第10話 星を読む先輩-後編
リボンが黒く染まるまで
第10話 星を読む先輩・後編
黒いページが、嵐のように図書室を舞った。
ルル先輩の星のドレスが、淡く光る。
けれど、その胸元のリボンは片方だけ欠けていた。
リノはその欠けたリボンから、目を離せなかった。
優しい光なのに、どこか痛そうに見える。
「リノちゃん、来るよ」
ルル先輩の声で、リノははっとステッキを構えた。
シークレットページ・ノイズが、さらにページを広げる。
「見ないで」
「知らないで」
「開かないで」
ルル先輩は杖を構えた。
「リノちゃん、あのノイズは秘密を閉じ込めるタイプ。無理に壊すと、中に閉じた声まで傷つく」
「分かるんですか?」
「昔、似たのを壊したから」
その一言で、リノはルル先輩を見た。
ルル先輩は苦い笑みを浮かべる。
「だから分かる」
黒い本がリノとルル先輩に向かってページの嵐を放つ。
リノはステッキを振る。
「マジカル・リボン・バインド!」
白いリボンが伸び、黒いページを束ねる。
しかし、束ねたページの文字がほどけ、リボンに染み込んでいった。
「知られたくない」
ノイズの声が近くなる。
「読まれたくない」
リノの周囲に、本が次々と開く。
そこには文字が浮かんでいた。
誰にも言えなかったこと。
胸の奥に閉じ込めた言葉。
見られたら嫌われると思って、隠した気持ち。
リノ自身の言葉も混ざっていた。
助けたから、好きになってほしかった。
誰かの特別になりたかった。
大丈夫じゃないって言うのが怖かった。
リノは息を詰まらせる。
昨夜、向き合ったはずなのに、文字にされるとまた怖い。
ルル先輩が横から杖を振った。
「ルミナス・スケール」
光の天秤が空中に現れる。
片方の皿には黒い文字。
もう片方の皿には白い光。
天秤は大きく揺れた。
「秘密を全部暴くのも、全部閉じ込めるのも、どっちも危ない」
ルル先輩は言った。
「大事なのは、どこまで開くかを自分で決めること」
「自分で……」
「善悪値も同じ」
ルル先輩の声が少しだけ低くなる。
「誰かに褒められるために白くなりすぎても、自分を守るために黒くなりすぎても、心は傾く」
ルル先輩のリボンの欠けた部分が、かすかに光った。
「傾きすぎたら、戻すのは難しい」
シークレットページ・ノイズが叫ぶようにページを広げる。
「秘密にしていれば、傷つかない!」
黒い本の鍵が大きくなり、図書室全体を閉じ込めるように鎖が走った。
本棚が歪む。
窓が黒い紙で塞がれる。
図書室そのものが、閉じた日記帳の中へ変わっていく。
「リノ、来る!」
ミミルの声。
ノイズが巨大な本の口を開き、リノたちを呑み込もうとした。
ルル先輩が前へ出る。
「マジカル・スター・ジャッジ!」
星の光がまっすぐ放たれる。
光はノイズの鎖を断ち切った。
けれど、その瞬間、黒い本の中から悲鳴が上がった。
「痛い!」
「見ないで!」
「壊さないで!」
ルル先輩の顔色が変わる。
手が止まった。
「先輩?」
ルル先輩は一歩下がる。
その目は、今の図書室ではないどこかを見ていた。
リノには分かった。
ルル先輩は、昔の失敗を思い出している。
誰かを傷つけた記憶。
善悪値を間違えた記憶。
壊してはいけないものを壊した記憶。
シークレットページ・ノイズが、その隙を逃さなかった。
黒いページの鎖がルル先輩の腕に巻きつく。
「知られたくない」
「思い出したくない」
「あなたも閉じてしまえばいい」
「っ……!」
ルル先輩の星の光が揺らぐ。
リノはステッキを握りしめた。
怖い。
自分の秘密を見られるのも怖い。
誰かの秘密に触れるのも怖い。
でも、ルル先輩は今、昔の痛みに捕まっている。
リノは前へ踏み出した。
「先輩!」
リノのリボンが伸び、ルル先輩の腕に絡む黒いページを止める。
「無理に壊さなくていいです!」
ルル先輩がリノを見る。
「でも、閉じ込めたままじゃ」
「開ける場所を作ればいいんですよね」
リノはノイズを見た。
黒い本は震えていた。
怒っているようで、怖がっているようで、泣いているようだった。
「全部を見せなくていいよ」
リノはゆっくり言った。
「言えないことがあってもいい」
黒いページの動きが少し鈍る。
「でも、ずっと閉じたままだと、苦しいんだよね」
ミカに全部は話せなかった。
でも、話せるときに話してと言ってもらえた。
秘密は、全部を一度に開かなくてもいい。
でも、開く場所がひとつもないと、心は息ができなくなる。
リノはステッキを掲げる。
「マジカル・リボン・ブックマーク!」
白いリボンが、細いしおりのように変わった。
それは黒い本を閉じなかった。
ページを破かなかった。
ただ、一枚のページにそっと挟まる。
「今は言えなくてもいい」
リノは言った。
「でも、いつか開ける場所を作ろう」
ルル先輩が小さく息をのむ。
その隣で、ルル先輩も杖を掲げた。
「ステラ・リボン・ガイド」
星の光が、リノのしおりに重なる。
白いリボンと星の光が、黒い文字をやわらかく包む。
ノイズは小さく震えた。
黒いページが一枚、また一枚と白く戻っていく。
虫のように這っていた文字は、静かなインクへ変わり、ページの上に落ち着いた。
最後に、黒い本の鍵が外れる。
ぱちん。
小さな音がして、シークレットページ・ノイズは光の粒になってほどけた。
あとには、古びた無地のしおりだけが残った。
リノはそれを拾い上げる。
図書室の景色が戻ってくる。
窓から昼の光が差し込み、本棚は静かに並んでいる。
リノの変身が解けた。
ルル先輩の変身も、星の光となってほどけていく。
制服姿に戻ったルル先輩は、胸元を押さえていた。
リノはそっと声をかける。
「先輩」
「うん」
「大丈夫……ですか」
言ったあとで、リノは少しだけ後悔した。
大丈夫じゃない人に、大丈夫かと聞くのは、少し難しい。
けれどルル先輩は、ふっと笑った。
「大丈夫じゃないかも」
その答えに、リノは目を見開いた。
ルル先輩は自分で言って、少し驚いたような顔をした。
「……なんてね。後輩に言うことじゃないかな」
「いいと思います」
リノは静かに言った。
「大丈夫じゃないって、言っても」
ルル先輩はリノを見る。
その瞳が、一瞬だけ揺れた。
「白咲さんは、強いね」
「強くないです」
リノは即答した。
「昨日、やっと言えただけです。大丈夫じゃないって」
「そっか」
ルル先輩は小さく笑った。
「じゃあ、少し先を越されちゃったな」
鞄の中からミミルが顔を出す。
「ルル……君は」
ルル先輩はミミルを見る。
「久しぶり、ミミル」
ミミルの耳が震えた。
「やっぱり、覚えて……」
「全部じゃないよ。でも、忘れられないことはある」
リノはふたりを交互に見た。
「ミミル、先輩を知ってるの?」
ミミルは気まずそうに目を伏せた。
「……昔、少しだけ」
「少しだけって顔じゃないよね」
ルル先輩が穏やかに言う。
ミミルは何も言えなかった。
リノの胸に、小さな不安が生まれる。
ミミルがまた隠していたこと。
ルル先輩の過去。
善悪値を間違えて誰かを傷つけたという言葉。
知りたい。
でも、今すぐ聞くには、あまりにも重かった。
ルル先輩は窓の外を見た。
昼の空には星が見えない。
それでも、ルル先輩の横顔は星を読んでいるみたいだった。
「白咲さん」
「はい」
「あなたのリボン、もう灰色が混ざってる」
リノは胸元を押さえた。
ルル先輩は笑っていなかった。
「その色を、甘く見ないで」
「先輩は、何を知ってるんですか」
ルル先輩は少しだけ目を伏せた。
「知ってるんじゃないよ」
星のヘアピンが、窓から差し込む光を受けて小さく光った。
「失敗したの。私は昔、善悪値を間違えて……誰かを傷つけた」
リノは息をのむ。
「その人は……」
「まだ、ここにいる」
「え?」
ルル先輩はリノを見た。
「この町にいる。私が傷つけた子は、まだ」
その先を、ルル先輩は言わなかった。
図書室の外から、チャイムが鳴った。
昼休みの終わりを告げる音。
ルル先輩は静かに本棚へ歩き、古いノートを一冊取り出した。
表紙には、天文部観測記録、と書かれている。
「黒い星について知りたいなら、明日の放課後、天文準備室に来て」
「天文準備室……」
「三枝さんも、一緒に」
リノは顔を上げた。
「ミカちゃんも?」
「昨日、何か聞こえたんでしょう」
リノは答えられなかった。
ルル先輩は困ったように笑う。
「黒い星を見た子は、少しずつ変わっていく。聞こえなかった声が聞こえるようになったり、見えなかった痛みが見えるようになったりする」
「ミカちゃんも、危ないんですか」
「危ないかもしれない」
ルル先輩は正直に言った。
「でも、知らないままの方がもっと危ない」
リノはその言葉を胸にしまった。
知らないまま戦うのは、もう嫌だ。
それはリノ自身が何度も思ったことだった。
放課後。
リノはミカに図書室であったことを話した。
全部ではない。
でも、星乃ルルという先輩が魔法少女だったこと。
黒い星のことを調べていること。
ミカにも天文準備室に来てほしいと言っていたこと。
ミカは少し驚いた顔をした。
「魔法少女って、リノちゃんだけじゃないんだ」
「うん」
「その先輩は、味方なの?」
リノは少し迷った。
「たぶん」
「たぶん?」
「怪しい人じゃないって、自分で言ってた。たぶんって」
「それ、怪しい人が言うやつじゃない?」
「だよね」
ふたりは少しだけ笑った。
けれど、すぐに沈黙が戻る。
ミカは真剣な目でリノを見た。
「行く」
「怖くないの?」
「怖いよ」
ミカは正直に言った。
「でも、知らないままの方がもっと怖い」
その言葉は、リノの心に残った。
今、ミカも同じ場所に立とうとしている。
リノはミカを巻き込みたくない。
でも、ミカの目を閉じさせたくもない。
「無理はしないでね」
「それ、リノちゃんにもそのまま返す」
「う……」
ミカは少し笑った。
リノも、少しだけ笑った。
校舎の上には、夕方の空が広がっている。
星はまだ見えない。
けれど、リノは知っている。
見えないからといって、そこにないわけではない。
黒い星も。
秘密も。
誰かの痛みも。
そして、まだほどけていないリボンも。
次の日の放課後。
天文準備室の扉の前で、リノはミカと並んで立っていた。
ミミルはリノの鞄の中で、緊張したように息を潜めている。
リノは扉を見つめた。
この先に、何があるのか分からない。
黒い星の真実か。
ルル先輩の失敗か。
ノアの過去か。
それとも、もっと別の何かか。
リノはミカを見る。
ミカは小さく頷いた。
「一緒に開けよ」
リノは頷き返す。
そして、天文準備室の扉に手をかけた。
扉の向こうから、ルル先輩の声がした。
「待ってたよ、白いリボンの子」
リノの胸元で、ブローチが小さく震える。
扉が、ゆっくりと開いた。




