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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 2 食べられた願い

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第25話 赤いリボンの魔法少女


 次の日の朝。


 リノは、いつもより少し早く学校に着いた。


 廊下はまだ静かだった。

 文化祭の余韻も、昨日の騒ぎも、全部どこかに隠れてしまったみたいに、朝の校舎は何も知らない顔をしている。


 けれど、リノは知っていた。


 何もなかったわけじゃない。


 透明なリボンはほどけた。

 サイレント・スクール・ノイズも消えた。


 でも、小鳥遊ユイが傷ついたことは消えていない。


 昨日、ユイは保健室で少し休んだあと、先生に話をした。


 全部ではない。


 言えるところだけ。


 ミカが隣にいて、セナが見たことを整理して、いろはが破られた星カードを持っていた。


 リノも、そこにいた。


 ユイは何度も声を詰まらせた。


 それでも言った。


 怖かった。

 やめてと言えなかった。

 笑わないと、もっと言われると思った。

 動画は違う。

 自分はステージを壊したんじゃない。


 先生は、真剣な顔で聞いていた。


 今日から、学校側でも話を聞くことになっている。


 それはきっと、必要なことだ。


 でも。


 それで全部がすぐに元通りになるわけではない。


「リノちゃん」


 昇降口の近くで、ミカが手を振った。


 隣にはセナといろはもいる。


 その少し後ろに、ユイが立っていた。


 顔色はよくない。


 制服の袖をぎゅっと握っている。


「おはよう」


 リノが声をかけると、ユイは小さく頷いた。


「おはよう……」


 その声は細かった。


 ミカがそっと隣に立つ。


「無理しなくていいからね。途中でしんどくなったら、保健室行こ」


 セナも頷く。


「先生には伝えてある。今日の一時間目の前に、担任の先生と話す予定」


 いろはが、ユイの手元を見て言った。


「一緒に行こう」


 ユイは少し迷ってから、頷いた。


「うん」


 その時、鞄の中でミミルが小さく動いた。


「リノ」


「なに?」


「少し、変な気配がする」


 リノの胸元が、少し熱を持つ。


 昨日のノイズは消えたはず。


 でも、黒い星の気配はまだ学校に残っている。


 リノは廊下の奥を見る。


 朝の静かな廊下。


 でも、その向こうで誰かが小さく笑った気がした。


 教室に近づくにつれて、声が聞こえてきた。


「え、今日呼び出されるんでしょ?」


「うちらだけ?」


「意味分かんないんだけど」


「動画上げたの、私じゃないし」


「コメントしただけじゃん」


「てか、ユイも笑ってたよね?」


 リノの足が止まった。


 ユイの肩が小さく震える。


 ミカがユイの前に少しだけ立った。


 教室の中では、数人の生徒が机の周りで話していた。


 昨日、ユイを囲んでいた子たちだ。


 その中のひとりが、リノたちに気づいた。


 空気が止まる。


「あ……」


 気まずそうな顔。


 でも、すぐに別の子が口を尖らせた。


「大ごとにしすぎじゃない?」


 ユイがびくっとする。


「昨日の、そんな本気で嫌だったなら、言えばよかったのに」


「そうそう。こっちは冗談のつもりだったし」


「先生に言うとか、こっちが悪者みたいじゃん」


 リノの胸が熱くなる。


 怒り。


 それは、昨日よりもはっきりした形で胸の中にあった。


 でも、リノはすぐに言葉にできなかった。


 怒っていいのか、分からなかった。


 怒ったら、黒に近づくのだろうか。


 誰かを責めたい気持ちは、悪い子の気持ちなのだろうか。


 その時だった。


 教室の奥で、黒い気配が膨らんだ。


 昨日の透明なリボンとは違う。


 今度は、黒い紙の束みたいなものが机の上から湧き上がる。


 付箋。

 コメント。

 言い訳。

 消された投稿。

 開きっぱなしのスマホ画面。


 それらがぐるぐると渦を巻き、人の形を作っていく。


「私だけじゃない」

「冗談だった」

「悪気はなかった」

「みんなもやってた」

「謝ったら終わりでしょ」

「こっちだって傷ついた」

「責められるのは嫌」


 黒い紙の体に、いくつもの口が浮かぶ。


 エクスキューズ・ノイズ。


 言い訳のノイズだった。


 教室の中にいた生徒たちが、悲鳴を上げる。


 リノはステッキを握ろうとした。


 その瞬間。


「待って!」


 廊下の向こうから、明るいけれど少し震えた声が飛んできた。


 ぱたぱたぱた、と軽い足音が近づいてくる。


 リノが振り返ると、廊下の先から小さな女の子が走ってきていた。


 リノたちよりずっと背が低い。

 肩にはランドセルのひもが片方だけかかっていて、胸元では赤い防犯ブザーが揺れている。


 その肩の上には、赤橙色の星形しっぽをした小さな星兎族が、必死にしがみついていた。


「ひまり、勝手に中学校入っちゃだめって言ったよね!?」


「だって、ノイズいたんだもん!」


「いたけど! いたけどさあ!」


 女の子は息を切らしながら、教室の入口でぴたりと止まった。


 次の瞬間、赤いリボンが夕焼けみたいに床を走る。


 炎みたいに揺れて、けれど火ではない。

 熱を持った布のようなリボンが、教室の入口で一本の線を引いた。


 女の子は、少し頬をふくらませながら、でもまっすぐ教室の中を見た。


「それ、冗談って言ってるけどさ……」


 声は少し高めで、明るい。


 けれど、最後だけ少し落ち着いた。


「言われた子、ちゃんと痛かったと思う」


 教室の空気が凍った。


 女の子は、ユイの方をちらりと見る。


 それからもう一度、ノイズの方を向いた。


「泣いちゃうくらいだったなら、もう冗談じゃないよ」


 ミミルが鞄の中で息を呑む。


「赤いリボン……」


 リノは小声で聞き返した。


「赤い、リボン?」


 女の子はリノを見ると、ぱっと表情を変えた。


「あ、あなたがリノ?」


「え……? うん」


「灰色の子って聞いた」


「灰色の子……」


 女の子はリノをじっと見つめる。


 それから、少し首をかしげた。


「なんか、やさしそう」


「え?」


「でも、怒るのは苦手そう」


 リノは思わず固まった。


「えっ」


 肩の上の星兎族が、ぴょんと女の子の頭に乗った。


「ひまり、初対面でそれ言う?」


「だって、そう見えたんだもん」


「思ったことすぐ言わない!」


「えー、でも悪口じゃないよ?」


「悪口じゃなくても、びっくりするでしょ!」


 星兎族は、ひまりの肩へ戻って胸を張った。


 白い体。

 耳の先と星形のしっぽだけが、赤橙色に淡く光っている。

 首には、小さな赤いリボン。


 ミミルが鞄から顔を出し、目を丸くした。


「ピリカ……!」


「ミミル! 久しぶり!」


 ピリカは嬉しそうに前足を振った。


 けれど、すぐにリノを見て、それからミミルをじっと見る。


「……もしかして、魔法少女には担当星兎がいるってことも、まだ説明してない?」


 ミミルの耳が、ぺたりと伏せた。


「……ごめん」


 リノはミミルを見る。


「また?」


「本当に、ごめん」


 ピリカは小さくため息をついた。


「ミミル、そういうとこだよ」


 ミミルは何も言い返せず、さらに耳を下げた。


 ピリカはひまりの肩の上で説明する。


「魔法少女には、それぞれ案内役の星兎がつくの。契約とか、ノイズの気配とか、リボンの状態とかを見る役目。わたしはピリカ。ひまりの担当星兎だよ」


「担当星兎……」


 リノが繰り返す。


 星結びの庭。

 星兎族。

 魔法少女。

 担当星兎。


 まだ知らないことが、あまりにも多い。


 ひまりは、そんな空気に気づいたのか、少し慌てたように手を振った。


「あ、えっと、わたしは夕凪ひまり。星見台小学校の六年生」


 そして胸元の赤いリボンを、両手でぎゅっと握る。


「赤いリボンの魔法少女、です」


 最後だけ少し丁寧になったせいで、ピリカが小さく笑った。


「急に自己紹介かたくなった」


「だって、ちゃんと言った方がいいかなって」


「いいけど」


 ひまりは頬を少し赤くしながら、リノたちに向き直った。


「昨日、文化祭に来てたんだ」


「文化祭に?」


 ミカが聞くと、ひまりはぱっと笑った。


「うん! 地域公開の日だったでしょ? 星見台小の友だちと来たの。ステージ、すっごくキラキラしてた! リボンも星もふわふわで、見ててドキドキしたんだよね」


 それから、ひまりは少しだけ表情を曇らせる。


「でも、帰る時に黒いキャンディみたいなにおいがしたの。ピリカと一緒に探してたら、今日ここに来ちゃって」


「来ちゃって、じゃないよ」


 ピリカがすぐに言う。


「学校に勝手に入るの、ほんとはダメだからね」


「わかってるけど、ノイズいたもん」


「それはそうだけど!」


 ひまりはノイズへ向き直る。


「ピリカ、いくよ」


「はいはい。熱くしすぎ注意ね」


「わかってるってば」


「その返事、だいたい分かってない時のやつ」


「今日は分かってるもん!」


 ひまりは赤いリボンを指先に絡め、ノイズを見上げた。


「言い訳で隠したら、痛かったことまで見えなくなっちゃうよ」


 赤いリボンが、ぱっと走る。


「レッド・リボン・ブレイズ!」


 夕焼けみたいな赤い光が教室を照らした。


 ノイズの腕が焼き切られ、黒い紙が空中でぱらぱらと散る。


 リノは驚く。


 強い。


 でも、ただ荒いだけではない。


 ひまりのリボンは、燃やしているというより、黒い言葉を照らしているようにも見えた。


 ノイズが叫んだ。


「悪気はなかった!」


 ひまりは少し眉を下げた。


「悪気なかったって言うの、だめじゃないよ」


 ノイズの動きが、一瞬止まる。


 ひまりは赤いリボンをぎゅっと握った。


「でも、それで痛かったことが消えるわけじゃないよ」


 ノイズが揺れる。


「みんなやってた!」


「みんなで笑ったら、言われた子だけ逃げられないじゃん」


 ひまりの声は、少し震えていた。


 怒鳴っているわけではない。


 でも、確かに怒っている。


 その怒りは、怖いというより、あたたかい赤だった。


「それって、ずるいよ」


 ひまりの赤いリボンが、床に一本の線を引いた。


「レッド・リボン・ライン!」


 赤い線が、ノイズとユイたちの間に引かれる。


 ひまりはその線の前に立った。


「ここから先は、止めるね」


 小さな体なのに、その背中は大きく見えた。


「もう傷つけてほしくないから」


 ユイは、リノの後ろで震えていた。


 その目には、恐怖だけではない何かが浮かんでいる。


 少しだけ、安心したような色。


 ミカがそっとユイの肩に手を置いた。


「大丈夫って言わなくていいからね」


 ユイは小さく頷く。


 エクスキューズ・ノイズは黒い紙を増やし、赤い線を越えようとする。


「謝るからいいでしょ」

「反省してるって言えばいいでしょ」

「怒られるの嫌」

「悪者にしないで」

「こっちだって怖い」


 ひまりの表情が、少しだけ険しくなる。


「怖いのは、分かるよ」


 赤いリボンが熱を持つ。


「でも、怖いからって、人を怖くさせていいわけじゃないよ」


 リノはひまりの背中を見た。


 その言葉は、子どもらしい素直さで出てきているのに、ひどく真っ直ぐだった。


 ノイズの中で、黒い紙が燃え上がる。


 教室の中にいた生徒のひとりが、顔を歪めた。


「だって、私だけじゃないし……」


 その声に、ノイズが反応して膨らむ。


 ひまりはすぐに赤いリボンを伸ばした。


「それ、ちょっとズルい」


 ひまりの声が震える。


「みんなでやったって言ったら、痛かったことが薄くなるみたいに言うの、ズルいよ」


 赤い光が強くなる。


 ピリカが慌てて叫んだ。


「ひまり、熱い!」


「分かってる!」


「分かってない! 今、ばしゅーってなりかけてる!」


「ばしゅーってなってない!」


「なってる!」


 赤いリボンが、ノイズだけでなく教室の机にまで届きそうになる。


 リノは慌てて前に出た。


「ひまり!」


 ひまりは振り返る。


 目が少し潤んでいた。


「なんで止めるの?」


「止めるのは必要。でも」


「でも?」


「怒っていい。でも、怒りだけで全部燃やしたら、何が起きたかも、どう向き合うかも、残らなくなる」


 ひまりは唇を噛んだ。


「でも、見てたら胸がぎゅってしたんだもん」


 その言葉が、あまりにも子どもらしくて、リノの胸が痛んだ。


「ユイが怖いって言ったのに、まだ言い訳してるの、すごくやだった」


「うん」


「わたし、こういうの嫌い」


「うん」


「だって、ひどいもん」


 ひまりの赤いリボンが震える。


 その赤は、怒りだけではない。


 痛みに気づいてしまった心の色だった。


 ノイズがその隙を狙って叫ぶ。


「ほら」

「怒りすぎ」

「こっちが傷ついた」

「責められてつらい」

「もう謝るって言ってるのに」


 黒い紙が、ひまりの赤いリボンに絡みつく。


 ひまりの顔が歪む。


「う……」


 赤い光が、さらに強くなる。


 ピリカが叫ぶ。


「ひまり、燃やしすぎ!」


 ミミルも焦った声を出す。


「リノ、赤が強くなりすぎてる!」


「どういうこと?」


「怒りに飲まれると、赤は守る線じゃなくて、焼き尽くす炎になる」


 リノはひまりを見る。


 ひまりは小さな手でリボンを握りしめていた。


 怒っている。


 でも、それだけではない。


 泣きそうだった。


「ひまり」


「怒ってると」


 ひまりが小さく言った。


「ちゃんと立ってられるんだよね」


 リノは息を止めた。


 ひまりは俯いたまま続ける。


「泣いちゃったら、止められない気がするから」


 赤いリボンが震える。


「だから、わたしの赤は……たぶん、泣かないための色でもあるんだと思う」


 その言葉に、リノの胸が痛んだ。


 ひまりは、怒りたいだけじゃない。


 怒ることで、自分の悲しさを支えている。


 赤いリボンは、怒りの色。


 でも、その奥にあるのは、守りたいという気持ちだ。


 リノはステッキを握り直した。


「ひまりの怒りは、間違ってない」


 ひまりが顔を上げる。


「え?」


「私も怒ってる」


 リノは自分の胸元に触れた。


 黒い染み。

 灰色の糸。


 そこに、ほんの少しだけ赤い光が映っている気がした。


「昨日のことも、今の言葉も、ひどいって思ってる」


 ひまりの目が揺れる。


「じゃあ」


「でも、怒りを誰かを傷つけるためだけに使いたくない」


 リノはノイズへ向き直る。


「止めるために使いたい」


 ひまりは黙ってリノを見る。


 リノは言った。


「一緒に、線を引いて」


「線?」


「ここから先はだめって、ちゃんと分かる線」


 ひまりは赤いリボンを見た。


 それから、小さく頷いた。


「うん」


 そして、少しだけ笑った。


「リノ、怒るの苦手だけど、言葉はふわふわであったかいね」


「ふわふわ?」


「うん。なんか、毛布みたい」


 ピリカが肩の上でつぶやく。


「こんな時に例えがふわふわ」


「いいじゃん」


 ひまりは赤いリボンを床へ伸ばす。


 リノも灰色のリボンを重ねた。


 赤と灰色のリボンが、教室の床に一本の境界線を作る。


 燃えすぎず。

 薄れすぎず。


 そこにあるのは、やさしさだけではない。


 怒りだけでもない。


 これ以上、誰かを傷つけないための線。


 ひまりが言った。


「ここから先は、冗談じゃ済まないよ」


 リノが続ける。


「でも、悪者にして捨てるだけでも終わらせない」


 ノイズが暴れる。


「私だけじゃない!」

「みんなもやってた!」

「責められるのが怖い!」

「認めたら、終わりじゃん!」


「怖かったことと」


 リノは言った。


「傷つけたことは、別に考えないといけない」


 灰色のリボンが、黒い紙をほどいていく。


 その奥から、別の声が出てくる。


 自分が責められるのが怖い。

 仲間外れにされたくなかった。

 みんなが笑っていたから、止められなかった。

 悪いことだと認めたくなかった。

 謝ったら、自分が悪い子になる気がした。


 ひまりはそれを聞いて、眉を下げた。


「怖かったんだね」


 ノイズが少しだけ揺れる。


 でも、ひまりは赤いリボンを握り直した。


「でもさ」


 声が少し低くなる。


「それでユイの痛かったことは、なくならないよ」


 ノイズが震える。


「悪い子になりたくないからって、傷つけたことを消したらだめだよ」


 ひまりの声は子どもっぽい。


 でも、逃げ道を塞ぐ力があった。


 リノはステッキを掲げる。


「言い訳の奥にある怖さは、見る」


 ひまりも赤いリボンを構えた。


「でも、ひどいことは、ひどいって言っていいんだよ」


 二人のリボンが同時に走った。


「マジカル・リボン・アンミュート!」


「レッド・リボン・ライン!」


 灰色のリボンが、言い訳の言葉をほどく。


 赤いリボンが、逃げる言葉の前に線を引く。


 エクスキューズ・ノイズの体が崩れていく。


「冗談だった」

「私だけじゃない」

「悪気はなかった」


 その言葉が熱に照らされ、ほどけ、奥にある本音だけが残る。


 ごめんって言うのが怖かった。

 悪いって認めるのが怖かった。

 でも、傷つけた。


 最後に、ノイズは小さく呟いた。


「責められたくない」


 リノは頷いた。


「責めるだけでは終わらせない」


 ひまりが言う。


「でも、逃げるのはだめだよ」


 ノイズは光になってほどけた。


 教室に静けさが戻る。


 赤い線は、床の上に淡く残っていた。


 それはもう、燃える炎ではなかった。


 ここから先は、だめ。


 そう示すための、境界線だった。


 加害側の生徒たちは、誰もすぐには何も言えなかった。


 先生が教室に入ってくる。


 セナがすぐに前へ出た。


「先生。昨日の件について、追加で話したいことがあります」


 先生は頷く。


「分かった。ひとりずつ話を聞こう」


 セナは続ける。


「動画とコメントの記録、付箋、破られたカードは保存しています」


 ミカがユイを見る。


「一緒に行こう」


 ユイは小さく頷いた。


 でも、足はまだ震えている。


 いろはが反対側に立つ。


「怖いなら、ゆっくりでいいよ」


 ユイは涙をこらえながら言った。


「怒ってくれる人がいるって」


 その声は、本当に小さかった。


「少しだけ、安心する」


 ひまりがぴくっと動いた。


 リノはひまりを見る。


 ひまりは目を丸くして、それからぱっと顔を赤くした。


「え、えへへ……そっか」


 すぐに照れ隠しのように赤いリボンを触る。


「よ、よかった。ちょっとドキドキしてたんだよね」


 ピリカが肩の上でにやっと笑った。


「ひまり、照れてる」


「照れてないし!」


「今のは照れてる」


「ピリカ、しー!」


 ミカが小さく笑った。


「ありがとう、ひまり」


「えへへ……どういたしまして、でいいのかな」


 ひまりは少し困ったように笑った。


「でも、ユイがちょっとでも安心したなら、うれしい」


 その言い方が素直で、リノの胸が少し温かくなった。


 けれど、ミミルはまだ真面目な顔をしていた。


 リノはミミルを見る。


「ミミル」


「うん」


「あとで、ちゃんと説明して」


 ミミルは耳を伏せたまま頷いた。


「する。今度は、隠さない」


 ピリカが小さく手を上げる。


「わたしも説明する。ミミルだけだと、また半分くらい隠しそうだから」


「隠さないよ!」


「ほんと?」


「……たぶん」


「ほら!」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 放課後。


 リノたちは校舎裏の静かな場所に集まっていた。


 ユイは先生と保健室の先生に付き添われて、今日は早めに帰ることになった。


 明日以降のことは、先生たちとも相談して決める。


 すぐに全部が解決するわけではない。


 でも、ユイはもうひとりではなかった。


 ひまりはフェンスにもたれ、赤いリボンを指に巻きつけていた。


 ピリカはその肩の上で、耳を揺らしている。


 朝より少し落ち着いたひまりは、改めて見ると本当に小学生らしかった。


 ランドセルの肩ひも。

 少し大きめの靴。

 赤い防犯ブザー。

 ピリカとじゃれ合って、すぐに笑う顔。


 その全部が、リノの胸に引っかかった。


「ひまりは、小学生?」


 リノが尋ねると、ひまりはぱっと顔を上げた。


「うん、六年生!」


 少し胸を張る。


「来年、中学生なんだよ。すごいでしょ」


「うん。すごい」


「えへへ、うれしい〜」


 ひまりは素直に笑った。


 でも、リノはそう答えながら、胸の奥が少し冷たくなるのを感じていた。


 こんなに小さい子まで、魔法少女として戦っている。


 ノイズの前に立って、誰かの痛みに怒って、赤いリボンを燃やしている。


 それは、すごいことだと思った。

 でも同時に、少しだけ怖かった。


「ミミル」


 リノは、鞄の中のミミルを見る。


「魔法少女って、年齢で選ばれるんじゃないの?」


 ミミルの耳が、ぴくりと動いた。


「……違う」


 その声は、いつもより少し低かった。


「心の声が、星の裏側に届きやすい子が選ばれる。ノイズに近い声を聞ける子。誰かの痛みに、気づきすぎてしまう子」


「それって」


 リノは、ひまりを見る。


 ひまりはピリカに何か言われて、「えー! まじで!?」と大きな声を上げている。

 その笑顔は、普通の小学六年生そのものだった。


「小学生でも?」


 ミミルは、少しだけ目を伏せた。


「……うん」


 リノの指先が、胸元のリボンを握る。


「そんなの……」


 言葉が続かなかった。


 ひまりが強いことは分かる。

 赤いリボンが、誰かを守るための色だということも分かる。


 でも。


 強いから、大丈夫。

 魔法が使えるから、戦っていい。


 そんなふうには、思えなかった。


 リノの胸元で、灰色の糸が静かに揺れた。


「魔法少女って、誰かを助けるために選ばれるんだと思ってた」


 リノは小さく言った。


「でも……助けが必要な子が、選ばれてるみたい」


 ミミルは何も言えなかった。


 ピリカも、少しだけ黙る。


 ひまりは、リノたちの空気に気づいたのか、きょとんと首をかしげた。


「なに? なんか難しい話?」


「ううん」


 リノは首を横に振った。


 そして、ひまりの赤いリボンを見た。


「ひまりは、すごいね」


「えへへ、そう?」


 ひまりはすぐに笑った。


 けれどリノは、その笑顔を見ながら思った。


 すごい、だけで終わらせちゃいけない。


 この子が戦えてしまう理由を。

 この子が赤くならなきゃいけなかった理由を。


 ちゃんと、知らなきゃいけない。


「でも、魔法少女歴はリノより長いと思う」


 ひまりは少し胸を張った。


「だから、ちょっと先輩」


 指で小さく丸を作る。


「ちょっとだけね」


 ピリカがすかさず言う。


「けっこう先輩だよ」


「ピリカ、そういうの自分で言うとえらそうじゃん」


「わたしが言ってるからセーフ」


「セーフなの?」


 ミカが笑う。


「ひまりちゃん、かわいい」


 ひまりは赤くなる。


「かわいいって言わないでよ〜。先輩っぽくなくなるじゃん」


「でもかわいいよ」


「えー! まじで!? うれしいけど、ちょっと困る!」


 ひまりは両手で頬を押さえた。


 いろはが笑う。


「赤いリボンもすごく似合ってる」


「ほんと?」


「うん。夕焼けみたいできれい」


「えへへ……ピリカ、聞いた?」


「聞いた聞いた。よかったね」


「やったー」


 その明るさに、リノは少し驚いていた。


 戦っている時のひまりとは違う。


 でも、きっとこっちも本当のひまりなのだ。


 元気で、素直で、褒められるとすぐ嬉しそうになる。


 だけど、人が傷つく場面では、すぐに赤いリボンが熱を持つ。


 ひまりは胸元の赤いリボンに触れた。


「わたしは、ひどいことが嫌い」


 その声は、さっきより少し落ち着いていた。


「やめてって言えない子に、もっと言わせるのも嫌い。泣いてる子の前で、へらへらするのも嫌い」


 リノは頷く。


「うん」


「だから怒る」


「うん」


「でも」


 ひまりは少しだけ俯いた。


「今日、熱くしすぎそうになった」


 赤いリボンが、風に揺れる。


「リノが止めなかったら、たぶん、ばしゅーってなってた」


 ピリカが頷く。


「ばしゅーってなってた」


「ピリカ、そこは否定してよ」


「事実だもん」


 ひまりは少しだけ唇を尖らせた。


 リノは首を横に振る。


「ひまりが線を引いてくれたから、ユイちゃんは少し安心できた」


 ひまりはリノを見る。


「リノは、怒るの苦手そう」


「うん」


「でも、ちゃんと怒ってた」


「そうかな」


「うん。ふわふわだったけど」


「ふわふわ……」


「でも、あったかかった」


 ひまりは少し照れたように笑った。


「怒りって、怖いだけじゃないんだよ」


 夕焼けの光が、ひまりの赤いリボンを照らす。


「誰かを踏みつけるために使ったら、黒くなるかもだけど」


 ひまりはリノをまっすぐ見た。


「守りたいものがあるから、赤くなるんだよ」


 リノの胸元の灰色の糸が、静かに光った。


 そこに、ほんの少しだけ赤い光が映った気がした。


 ミミルが言う。


「色付きのリボンは、善悪値だけでは測れない。心の中心にある願いが、強く結ばれた時に生まれる色なんだ」


 リノはミミルを見る。


「赤は、怒り?」


「怒りを、守る力に変えた色」


 ピリカが頷く。


「ひまりの赤は、誰も止めなかった痛みから生まれた。だから、ひどいことを見過ごせない」


 ひまりは少しだけ黙った。


 それから、少し照れたように笑う。


「まあ、むかしの話は、そのうちね」


 リノは頷いた。


「うん」


 ひまりの過去を、勝手にほどくことはしない。


 ひまりが話したい時に、聞けばいい。


「魔法少女には、みんな担当星兎がいるの?」


 リノが聞くと、ピリカが頷いた。


「うん。ひとりに一匹。基本はね」


「基本?」


 セナがすぐに反応する。


 ピリカは少しだけ目を泳がせた。


「えっと……例外もあるかもだけど」


 ミミルが小さく咳払いをする。


「その話は、あとでちゃんと説明する」


 リノはじっとミミルを見る。


「本当に?」


「本当に」


 ピリカが横から言う。


「わたしが見張るから大丈夫」


 ミミルは小さく肩を落とした。


 ミカがピリカを見て、目を輝かせる。


「星兎族って、ミミル以外にもこんなにかわいい子がいるんだね」


「かわいい?」


 ピリカが嬉しそうに耳を立てる。


 ひまりがすぐに言う。


「ピリカ、調子に乗る」


「乗ってないもん」


 いろはが小さく笑う。


「ピリカちゃん、赤いリボン似合うね」


「ほんと?」


「うん。ひまりちゃんとおそろいでかわいい」


「ひまり、聞いた?」


「聞こえてるよ〜」


 ひまりは少しだけ顔を赤くして、でも嬉しそうに笑った。


 セナが腕を組む。


「善悪値だけでは測れない魔法少女がいるなら、システムそのものの前提が揺らぐ」


 ひまりはきょとんとした顔をした。


「えっと……ぜんていが、ゆらゆら?」


 ピリカが小声で訂正する。


「前提が揺らぐ、ね」


「そう、それ」


 ひまりはうなずいたあと、セナを見て言った。


「まじめちゃん、難しいこと言うね」


 セナが少しだけ瞬きをした。


「……まじめちゃん?」


 ミカが吹き出した。


「セナちゃん、新しいあだ名増えたね」


「増やさなくていい」


 少しだけ空気が緩んだ。


 リノはひまりを見る。


「ひまり」


「なに?」


「今日はありがとう」


 ひまりは一瞬きょとんとして、それからぱっと笑った。


「うん!」


 そしてすぐに照れたように視線をそらす。


「えへへ、ちゃんとお礼言われると、ちょっとドキドキするね」


「また会える?」


 ひまりは少し考えた。


 それから、赤いリボンを指でくるっと回す。


「リノが怒るの苦手なままなら、たぶん」


「それ、会いに来てくれるってこと?」


「見張りだよ、見張り」


「そっか」


 リノは笑った。


「じゃあ、よろしく」


 ひまりは少しだけ頬を赤くして、胸を張った。


「まかせて。赤いリボンの先輩だからね」


 ピリカがその肩の上で笑う。


「また来るよ。ミミルがちゃんと説明してるか見に来ないと」


「ピリカ……」


 ミミルは困ったように名前を呼んだ。


 でも、少しだけほっとしているようにも見えた。


 夕方の風が吹いた。


 文化祭の飾りはもうない。

 昨日の星カードも、今日は箱の中にしまわれている。


 でも、学校にはまだ、見えないリボンが残っているのかもしれない。


 結び直すべきもの。

 ほどくべきもの。

 そして、ここから先はだめだと線を引くべきもの。


 リノは胸元に触れた。


 黒い染み。

 灰色の糸。

 そして、そこに映った小さな赤い光。


 怒ってもいい。


 その言葉は、リノの中でまだ少し熱かった。


 誰かを傷つけるためではなく。


 誰かを、これ以上傷つけさせないために。


 けれど、同時に思う。


 怒れるほど、痛みに近い子が選ばれてしまうなら。


 やさしい子ほど、ノイズの声を聞いてしまうなら。


 魔法少女とは、本当に誰かを救うためだけのものなのだろうか。


 赤いリボンは、夕焼けの中でやわらかく揺れていた。

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