リノは水道の蛇口をきつく閉めた。


 ぽた、ぽた、と残った水滴が落ちる。


 その音に混じって、声がした。


「助けてあげたのにね」


 リノは振り返った。


 誰もいない。


「ミカちゃんは、また笑ってた」


 声は、水道の鏡みたいに光る金属部分から聞こえていた。


 リノは息を止めた。


 蛇口の銀色の表面に、小さく自分の顔が映っている。

 歪んだ顔。

 不安そうな目。

 そして、その後ろに。


 黒いリボンをつけた、もうひとりのリノがいた。


「っ!」


 リノは思わず後ずさった。


 けれど鏡の中のリノは、同じようには動かなかった。

 彼女はにっこりと笑っている。


 リノと同じ顔。

 同じ髪。

 同じ制服。


 違うのは、胸元のリボンが真っ黒なこと。

 それから、目が少しだけ冷たいこと。


「だれ……?」


 リノがかすれた声で聞くと、鏡のリノは首を傾げた。


「ひどいなあ。私だよ」


「私……?」


「うん。あなたが見ないふりしてる、あ な た」


 その言葉に、リノの背中がぞくりとした。


「昨日、ミカちゃんを助けたよね」


 鏡のリノは、楽しそうに続ける。


「怖かったのに。痛かったのに。ノイズの中に入って、心の声まで聞いてあげた」


「……それは」


「えらいよ。すごくえらい」


 褒められているはずなのに、胸の奥がざわついた。


「なのに、ミカちゃんはまた笑ってる。平気なふりをしてる。あなたがあんなに頑張ったこと、誰も知らない」


「別に、知ってほしかったわけじゃ」


「うそ」


 鏡のリノが即答した。


 その声は、刃物みたいに細かった。


「本当は、誰かに言ってほしかったんでしょ?」


 リノは唇を噛んだ。


「リノ、怖かったね」

「リノ、頑張ったね」

「リノ、あなたがいてくれてよかった」


 鏡のリノは、甘い声で言葉を並べていく。


「そう言ってほしかったんでしょ?」


「やめて」


「どうして? 本当のことなのに」


「違う!」


 リノの声が、校舎裏に響いた。


 慌てて周囲を見る。

 誰も来ていない。

 けれど心臓が嫌な音を立てていた。


 鏡のリノは、少しも驚かずに笑っている。


「ねえ、リノ。いい子って疲れない?」


 その言葉に、リノの指先が震えた。


「助けて。許して。分かってあげて。笑って。怒らないで。欲しがらないで。」


 鏡のリノは、蛇口の中でゆっくりと手を伸ばす。


「ずっとそうやって結んできたんだよね。その白いリボンで」


 リノはブローチを握りしめた。


「違う。私は……みんなを助けたいだけ」


「それも本当」


 鏡のリノは頷いた。


「でも、全部じゃない」


 風が吹いた。


 校舎裏の木の葉がざわざわ鳴る。

 その音が、昨日のノイズの声に似て聞こえた。


「あなたは助けたい。優しいから」


 鏡のリノは言った。


「でも、助けたあとで、自分も見てほしい。ありがとうって言われたい。選ばれたい。特別になりたい」


「……」


「それって、悪いこと?」


 リノは答えられなかった。


 悪いこと。

 そう言ってしまえば楽だった。


 そんなこと思っちゃいけない。

 魔法少女なんだから、誰かを救うためだけに戦わなきゃいけない。

 見返りなんて求めちゃいけない。


 でも、胸の奥にある小さな声が言う。


 寂しい。

 怖い。

 私も助けて。

 私も見て。


 リノはその声を、完全には否定できなかった。


「ほら」


 鏡のリノが嬉しそうに笑う。


「やっと聞こえた」


「聞こえた……?」


「あなたのノイズ」


 その瞬間、リノのブローチが黒く光った。


 胸の奥がぎゅっと痛む。

 リノはその場に膝をつきそうになった。


「リノ!」


 遠くからミミルの声がした。


 リノが顔を上げると、校舎裏のフェンスの上にミミルがいた。

 小さな体で必死にこちらへ跳んでくる。


「その声を聞いちゃだめ!」


 ミミルが叫ぶ。


 鏡のリノは、つまらなそうに目を細めた。


「あーあ、もう来ちゃった」


「離れて、リノ!」


 ミミルはリノと蛇口の間に飛び込んだ。

 その瞬間、蛇口に映っていた黒いリノの姿がぐにゃりと歪む。


「ミミル」


 鏡のリノが、初めてミミルを見た。


「まだ隠してるんだ」


 ミミルの体がこわばった。


 リノはミミルを見た。


「隠してるって、なに?」


「リノ、今はそれより」


「何を隠してるの?」


 ミミルは答えなかった。


 まただ。


 リノの胸の奥で、何かが冷たくなる。


 ミミルはいつも、肝心なことを言わない。

 黒い点が大きくなることも。

 ノイズに触れたら自分の中にも闇が残ることも。

 きっと、まだ他にも。


「私、選ばれたんだよね?」


 リノは静かに言った。


「この街を救えるのは、私だけなんだよね」


「うん」


「じゃあ、どうして何も教えてくれないの?」


 ミミルは苦しそうに耳を伏せた。


「君を怖がらせたくなかった」


「もう怖いよ」


 リノの声は、自分でもびっくりするくらい低かった。


「最初からずっと怖いよ。でも、知らない方がもっと怖い」


 ミミルは何も言えなかった。


 蛇口の中で、鏡のリノがくすくす笑う。


「ね。いい子でいると、みんな勝手に守ってくれるふりをするんだよ」


「黙って!」


 リノは鏡のリノを睨んだ。


 けれど鏡のリノは、嬉しそうだった。


「怒った〜w」


「……」


「リノが怒った。かわいい!」


「やめて」


「怒っていいんだよ。欲しがっていいんだよ。疑っていいんだよ」


 鏡のリノは、黒いリボンを指でつまんだ。


「いい子じゃなくても、あなたはあなたなのに」


 その言葉だけは、少しだけ優しく聞こえた。


 だから余計に怖かった。


 リノは目を閉じた。

 深く息を吸う。


 ミカのノイズを前にしたとき、自分は言った。


 笑ってなくてもいい。

 弱くてもいい。

 消えないで。


 あの言葉を、自分には言えないのだろうか。


 リノは震える手でブローチを握った。


「私は……いい子でいたい」


 鏡のリノが、すっと笑みを消した。


「どうして?」


「悪い子になりたいわけじゃないから」


「でも、苦しいよ」


「うん」


「誰も見てくれないよ」


「……うん」


「それでも?」


 リノはゆっくり目を開けた。


「それでも、私が誰かを傷つける理由にはならない」


 その瞬間、ブローチの黒い光が少し弱まった。


 ミミルがほっと息をつく。


 けれど、鏡のリノは消えなかった。


 蛇口の中で、彼女はリノをじっと見つめている。


「今日は、それでいいよ」


 黒いリノは言った。


「でも、覚えておいて」


 蛇口の水面みたいな光が、ゆらりと揺れる。


「私はあなたの敵じゃない」


「……」


「あなたが捨てた気持ちを、私が拾ってるだけ」


 リノの胸が、また小さく痛んだ。


「また会おうね、リノ」


 その言葉を最後に、蛇口の中の黒いリノは消えた。


 残ったのは、青ざめた顔をしたリノ自身だけだった。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 校舎裏には、昼休みの遠いざわめきだけが聞こえている。


 やがてミミルが、小さく口を開いた。


「リノ、ごめん」


 リノはミミルを見なかった。


「今は聞きたくない」


「……うん」


「でも、あとでちゃんと話して」


 ミミルは小さく頷いた。


「分かった」


 チャイムが鳴った。


 昼休みの終わりを告げる、いつもの音。


 リノはブローチをポケットにしまい、立ち上がる。

 足元が少しふらついたけれど、倒れはしなかった。


 教室へ戻る途中、廊下でミカとすれ違った。


「あ、白咲さん」


 ミカが声をかけてくる。


 リノは足を止めた。


「昨日は……その、ありがとう」


 ミカは周りを気にしながら、小さな声で言った。


「ちゃんとは覚えてないんだけど、白咲さんがいてくれた気がして」


 リノは胸元を押さえた。


 さっきまで冷たかったそこが、少しだけ温かくなる。


「ううん」


 リノは首を横に振った。


「私も、ミカちゃんに言ってもらえて……ちょっと助かった」


「え?」


「なんでもない」


 リノは慌てて笑った。


 ミカは不思議そうに首を傾げたけれど、それ以上は聞かなかった。


「また、話してもいい?」


 その言葉に、リノは目を瞬かせた。


 ミカの笑顔はまだ不安定だった。

 でも、昨日より少しだけ本物に近かった。


 リノは小さく頷いた。


「うん」


 ミカは嬉しそうに笑って、教室へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、リノは思った。


 ちゃんと見てくれる人は、もしかしたらいるのかもしれない。


 でも同時に、胸の奥で別の声もした。


 それだけで足りる?


 リノは答えなかった。



 放課後、リノはひとりで手洗い場の前に立った。


 蛇口には、もう黒いリノは映っていない。

 ただ、疲れた顔の自分がいるだけ。


 リノは制服のポケットからブローチを取り出した。


 白いリボンの端。

 黒い点は、朝より少し薄くなっているように見えた。


 でも、消えてはいなかった。


 リノはそれを見つめながら、鏡のリノの言葉を思い出す。


 私はあなたの敵じゃない。


 あなたが捨てた気持ちを、私が拾ってるだけ。


「……じゃあ、私は」


 リノは小さく呟いた。


「何を捨ててきたんだろう」


 答えはなかった。


 夕方の校舎に、オレンジ色の光が差し込む。

 その光の中で、蛇口の金属が一瞬だけ黒くきらめいた。


 リノは息をのむ。


 そこに、もうひとりのリノはいなかった。


 ただ、鏡の端に小さく、黒いリボンの影だけが揺れていた。


 夜が来る。


 また、黒い星が瞬く。


 そしてリノはまだ知らない。


 自分の中に生まれた小さなノイズが、いつか本当に声を持つことを。

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