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リボンが黒く染まるまで 〜救うほど闇に近づく魔法少女になってしまいました…!〜  作者: ぽころっと
Chapter 1 白いリボンが黒く染まるまで

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第9話 大丈夫じゃない日の帰り道


 商店街の灯りが、ひとつずつ夜に溶けていく。


 リノは噴水のそばに座り込んだまま、しばらく動けなかった。


 胸元には白いリボンのブローチ。

 その端には黒い染みと、一本の灰色の糸がある。


 それを見るたびに、第8話のステージが頭の奥でちらついた。


 顔のない観客席。

 空っぽの椅子。

 ありがとう、と書かれたリボン。

 そして、自分の心から生まれたリボンケージ・ノイズ。


 見てほしかった。

 ありがとうって言われたかった。

 助けたから、好きになってほしかった。


 言ってしまった言葉は、もう胸の奥に戻せなかった。


 ミカは、リノの隣に座っていた。


 何も聞かなかった。


 それが、リノには少しだけ不思議だった。


 普通なら聞くと思う。

 どうしたの、とか。

 何があったの、とか。

 どうして泣いてるの、とか。


 でもミカは、ただ隣にいた。


 リノが泣き止むまで、何も言わずに、同じ夜の商店街を見ていた。


 ミミルは少し離れた植え込みの陰に隠れている。

 ミカに見えないようにしているのだろう。

 でもリノには、小さな白い耳が心配そうに揺れているのが見えた。


「寒くない?」


 しばらくして、ミカが言った。


 リノは首を横に振ろうとして、止まった。


 いつもの癖で「大丈夫」と言いそうになったから。


「……ちょっと寒い」


 そう答えると、ミカは鞄から薄手のカーディガンを出した。


「これ、使って」


「でも」


「いいから」


 ミカは強く言うわけではなかった。

 ただ、当たり前みたいにカーディガンをリノの肩へかけた。


 リノはそれを断れなかった。


 断らなくてもいい気がした。


「ごめん」


 リノは小さく言った。


「迷惑かけて」


 ミカは少しだけ眉を寄せた。


「泣いたくらいで迷惑って言われたら、私も困るよ」


「え?」


「だって私、リノちゃんの前で泣いたことあるし」


 リノは言葉に詰まった。


 ミカは夜の噴水を見ながら、少し照れたように笑った。


「たぶん、あの時の方がすごかったと思う」


「あの時……」


 リノはすぐに分かった。


 黒い星が落ちた夜。

 ミカの心からノイズが生まれた夜。

 リノが初めて魔法少女になり、ミカの「見てほしい」という声を聞いた夜。


 ミカは全部を覚えていない。

 魔法少女のことも、ノイズのことも、はっきりとは知らない。


 でも、心の奥に何かが残っているのかもしれなかった。


「私、あの日のこと、ちゃんとは覚えてないんだ」


 ミカはゆっくり言った。


「でも、すごく怖かったことは覚えてる。息ができなくて、頭の中が真っ黒で、自分の声なのに自分じゃないみたいな声がして」


 リノは黙って聞いていた。


「それで、誰かが言ってくれた気がするの」


 ミカはリノを見た。


「笑ってなくてもいいよって」


 リノの胸が、きゅっと痛んだ。


 それは、第4話でリノがミカに言った言葉だった。


 公園のベンチ。

 夕方の空。

 泣きながら笑うミカ。


「リノちゃんが言ってくれたんだと思ってる」


「……うん」


 リノは小さく頷いた。


 全部は言えない。

 魔法少女のことも、ノイズのことも、ノアのことも。


 でも、その言葉だけは、自分が言ったものだと認めたかった。


「だから今度は、私が言う番かなって」


 ミカは少しだけ息を吸った。


「リノちゃんも、笑わなくてもいいよ」


 リノは目を見開いた。


 その言葉は、想像していたよりもずっと深く胸に届いた。


 自分が誰かに言った言葉が、今度は自分に返ってくる。


 そんなことがあるなんて、思っていなかった。


「泣いててもいいし、黙っててもいいし、何も説明できなくてもいい」


 ミカは続けた。


「でも、ひとりで大丈夫なふりはしなくていいと思う」


 リノは膝の上で手を握った。


 胸の奥が、また熱くなる。

 泣きそうになる。


 でも、さっきとは少し違う。


 責められている痛みではなく、ほどけていく痛みだった。


「私ね」


 リノはゆっくり口を開いた。


 どこまで話していいのか分からない。

 でも、全部を黙っていたら、またリボンケージ・ノイズの檻に戻ってしまう気がした。


「誰かを助けたあと、その子が私なしで笑ってると、嬉しいのに、少し寂しかった」


 ミカは何も言わなかった。


 ただ、リノの言葉を待ってくれた。


「そんな自分が嫌だった」


 リノは胸元のブローチを握る。


「助けたいって思ったのは、本当なの。ミカちゃんのことも、月森さんのことも、本当に助けたかった」


「うん」


「でも、助けたあとに、ありがとうって言われたいとか、特別に思われたいとか、そういう気持ちもあって」


 言いながら、リノは喉が詰まった。


「嫌だよね、そういうの」


 ミカは少し考えてから、首を横に振った。


「私は、嫌じゃない」


「え?」


「大事に思ってたから、寂しかったんじゃないかな」


 ミカの声は静かだった。


「どうでもいい相手だったら、元気になったあとに離れていくのが寂しいなんて思わない気がする」


 リノは言葉を失った。


 そんなふうに考えたことはなかった。


 寂しいと思う自分は、悪い子だと思っていた。

 助けた相手に見返りを求める、みっともない子だと思っていた。


 でも、ミカはそれを責めなかった。


「それに、リノちゃんがいてくれたことは、なくならないよ」


 ミカは少し照れくさそうに笑った。


「私が元気になったとしても、あの日リノちゃんが隣にいてくれたことは、消えない」


 リノの目に、また涙が浮かんだ。


「……そんなの、ずるい」


「え、なんで?」


「また泣いちゃう」


「あ、ごめん」


 ミカは慌てた。

 その慌て方がいつものミカらしくて、リノは涙をこぼしながら少し笑ってしまった。


 ミミルは植え込みの陰から、ふたりを見ていた。


 リノが泣いている。

 でも、さっきより苦しそうではない。


 ミカが隣にいる。

 何かを解決しているわけではない。

 魔法を使っているわけでもない。


 ただ、そこにいる。


 ミミルは胸の奥が小さく痛むのを感じた。


 昔、ノアにもこういう夜があったなら。


 誰かがノアの隣に座って、何も聞かずにいてくれたなら。

 ノアが「大丈夫じゃない」と言えたなら。

 その言葉を誰かが受け止めてくれていたなら。


 黒いリボンは、あそこまで染まらなかったのだろうか。


 ミミルは星形のしっぽを抱きしめる。


「今度こそ」


 誰にも聞こえない声で呟いた。


「今度こそ、ひとりにしない」


 同じ頃。


 商店街の屋根の上で、黒羽ノアは夜風に吹かれていた。


 見下ろせば、噴水のそばにリノとミカがいる。


 ミカは何も知らない。

 魔法少女のことも、ノイズのことも、黒い星のことも。


 それなのに、リノの隣に座っている。


 ただ、それだけ。


 それだけのことが、ノアにはひどく眩しかった。


「笑わなくてもいいよ、か」


 ノアは小さく呟いた。


 記憶の底で、別の声が揺れる。


 灯里。


 ノアがまだ白いリボンの魔法少女だった頃、秘密を知っていた唯一の友達。


 夜遅く、傷だらけで帰ってきたノアに、灯里は何度も言おうとしていた。


 ノア、もう大丈夫って言わなくていいよ。


 その言葉を、灯里は最後までうまく言えなかった。


 ノアも、聞こうとしなかった。


 だって、大丈夫じゃないと言ったら、灯里が悲しむと思ったから。

 灯里を心配させるくらいなら、自分が笑っていればいいと思ったから。


 優しさのふりをした、ただの我慢。


 それがいつか、ノア自身を壊した。


「そんなの」


 ノアは黒いリボンを握る。


「私にも言ってほしかったな」


 その声は、夜風に消えた。


 そのとき。


 商店街の路地裏から、小さな黒い気配がにじみ出た。


 ノアは目を細める。


「……小さいノイズ」


 下では、リノも気づいたように顔を上げていた。


 ミミルが植え込みから飛び出す。


「リノ、近くにノイズ!」


 ミカが驚いて周囲を見る。


「え、何?」


 リノは立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。


 第8話のリボンケージ・ノイズとの戦いで、まだ体が重い。


 それでも、リノはブローチを握った。


「行かなきゃ」


「リノちゃん?」


 ミカが不安そうに名前を呼ぶ。


 リノは答えられなかった。


 路地裏から現れたのは、小さな黒い影だった。


 子どものような形をしている。

 ほどけたリボンを引きずりながら、ふらふらと歩いている。


 顔はない。

 けれど、泣いているように見えた。


「置いていかないで」


 声が聞こえた。


 リノだけではない。


 ミカも、小さく肩を震わせた。


「今の……声?」


 リノはミカを見る。


「聞こえたの?」


「うん。なんか、少しだけ」


 ミミルが息をのむ。


「ノイズに触れたことがあるから、感応してるのかも」


「感応……?」


 リノには詳しく聞く余裕がなかった。


 小さなノイズは、路地裏の奥へふらふらと進んでいく。

 その後ろには、黒いリボンが迷路のように広がっていた。


「置いていかないで」

「言えなかった」

「ごめんねって、言えなかった」

「一人にしないで」


 リノの胸が痛む。


「ロストリボン・ノイズ……」


 ミミルが小さく言った。


「迷子のノイズだ。誰かの言えなかった言葉から生まれたんだと思う」


 リノはブローチを胸に当てる。


「マジカル・リボン・ドレスアップ」


 白い光がリノを包む。


 けれど光はいつもより弱かった。

 ドレスは現れたものの、フリルの端には灰色の糸が目立っている。


 リノはステッキを握った。


 手が震える。


 まだ怖い。

 さっき自分のノイズと向き合ったばかりで、また誰かの声を聞くのが怖い。


 ロストリボン・ノイズが振り返る。


 黒いリボンが、リノの足元へ伸びた。


 そこに触れた瞬間、リノの視界がぐにゃりと歪む。


 商店街が迷路になった。


 同じ路地。

 同じ看板。

 同じ街灯。


 どこへ進んでも、元の場所へ戻ってしまう。


「置いていかないで」


 ノイズの声が近くで聞こえる。


 リノはステッキを構えた。


「マジカル・リボン・ライト!」


 ステッキから光が放たれる。

 けれど光は迷路の壁に吸い込まれ、すぐに消えた。


「リノ、無理しないで!」


 ミミルの声が遠い。


 リノは歯を食いしばる。


「大丈夫……」


 言いかけて、止まった。


 大丈夫じゃない。


 さっき言えたばかりなのに、また言いそうになった。


 そのとき、温かい手がリノの手を握った。


 ミカだった。


 ミカは魔法少女の姿のリノを見ても、悲鳴を上げなかった。

 驚いてはいる。

 怖がってもいる。


 それでも、手を離さなかった。


「一人でやらなくていいよ」


 ミカの声が、迷路の中にまっすぐ響いた。


 リノはミカを見る。


「ミカちゃん……でも」


「詳しいことは、あとで聞く」


 ミカは少しだけ震えながら、それでも笑った。


「今は、手伝わせて」


 その瞬間、リノの胸元のリボンが温かく光った。


 白でも黒でもない。

 灰色でもない。


 少しだけ、柔らかい桜色。


 リノは深く息を吸う。


 ノイズの声を聞くのは怖い。

 でも、ひとりじゃない。


 リノはステッキを掲げた。


「マジカル・リボン・ガイド」


 ステッキの先から、細い光のリボンが伸びた。


 それは迷路を壊さなかった。

 ただ、暗い道の先へそっと続いていく。


 ロストリボン・ノイズは、その光を見て立ち止まった。


「置いていかない?」


 リノはミカの手を握ったまま答えた。


「置いていかない」


「ごめんねって、言えなかった」


「今からでも、言っていいよ」


「一人にしないで」


「うん」


 リノの声は震えていた。


「私も、一人じゃない方がいいって、今日やっと分かったから」


 光のリボンが、ノイズのほどけたリボンに結ばれる。


 ロストリボン・ノイズは、小さく泣いた。


 黒い影が少しずつほどけていく。


 最後に、小さなリボンの切れ端だけが残った。

 それは夜風に乗って、どこかへ飛んでいく。


 たぶん、言えなかった誰かの元へ。


 迷路は消えた。


 商店街の路地裏に戻る。


 リノはふらりと膝をつきそうになったが、ミカが支えてくれた。


「大丈夫?」


 ミカは言いかけて、すぐに言い直した。


「じゃなくて……座る?」


 リノは少し笑った。


「うん。座りたい」


 ふたりは路地裏の端にある低い段差に座った。


 ミミルは少し離れた場所で、気まずそうにふたりを見ている。

 もう隠しきれないと分かっているのだろう。


 ミカはリノの変身が解けるのを見届けてから、ぽつりと言った。


「リノちゃんって、魔法少女だったんだね」


 リノはうつむいた。


「……うん」


「そっか」


 ミカはそれだけ言った。


「怖くないの?」


「怖いよ」


 ミカは即答した。


「でも、リノちゃんが怖がってるなら、私だけ逃げるのも嫌」


 リノはミカを見る。


 ミカは少しだけ笑った。


「私、まだ全部分かんないけど」


 夜風が、ふたりの髪を揺らす。


「リノちゃんが大丈夫じゃないとき、隣にいるくらいならできると思う」


 リノの胸が、じんわり温かくなった。


 遠くの屋根の上で、ノアはその光景を見ていた。


 ロストリボン・ノイズは、リノとミカの手で静かにほどけた。

 強い魔法ではない。

 派手な浄化でもない。


 ただ、誰かが誰かの手を握って、置いていかないと言っただけ。


 それだけで、ノイズは消えた。


 ノアは黒いリボンを握る。


「くだらない」


 そう呟いた。


 でも、その声には力がなかった。


 記憶の中で、灯里の声が揺れる。


 ノア。

 ひとりで行かないで。


 ノアは目を閉じた。


 もう遅い。


 そう思った。


 けれど、胸元の黒いリボンが、ほんの少しだけ痛んだ。


 夜空の黒い星が瞬く。


 リノはまだ知らない。


 ミカがノイズの声を聞いたこと。

 それが、ただの偶然ではないこと。


 そして黒羽ノアの中にも、まだほどけていないリボンが残っていることを。


 帰り道、ミカはリノの隣を歩いた。


 理由を全部聞くには、まだ早い。

 でも、何も知らないままではいられない。


 リノもそれを分かっていた。


「ミカちゃん」


「うん?」


「今度、ちゃんと話す」


 ミカは頷いた。


「うん。待ってる」


「全部は、すぐには無理かもしれないけど」


「うん」


「それでも、聞いてくれる?」


 ミカは少しだけ笑った。


「聞くよ」


 その言葉は、魔法みたいだった。


 リノの胸元で、白と灰色と淡い桜色のリボンが、小さく揺れた。


 大丈夫じゃない日の帰り道。


 それでもリノは、ひとりではなかった。

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