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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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第19話 黒い星雨


 文化祭準備は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。


 体育館での出来事は、学校ではまだ「停電」として扱われている。


 けれど、それ以来、クラスの空気は少しだけ変わった。


「この飾り、今日中じゃなくても大丈夫だよね」


「うん。無理に全部やらなくても、明日でも間に合うと思う」


「ステージの立ち位置も、全員が目立つ感じに変えた方がよくない?」


「それ、いいかも」


 以前なら、いろはが全部を決めて、全部をかわいくして、全部を成功させようとしていた。


 でも今は違う。


 いろはは黒板の前で予定表を見ながら、赤ペンを持って首を傾げていた。


「ここ、やっぱり詰めすぎだよね」


 その横でセナが頷く。


「衣装班と展示班の作業時間が重なってる。人手が足りないと思う」


「じゃあ、展示の完成日を一日ずらそっか」


「その方が安全」


 いろはは少しだけ笑った。


「月森さん、助かる」


「任されたから」


 セナは淡々と言った。


 でも、その声はどこかやわらかい。


 リノは衣装用のリボンを結びながら、その二人を見ていた。


 セナは、もうリノの秘密を知っている。


 魔法少女のこと。

 ノイズのこと。

 黒いリボンのこと。


 全部ではないけれど、もう「普通のクラスメイト」ではいられない場所に足を踏み入れている。


 それでも、セナは変わらなかった。


 必要以上に騒がない。

 無理に聞き出さない。

 けれど、見ている。


 危ない時には、ちゃんと動いてくれる。


 ミカも同じだった。


「リノちゃん、そのリボン、ちょっと右の方がかわいいかも」


「こう?」


「うん、いい感じ!」


 ミカは衣装班を手伝いながら、時々リノの様子を確認する。


 それがリノには分かった。


 心配されている。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 前なら、心配されることが怖かった。


 大丈夫じゃない自分を見られるのが怖かった。


 でも今は、ミカの視線が少しだけリノを現実につなぎ止めてくれている。


 リノはそっと胸元を押さえた。


 制服の下に隠したリボンには、黒い染みが残っている。


 灰色の糸が、それを縫い止めている。


 消えてはいない。


 けれど、広がり続けてもいない。


 あの鏡の中のリノは、まだどこかにいる。


 見てほしい気持ち。

 選ばれたい気持ち。

 ひとりになりたくない気持ち。


 それは消えない。


 でも、消えないままでも、歩ける。


 リノはそう思いたかった。


「白咲さん」


 いろはが声をかけてきた。


「この衣装のリボン、主役っぽい子だけ大きくするんじゃなくて、全員少しずつ違う形にしたいんだけど、できるかな」


「全員?」


「うん」


 いろはは少し照れたように笑う。


「誰かひとりだけがかわいいんじゃなくて、それぞれ違ってかわいい、みたいにしたくて」


 リノはその言葉に、胸の奥が少し温かくなった。


「できると思う」


「ほんと?」


「うん。時間はかかるけど、みんなでやれば」


「そっか」


 いろははほっとしたように息を吐いた。


「ありがとう」


 ありがとう。


 その言葉に、リノの胸はまだ少し揺れる。


 嬉しい。


 でも、その嬉しさに飲まれないように、リノは小さく頷いた。


「うん」


 その時だった。


 窓の外が、一瞬暗くなった。


 夕方にはまだ早い。


 空は晴れていたはずだった。


 教室にいた何人かが、窓の方を見た。


「え、曇った?」


「今、暗くなかった?」


 リノの胸元のブローチが、冷たく震えた。


 ミミルが鞄の中で小さく息をのむ。


「リノ」


 リノはゆっくり窓へ近づいた。


 空に、黒い星があった。


 いつもは見えないはずのそれが、今日ははっきり見える。


 青空の真ん中に、黒い穴のように。


 その星が、一度だけ大きく瞬いた。


 次の瞬間、空から黒い欠片が降り始めた。


 雪のようだった。


 でも、白くない。


 灰でもない。


 黒い星屑。


 黒い光を持った欠片が、町の上へ静かに降っていく。


「なに、あれ……」


 ミカが窓のそばへ来る。


 セナも顔色を変えた。


 いろはは小さく呟いた。


「黒い……雪?」


 リノは首を横に振った。


「違う」


 胸元のブローチが熱くなる。


「ノイズの気配がする」


 ミミルが鞄から顔を出した。


 教室にいた生徒たちは、黒い星雨をぼんやりと見上げている。


 けれど、はっきり異常だと認識している様子ではない。


 まただ。


 普通の人たちには、全部が少しぼやけて見える。


 でも、影響だけは受ける。


 校庭の方から、誰かの叫び声が聞こえた。


 リノは窓を開ける。


 校庭にいた生徒の一人が、突然立ち止まっていた。


 その足元に黒い欠片が落ちる。


 すると、その子の影がぐにゃりと伸びた。


「失敗したくない」


 声がした。


 その子の口から出たのか、影から出たのか分からなかった。


「笑われたくない」

「見ないで」

「でも、見捨てないで」


 影が、小さなノイズの形になる。


 リノは息をのんだ。


 校庭だけではない。


 駅前の方角。

 商店街。

 住宅街。

 公園。


 町のあちこちで、黒い欠片が落ちている。


 そしてそのたびに、小さなノイズが生まれていた。


「同時発生……」


 ルル先輩の声が、廊下から聞こえた。


 リノが振り返ると、ルル先輩が息を切らして教室へ入ってきた。


 制服姿のまま、星のヘアピンがかすかに光っている。


「旧天文台の時より、ずっと広い」


「どうすれば」


 リノが聞くと、ルル先輩は窓の外を見た。


 表情が険しい。


「全部を一か所で止めるのは無理。手分けするしかない」


「手分け……」


 リノは胸元を押さえた。


 全部は救えない。


 その言葉が、頭の奥に浮かんだ。


 昨日までなら、きっとそこで怖くなっていた。


 でも、今は違う。


 全部をひとりで救えないなら、ひとりで抱えなければいい。


 リノはミカとセナを見た。


 ミカはすぐに頷いた。


「私、連絡と避難誘導する。学校にいる子たちはできるだけ教室の中に入れるね」


 セナも予定表を閉じた。


「校内の人数確認をする。文化祭準備で残っている生徒の場所はだいたい分かる」


 いろはが一歩前に出た。


「私も手伝う」


「花守さん」


「ステージ班と衣装班には私から声をかける。みんな、私の声なら聞いてくれると思うから」


 いろはの声は震えていた。


 でも、逃げる声ではなかった。


「今度は、ちゃんとみんなでやる」


 リノは頷いた。


「ありがとう」


 ルル先輩は素早く言った。


「私は商店街へ行く。人が多い場所だから、結界が必要になると思う」


「私は?」


 リノが聞くと、ミミルが耳を立てた。


「駅前に大きめの反応がある。置いていかないで、って声が強い」


 リノは頷く。


「行く」


 ミカがリノの手を握った。


「リノちゃん」


「大丈夫」


 言いかけて、リノは一度止まる。


 そして言い直した。


「怖い。でも、行く」


 ミカは少しだけ笑った。


「うん。行ってきて」


 セナが言う。


「白咲さん、ひとりで全部やろうとしないで」


「うん」


 リノは胸元のブローチを握った。


「それは、ちゃんと覚えてる」


 黒い星雨は、町に降り続けていた。


 駅前に着いた時、そこは不思議な静けさに包まれていた。


 人はいる。


 帰宅中の学生。

 買い物袋を持った人。

 バスを待つ人。

 電車に乗ろうとしていた人。


 けれど、みんな少しずつ足を止めている。


 黒い欠片が地面に落ちるたびに、誰かの影が揺れた。


「置いていかないで」


 駅の改札前で、小さなノイズが生まれていた。


 それは、ほどけた切符の束のような姿をしていた。


 切符。

 時刻表。

 置き忘れた傘。

 乗り遅れた電車。


 そんなものが絡み合って、小さな子どものような影になっている。


「待って」

「まだ乗れてない」

「行かないで」

「私だけ、置いていかないで」


 リノはブローチを握る。


「マジカル・リボン・ドレスアップ!」


 白とピンクの光が広がる。


 けれど、空から降る黒い星雨のせいで、その光はすぐに黒い影に囲まれた。


 リノはステッキを構える。


「大丈夫」


 言いかけて、また少し止まる。


「置いていかないよ」


 リノのリボンが伸びる。


 駅前の人たちの足元に、淡い光の道を作る。


 止まっていた人たちが、少しずつ顔を上げた。


 ノイズは震えている。


 リノは近づこうとした。


 その時、頭の奥で声がした。


「ほら」


 鏡の中のリノの声だった。


「全部は助けられないよ」


 リノの足が止まる。


 空からまた黒い欠片が降る。


 駅前だけではない。


 遠くで別のノイズの声が聞こえる。


 商店街から。

 公園から。

 学校から。


 助けて。

 見ないで。

 待って。

 選んで。

 許して。

 壊れたくない。


 多すぎる。


 リノの胸元のリボンが熱くなる。


 黒い染みが、少しだけ疼いた。


「縛った方が早いよ」


 鏡リノの声が甘く囁く。


「動けないようにすれば、置いていかれない」

「みんなを結べば、離れない」

「見捨てるくらいなら、支配した方が優しいよ」


 リノはステッキを握りしめた。


「聞こえてる」


 小さく言う。


 鏡リノの声が止まる。


「でも、決めるのは私」


 灰色の糸が胸元で光った。


 リノはノイズへリボンを伸ばす。


 縛るためではない。


 駅前に散らばった影を、ひとつずつ改札の外へ、明るい場所へ導くために。


「マジカル・リボン・ガイド!」


 白と灰色のリボンが、駅前に道を作る。


 乗り遅れた切符のノイズが泣き声のように震える。


「置いていかないで」


「うん」


 リノは頷いた。


「でも、止まったままじゃなくていい」


 リボンが、改札の向こうへ小さな光を灯す。


「待ってほしい時は、待ってって言っていい」

「乗れなかったら、次を探していい」

「置いていかれたみたいに感じても、そこで終わりじゃない」


 ノイズの体から、切符の欠片がほどけていく。


 その時、駅前の時計が黒く歪んだ。


 別のノイズが生まれる。


「遅れた」

「間に合わない」

「失敗した」

「もう終わり」


 リノは息をのむ。


 ひとつ浄化しかけても、次が生まれる。


 黒い星雨が降り続ける限り、ノイズは止まらない。


 ルル先輩からの連絡が、ミミルを通じて入る。


「商店街、結界を張ったけど数が多い。長くは持たない」


 ミカの声も重なる。


「学校側、何人か黒い影に触れかけた。でもセナちゃんといろはちゃんが抑えてる!」


 リノは歯を食いしばる。


 全部に手は届かない。


 それでも、ひとつずつ。


 ひとりずつ。


 そう思った瞬間、駅前の向こう、公園の方角から黒い光が大きく弾けた。


 ミミルが叫ぶ。


「ノアだ!」


 公園では、黒いリボンが嵐のように広がっていた。


 黒羽ノアは、公園の中央に立っている。


 その周囲には、小型ノイズが何体もいた。


 滑り台の影。

 砂場の影。

 置き去りにされたボール。

 帰りたくない子どもの声。

 ひとりになりたくない大人の声。


 それらが黒い星雨を浴びて、次々と形を持っていく。


 ノアは黒いリボンを広げた。


「ブラック・リボン・ドレイン」


 ノイズたちの声が、黒いリボンへ吸い込まれていく。


 公園の影が一気に消えていく。


 早い。


 圧倒的だった。


 けれど、リノには分かった。


 早すぎる。


 ノアの胸元の黒いリボンが、さらに深く濃くなっている。


 痛みを飲み込みすぎている。


 リノは駅前のノイズを一体浄化し終えると、すぐに公園へ向かった。


「ノア!」


 リノが叫ぶと、ノアは振り返らずに言った。


「遅いよ、白い子」


「それ以上はだめ!」


「じゃあ、あなたが全部間に合わせられるの?」


 ノアの声は冷たかった。


 でも、その指先は震えていた。


 黒いリボンから、たくさんの声が漏れている。


 帰りたくない。

 ひとりにしないで。

 助けて。

 でも来ないで。

 置いていかないで。

 もう疲れた。


 その全部を、ノアは吸い込もうとしている。


「全部は無理」


 リノは言った。


 ノアがようやく振り返った。


「へえ」


「全部は、ひとりじゃ無理」


 リノはステッキを構える。


「でも、ひとりにしない方法を探す」


 ノアは一瞬だけ目を細めた。


「また灰色?」


「うん」


「中途半端」


「たぶんね」


 リノは頷いた。


「でも、ノアをひとりで黒くさせるよりはいい」


 ノアの顔がわずかに歪む。


「そういう言い方、嫌い」


「知ってる」


 リノはノアの黒いリボンに、自分の灰色のリボンを重ねた。


 吸い込むのではなく、分ける。


 ノアが全部抱え込もうとしている痛みを、町のあちこちへ散らばる小さな光に結び直す。


 ルル先輩の星の結界が遠くから伸び、公園の上空に小さな星図を作る。


 ミカの声が、学校から町内放送のように響いてきた。


「黒い影を見ても、ひとりで近づかないでください! 近くの人と一緒に、明るい場所へ移動してください!」


 セナの声も続く。


「校内にいる人は、先生の指示に従って教室へ。文化祭準備は一度中断します」


 いろはの声も、少し震えながら重なった。


「みんな、無理しなくていいから! 今は自分と隣の人を大事にして!」


 ノアは空を見上げた。


「……増えたね」


「何が?」


「あなたを見てる人」


 ノアの声は皮肉っぽかった。


 でも、いつもほど冷たくなかった。


 リノはリボンを握る。


「うん」


「それでも、まだ見てほしい?」


 リノは少しだけ黙った。


 そして答える。


「思うよ」


 ノアがリノを見る。


「まだ思う」


 リノは黒い星雨の下で言った。


「でも、そのために誰かを縛りたくない」


 ノアは何も言わなかった。


 二人のリボンが重なり、公園のノイズたちは少しずつ光へほどけていく。


 その時だった。


 ぱちん。


 場違いな音がした。


 拍手ではない。


 何かの包み紙を開くような、軽い音。


 リノとノアが振り返る。


 公園の街灯の上に、誰かが座っていた。


 黒と赤紫のフリル。

 小悪魔の羽根のような飾り。

 片目の近くに黒い星のピン。

 手には、キャンディみたいな形をしたステッキ。


 少女は足をぶらぶら揺らしながら、黒いキャンディを口に入れていた。


「うわあ」


 少女は楽しそうに笑った。


「せっかく咲きかけてたのに、ほどいちゃうんだ」


 リノはステッキを構える。


「あなたは誰?」


 少女は街灯の上でくるりと立ち上がった。


 黒い星雨の中で、彼女だけが楽しそうだった。


 まるでこの雨を待っていたみたいに。


「影森メル」


 少女はスカートの端をつまんで、芝居がかったお辞儀をした。


「黒い星に選ばれた、悪い子の魔法少女」


 ノアの空気が変わった。


 黒いリボンが、低く唸るように揺れる。


「……あんた」


「あれ、黒リボンちゃん知ってる顔?」


 メルはにこにこ笑う。


「やだなあ、そんな怖い顔しないでよ。黒い子同士、仲良くしよ?」


 ノアの声が低くなる。


「黒を遊び道具にするな」


 メルはきょとんとした顔をした。


 そして、すぐに笑った。


「えー? 黒リボンちゃんがそれ言う?」


 ノアの黒いリボンが鋭く伸びる。


 しかしメルは、キャンディ型のステッキを軽く振っただけで、それを黒い星の欠片に変えて散らした。


「自分は特別に不幸だから許されるって思ってる?」


 ノアの顔が強張る。


 リノはノアの前へ一歩出た。


「やめて」


 メルの目がリノへ向く。


 その瞬間、彼女の笑顔がさらに甘くなった。


「あ」


 メルは嬉しそうに手を合わせる。


「あなたがリノちゃん?」


「私の名前を」


「知ってるよお。だって、すっごく目立ってたもん」


 メルは街灯からふわりと飛び降りた。


 足音もなく地面に降りる。


 黒い星雨が、彼女の周りでキャンディの包み紙みたいにひらひら舞った。


「白いリボンに黒い染み。灰色の糸。しかも中に、鏡の黒い子までいる」


 リノの体がこわばる。


「あなた、何を知ってるの」


「見えるだけ」


 メルは自分の片目の星ピンを指でつついた。


「いい色だね、リノちゃんのリボン」


 彼女は近づいてくる。


 ノアが間に入ろうとするが、メルはひょいと横へずれた。


「ねえ、いい子でいるの、そろそろ疲れない?」


 その声は、鏡リノの声とは違った。


 甘い。


 軽い。


 まるで悪いことを、お菓子を一つ食べるくらいのことみたいに言う。


「我慢しなくていいんだよ」


 メルは笑う。


「欲しいなら奪えばいいじゃん」


「奪う……?」


「うん」


 メルはリノの胸元を指さした。


「見てほしいなら、見させればいい」

「選ばれたいなら、選ばせればいい」

「誰かを救うふりして縛るくらいなら、最初から縛っちゃえば?」


 リノの胸元の黒い染みが、熱を持つ。


 鏡リノの声が、奥で小さく笑った気がした。


 リノは胸元を押さえる。


「違う」


「違わないよ」


 メルは楽しそうに言う。


「リノちゃんはもう知ってるでしょ? 黒くなるのって、怖いだけじゃない」


 リノの呼吸が止まる。


 17話の黒い拍手。


 見られることが、少しだけ嬉しかった自分。


 それを、メルは見透かしている。


 ノアが低く言った。


「リノ、聞くな」


「黒リボンちゃん、必死だね」


 メルはノアを見る。


「自分は戻れないくせに、リノちゃんには戻ってほしいんだ?」


「黙れ」


「やさしー」


 メルは笑った。


「でもさあ、リノちゃんが本当に黒くなったら、あなたよりずっとかわいいと思うよ」


 ノアの黒いリボンがメルへ襲いかかる。


 メルはキャンディステッキを振った。


「ブラック・シュガー・チェイン」


 黒い砂糖菓子のような鎖が、空中で弾ける。


 ノアのリボンとぶつかり、甘い焦げた匂いが広がった。


 リノはステッキを構える。


「何が目的なの」


「目的?」


 メルは首を傾げる。


「うーん。遊びたいだけかな」


「遊び?」


「だって、人の心って面白いんだもん」


 メルは黒い星雨を見上げた。


「いい子でいたい子ほど、ちょっと黒くなるとかわいい」

「我慢してた子ほど、壊れる時にきれい」

「救いたい子ほど、救われたいって泣く」


 リノの背筋が冷たくなる。


 この子は、ノアとは違う。


 ノアの黒には痛みがあった。


 苦しみがあった。


 でも、メルの黒には甘さがある。


 誰かの弱さを見つけて、そこにリボンを結ぶように、楽しんでいる。


 ミミルが震える声で言った。


「リノ、気をつけて。この子の魔法、善悪値に直接触れてくる」


 メルはぱっと笑った。


「うさぎちゃん、詳しいね」


「ミミルに近づかないで」


 リノのリボンが伸びる。


 けれどメルは避けない。


 リノの白いリボンがメルの手首に触れた瞬間、黒いキャンディの包み紙へ変わって散った。


「リノちゃんの魔法、優しいね」


 メルは言った。


「だから、ちょっと混ぜたくなる」


 黒い星雨が強くなる。


 町の上空で、黒い星がさらに大きく瞬いた。


 ルル先輩の声がミミルを通して響く。


「リノ! 空を見て!」


 リノは顔を上げた。


 黒い星の周りに、輪のような裂け目ができていた。


 ただの星ではない。


 空に穴が開きかけている。


 黒い星雨は、その裂け目から降っているようだった。


 ミミルが震える。


「まさか……」


 ノアの顔色も変わる。


「ブラックゲート」


 メルが嬉しそうに笑った。


「正解」


 彼女はくるりと回る。


「門が開きかけてるんだよ。黒い星の向こう側への門」


 リノの胸元のリボンが、強く脈打った。


「黒い星の向こう側……」


「そう」


 メルはリノに向かって、黒いキャンディをひとつ投げた。


 リノは受け取らず、地面に落とす。


 包み紙には、白い文字が浮かんでいた。


 いい子をやめたら、もっと楽になれるよ。


 メルは甘く笑う。


「次はもっと楽しいよ、いい子ちゃん」


 ノアがメルへ向かって踏み込む。


 けれど、メルの体は黒い星屑になってほどけ始めていた。


「逃げるな」


「逃げるんじゃなくて、開幕待ち」


 メルはウインクした。


「ブラックゲートが開いたら、また会お」


 消える直前、メルはリノの胸元を見つめた。


「あなたの黒いリボン、すっごくかわいいね」


 その言葉を残して、メルは消えた。


 黒い星雨は、少しずつ弱まっていく。


 町のあちこちで発生していた小型ノイズも、ルル先輩の結界とミカたちの誘導、そしてリノとノアの魔法で、なんとか抑え込まれていた。


 けれど、空の裂け目は消えなかった。


 黒い星の周りに、薄い輪のような傷が残っている。


 リノは地面に落ちたキャンディの包み紙を見た。


 いい子をやめたら、もっと楽になれるよ。


 その文字は、雨に濡れても消えなかった。


 ノアが隣に立つ。


「捨てなよ」


「うん」


 リノは包み紙に触れず、灰色のリボンでそっと包んだ。


 すると包み紙は黒い煙になって消えた。


「ノア」


「何」


「影森メルのこと、知ってるの?」


 ノアはしばらく黙っていた。


 それから、短く答える。


「知らない」


「でも」


「知らない」


 ノアはもう一度言った。


 けれど、その声は少しだけ硬かった。


「でも、嫌い」


 リノはノアを見る。


 ノアは空の裂け目を睨んでいた。


「あいつの黒は、軽すぎる」


 その言葉に、リノは何も言えなかった。


 黒にも違いがある。


 ノアの黒。

 リノの黒。

 鏡の中の黒。

 そして、メルの黒。


 同じ黒に見えても、全部違う。


 痛みから生まれた黒。

 寂しさから生まれた黒。

 甘く誘う黒。

 誰かを壊して遊ぶ黒。


 リノは胸元のリボンを握る。


 黒い染みが、まだ熱い。


 ミカとセナ、いろはが遠くから駆けてくるのが見えた。


 ルル先輩も合流する。


 みんな、疲れ切った顔をしていた。


 でも、無事だった。


「リノちゃん!」


 ミカが駆け寄ってくる。


「怪我してない?」


「うん。私は大丈夫」


 ミカがじっと見る。


 リノは少しだけ笑った。


「怖かったけど」


「それならよし」


 セナが空を見上げる。


「あれは、消えていないの?」


 黒い星の周りに残った裂け目。


 ルル先輩の顔は暗かった。


「門が開きかけてる」


「門?」


 いろはが不安そうに聞く。


 ミミルが小さく答えた。


「ブラックゲート」


 その名前を聞いた瞬間、空の黒い星がもう一度だけ瞬いた。


 まるで、こちらの声に反応したみたいに。


 リノは空を見上げた。


 黒い星雨は止んだ。


 けれど、終わったわけではない。


 むしろ、始まろうとしている。


 黒い星の向こう側。


 悪い子の魔法少女。


 ブラックゲート。


 リノのリボンに残る黒い染みが、静かに疼いた。


 その上を、灰色の糸がそっと走る。


 全部は救えない。


 でも、ひとりにはしない。


 リノはその言葉を、もう一度胸の中で繰り返した。


 その時、遠くの街灯の上で、黒と赤紫の影が一瞬だけ揺れた気がした。


 甘い声が、夜風に混ざる。


「またね、いい子ちゃん」


 リノはステッキを握りしめた。


 空には、黒い門の傷跡が残っていた。

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