第22話 星とリボンのステージ
文化祭当日の朝。
教室の扉には、手作りの看板がかかっていた。
星とリボンのアイドルステージ。
白い画用紙に、ピンクと黒銀のリボンが飾られている。
昨日、いろはとセナが選び直した星空みたいなリボンは、看板の端で静かに光っていた。
教室の中は、昨日までとはまるで違って見えた。
窓辺には星形の飾り。
壁には願いごとを書くための星カード。
教室の奥には、白とピンクのリボンをカーテンみたいに垂らした写真スポット。
その中央には、小さな月と星の飾りが吊るされている。
そして黒板側には、小さなステージが作られていた。
机を寄せて布をかけただけの、手作りのステージ。
けれど、リノにはそれがとても特別な場所に見えた。
「完成……してる」
いろはが教室の真ん中で呟いた。
その声には、少しだけ震えが混じっている。
「うん」
ミカが笑う。
「完成してるよ」
セナは予定表を確認しながら頷いた。
「細かい修正はあるけど、予定通り」
「予定通りって言葉、今はすごく頼もしい」
いろはが胸を押さえる。
リノは衣装のリボンをひとつずつ確認していた。
今日のステージに出る有志メンバーは、それぞれ違うリボンをつける。
いろはは、黒銀星空リボンをアクセントにした華やかなリボン。
ミカは、明るいピンクの司会用リボン。
セナは、細く整った青白いリボン。
リノは裏方用に、白をベースにした小さな星飾りのリボン。
ひとりだけが主役になるためのリボンではない。
それぞれが、自分の場所に立つためのリボンだった。
「リノちゃん、ここちょっと見て」
ミカが胸元のリボンを指さす。
「ゆるい?」
「少しだけ」
リノはミカのリボンを整えた。
きつすぎず、ほどけすぎず。
ちょうどいい強さで結び直す。
「できた」
「ありがとう」
ミカはくるっと一回まわってみせた。
「どう?」
「似合う」
「ほんと?」
「うん」
「よかったあ。司会、ちょっと緊張してきた」
ミカは手元の原稿を見つめる。
そこには、今日のステージ紹介の言葉が書かれていた。
星とリボンの写真スポット。
願いごと星カード。
アイドルステージ「スターリボン・ステップ」。
全部、今日のために準備してきたもの。
いろはが深く息を吸った。
「今日、楽しもうね」
その言葉に、リノたちは頷いた。
「うん」
リノも言った。
「楽しもう」
鞄の中で、ミミルが小さく耳を揺らした。
「リノ」
「なに?」
「ぼくのリボンは?」
リノは思わず笑いそうになった。
昨日こっそり買った、ミミル用の小さな白いリボン。
リノは鞄の影に手を入れ、ミミルの首元にそっと結んだ。
小さな星形シールもひとつ貼ってある。
「はい」
「……どう?」
ミミルが少し誇らしそうに胸を張る。
「似合う」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ今日は、ぼくも文化祭仕様だね」
ミミルは満足そうに頷いた。
その姿がかわいくて、リノはもう一度笑いそうになった。
チャイムが鳴った。
文化祭が始まる。
廊下には、いつもの学校とは違う匂いがしていた。
焼きそばのソースの匂い。
ポップコーンのバターの匂い。
チュロスの甘い匂い。
紙コップに入ったジュースの匂い。
「二年三組、焼きそば販売中でーす!」
「お化け屋敷、待ち時間十分でーす!」
「写真部展示、こちらでーす!」
「星形クッキー、今なら焼きたてでーす!」
呼び込みの声が、廊下のあちこちで跳ねている。
ポスターを貼った壁の前を、他クラスの衣装を着た生徒たちが走っていく。
紙皿を持った下級生が、友達と笑いながら階段を上っていく。
廊下の端では、先生が「走らない」と言いながらも少しだけ笑っていた。
リノたちの教室にも、少しずつ人が集まり始めた。
「星とリボンの写真スポットだって」
「かわいい!」
「願いごと書けるんだ」
「ステージもあるの?」
いろはは最初、緊張した顔をしていた。
でも、写真スポットを見た生徒が「かわいい」と言った瞬間、ぱっと表情が明るくなる。
「よかった……」
小さな声だった。
リノはそれを聞いて、少しだけ嬉しくなった。
かわいいって言われたい。
その気持ちは、悪いものじゃない。
ただ、そこに閉じ込められると苦しくなるだけ。
いろはは今、ちゃんと笑えている。
「願いごと星カードはこちらです」
セナが落ち着いた声で案内していた。
「書いたカードは、こちらの壁に貼ってください。ステージの最後に紹介する予定です」
「月森さん、受付似合うね」
ミカが横から言うと、セナは真顔で返した。
「似合うかどうかは分からないけど、動線としてはここが一番効率的」
「そういうところだよ」
「どういうところ?」
ミカは笑いながら原稿を持ってステージ横へ戻った。
午前中は、思ったよりも忙しかった。
写真スポットには何度も列ができた。
願いごと星カードは、あっという間に壁を埋めていった。
文化祭が楽しく終わりますように。
友達と写真が撮れますように。
テストで赤点を取りませんように。
推しに会えますように。
今日のステージが成功しますように。
星の形をした願いが、壁に増えていく。
ルル先輩が天文部の展示の合間にやって来たのは、昼前のことだった。
手には小さな星座カードの束を持っている。
「余ったから、よかったら使って」
「わあ、かわいい!」
いろはが受け取って目を輝かせる。
ルル先輩は少しだけ照れたように視線をそらした。
「文化祭っぽいかなと思って」
教室を見回して、ぽつりと言う。
「天文部より星が多いかも」
ミカが笑った。
「ルル先輩、それ天文部としては大丈夫なんですか?」
「……少し負けた気がする」
リノも笑った。
その笑い声の中で、鞄の中のミミルが小さく鼻を動かす。
「リノ」
「なに?」
「あの甘い匂いは?」
「たぶんチュロス」
「ちゅろす」
ミミルが真剣に繰り返す。
「食べたいの?」
「調査したい」
「調査」
「星の裏側にはなかった匂い」
リノは少し迷った。
ミミルは鞄の中にいるから、当然、表には出られない。
でも、今日は文化祭だ。
少しだけなら。
リノはミカに小声で言った。
「ちょっと廊下見てくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
廊下へ出ると、チュロスの屋台には小さな列ができていた。
リノは一つ買って、廊下の端の人目が少ない場所へ移動する。
紙袋の中から、小さくちぎったチュロスを取り出し、鞄の口を少しだけ開けた。
「ミミル、少しだけだよ」
ミミルは目を輝かせた。
小さな手でチュロスの欠片を受け取る。
そして、ぱくりと食べた。
次の瞬間、ミミルの耳がぴんと立った。
「……!」
「どう?」
「なにこれ」
ミミルは目を丸くする。
「外がさくってして、中がふわってして、甘い。しかも、なんか、きらきらした味がする」
「きらきらした味?」
「こんなの食べたことない!」
ミミルは小声なのに、かなり興奮していた。
「リノ、これは危険だよ」
「危険?」
「もう一個ほしくなる」
リノは思わず笑ってしまった。
「それは危険だね」
「調査継続を希望する」
「一個だけ」
「半分だけ」
「だめ」
「星兎族の文化研究として」
「だめ」
ミミルはしょんぼりした。
けれど、口元にはしっかり砂糖がついている。
リノはハンカチでそっと拭いた。
「またあとで、何か少しだけね」
「約束?」
「うん」
その時、廊下の向こうに黒い髪の少女が見えた。
ノアだった。
人混みから少し離れた壁際に立ち、腕を組んでいる。
リノは目を丸くした。
「ノア?」
ノアは嫌そうに顔をしかめる。
「見つかった」
「来てくれたの?」
「通りかかっただけ」
「学校の中を?」
「うるさい」
ノアは視線をそらした。
その手には、星形クッキーの袋があった。
リノがそれを見ると、ノアは袋を後ろに隠した。
「買ったの?」
「拾った」
「袋に入ってるけど」
「……うるさい」
リノは笑わないようにした。
ノアは人混みの方をちらりと見て、少しだけ眉を寄せる。
「騒がしい」
「文化祭だから」
「人が多い」
「うん」
「なのに、みんな楽しそう」
ノアの声は、少しだけ不思議そうだった。
リノは答えに迷う。
楽しい場所にいるのに、少し苦しい人もいる。
見てもらえて嬉しい人もいれば、見てもらえなくて寂しい人もいる。
文化祭は、明るいだけではない。
でも、それでも。
「楽しもうとしてるんだと思う」
リノが言うと、ノアは少しだけリノを見た。
「変な答え」
「そうかな」
「まあ、あなたらしい」
ノアはそう言って、また壁にもたれた。
リノは教室へ戻ろうとした。
その時、足元に何かが落ちているのに気づく。
透明な包み紙。
中に黒い欠片が残っている。
黒いキャンディの包み紙だった。
リノの胸元のリボンが、微かに熱を持つ。
ノアも気づいたらしく、目を細めた。
「来てるね」
「メル……」
リノは包み紙を拾おうとした。
その瞬間、どこかから小さな笑い声が聞こえた。
「お祭りっていいよねえ」
メルの声だった。
姿は見えない。
けれど、声だけが廊下のざわめきに混ざって聞こえる。
「みんな、ちょっと浮かれてるから」
リノは周囲を見る。
廊下には人が多い。
誰がメルなのか、どこにいるのか分からない。
「悪い子のいたずらも、混ぜやすいんだよ」
声はそこで消えた。
ノアが低く言う。
「気をつけなよ」
「ノアは?」
「私は人混みが嫌い」
「でも、残ってくれる?」
ノアは答えなかった。
ただ、視線だけを教室の方へ向けた。
その沈黙を、リノは勝手に返事だと思うことにした。
昼前になると、教室はさらに賑やかになった。
ステージの時間が近づいていたからだ。
有志メンバーは衣装を確認し、リノは裏方としてリボンを直して回る。
いろははセンターに近い位置に立つことになっていた。
けれど、前みたいに「自分だけが真ん中」という雰囲気ではなかった。
振付の途中で、左右の子が前に出る。
サビでは全員が横一列になる。
最後は、願いごと星カードの前で全員が星形に並ぶ。
みんなで輝くステージ。
いろはが考え直した形だった。
「よし」
セナが立ち位置表を確認する。
「本番五分前。出演者は舞台袖へ。ミカさんは司会位置へ」
「了解」
ミカが原稿を取りに机へ向かう。
そして、動きが止まった。
「……あれ?」
リノはすぐに気づく。
「ミカちゃん?」
「原稿がない」
空気が、少しだけ凍った。
「さっきまでここに置いてたのに」
ミカが机の周りを探す。
セナもすぐに動いた。
「最後に見たのは?」
「十分前。ここで確認した」
「誰か触った?」
周囲の生徒たちが首を横に振る。
いろはの表情が不安に揺れる。
「どうしよう。もうすぐ本番なのに」
その時、ステージの床に貼ってあった立ち位置シールが、少しずれていることにリノは気づいた。
いろはの位置が、中央からわずかに外されている。
代わりに、別の子の名前が中央に貼り替えられていた。
「これ……」
リノがしゃがみ込む。
シールの端に、黒いキャンディの包み紙が貼りついていた。
胸元のリボンが熱くなる。
教室の壁に貼られた願いごと星カードの中に、一枚だけ黒いカードが混じっていた。
そこには、白い文字でこう書かれている。
センターになりたい。
もう一枚。
私も見て。
さらにもう一枚。
あの子ばっかりずるい。
リノの背中が冷たくなる。
メルの仕込みだ。
小さな悪意。
小さな嫉妬。
文化祭の楽しい空気に紛れて、黒いキャンディがそれを大きくしている。
ミカは原稿を探しながら、少しだけ唇を噛んでいた。
でも、すぐに顔を上げる。
「大丈夫」
「ミカちゃん」
「原稿がなくても、内容は覚えてる。少し間違えるかもしれないけど」
声は震えている。
それでも、ミカは笑おうとしていなかった。
不安なまま、立っていた。
いろはも深く息を吸う。
「ステージ、止めなくていい」
「いろはちゃん」
「完璧じゃなくても、止めなくていい」
いろはは周りのメンバーを見る。
「みんなでつなごう」
その言葉に、少しずつ頷きが広がった。
セナは予定表を見て、すぐに判断する。
「開始は一分だけ遅らせる。リノさん、リボン確認をお願い。私は立ち位置を直す。ミカさんはその間に深呼吸」
「はい!」
リノは頷く。
その時、黒いスポットライトのような影が、ステージ上に落ちた。
照明はただの教室の蛍光灯のはずなのに。
黒い光が、一点だけを照らす。
そして、声がした。
「私も見て」
願いごと星カードが、一斉に揺れる。
黒いカードが舞い上がり、ほどけたリボンと絡み合う。
ステージの中央に、小さなノイズが生まれた。
黒いスポットライトの形をしている。
光なのに、影みたいに黒い。
その周囲を、ほどけたリボンと黒い星カードが回っている。
「センターになりたい」
「あの子ばっかりずるい」
「拍手がほしい」
「私の方がかわいい」
「隠したのは私じゃない」
「失敗すればいいのに」
スポットライト・ノイズ。
ミミルが鞄の中で叫ぶ。
「リノ!」
「分かってる」
でも、ここは文化祭本番の教室だ。
人が多すぎる。
このまま変身すれば、全員に見られてしまう。
ルル先輩が教室の入口から入ってきた。
異変に気づいたらしい。
「リノちゃん、後ろへ」
ルル先輩が小さく杖を隠し持ち、星の光を広げる。
「スターライト・カーテン」
教室の奥、舞台裏の一角だけが、少しだけぼやけた。
人目が逸れる。
ミカが司会位置へ立ち、マイクを握った。
「みなさん、少しだけお待ちください!」
声は震えていた。
けれど、はっきりしていた。
「これから、私たちのクラスによる、星とリボンのアイドルステージを始めます。今、最後の準備中です」
セナは観客を少しだけ写真スポット側へ誘導する。
「こちらの願いごと星カードも、今のうちにご覧ください」
いろははステージメンバーに声をかける。
「大丈夫。立ち位置が少し変わっても、私たちならできる」
リノは舞台裏へ下がり、ブローチを握った。
「マジカル・リボン・ドレスアップ!」
白とピンクの光が、小さな結界の中で弾けた。
胸元のリボンに黒い染みが残っている。
でも、今日は熱くなっても飲まれない。
リノはステッキを構えた。
スポットライト・ノイズが、リノへ囁く。
「助けたら、みんなが見るよ」
「文化祭の主役になれるよ」
「今なら、拍手がもらえるよ」
リノの胸が少しだけ痛む。
拍手がほしい気持ちは、まだある。
見てほしい気持ちも、消えていない。
でも。
「拍手が欲しい気持ちは、まだある」
リノは正直に言った。
ノイズの黒い光が揺れる。
「でも、それで誰かの影を奪わない」
その時、どこかからメルの声がした。
「わあ、かわいいステージ」
教室の天井近く、飾りのリボンの上に、メルが座っていた。
誰にも見えていないように、足をぶらぶらさせている。
「でも、かわいい子が並ぶとさあ、誰が一番か決めたくならない?」
メルはにこにこ笑う。
「センターって甘いよね。一番前って、ちょっと悪い子になってでも欲しくならない?」
「メル」
「怒った?」
「邪魔しないで」
「やだなあ、メルは応援してるだけだよ」
メルは黒いキャンディをひとつ口に放り込む。
「ほら、ステージ始まっちゃうよ?」
ミカの声が教室に響いた。
「それでは、私たちのクラスによる、星とリボンのアイドルステージです」
原稿はない。
でも、ミカは自分の言葉で続けた。
「今日まで、みんなで準備してきました。完璧じゃないところもあるかもしれません。でも、ひとつひとつ、みんなで結んできたステージです」
いろはがステージ上で、少し驚いたようにミカを見る。
そして、笑った。
「曲は、スターリボン・ステップ」
ミカは息を吸う。
「どうぞ!」
音楽が流れ始めた。
明るいイントロ。
ステージメンバーが動き出す。
リボンを結ぶような振付。
指で星を描くポーズ。
左右のメンバーが前に出て、いろはが一歩下がる。
サビで全員が横一列になる。
いろはは、ちゃんとみんなを見ていた。
自分だけが見られるためではなく。
みんなでステージを作るために。
けれど、スポットライト・ノイズは諦めない。
黒い光が、一人だけを照らそうとする。
ステージの端にいた子が、ほんの少し足を止めた。
「私も」
その子の影が揺れる。
「私も、前に行きたかった」
黒いスポットライトが、その子へ伸びる。
リノはリボンを飛ばした。
「マジカル・リボン・セパレート!」
黒い光と、その奥にある本音を分ける。
前に行きたかった。
その奥にあったのは、
頑張ったことを見てほしかった。
リノはその声をリボンで受け止めた。
「一番じゃなくても、光っていい」
スポットライト・ノイズが揺れる。
メルは少しだけ目を細めた。
その瞬間、音楽が止まった。
教室がざわつく。
ステージメンバーの動きも止まりかける。
セナが機材の方を見る。
「音源トラブル……!」
いろはの表情が一瞬こわばる。
前のいろはなら、ここで崩れていたかもしれない。
失敗した。
終わった。
そう思っていたかもしれない。
でも、いろははすぐに顔を上げた。
「止めない」
小さな声だった。
でも、隣の子には届いた。
「続けよう」
ミカがマイクを握る。
そして、手拍子を始めた。
ぱん。
ぱん。
ぱん。
「みなさん、よかったら手拍子お願いします!」
観客が少し戸惑う。
けれど、誰かが合わせた。
ぱん。
ぱん。
すぐに、教室中に手拍子が広がっていく。
拍手ではない。
誰かを評価するためだけの音ではない。
ステージを一緒につなぐための音。
いろはが笑った。
ステージメンバーも、手拍子に合わせて歌い続ける。
音源がなくても、声がある。
原稿がなくても、言葉がある。
リノの胸元の灰色の糸が強く光った。
「センターじゃなくても、ステージにいていい」
リノはステッキを掲げる。
黒いスポットライトが、ひとりだけを照らそうと暴れる。
「拍手は、誰かを選ぶためだけのものじゃない」
リノのリボンが、ステージ全体へ広がった。
「マジカル・リボン・カーテンコール!」
白と灰色と淡い桜色のリボンが、黒いスポットライトを包む。
一点に集まっていた黒い光がほどけていく。
ステージの中央だけではない。
端にも。
後ろにも。
舞台袖にも。
願いごと星カードの壁にも。
観客席にも。
小さな光が分かれていく。
黒い願いカードが震え、文字がほどけた。
センターになりたい。
その奥から、
私も見てほしかった。
あの子ばっかりずるい。
その奥から、
私も頑張ったって言ってほしかった。
失敗すればいいのに。
その奥から、
自分だけ失敗するのが怖かった。
リノはそれらの声を、ひとつずつ光へ変えていく。
スポットライト・ノイズは最後に小さく呟いた。
「見て」
リノは頷く。
「見てるよ」
ノイズは光になってほどけた。
同時に、止まっていた音源が戻った。
ちょうど最後のサビだった。
教室に歓声が上がる。
いろはたちは笑いながら、最後の振付へ入った。
全員が横一列になり、手首のリボンを空へ掲げる。
最後に、願いごと星カードの前で星形に並ぶ。
曲が終わった。
一瞬の静けさ。
そして、大きな拍手。
今度の拍手は、黒くなかった。
いろはは息を切らしながら、少し泣きそうな顔で笑っていた。
ミカがマイクを持つ。
「ありがとうございました!」
声が震えていた。
でも、それは怖さだけではなかった。
嬉しさも混ざっていた。
セナは予定表を見て、ぽつりと言う。
「予定外だけど」
それから、少しだけ口元を緩めた。
「悪くなかった」
いろはがステージから降りてきて、リノたちの方へ走ってくる。
「最高だった、って言ってもいい?」
リノは笑った。
「うん。言っていいと思う」
いろはは両手で顔を覆った。
「最高だった……!」
ミカも笑いながら原稿のない手元を見た。
「原稿、結局いらなかったかも」
「それは言いすぎ」
セナがすぐに言う。
「次からは予備を作る」
「はい」
リノは舞台裏で変身を解き、胸元のリボンをそっと押さえた。
黒い染みは、まだ残っている。
でも、今日は熱くなっても広がらなかった。
ミミルが鞄の中から小さく言う。
「リノ」
「なに?」
「カーテンコール、きれいだった」
「ありがとう」
「あと、チュロスもきれいだった」
「味が?」
「うん」
リノは小さく笑った。
「あとで、星形クッキーも少しだけね」
ミミルの耳がぴんと立つ。
「本当?」
「本当」
「文化祭、すごい」
ミミルは心から感動したように呟いた。
「星の裏側より、ずっとにぎやか」
その言葉に、リノは少しだけ胸が痛くなった。
でも、すぐに優しく笑う。
「うん」
文化祭は、夕方に近づくにつれて少しずつ落ち着いていった。
廊下の呼び込みの声は、朝より少し疲れている。
焼きそばの屋台は完売の紙を貼っていた。
ポップコーンの匂いはまだ残っている。
写真スポットの前には、最後の列ができていた。
リノたちの教室では、ステージを見た人たちが願いごと星カードを追加で書いていた。
ステージ楽しかったです。
また見たい。
みんなかわいかった。
手拍子楽しかった。
その中に、黒いカードはもうなかった。
リノは少しだけ安心する。
けれど、完全に気を抜くことはできなかった。
教室の窓の外。
校舎の屋上の端に、黒と赤紫の影が見えた。
メルだった。
夕方の風にフリルを揺らし、こちらを見下ろしている。
リノが気づくと、メルはにこっと笑った。
声は聞こえないはずなのに、耳元で囁かれたような気がした。
「よかったねえ、いい子ちゃん」
リノは窓の方を見る。
「今日は食べなかったね」
リノの手が、無意識に胸元へ動く。
メルの笑みが深くなる。
「でも、引き出しのキャンディ、まだ捨ててないでしょ?」
リノの体がこわばった。
誰にも話していない。
あの黒いキャンディを、まだ捨てられていないこと。
メルはくすくす笑う。
「だいじょーぶ。悪い子になるのは、いつでもできるから」
屋上の影が、黒い扉に飲まれるように消えた。
リノはしばらく、窓の外を見つめていた。
教室の中では、ミカがステージメンバーと笑っている。
セナが予定表にチェックを入れている。
いろはが写真スポットのリボンを直している。
ミミルが鞄の中で、星形クッキーを待っている。
文化祭は、ちゃんと楽しかった。
完璧ではなかった。
予定通りでもなかった。
でも、たしかに楽しかった。
それなのに、リノの胸元の黒い染みは、静かに熱を持っていた。
楽しい日の中にも、黒い声は混ざる。
でも、それだけで全部が黒くなるわけじゃない。
リノは窓から目を離し、教室の中へ戻った。
「リノちゃん!」
ミカが手を振る。
「写真、みんなで撮ろう!」
「うん」
リノは頷いた。
写真スポットの前に、みんなが集まる。
いろはが真ん中に立とうとして、少し迷う。
セナがそれを見て言った。
「そこ、花守さんでいいと思う」
いろはが驚いた顔をする。
「いいの?」
「うん。今日は、みんなを見てたから」
いろはは少しだけ泣きそうになって、それから笑った。
「ありがとう」
リノはミカの隣に立つ。
ミミルは鞄の中から、こっそり白いリボンを揺らした。
カメラのシャッター音が鳴る。
星とリボンの飾りが、夕方の光を受けて揺れていた。
その中に、黒銀のリボンも混ざっている。
黒があるからこそ、星がきれいに見える。
いろはが言っていた言葉を、リノは思い出した。
黒い染みは消えない。
それでも、光る場所はある。
文化祭の一日は、まだ終わっていなかった。
けれど、リノはその一瞬だけ、ちゃんと笑えている気がした。




