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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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20.5話 仲直りの結び目

※この話は本編と関係がある間章となります。


 文化祭前日の教室は、少しだけ浮かれていて、少しだけ焦っていた。


 黒板には、明日の流れが書かれている。


 午前、展示準備。

 昼前、衣装確認。

 午後、ミニステージ本番。

 終了後、写真スポット開放。


 その横に、星とリボンの飾りが貼られていた。


 教室の後ろには、完成した衣装が並んでいる。

 白とピンクのリボン。

 星形の飾り。

 手作りの小さなアクセサリー。


 昨日までの大きな戦いが嘘みたいに、教室は普通の文化祭前日だった。


 普通。


 それが少し、リノにはまぶしかった。


「え、待って」


 いろはの声が、教室の前から聞こえた。


 リノが顔を上げると、いろはが材料箱を覗き込んで固まっている。


「リボン、足りないかも」


「え?」


 ミカが近づく。


「どのリボン?」


「写真スポットの端につける分。あと、ステージ横の飾りにも使う予定だったやつ」


 いろはは箱の中身をもう一度確認する。


 赤。

 白。

 ピンク。

 金色。

 星柄の細いリボン。


 けれど、必要な長さには少し足りない。


「明日、本番なのに……」


 いろはの声に、焦りが滲む。


 セナはすぐに予定表と材料メモを確認した。


「不足しているのは、星柄リボンが三本分。あと、写真スポット用の布を留める両面テープも足りない」


「両面テープも?」


 ミカが苦笑する。


「文化祭前日あるあるだね」


 セナは落ち着いた声で続けた。


「今から買い足せば間に合う。駅前の百均と手芸店に行けば、どちらも揃うと思う」


「じゃあ、買い出し班出動だね!」


 ミカが明るく手を上げる。


 いろはもほっとしたように頷いた。


「私、行く。リボン選びたいし」


「私も行く」


 リノが言うと、ミカが嬉しそうに笑う。


「じゃあ、リノちゃんも決定」


 セナはメモ帳に必要なものを書き出した。


「私も行く。予算を確認しながら買う必要があるから」


「セナちゃん、頼りになる」


「頼りにされるなら、予算は守って」


「はい」


 ミカが少しふざけて返事をして、教室に小さな笑いが起きた。


 リノは鞄を手に取る。


 中から、小さな声がした。


「リノ、買い出しって何?」


 ミミルだ。


 リノは鞄の口を少しだけ開けて、小声で答える。


「足りないものを買いに行くこと」


「お祭りの準備?」


「うん」


「食べものは?」


「今回は材料」


「材料は食べられる?」


「たぶん食べられない」


「そっか……」


 しょんぼりした声に、リノは少し笑ってしまった。


「何笑ってるの?」


 ミカに聞かれて、リノは慌てて首を横に振る。


「なんでもない」


 駅前の商店街は、夕方の光で少しだけ金色に染まっていた。


 学校帰りの生徒や、買い物袋を持った人たちが行き交っている。


 昨日、黒い星雨が降った場所とは思えないくらい、町は普通だった。


 けれどリノは、ふとした瞬間に空を見てしまう。


 黒い星は見えない。


 でも、消えていない。


 そのことを、胸元のリボンが覚えている。


「まず百均から行こう」


 セナがリストを見ながら言った。


「両面テープ、星形シール、予備の透明テープ。そこから手芸店でリボン」


「了解、隊長」


 ミカが敬礼する。


「隊長ではない」


「じゃあ、予算管理大臣」


「それも違う」


 ミカとセナのやり取りに、いろはが少し笑う。


 リノも笑った。


 こんな時間が、ずっと続けばいいのに。


 そう思ってしまった。


 百均に入ると、ミカはすぐに足を止めた。


「見て! この星のヘアピンかわいい!」


 セナが振り返る。


「必要なものから」


「文化祭に使えるかもしれないじゃん」


「ヘアピンはリストにない」


「リストにないかわいさもあると思う」


 いろはが思わず頷いた。


「それは分かる」


「分からないで」


 セナはため息をつきながらも、少しだけ笑っていた。


 リノは星形シールを選びながら、鞄の中から聞こえる小さな声に耳を傾ける。


「リノ、あれは星の食べもの?」


 ミミルの視線の先には、金平糖の袋があった。


「あれは金平糖」


「星じゃん」


「形は星っぽいけど」


「食べられる星……」


 ミミルの声が真剣だったので、リノは思わず笑いそうになる。


 ミカがちらりとこちらを見た。


「リノちゃん、また何か面白いことあった?」


「ううん。星について考えてた」


「急に詩的」


 買い物は、最初は順調だった。


 両面テープ。

 星形シール。

 予備のマスキングテープ。

 透明な袋。

 飾り用の小さな造花。


 必要なものをかごに入れ、次に手芸店へ向かった。


 そこは商店街の端にある、少し古い店だった。


 入り口には、色とりどりの布やリボンが並んでいる。


 いろはの目が、一気に輝いた。


「かわいい……!」


 店内には、壁いっぱいにリボンが並んでいた。


 サテンのリボン。

 レースのリボン。

 星柄のリボン。

 透明感のあるオーガンジー。

 金色の縁取りがついたもの。


 リノも思わず見入ってしまう。


 どれも少しずつ違って、どれもかわいい。


 いろはは、一本のリボンの前で立ち止まった。


 黒と銀が混ざった、星空のようなリボンだった。


 深い夜の色に、細かな銀色の星が散っている。


「これ……」


 いろははそっと手に取る。


「絶対かわいい」


 リノも頷いた。


「きれいだね」


「これ、写真スポットの端に使いたい。白いリボンの中に少しだけ入れたら、星空っぽくなると思う」


 いろはの声が弾む。


 でも、セナは値札を見て眉を寄せた。


「少し高い」


「え?」


「必要な長さを買うと、予算を超える」


 いろはの表情が少し曇る。


「でも、これが一番かわいいよ」


「かわいいのは分かる。でも、予算を超えるものは選べない」


「少しくらいなら、他で調整できない?」


 セナはリストを見る。


「できなくはない。でも、他の材料を減らすことになる。それに、今から飾りの方向性を変えると作業時間も増える」


「でも、明日だよ?」


 いろはの声が少し強くなる。


「中途半端なまま本番にしたくない」


「中途半端にはならないように、今の材料でできる形を考えている」


「でも、このリボンがあった方が絶対よくなる」


「かわいさだけでは決められない」


 その瞬間、いろはの表情が止まった。


 リノは胸の奥が小さくざわつくのを感じた。


 今の言葉は、きっとセナに悪気はない。


 でも、いろはには刺さった。


「かわいさだけって言わないで」


 いろはの声は、思ったより低かった。


 セナも少しだけ表情を硬くする。


「そういう意味ではない。ただ、時間と予算も考えないと」


「分かってるよ」


「分かっているなら」


「分かってるけど!」


 いろはの声が、店内に少し響いた。


 近くにいた客がちらりとこちらを見る。


 ミカが慌てて間に入る。


「まあまあ、ちょっと落ち着こ? 他にも似たリボンあるかもしれないし」


 けれど、いろはの目はセナから離れなかった。


「月森さんは、いつも正しいことばっかりだよね」


 セナの肩が、ほんの少し揺れた。


 その言葉がセナにとって痛いものだと、リノは知っている。


 いい子の檻。

 正しくあろうとして、自分を閉じ込めていたセナ。


 セナの表情が、少しだけ冷たくなる。


「花守さんこそ」


 その声に、リノは嫌な予感がした。


「また見た目ばかり気にしてる」


 空気が、凍った。


 いろはの目が大きく開く。


 手に持っていた星空のリボンが、少しだけ震えた。


「……そういうふうに見えてたんだ」


「違う、今のは」


 セナがすぐに言いかける。


 でも、いろはは首を横に振った。


「もういい」


「花守さん」


「もういいってば!」


 いろはは買い物かごをその場に置き、店の外へ飛び出した。


「いろはちゃん!」


 ミカが叫ぶ。


 リノたちもすぐに追いかけた。


 けれど夕方の商店街は人が多かった。


 制服姿の生徒。

 買い物帰りの人。

 自転車を押す人。

 親子連れ。


 いろはの姿は、人の波に紛れてすぐに見えなくなった。


「いろはちゃん!」


 ミカが商店街の方へ走る。


 セナは店の前で立ち尽くしていた。


 顔が青ざめている。


「私が」


 その声は、いつものセナらしくなかった。


「私が言いすぎた」


 リノはセナの方を見る。


「セナちゃん」


「あんな言い方、するつもりじゃなかった」


 セナは唇を噛む。


「また、正しいことを言おうとして、人を傷つけた」


 リノの胸が痛んだ。


 セナは、本当にそう思っている。


 でも、ここでセナだけを責めても、何も結び直せない。


「セナちゃんは、傷つけたかったわけじゃない」


「でも、傷つけた」


「うん」


 リノは頷いた。


「だから、ちゃんと会って聞こう」


 セナがリノを見る。


「傷ついたかどうかは、いろはちゃんに聞かなきゃ分からない。謝るのも、会ってからじゃないとできない」


 セナは小さく息を吸った。


 そして頷く。


「探そう」


「うん」


 リノたちは手分けして探した。


 ミカは商店街の明るい通りへ。

 セナは駅前と手芸店の周辺へ。

 リノは路地や小さな公園の方へ。


 ミミルは鞄の中で、耳をぴくぴく動かしている。


「リノ」


「分かる?」


「少しだけ。黒い星の気配がする」


 リノの胸元のリボンが熱くなる。


「いろはちゃんに?」


「分からない。でも、近くに黒い気配がある」


 リノは足を速めた。


 スマホを確認する。


 ミカからのメッセージ。


『商店街にはいないかも』


 セナからも来ていた。


『駅前にも見当たらない。電話、出ない』


 リノは唇を噛む。


 見つからない。


 ただの喧嘩なら、少し離れて泣いているだけかもしれない。


 でも、この町では、それだけで終わらないことがある。


 傷ついた心に、黒い星は近づいてくる。


 そして今は、メルがいる。


「ミミル、もっと探せる?」


「やってる。でも、気配が甘い匂いに混ざってる」


「甘い匂い……」


 リノは足を止めた。


 商店街の端。


 人通りが少なくなった先に、古い手芸店があった。


 さっきの店ではない。


 もう閉店しているらしく、シャッターは半分下りている。


 けれど、ショーウィンドウには古いリボンやボタン、造花がまだ飾られていた。


 その前に、黒いキャンディの包み紙がひとつ、転がっていた。


 リノの背筋が冷たくなる。


「こっちだ」


 その少し前。


 いろはは、古い手芸店の前にいた。


 どこまで走ったのか、自分でも分からなかった。


 気づいたら、人通りの少ない路地に立っていた。


 胸が苦しい。


 泣きたくないのに、涙が出てくる。


「見た目ばっかりじゃないのに」


 いろははショーウィンドウの前でしゃがみ込んだ。


 ガラスの中には、古いリボンや布花が飾られている。


 少し色あせているけれど、どれも丁寧に並べられていた。


「かわいくしたいって、そんなに軽いことなの?」


 誰に言うでもなく、呟く。


「ちゃんと見てもらいたかっただけなのに」


 その時、ころころ、と音がした。


 黒いキャンディが、いろはの足元に転がってくる。


 いろはは顔を上げた。


「泣いちゃった?」


 上から声がした。


 店の看板の上に、黒と赤紫のフリルを着た少女が座っていた。


 影森メル。


 メルは頬杖をついて、楽しそうにいろはを見下ろしている。


「主役ちゃん、かわいそう」


「あなた……誰?」


「通りすがりの悪い子だよ」


 メルはにこっと笑った。


「せっかく頑張ってたのにねえ。かわいいって言ってほしかっただけなのに、『見た目ばっかり』なんて言われちゃった」


 いろはの肩が震える。


「聞いてたの?」


「聞こえちゃった」


 メルは黒いキャンディを指先でつまむ。


「泣きたい時って、甘いものほしくなるでしょ?」


「いらない」


「えらい。まだいい子なんだ」


 メルは笑った。


「でも、いい子って疲れるよ?」


 いろはは立ち上がろうとした。


 けれど足が動かない。


 黒いキャンディの包み紙が、いつの間にか靴の近くに絡みついていた。


「やめて」


「メルは何にもしてないよ?」


 メルは無邪気に首を傾げる。


「ちょっと、泣きたい気持ちにお砂糖かけてるだけ」


 黒いキャンディが、ショーウィンドウのガラスに触れた。


 ガラスが黒く波打つ。


 中に飾られていたリボンや造花、ボタンが、ゆっくりと動き始めた。


「見て」

「でも、勝手に決めないで」

「かわいいって言って」

「でも、軽く見ないで」


 いろはは後ずさろうとする。


 しかし、足元の影がガラスへ引っ張られた。


「やだ……!」


 メルは楽しそうに足を揺らす。


「だいじょーぶ。主役ちゃんは、ちゃんと飾ってあげる」


 ガラスの中から伸びたリボンが、いろはの腕を掴んだ。


「かわいく、見えるところにね」


 その瞬間、いろはの体がショーウィンドウの中へ引き込まれた。


 リノが古い手芸店へたどり着いた時、ショーウィンドウはすでに黒く変わっていた。


 ガラスの向こうに、いろはがいる。


 リボンと造花に囲まれ、飾り人形みたいに座らされていた。


「いろはちゃん!」


 リノが叫ぶ。


 いろはは顔を上げる。


 でも、声は届いていないようだった。


 ガラスの表面に、黒い文字が浮かぶ。


 かわいい。

 いらない。

 選ばれない。

 見た目だけ。

 飾らないと見てもらえない。

 飾ったら中身を見てもらえない。


 ミミルが叫ぶ。


「ショーウィンドウ・ノイズ!」


 リノはブローチを握る。


「マジカル・リボン・ドレスアップ!」


 白とピンクの光が、路地を照らす。


 その光に反応するように、ショーウィンドウが巨大化した。


 古い手芸店の壁を越え、ガラスの箱のような空間が広がる。


 中にいろはを閉じ込めたまま、リボンと造花がうねる。


 メルは看板の上で拍手した。


「わあ、早かったね。さすがいい子ちゃん」


「いろはちゃんを出して」


「メルが入れたわけじゃないもん」


 メルは唇を尖らせる。


「主役ちゃんの気持ちが、ちょうどぴったりだっただけ」


「そうやって人の気持ちを遊ばないで!」


「遊んでないよ。飾ってるの」


 メルは甘く笑う。


「かわいくね」


 リノがステッキを構えた時、ミカとセナも駆けつけた。


「リノちゃん!」


 ミカが息を切らしている。


 セナはショーウィンドウの中のいろはを見て、顔を青ざめさせた。


「花守さん……!」


 セナはガラスに駆け寄り、両手で叩く。


「花守さん! 聞こえる?」


 いろはは反応しない。


 ガラスに、黒い文字が浮かんだ。


 正しい子は、かわいい子を見下す。


 セナの手が止まる。


 リノはノイズから伸びるリボンを切り払った。


「セナちゃん!」


 セナは唇を震わせていた。


「違う」


 小さな声だった。


「私は、そんなつもりじゃ」


 ガラスにさらに文字が浮かぶ。


 そんなつもりじゃなければ、傷つけてもいいの?


 セナは言葉を失った。


 ミカがガラスの前に立つ。


「いろはちゃん! 聞こえなくても、こっちはいるから!」


 リノはショーウィンドウ・ノイズの攻撃を受け止めながら叫ぶ。


「ミカちゃん、声を!」


「うん!」


 ミカは両手を口に当てる。


「いろはちゃん! ひとりじゃないよ!」


 ガラスの中で、いろはの指が少しだけ動いた。


 届いている。


 少しだけ。


 でも、ガラスはまだ開かない。


 セナは震える手を握りしめた。


 そして、ガラスの前に立つ。


「花守さん」


 声が震えていた。


 でも、逃げなかった。


「ごめん」


 ガラスの文字がざわめく。


「見た目ばかりなんて言い方、してよくなかった」


 セナは深く息を吸う。


「あなたがかわいさにこだわっていたのは、軽い気持ちじゃないって、分かってたのに」


 ガラスの中で、いろはがゆっくり顔を上げる。


 涙で濡れた目が、セナを見た。


「私」


 いろはの声が、ガラス越しにかすかに届く。


「また、主役になりたいだけの子に見えた?」


 セナは首を横に振った。


「見えたんじゃない」


 言葉を選ぶように、ゆっくり言う。


「私が、ちゃんと見ようとしなかった」


 いろはの目が揺れる。


「花守さんが、みんなに楽しんでほしくて考えていたことも、本当は分かってた」

「でも私は、時間とか予算とか、正しい形にすることばかり考えて、あなたの気持ちを置いていった」


 セナの声が少しだけ詰まる。


「ごめん」


 ガラスに、小さなひびが入った。


 メルが看板の上で、つまらなそうに頬を膨らませる。


「えー、もう謝っちゃうの?」


 リノはノイズのリボンを避けながら、メルを睨む。


「メル」


「だって、もっと拗れた方が面白いのに」


「面白くない」


「いい子ちゃんはすぐそう言う」


 メルは黒いキャンディを投げた。


 それがノイズに触れると、ガラスの文字が増える。


 正しい。

 冷たい。

 かわいい。

 軽い。

 飾り。

 中身なし。


 リノはステッキを握る。


 喧嘩した言葉は消えない。


 一度言ってしまった言葉は、なかったことにはできない。


 でも、言い直すことはできる。


 結び直すことはできる。


 リノはガラスへ向かってリボンを伸ばした。


「マジカル・リボン・リステッチ!」


 灰色の糸が、ガラスに走ったひびへ入り込む。


 割るのではなく、縫う。


 閉じ込めるためではなく、向こうとこちらをつなぎ直すために。


 リノは言う。


「喧嘩した言葉は、消えない」


 灰色の糸が、黒い文字をひとつずつ縫い分けていく。


「でも、言い直すことはできる」


 かわいい、と、見た目だけ。


 正しい、と、冷たい。


 それぞれが絡まっていた言葉を、灰色の糸が分けていく。


「ほどけたままにしない」


 ガラスの向こうで、いろはが涙を拭った。


「私も」


 いろはの声が届く。


「私も、ごめん」


 セナが顔を上げる。


「正しいことばっかりって言ったの、ひどかった」

「月森さんが、みんなを守ろうとしてたの、知ってたのに」


 セナの目が揺れる。


 いろはは少しだけ泣き笑いの顔になる。


「でも、傷ついたのは本当」


「うん」


 セナは頷いた。


「私も、傷ついた」


「うん」


「だから」


 セナはガラスに手を当てる。


「次は、ちゃんと話したい」


 いろはも、内側からガラスに手を重ねた。


「うん」


 ガラスのひびが、光へ変わる。


 リノの灰色の糸が、最後の黒い文字を縫い直した。


「もう一度、縫い直す」


 ショーウィンドウ・ノイズが大きく震えた。


「見て」

「軽く見ないで」

「飾らないと」

「飾ったら」


「見てるよ」


 リノは言った。


「でも、飾りとしてじゃない」


 ミカが続ける。


「いろはちゃんとして、見てる」


 セナも言った。


「花守さんとして、見たい」


 その瞬間、ショーウィンドウのガラスが開いた。


 割れるのではなく、扉のように。


 中から、いろはがよろけながら出てくる。


 セナがすぐに手を伸ばした。


「帰ろう」


 いろははその手を見た。


 少しだけ迷ってから、そっと握る。


「うん」


 メルは看板の上で、つまらなそうに足を揺らした。


「なーんだ。仲直りしちゃった」


「悪い?」


 ミカが少しだけ強い声で言うと、メルは楽しそうに笑った。


「悪くないよ。仲直りも、たまにはかわいいし」


 メルは黒いキャンディをひとつ口に入れる。


「でも、覚えておいてね。仲直りしたって、言われた言葉は残るんだよ?」


 その言葉に、セナといろはの表情が少しだけ揺れる。


 リノはメルを見上げる。


「残っても、結び直せる」


 メルは目を細めた。


「ふうん」


 それから、にこっと笑う。


「いい子ちゃん、そういうところ、ほんと強情」


 黒い扉がメルの後ろに開く。


「じゃあ、またね。次はもっと、ほどけにくい結び目にしてあげる」


 メルはひらひらと手を振った。


「文化祭、楽しみにしてるね。楽しい日ほど、悪い子は目立つんだよ」


 黒い扉が閉じる。


 路地には、夕方の静けさが戻った。


 古い手芸店のショーウィンドウも、元の大きさに戻っている。


 色あせたリボンと造花が、ガラスの向こうで静かに並んでいた。


 いろははセナの手を握ったまま、小さく言った。


「さっきの、まだちょっと傷ついてる」


 セナは頷いた。


「うん」


「でも、明日一緒にやるのは、やめたくない」


「私も」


 二人は少し気まずそうに、それでもちゃんと並んで立っていた。


 ミカが手を叩く。


「じゃあ、買い物の続き、行ける?」


 いろはは泣きあとを袖で拭って、少し笑った。


「行く。リボン、選び直したい」


 セナが言う。


「予算内で」


「言うと思った」


 いろはが小さく笑う。


「でも、時間内で、予算内で、一番かわいいやつにする」


「それなら賛成」


 リノは二人を見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 喧嘩は、なかったことにはならない。


 でも、そこで終わりじゃない。


 言いすぎたなら、謝ればいい。

 傷ついたなら、傷ついたと言えばいい。

 ほどけたなら、結び直せばいい。


 魔法じゃなくても。


 もう一度、手を伸ばせる。


 手芸店へ戻ると、さっきの星空みたいなリボンの隣に、少し安いリボンセットが置かれていた。


 黒と銀と白が少しずつ入っている。


 長さも十分。


 予算内。


 いろはがそれを見つけて、目を輝かせた。


「これ、いいかも」


 セナが値段を確認する。


「予算内」


「作業時間は?」


「今の飾りに足すなら、そこまで増えない」


「じゃあ」


 いろはが笑う。


「決まり?」


 セナは頷いた。


「決まり」


 ミカが横から、星形の小さな飾りを持ってくる。


「これも少しだけ足したら?」


 セナが値段を見る。


「少しなら」


「やった」


 リノは棚の隅に、小さな白いリボンを見つけた。


 手のひらに乗るくらい小さい。


 ミミルに似合いそうだと思った。


 こっそりかごに入れようとすると、鞄の中から小さな声がした。


「リノ」


「なに?」


「それ、ぼく用?」


「違うよ」


「嘘が下手」


 ミミルの声が少し嬉しそうだった。


「……何色?」


「白」


「星はついてる?」


「ついてない」


「星、つけられる?」


 リノは笑った。


「つけられると思う」


「じゃあ、少しだけなら」


 買い物が終わる頃には、空はすっかり夕方の色になっていた。


 買い物袋を持って、四人は学校へ戻る道を歩いた。


 セナといろはは、少し距離を空けながらも並んでいる。


 いろはがぽつりと言った。


「月森さんって、怒ると静かに怖いね」


「花守さんは、怒るとすぐ分かる」


「え、やだ。気をつけよ」


「別に、分かりやすいのは悪いことじゃない」


 いろはは少し驚いた顔をして、それから笑った。


「そっか」


 リノとミカは、その少し後ろを歩いていた。


 ミカが小さく言う。


「仲直りって、ちょっと照れるね」


「うん」


 リノは頷いた。


「でも、いいね」


「うん。いい」


 ミカは買い物袋を持ち直した。


「リノちゃんも、今日がんばってた」


「私は、そんなに」


「全部背負わなかったでしょ」


 リノは少しだけ目を開く。


 ミカは笑った。


「ちゃんと、セナちゃんといろはちゃんが話すの待ってた」


 リノは胸元を押さえた。


 黒い染みが、今は静かだった。


「うん」


 空には、黒い星は見えなかった。


 けれど、どこかでメルが笑っている気がした。


 文化祭、楽しみにしてるね。


 楽しい日ほど、悪い子は目立つんだよ。


 その言葉は、まだ消えない。


 でも今は、買い物袋の中でリボンが揺れている。


 黒と銀と白の、星空みたいなリボン。


 喧嘩のあとに選んだ、仲直りのリボン。


 明日、それを教室に飾る。


 傷ついた言葉は、なかったことにはならない。


 それでも、結び直したリボンは、きっと前より少しだけ強くなる。


 リノは夕方の道を歩きながら、そう思った。

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