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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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第20話 ブラックゲート


 空の傷は、夜になっても消えなかった。


 黒い星のまわりに残った輪のような裂け目は、夕暮れの町の上で、ゆっくりと脈打っていた。


 それは雲ではない。


 穴でもない。


 黒いリボンを何重にも結んで作った、大きな輪のようだった。


 絡まり合ったリボンの中心に、真っ暗な空間が開いている。


 その奥に見えるのは、夜空だった。


 けれど、普通の夜空ではない。


 星は光っていない。


 代わりに、割れた鏡の欠片のようなものが、黒い空に浮かんでいた。


 リノは校舎の屋上で、その門を見上げていた。


 風が冷たい。


 町の明かりはいつも通り灯っているのに、どこか作り物の景色みたいに見えた。


 駅前の時計塔は、針が逆向きに回っているように見える。


 商店街の看板には、一瞬だけ「失敗」「後悔」「選ばれたい」という黒い文字が浮かんでは消える。


 学校の廊下は、窓越しに見るとステージの花道みたいに長く伸びていた。


 公園の遊具は、遠目には鳥かごの形に歪んでいる。


 現実が少しずつ、別の景色と重なっていく。


「始まったね」


 ルル先輩が静かに言った。


 その声は落ち着いていた。


 けれど、指先は杖を握るように強く丸まっている。


 ミミルはリノの肩の上で、小さな体を震わせていた。


「ミミル」


 リノが呼ぶと、ミミルは耳を伏せたまま答えた。


「あれは、ブラックゲート」


 その名前を聞くだけで、胸元のリボンが熱を持つ。


 リノは制服の上からブローチを押さえた。


 黒い染みが、奥で疼いている気がした。


「ブラックゲートって、何なの?」


 ミカが聞いた。


 隣にはセナといろはもいる。


 セナはメモ帳を持ち、町の地図と校内の残留生徒の情報を照らし合わせていた。


 いろはは、スマホを握りしめている。


 文化祭メンバーに連絡するためだった。


 もう、魔法少女だけの問題ではなくなっていた。


 ミミルは空を見上げる。


「あれは、現実と星の裏側をつなぐ門」


「星の裏側……」


 リノが繰り返すと、ルル先輩が頷いた。


「心の奥にしまわれた声が流れ着く場所。言えなかった言葉、隠した寂しさ、見ないふりをした願い。そういうものが落ちていく場所」


 ルル先輩の目が、黒い門を映す。


「そこに落ちた声が形を持つと、ノイズになる」


 ミカが小さく息をのんだ。


「じゃあ、ノイズは……」


「星の裏側から現実へにじみ出てきている」


 ルル先輩は静かに答えた。


「本当は、つながってはいけない場所なの」


 ミミルが震える声で続ける。


「ブラックゲートが開いたら、ノイズが一気に現実へ流れ込む。町の人たちの心も、星の裏側に引っ張られる」


「メルは」


 リノは門を見上げたまま聞いた。


「影森メルは、そこから来たの?」


 ミミルはすぐには答えなかった。


 小さな口が、何かを言おうとして止まる。


 まただ。


 ミミルは何かを知っている。


 でも言えない。


 リノはその横顔を見た。


「ミミル」


「……今は」


 ミミルは苦しそうに言った。


「今は、門を閉じる方が先」


 リノは少しだけ唇を噛んだ。


 聞きたいことはある。


 でも、今じゃない。


 セナが空を見上げながら言った。


「門が開いた場合、町全体に影響が出るんだよね」


「うん」


 ミミルが頷く。


「じゃあ、現実側の人の避難と誘導が必要。学校、駅前、商店街、公園。昨日と同じ場所が危ない」


 セナの声は冷静だった。


 けれど、その目は真剣だった。


「私は学校側に残る。先生たちには停電と安全確認って形で動いてもらう。三枝さんは放送や声かけ、花守さんは文化祭メンバーへの連絡をお願い」


「うん」


 ミカはすぐに頷いた。


「私、リノちゃんたちを呼び戻せるように、ずっと声を出す」


 いろはもスマホを握り直した。


「私もやる。今度は、誰かに全部任せない」


 リノは二人を見る。


 ミカ。

 セナ。

 いろは。


 魔法少女ではない。


 でも、ちゃんと戦っている。


 それが分かる。


 ノアは屋上のフェンスに座っていた。


 黒いリボンを指先で弄びながら、空の門を見ている。


「で、白い子」


 ノアが言った。


「入るんでしょ」


 リノは頷く。


「うん」


「中に入ったら、外より黒い声が強い。聞きすぎたら持っていかれる」


「分かってる」


「たぶん、分かってない」


 ノアはフェンスから降りた。


「だから私も行く」


 リノは少し驚いた。


「ノアが?」


「何、その顔」


「いや……」


「勘違いしないで。助けたいとかじゃない」


 ノアは空を睨んだ。


「あのメルって子の黒、嫌いなだけ」


 ルル先輩が静かに言う。


「私も行く。門の中で帰り道を固定するには、星図が必要だから」


 ミミルもリノの肩から飛び降りた。


「ぼくも行く。案内役だから」


 その声は震えていた。


 でも、逃げなかった。


 リノは胸元のブローチを握った。


「じゃあ、行こう」


 空のブラックゲートが、低く鳴った。


 黒いリボンの輪がほどけるように広がり、その中心から黒い星雨の残りが降り始める。


 その時、門の縁に小さな黒い扉が開いた。


 ぱかん、と場違いなほど軽い音がした。


 そこから顔を出したのは、影森メルだった。


 黒と赤紫のフリルを揺らし、キャンディ型のステッキを片手でくるくる回している。


 まるで、遊園地の入口で客を待つ案内係みたいに。


「いらっしゃーい、いい子ちゃんたち」


 メルはにこにこ笑った。


「ここから先は、悪い子の入口でーす」


 リノはステッキを構える前に、思わず眉をひそめた。


「……あなた」


「あ、怒った?」


 メルは嬉しそうに目を細める。


「いいねえ。リノちゃん、怒った顔もかわいい」


 ノアの黒いリボンが低くうねった。


「ふざけないで」


「やだなあ、黒リボンちゃん。メル、まだ何にもしてないよ?」


 メルは両手を広げて、わざとらしく無害な顔をした。


「ちょっと門を開けて、ちょっと本音をこぼしただけ。ね、かわいいいたずらでしょ?」


「災害をいたずらって呼ぶな」


 ノアの声が冷たくなる。


 メルは口元に指を当てて、くすくす笑った。


「こわーい。黒リボンちゃん、今日もぴりぴりだ」


 ノアが一歩踏み出そうとする。


 リノはその前に声を出した。


「メル。あなたは何がしたいの」


「んー?」


 メルは門の縁に腰かけ、足をぶらぶら揺らした。


「楽しくしたいだけだよ」


「楽しく?」


「だって、現実って息苦しいでしょ?」


 メルは空の奥を指さす。


「星の裏側にはね、みんなが隠した本音があるんだよ。いい子のふりをして閉じ込めたものが、ぜーんぶ眠ってるの」


 黒い門の奥から、声が漏れてくる。


 見て。

 選んで。

 置いていかないで。

 失敗したくない。

 いい子でいるの疲れた。

 嫌い。

 でも嫌われたくない。


 リノの胸が苦しくなる。


 メルは楽しそうに足を揺らした。


「我慢しなくていい世界だよ? 泣いても、怒っても、奪っても、だーれも『めっ』ってしないの」


 メルは人差し指を立てて、子どもを叱るように軽く振った。


「最高でしょ?」


「本音を言うことと」


 リノは胸元のリボンを押さえながら言った。


「誰かを傷つけることは、同じじゃない」


 メルは、きょとんと瞬きをした。


 そして、ぷっと吹き出す。


「もー、いい子ちゃんってば、ほんっと真面目」


 ステッキの先で、黒いリボンの輪を軽くつつく。


「そんなにきゅっと結んでたら、心までリボン結びになっちゃうよ?」


 メルの声は明るい。


 でも、その言葉の奥には、針みたいなものがあった。


 リノの胸元の黒い染みが、小さく疼く。


 ノアの黒いリボンがメルへ伸びる。


 けれど、メルは黒い扉をひとつ開き、その中へふっと消えた。


 次の瞬間、彼女の声だけが門の奥から響く。


「じゃあ、入っておいで。いい子のまま帰れるか、メルと遊ぼ?」


 黒いリボンの輪が大きく開いた。


 ルル先輩が杖を構える。


「外から押さえるだけじゃ無理。あの門は、黒いリボンの結び目でできてる」


「結び目……」


「門の内側にある核をほどかないと閉じられない」


 リノは深く息を吸った。


 黒い声が、こちらを呼んでいる。


 怖い。


 でも、行かなきゃいけない。


 リノは変身のためにブローチへ触れた。


「マジカル・リボン・ドレスアップ!」


 白とピンクの光が、夜の屋上に広がる。


 胸元のリボンには黒い染みが残っている。


 その上を、灰色の糸がそっと走った。


 ルル先輩も星の杖を掲げる。


「マジカル・スター・ドレスアップ」


 淡い星明かりが彼女を包む。


 ノアはすでに黒いリボンを纏っていた。


 リノはミカたちを振り返る。


「行ってくる」


 ミカはリノを真っ直ぐ見た。


「帰ってきて」


「うん」


「主役じゃなくても、魔法少女じゃなくても、待ってるから」


 その言葉に、リノの胸が少しだけ温かくなる。


 セナが言う。


「白咲さん、まだ説明が終わってないから」


「うん。あとで、ちゃんと話す」


 いろはも小さく手を振った。


「衣装のリボン、続きお願いしたいんだけど」


 リノは思わず笑った。


「うん。帰ったらやる」


 その日常の言葉を胸に、リノはブラックゲートへ足を踏み出した。


 世界が、裏返った。


 足元に水音がした。


 リノが目を開けると、そこは黒い夜の中だった。


 空はある。


 でも、星はない。


 代わりに、割れた鏡の欠片が星のように浮かんでいる。


 足元は浅い水面だった。


 一歩踏み出すたびに波紋が広がり、その中に自分の顔が映る。


 けれど、その顔は笑っていなかった。


 空からは、無数の白いリボンが垂れている。


 その端は、どれも少しずつ黒く染まっていた。


 遠くには、逆さまの教室が浮いている。


 鳥かごの中に、小さなステージがある。


 どこにも行かない駅のホームが、黒い水面の上をずっと伸びている。


 時計は逆回りしている。


 誰もいないのに、拍手だけが聞こえる。


 リノは息をのんだ。


 怖い。


 でも、どこか懐かしい。


 自分の中にも、ここに似た場所がある気がした。


「ここが」


 リノは呟く。


「星の裏側……」


 ミミルはリノの肩の上で小さく頷いた。


「うん」


 その声は、さっきよりもずっと小さかった。


 ルル先輩が星の杖を掲げる。


「ステラ・チャート」


 星の光が空中に線を引き、リノたちの後ろに細い道を作った。


「これが帰り道。絶対に見失わないで」


 ノアは周囲を見渡して、眉をひそめる。


「相変わらず、趣味の悪い場所」


「来たことがあるの?」


 リノが聞くと、ノアは答えなかった。


 代わりに黒いリボンを伸ばし、近づいてきた小さなノイズを弾く。


 そのノイズは、鍵のかかった箱のような形をしていた。


「見ないで」

「でも、開けて」

「触らないで」

「でも、助けて」


 ルル先輩の表情が一瞬で凍る。


 白い箱。


 アヤメの声。


 リノにも分かった。


 ここは、人の心を映す。


 ルル先輩は杖を握りしめた。


 箱のノイズは、彼女へ囁く。


「また正しいことをするの?」

「また勝手に開けるの?」

「私の声、聞いてくれる?」


 ルル先輩はゆっくり息を吸った。


「今度は、開けない」


 静かな声だった。


「あなたが開けたい時まで、待つ」


 箱のノイズは、少しだけ震えた。


 ルル先輩の星の光が、箱を包む。


 壊すのではなく、閉じ込めるのでもなく。


 そこにあっていいと示すように。


 ノイズは小さな星の粒になってほどけた。


 リノはルル先輩を見る。


 ルル先輩は少しだけ笑った。


「まだ、怖いけどね」


「うん」


 リノは頷いた。


 歩き出すと、次に現れたのは、黒い羽根だった。


 水面に、羽根が一枚落ちる。


 そこから、少女の声がした。


「ノア、泣いて」


 ノアの足が止まる。


 黒い水面に、灯里のような影が映っていた。


「痛いって言って」

「大丈夫って言わないで」

「ノア、戻ってきて」


 ノアの黒いリボンが揺れる。


 いつものように笑わない。


 何かを押し殺すように、唇を噛んでいる。


 リノはそっと声をかけた。


「ノア」


「……命令しないで」


「命令じゃない」


 リノはノアの隣に立った。


「今は、戻ってきて」


 ノアは水面の影を見ていた。


 長い沈黙のあと、黒いリボンが灯里の影を切り払うのではなく、そっと遠ざけた。


「まだ会わない」


 ノアは小さく言った。


「でも、今は飲まれない」


 その声に、リノは少しだけ安心した。


 すると、水面の奥から別の声がする。


「ここなら、誰にも隠さなくていいよ」


 リノは振り返った。


 割れた鏡の欠片の中に、黒いリボンのリノが映っていた。


 鏡の中のリノ。


 彼女は優しく笑っている。


「黒いリボンのままでも、誰も責めない」


 リノの胸元のリボンが熱くなる。


 黒い染みが、ほんの少し広がろうとする。


「ここにいれば、見てほしいって言っていい」

「選ばれたいって泣いていい」

「帰らなくてもいい」


 甘い言葉だった。


 メルとは違う。


 自分の内側から来る甘さ。


 リノはステッキを握る。


「隠さない」


 鏡の中のリノが目を細める。


「でも、渡さない」


 灰色の糸が光った。


 鏡の欠片は、音もなく裏返る。


 黒いリノの姿は消えた。


 でも、完全にいなくなったわけではない。


 ただ、奥に戻っただけ。


 リノはそれでいいと思った。


 見ないふりはしない。


 でも、全部を任せもしない。


 リノたちはさらに進んだ。


 その途中で、リノは遠くに白い光を見つけた。


 黒い星の裏側の中で、そこだけが淡く光っている。


 白い庭だった。


 綿毛のような草が揺れている。


 星形の花が咲いている。


 小さな丸い家や、天文台のような巣が並んでいる。


 中央には、大きな白いリボンの樹が立っていた。


 その周りを、小さなうさぎのような影が動いている。


 リノは思わず足を止めた。


「あれは……?」


 ミミルの体がびくりと震えた。


 しばらく黙ってから、ミミルは苦しそうに言った。


「星結びの庭」


「星結びの庭……」


「ぼくたち星兎族の、故郷」


 リノはミミルを見る。


「ミミルの、故郷?」


 ミミルは頷いた。


 けれど、その目は庭を見ていなかった。


 見たくないものを見るように、少しだけ逸らしている。


「今は行けない」


「どうして?」


「ぼくは、まだ帰れない」


 ミミルの声が震えた。


「ノアも、ルルも、助けられなかったから」


 リノの胸が痛んだ。


 ノアは何も言わない。


 ルル先輩も、そっと目を伏せた。


 聞きたいことはたくさんあった。


 星兎族。

 星結びの庭。

 ミミルの故郷。

 魔法少女を選ぶ役目。


 でも、白い庭へ続く道は、黒いリボンに閉ざされていた。


 そして、門の奥からメルの笑い声が聞こえる。


「こっちこっち。寄り道してると、メルだけ先に遊んじゃうよ?」


 黒いキャンディの包み紙が、水面に落ちた。


 それが黒い扉へ変わる。


 扉の中から、メルが現れた。


「ここまで来たんだ。えらいえらい」


 メルは楽しそうに拍手する。


 ぱち。

 ぱち。


 その音に、リノの体が一瞬こわばる。


 メルはそれを見逃さなかった。


「あ、拍手まだ苦手? ごめんねえ。つい、からかいたくなっちゃった」


 リノはステッキを構える。


「門を閉じる」


「えー、閉じちゃうの?」


 メルはつまらなそうに唇を尖らせる。


「せっかくみんなが『ほんとはね』って言える夜になるのに。もったいなーい」


「本音を言える場所は必要だと思う」


 リノは言った。


 メルが少しだけ目を開く。


「でも、帰れなくなる場所にはしたくない」


 メルはしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり笑う。


「やっぱりリノちゃん、かわいいね」


 黒い砂糖菓子の鎖が、メルのステッキから伸びた。


「ブラック・シュガー・チェイン」


 鎖が水面を走る。


 ノアが黒いリボンで受け止めた。


 甘く焦げた匂いが広がる。


 ルル先輩が星の結界を展開する。


「スターライト・バリア!」


 メルは黒い扉をいくつも開き、そこから出たり入ったりしながら笑った。


「キャンディ・ゲート!」


 背後。

 頭上。

 足元。


 メルは自由に空間を行き来する。


 星の裏側では、彼女の魔法が現実よりずっと強い。


「ねえねえ、リノちゃん」


 メルの声があちこちから響く。


「ちょっとくらい奪ってもいいんだよ? ひと口だけ、つまみ食いするみたいにさ」


 黒い鎖がリノの胸元へ伸びる。


 リノは灰色のリボンでそれを弾いた。


「マジカル・リボン・シールド!」


 だが、黒い砂糖菓子の鎖は砕けて、甘い粉になり、リノの周りに舞った。


 その粉を吸い込んだ瞬間、胸の奥に小さな声が増える。


 見てほしい。

 選ばれたい。

 帰りたくない。

 黒いままでもいい。

 悪い子になった方が楽。


 リノの膝が揺れた。


 ノアが叫ぶ。


「リノ、吸うな!」


「分かってる……!」


 リノは息を止め、ステッキを強く握った。


 灰色の糸が光る。


 メルはくすくす笑った。


「バッド・ガール・トリック。ちょっと悪いことしたい気持ちを、ちょっとだけ大きくする魔法」


 メルは片目をつむった。


「かわいいでしょ?」


「悪趣味」


 ノアが吐き捨てる。


「黒リボンちゃんには言われたくないなあ」


 メルは笑ってノアを見る。


「あなたの黒は痛そうでつまんない。リノちゃんの黒は、甘くなりそうで好き」


「黙れ」


 ノアの黒いリボンが鋭く伸びる。


 メルはひょいと避ける。


「だーめ。そんなに怒ったら、黒が焦げちゃうよ?」


 その隙に、ルル先輩が星図を広げた。


「リノちゃん、門の核はあっち!」


 星の線の先に、巨大な黒い結び目が見えた。


 空から垂れた無数の黒いリボンが、水面の上で絡まり合い、大きな塊になっている。


 その結び目の中から、町中の声が聞こえた。


「見て」

「置いていかないで」

「失敗したくない」

「帰りたくない」

「いい子でいるの疲れた」

「選んで」

「助けて」

「嫌い」

「でも、嫌いにならないで」


 リノは息をのむ。


 これをほどく。


 全部を聞いたら、飲まれる。


 でも、聞かなければほどけない。


 ノアがリノの横に立った。


「私は暴れる声を押さえる」


「吸収しないで」


「分かってる」


 ノアは少し嫌そうに言った。


「吸うんじゃない。押さえるだけ。それくらい、私にもできる」


 その言葉に、リノは頷いた。


 ルル先輩は星図を広げ、帰り道を固定する。


「リノちゃん、結び目だけ見て。全部の声を抱えようとしないで」


 ミミルがリノの肩に乗る。


「リノ、そこは黒い声が集まる場所。近づきすぎたら、戻れなくなる」


 いつものように隠す声ではなかった。


 ちゃんと怖いと言ってくれている。


「だから、ぼくの声も聞いて」


 リノは小さく笑った。


「うん。聞く」


 メルが黒い扉から現れる。


「邪魔しちゃおっかな?」


「来ると思った」


 ノアが黒いリボンでメルを押さえる。


 ルル先輩の星の鎖が、その周囲を囲む。


「長くは無理!」


「十分」


 リノは巨大な結び目へ向かってステッキを掲げた。


 胸元のリボンが熱い。


 黒い染みが疼く。


 灰色の糸が、その上を静かに光る。


「全部は抱えない」


 リノは言った。


 黒い声がざわめく。


「でも、全部をひとつの黒にしない」


 ステッキの先から、灰色の糸が伸びる。


「ほどくよ」


 黒い結び目に、灰色の糸が通る。


「現実へ戻れるように」


 リノは叫んだ。


「マジカル・リボン・ゲートノット!」


 灰色の糸が、黒いリボンの結び目の中へ入り込む。


 切らない。


 壊さない。


 ひとつずつ分ける。


 「見て」と「選んで」を分ける。

 「助けて」と「縛って」を分ける。

 「帰りたくない」と「帰れない」を分ける。

 「嫌い」と「嫌われたくない」を分ける。


 声がほどけるたびに、黒い結び目が小さくなる。


 ノアは暴れる黒い声を押さえ続けた。


 黒いリボンが震えている。


 吸い込みたくなる力に抗っているのが分かった。


 ルル先輩は星図を維持し続ける。


 額に汗がにじむ。


 ミミルはリノの肩で、ずっと声をかけていた。


「右の結び目は、まだ触らない」

「その声は深い、聞きすぎないで」

「戻る道は後ろ、星図はまだ消えてない」


 リノは頷きながら、灰色の糸を通していく。


 ブラックゲートが震えた。


 現実と星の裏側をつないでいた黒い流れが、少しずつ細くなる。


 メルはノアとルル先輩の拘束を破り、リノへ手を伸ばした。


「ねえ、閉じないでよ」


 その声は、さっきより少しだけ低かった。


「せっかく開いたのに」


 リノは振り返らない。


「みんな、我慢しなくてよくなるんだよ?」

「いい子じゃなくてよくなるんだよ?」

「リノちゃんだって、ここなら黒いリボンのままでいられる」


 リノの手が止まりかける。


 ここなら。


 星の裏側なら。


 見てほしいと言ってもいい。

 選ばれたいと泣いてもいい。

 黒いリボンのままでも、誰も責めない。


 帰らなくてもいい。


 その声が、リノの中へ滑り込んでくる。


 灰色の糸が、少しだけ緩んだ。


 その瞬間、現実側から声が聞こえた。


「リノちゃん!」


 ミカの声だった。


 遠い。


 でも、確かに届いた。


「帰ってきて!」


 リノの目が揺れる。


 ミカだけじゃない。


 セナの声も聞こえる。


「白咲さん、まだ話は終わってない」


 いろはの声も続いた。


「衣装のリボン、続きお願いしたいんだけど!」


 リノは、思わず笑いそうになった。


 こんな時に、そんなことを言うんだ。


 でも、その言葉が嬉しかった。


 帰る場所がある。


 重い使命でも、特別な役目でもなく。


 教室の隅に置かれた布。

 途中まで結んだリボン。

 文化祭の予定表。

 待っている友達。


 ミカの声が、もう一度届く。


「主役じゃなくても、魔法少女じゃなくても」


 リノの胸元で、灰色の糸が強く光った。


「私はリノちゃんを待ってる」


 リノは目を開いた。


「帰る」


 黒い声がざわめく。


「ここなら泣けるのに」

「ここなら黒くいられるのに」

「帰ったらまた苦しいよ」


「それでも」


 リノはステッキを握り直す。


「本音を持ったまま、帰る」


 灰色の糸が、一気に結び目を走り抜けた。


 黒いリボンの門がほどけていく。


 現実へ流れ込もうとしていたノイズの声が、星の裏側へ戻っていく。


 ただし、閉じ込めるのではない。


 流れを分ける。


 現実と星の裏側を、もう一度別々の場所に戻す。


 ブラックゲートの輪が縮んでいく。


 メルは黒い扉の上に立ち、つまらなそうに頬を膨らませた。


「はい、今日はここまでー」


 それから、すぐににこっと笑う。


「続きはまた今度。悪い子の夜は、まだ始まったばっかりだもん」


 ノアがリボンを構える。


「逃がすと思う?」


「逃げるんじゃなくて、次の準備だよ。黒リボンちゃんってば、せっかち」


 メルは笑った。


「でも、一度開いた門は、開き方を覚えちゃうんだよ」


 リノはメルを睨む。


「また開くつもり?」


「もちろん」


 メルは楽しそうに言った。


「だって、ここからが本番だもん」


 黒い扉がメルの後ろに開く。


 消える直前、彼女はリノへ甘く笑いかけた。


「いい子をやめたら、もっと楽しいよ?」


 黒い扉が閉じる。


 メルの声だけが、最後に残った。


「ようこそ、悪い子の夜へ」


 ブラックゲートが最後に大きく震えた。


 リノたちの足元の水面が割れるように光り、星図の道が現実へ伸びる。


 ルル先輩が叫ぶ。


「戻るよ!」


 ノアがリノの腕を掴む。


「ぼーっとしない」


「うん!」


 ミミルが肩にしがみつく。


 星の裏側の景色が遠ざかる。


 黒い夜空。

 割れた鏡の星。

 逆さまの教室。

 鳥かごのステージ。

 どこにも行かない駅のホーム。


 そして、遠くに見えた白い庭。


 星結びの庭。


 ミミルの故郷。


 その光が、最後に小さく揺れた。


 次の瞬間、リノは屋上の床に膝をついていた。


 冷たい風が頬を撫でる。


 現実の町の音が戻ってくる。


 車の音。

 遠くの電車の音。

 誰かの話し声。

 学校のチャイム。


 ブラックゲートは閉じていた。


 空の巨大な黒いリボンの輪は、もうない。


 けれど、黒い星は消えていない。


 そのまわりには、小さな傷跡のような黒い線が残っていた。


 完全に勝ったわけではない。


 リノには、それが分かった。


「リノちゃん!」


 ミカが駆け寄ってきて、リノの手を握る。


「おかえり」


「ただいま」


 リノは小さく笑った。


 セナも近づいてくる。


 手にはメモ帳が握られていた。


「町の影響は少しずつ収まってる。学校の生徒も大きな怪我はない」


「よかった……」


 いろははほっとしたように息を吐いた。


「リボンの続き、ほんとにお願いしていい?」


 リノは思わず笑った。


「うん。約束したから」


 ルル先輩は空の傷を見ていた。


 その表情は明るくない。


「閉じることはできた。でも、黒い星そのものに近づいてしまった」


 ノアが少し離れた場所で、黒いリボンをしまう。


「次にメルが来たら、甘く見ないで」


 リノはノアを見る。


 ノアは空を睨んだまま言った。


「あいつは、痛みじゃなくて欲しさを食べる」


 欲しさ。


 見てほしい。

 選ばれたい。

 特別になりたい。

 奪いたい。

 楽になりたい。


 リノは胸元のリボンを握った。


 黒い染みは残っている。


 でも、灰色の糸がそれを縫い止めている。


 ミミルは黙っていた。


 いつものように「大丈夫」とも、「説明する」とも言わない。


 ただ、星結びの庭があった方角を思い出すように、空の傷を見つめている。


「ミミル」


 リノが呼ぶと、ミミルはびくりとした。


「ぼくも」


 ミミルは小さく言った。


「話さなきゃいけないことがある」


 リノは頷いた。


「うん」


 そして、少しだけ厳しく言う。


「今度は、隠さないで」


 ミミルは耳を伏せた。


 でも、逃げなかった。


「うん」


 黒い門は閉じた。


 けれど、空から黒い星は消えなかった。


 それは終わりではなく、始まりだった。


 リノのリボンには、黒い染みが残っている。


 灰色の糸は、それを縫い止めるように光っていた。


 現実へ帰ってきた。


 でも、星の裏側を知ってしまった。


 本音が流れ着く場所。

 ノイズが生まれる場所。

 ミミルたち星兎族の故郷。

 そして、メルが笑う悪い子の入口。


 リノは空を見上げる。


 黒い星の向こう側で、誰かが笑った気がした。


 甘く、軽く、いたずらみたいに。


 ようこそ、悪い子の夜へ。


 その声はもう聞こえなかった。


 けれど、リノの胸元の黒い染みは、静かに熱を持っていた。

Chapter 1 -終-

ミミルが隠していた秘密が次々と明かされた!

そして準備している文化祭は成功となるのか!?


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