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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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第15話 文化祭の主役になりたい


 朝の教室は、いつも通りに見えた。


 窓から入る光。

 机を動かす音。

 友達同士の笑い声。

 黒板の前で日直がチョークを探している姿。


 何も変わっていない。


 少なくとも、見た目だけなら。


「昨日さ、空見た?」


「見た見た。なんか黒い流れ星みたいなのなかった?」


「駅前、一瞬停電したらしいよ」


「商店街でも変な影見たって人いるらしいし」


「えー、なにそれ。都市伝説?」


 教室のあちこちで、そんな会話が小さく跳ねていた。


 リノは席に座ったまま、胸元をそっと押さえる。


 制服の下に隠れたブローチは、もう光っていない。


 けれど昨日、旧天文台で見た光景は、まだ瞼の裏に残っていた。


 町に降り注いだ黒い欠片。

 旧天文台を覆った巨大なノイズ。

 ノアの黒いリボン。

 ルル先輩の星の結界。

 そして、マイクを握りしめて町へ声を届けたミカ。


 あれは夢ではない。


 でも、教室の中にいると、全部が遠い出来事みたいに思える。


 リノは窓の外を見た。


 青い空。

 白い雲。

 校庭を走る生徒たち。


 その全部が普通に見える。


 でも、普通に見えるだけだ。


 笑っている人の中にも、きっと言えない気持ちはある。


 リノはそれを、もう知ってしまっている。


「リノちゃん」


 声をかけられて振り返ると、ミカが隣の席に立っていた。


 いつもの明るい笑顔。


 でも、目元には少し疲れが残っている。


「おはよう」


「おはよう、ミカちゃん」


 リノがそう返すと、ミカは小さく顔を近づけてきた。


「昨日、眠れた?」


「うーん……ちょっとだけ」


「私も。目を閉じたら黒い星が出てきて、なんか寝た気がしなかった」


「無理してない?」


 リノが聞くと、ミカは苦笑した。


「その質問、リノちゃんにそのまま返したい」


「え」


「リノちゃん、今朝からちょっと顔がぼーっとしてる」


 リノは思わず頬を押さえた。


「そんなに?」


「うん。三枝ミカ調べでは、かなり」


「なにその調べ」


 少しだけ笑えた。


 その笑いが、自分でも思ったより安心する。


 ミカもほっとしたように笑った。


 その時、後ろからセナの声がした。


「二人とも、昨日何かあった?」


 リノとミカは同時に固まった。


 振り返ると、セナがノートを抱えて立っている。


 表情はいつも通り落ち着いているけれど、その目はよく見ている目だった。


「な、何かって?」


 ミカが少しだけ声を上ずらせる。


 セナはリノとミカを順番に見た。


「二人とも、朝から少し疲れてる。あと、白咲さんは胸元を押さえる回数が多い」


「見すぎじゃない?」


 ミカが苦笑する。


「ごめん。でも、気になったから」


 セナは少しだけ眉を下げた。


「話せないことなら、無理に聞かない」


 リノは胸が少し温かくなった。


 セナも変わった。


 前なら、きっと「大丈夫?」と聞きながらも、自分の中で全部を整理しようとしていたかもしれない。


 でも今は、聞かない優しさも持っている。


「ありがとう」


 リノが言うと、セナは小さく頷いた。


「ただ、無理してる時は言って」


「うん」


「言わないと、たぶん三枝さんが先に怒るから」


「怒るよ?」


 ミカが真顔で言う。


 リノは少し笑った。


 その瞬間、教室の扉が開き、担任が入ってきた。


「はい、席についてー。今日はホームルームで文化祭の話をします」


 文化祭。


 その言葉が出た瞬間、教室の空気がぱっと明るくなった。


「きた!」


「何やる?」


「ステージやりたい!」


「展示の方が楽じゃない?」


「飲食ってできるんだっけ?」


 さっきまで黒い星の噂をしていた声が、すぐに文化祭の話題へ変わっていく。


 リノはその切り替わりに少し驚いた。


 でも、少しだけ安心もした。


 楽しいことを楽しみにする気持ちも、きっと大切だ。


 黒い星があっても。

 ノイズがあっても。

 教室の中には、文化祭を楽しみにする声がある。


 担任が黒板に大きく「文化祭企画」と書いた。


「今年はクラスごとに、展示かステージ、またはその両方を組み合わせてもいいことになっています。まずは案を出していきましょう」


 いくつかの手が上がった。


 お化け屋敷。

 カフェ。

 展示。

 ミニゲーム。

 劇。

 ダンス。


 意見が飛び交う中で、ひときわ明るい声が響いた。


「はい!」


 手を上げたのは、花守いろはだった。


 肩の少し下で揺れる柔らかい髪。

 整った前髪。

 明るい目。

 制服のリボンも、どこかかわいく見えるように結ばれている。


 クラスの中でも目立つ子だった。


 いつも明るくて、誰にでも声をかけられる。

 行事の時には自然と中心にいるタイプ。


 いろははにこっと笑って立ち上がった。


「ステージ企画、やりたいです!」


 教室が少し盛り上がる。


「お、いいじゃん」


「いろはちゃんっぽい」


「何やるの?」


 いろはは待ってましたと言わんばかりに、手元のノートを開いた。


「せっかくなら、かわいくて、写真も撮りたくなるようなやつがいいなって思ってて」


 黒板の前まで出て、チョークを手に取る。


「例えば、星とリボンをテーマにしたミニステージとか!」


 リノは思わず顔を上げた。


 星とリボン。


 その言葉が、胸元のブローチに小さく触れた気がした。


 いろはは黒板にさらさらと書いていく。


 星とリボンのミニステージ。

 衣装。

 簡単な劇。

 歌。

 ダンス。

 教室展示。

 写真スポット。


「ステージだけだと見る人が限られちゃうから、教室には展示も作るの。星空っぽくして、リボン飾りをいっぱいつけて、写真撮れる場所も作ったら絶対かわいいと思う!」


「おー、よさそう!」


「映えそう!」


「いろは、もう考えてきたの?」


 いろはは少し照れたように笑った。


「ちょっとだけね。せっかくなら、みんなで最高の文化祭にしたいじゃん」


 その言葉に、教室はさらに明るくなる。


 担任も頷いた。


「具体的でいいですね。他に案はありますか?」


 いくつか意見は出たものの、結局いろはの案が一番盛り上がった。


 投票の結果、クラス企画は「星とリボンのミニステージ」に決まった。


 拍手が起きる。


 いろはは嬉しそうに笑った。


 その笑顔は、眩しいくらいだった。


「じゃあ、役割分担しよ!」


 いろははすぐにノートを開いた。


「衣装班、ステージ班、展示班、進行管理、広報。あと司会も必要だよね」


 その手際の良さに、クラスメイトたちは感心したように声を上げる。


 リノもすごいと思った。


 けれど、セナだけは少しだけ目を細めていた。


「花守さん」


「ん?」


「もう全部決めてきたみたい」


 セナの声は責めているわけではなかった。


 でも、いろはの笑顔がほんの一瞬だけ固まった。


「え、そんなことないよ」


 すぐに明るい笑顔に戻る。


「ただ、決めること多いかなって思って、案だけまとめてきたの。月森さん、こういうの得意そうだから進行管理お願いできる?」


「私?」


「うん! 月森さんがいてくれたら安心だし!」


 セナは少し考えてから頷いた。


「分かった。無理のない予定にするなら」


「もちろん!」


 いろはは次にミカを見る。


「三枝さんは司会似合いそう!」


「私?」


「うん! 明るいし、声も通るし、絶対ステージ華やかになるよ」


 ミカは少し戸惑ったように笑った。


「えっと、考えとく」


「ありがとう!」


 そして、いろはの目がリノに向いた。


「白咲さん」


「え、私?」


「うん。白咲さんって、手先器用そうだよね? 衣装班、手伝ってくれない?」


 突然名前を呼ばれて、リノは少し慌てた。


「私、そんなに器用かな」


「絶対できるよ。白咲さん、雰囲気かわいいし、リボンとか似合いそうだもん」


 かわいい。


 そう言われて、リノは少しだけ頬が熱くなる。


 頼られている。


 そう思うと、嬉しい。


 でも同時に、断りにくいとも思った。


「うん。できる範囲でなら」


「やった! 助かる!」


 いろははぱっと笑った。


 その笑顔に、リノは少し安心する。


 でも、胸元のブローチが一瞬だけ、ほんの小さく震えた気がした。


 昼休み。


 リノ、ミカ、セナは教室の隅でお弁当を広げていた。


 クラスは文化祭の話で持ちきりだった。


「衣装、リボンいっぱいつけたいよね」


「ステージで歌う曲どうする?」


「照明って借りられるのかな」


「写真スポット、星空っぽくしたい!」


 明るい声。


 楽しそうな声。


 けれど、その中に少しずつ混ざるものがあった。


「失敗したら恥ずかしくない?」


「ステージで滑ったら終わる」


「他のクラスより目立ちたいよね」


「かわいくなかったら意味なくない?」


 リノは箸を持つ手を止めた。


 言葉の端が、少しだけ胸に引っかかる。


 ミカも同じように、教室の中心にいるいろはを見ていた。


 いろはは何人かに囲まれながら、楽しそうに予定を説明している。


 笑っている。


 明るくて、かわいくて、みんなに頼られている。


 でも。


「あの子、前の私にちょっと似てるかも」


 ミカが小さく言った。


 リノはミカを見る。


「笑ってなきゃって感じ?」


「うん。でも、それだけじゃない気がする」


 ミカは少し考えるように視線を落とした。


「見てもらえなきゃ、消えちゃうみたいな感じ」


 その言葉に、リノの胸が痛んだ。


 見てもらえなきゃ、消えてしまう。


 リノにも、その気持ちは分かる。


 分かってしまう。


 セナは自分のノートを開いて、いろはが配った予定表を見ていた。


「花守さん、予定が詰まりすぎてる」


「もう見てるの?」


 ミカが驚く。


「進行管理を任されたから」


 セナは真面目に答えた。


「衣装の仮完成が三日後。ステージ台本が四日後。展示の装飾案も同じ日。これだと、誰かが少し遅れただけで全部崩れる」


 リノは予定表を覗き込んだ。


 確かに、びっしりと予定が書かれている。


 かわいい文字。

 カラーペン。

 星やハートのマーク。


 明るくて楽しそうなのに、どこか息苦しい。


「花守さん、楽しそうにしてるけど」


 セナは小さく言った。


「たぶん、かなり無理してる」


 放課後。


 文化祭準備が始まった。


 教室には色紙や段ボール、リボン、布、画用紙が広げられている。


 いろはは中心に立って、次々と指示を出していた。


「展示班は星の飾りお願い! できれば青と銀で統一したいな」


「衣装班は、白いリボン多めで! でも地味にならないようにピンクも足して」


「ステージ班、台本の最初だけ今日決めたい!」


「大丈夫大丈夫、みんなでやれば絶対できるよ!」


 その声は明るい。


 でも、速い。


 誰かが少し戸惑っても、すぐ次の言葉で上書きされていく。


 リノは衣装用のリボンを手に取りながら、いろはの横顔を見た。


 笑顔。


 完璧な笑顔。


 でも、ずっと笑っている。


 ミカが言った「前の私に似てる」という言葉が、頭から離れなかった。


「白咲さん、これお願いできる?」


 いろはが布の束を持ってきた。


「このリボン、衣装の胸元に使いたいの。白咲さんならかわいく結べそうって思って」


「うん、やってみるね」


「ありがとう! やっぱり白咲さんに頼んでよかった」


 頼んでよかった。


 その言葉は嬉しかった。


 でも、その嬉しさの奥で、少しだけ怖くなる。


 失敗したら。

 かわいくできなかったら。

 頼んでよかったと思われなくなったら。


 そんな考えが、勝手に浮かぶ。


 リノは慌てて首を振った。


 いけない。


 これは自分の声だ。


 いろはの声だけじゃない。


 自分の中にも、まだある声。


 必要とされたい。

 がっかりされたくない。

 ありがとうって言われたい。


 灰色の糸が、胸の奥で静かに揺れた気がした。


 準備が一段落したころ、教室に残っている生徒は少なくなっていた。


 リノは忘れ物に気づいて、廊下から教室へ戻った。


 扉を開けると、中にはいろはだけがいた。


 夕焼けの光が、教室を薄いオレンジ色に染めている。


 いろはは一人で机に向かい、ステージ衣装のデザインを直していた。


 机の上には、雑誌の切り抜き、衣装案、タイムテーブル、色見本が広がっている。


 その量は、ひとりで抱えるには多すぎた。


「あ、白咲さん」


 いろはは顔を上げて笑った。


「ごめん、ちょっと直してただけ」


「まだやってたの?」


「うん。でも全然平気。こういうの好きだから」


 いろはは明るく言った。


 でも、机の上の紙には、びっしりと書き込みがある。


 主役。

 センター。

 かわいい。

 選ばれる。

 失敗しない。

 目立つ。

 私じゃなきゃ。


 リノはその文字を見てしまった。


 いろはも、リノの視線に気づいた。


 すぐに紙を裏返す。


「見た?」


 声が少しだけ低かった。


 リノは息をのむ。


「あ……ごめん。見るつもりじゃ」


 次の瞬間、いろははぱっと笑った。


「ごめんごめん、ちょっと恥ずかしいだけ!」


 いつもの笑顔。


 でも、さっきの一瞬の声が耳に残る。


「花守さん、無理してない?」


 リノは思い切って聞いた。


 いろはは目を丸くしたあと、軽く笑った。


「全然!」


「でも、予定とか、すごく詰まってるし」


「大丈夫だよ。こういうの、ちゃんとやれば絶対うまくいくから」


「ちゃんと……」


「うん。ちゃんとかわいくして、ちゃんと目立って、ちゃんと成功させるの」


 いろはは裏返した紙を指先で押さえた。


「だって、せっかくの文化祭だよ?」


 その言葉は明るい。


 なのに、どこか追い詰められているように聞こえた。


「失敗したら、もったいないじゃん」


 リノは何と返せばいいのか分からなかった。


 いろはは立ち上がり、窓の外を見た。


「私ね、ずっと思ってたんだ」


「何を?」


「主役って、いいなって」


 夕焼けの光で、いろはの横顔が赤く染まる。


「劇でも、ステージでも、写真でも、みんなが見るのって主役でしょ?」


 リノは黙って聞いた。


「かわいいって言われるのも、すごいって言われるのも、やっぱり真ん中にいる子」


 いろはは笑った。


 でも、その笑顔は少し薄かった。


「私だって、主役になってみたいなって思うの」


「花守さんは、もう十分目立ってると思うけど」


「そういうのじゃないんだよね」


 いろはは軽く首を振った。


「みんなと仲良くできるとか、行事をまとめられるとか、そういう便利な感じじゃなくて」


 声が少しだけ小さくなる。


「誰かの一番になりたい」


 リノの胸が、どくんと鳴った。


「私も、誰かの特別になりたいな」


 その言葉は、リノの奥に深く刺さった。


 自分も思ったことがある。


 誰かの特別になりたい。

 助けたから、好きになってほしい。

 見てほしい。

 選んでほしい。


 リノが何も言えずにいると、いろははまた明るく笑った。


「なーんてね。ちょっと痛いこと言っちゃった」


「痛くないよ」


 リノは思わず言った。


 いろはの目が揺れる。


「え?」


「そう思うことは、痛くないと思う」


 リノは胸元に手を当てた。


「私も、分かるから」


 いろははリノを見つめた。


 その目から笑顔が少しだけ消える。


 けれど次の瞬間、廊下から誰かの声がした。


「いろはー、帰ろー!」


「あ、はーい!」


 いろははすぐに明るい顔に戻った。


「じゃあね、白咲さん。衣装、よろしくね」


「うん」


「絶対かわいくしようね」


 いろははそう言って、教室を出ていった。


 リノは一人、夕焼けの教室に残される。


 机の上には、いろはが裏返した紙がまだ置かれていた。


 風もないのに、その紙の端が少しだけ揺れる。


 リノの胸元のブローチが、かすかに熱を持った。


「……ミミル」


 小さく呼ぶと、鞄の中からミミルが顔を出した。


「うん。感じた」


「ノイズ?」


「まだ形にはなってない」


 ミミルは耳をぴんと立てる。


「でも、集まり始めてる」


 そのとき、教室の後ろに貼られた文化祭ポスターが、かさりと音を立てた。


 リノは振り返る。


 ポスターには、明るい色で「文化祭まであと十日!」と書かれている。


 その下に、うっすら黒い文字が浮かび上がった。


 見て。


 リノの呼吸が止まる。


 文字はすぐに消えた。


 けれど、続いて黒板の端に、白いチョークのような線がひとりでに走る。


 私を選んで。


 リノはステッキを出そうとした。


 でも、教室にはもう何もない。


 ただ、夕焼けと静けさだけが残っている。


 ミミルは低い声で言った。


「まだ本体じゃない。前兆だよ」


「止められる?」


「今は、どこに中心があるか分からない」


 リノは唇を噛んだ。


 いろは。


 文化祭。


 主役になりたいという願い。


 それは、悪いものではないはずだ。


 誰かに見てほしい。

 かわいいと言われたい。

 選ばれたい。


 そんな気持ちそのものは、きっと悪くない。


 でも、それが「失敗したら終わり」になった時。

 「主役じゃない自分には価値がない」になった時。


 きっと、黒い星はそこへ落ちる。


 夜。


 学校は静まり返っていた。


 昼間はあんなに騒がしかった廊下も、誰もいないと別の場所みたいに見える。


 体育館の扉は閉まっている。


 けれど、その奥で。


 ぱち。


 小さな音がした。


 拍手の音。


 ぱち。


 誰もいない体育館の中で、客席の椅子がひとつ、きしむ。


 ぱち。


 ステージの幕が、ひとりでに揺れた。


 天井の照明が一つだけ灯る。


 黒いスポットライトだった。


 そこへ、黒い星の欠片が落ちてくる。


 音もなく、ステージの中央に沈む。


 飾りつけのために置かれていた白いリボンが、端から黒く染まった。


 幕がゆっくり開いていく。


 誰もいない客席に、黒い影が座っていた。


 一人。

 二人。

 三人。


 顔のない観客たちが、手を叩いている。


 ぱち。

 ぱち。

 ぱち。


 その音は、優しくない。


 待っている音だった。


 評価する音だった。


 選ぶ音だった。


 ステージの中央に、ひとつの影が立つ。


 花守いろはの姿をした影。


 けれど、本人ではない。


 いろはの笑顔だけを薄く写し取ったような、黒い影。


 胸元には大きなリボン。

 手にはマイク。

 足元には、絡まり合ったスポットライトの線。


 影は、客席の暗闇に向かって深くお辞儀をした。


「見て」


 拍手が大きくなる。


「選んで」


 黒いリボンが、ステージの端から体育館の床へ伸びていく。


「かわいいって言って」


 影の背後に、巨大な幕が広がる。


 そこには黒い文字が浮かんでいた。


 主役になりたい。


「失敗したら」


 影は顔を上げた。


 笑っている。


 でも、その笑顔は泣いているみたいに歪んでいた。


「私を嫌いにならないで」


 体育館の天井で、黒い星の欠片がもう一度瞬いた。


 文化祭は、まだ始まっていない。


 けれど、主役を選ぶための舞台は、もう開いていた。

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