星の話をする日
朝起きると、最初に窓の外を見る。
雨ならがっかりするし、曇りでも少し嫌な気分になる。晴れていると、それだけで今日はいい日だと思える。母さんには単純だねって笑われるけど、夜の空がきれいに見えるかどうかは、僕にとってすごく大事なことだった。
朝ごはんを食べながらも、僕は空の話をする。
「今日、晴れそうだよ」
「朝からそればっかりだね」
「だって大事だもん」
「祝福のことより?」
「うん」
母さんが呆れたみたいに笑う。
けど怒りはしない。父さんも向かいでパンをちぎりながら、「まあ、好きなものがあるのはいいことだ」と言った。
学校でも似たようなものだった。
友達が将来何になりたいとか、どんな祝福が出たら便利かとか話している横で、僕は窓の外の空ばかり気にしていた。先生に当てられても、半分くらいしか話を聞いていないことがある。よくないとは思う。でも、夜のことを考え出すと止まらないのだ。
家に帰ると、手伝いを済ませてから望遠鏡を出した。
うちのは古くて小さい。立派なものじゃない。けど、僕には宝物だった。角度を合わせて、覗いて、星を探す。見つけるたび、胸の中が少しずつ満たされていく。
星には名前がある。
季節ごとに並び方が変わる。
夜が深くなると位置も少しずつ動く。
そんな当たり前のことが、僕にはたまらなく面白かった。
遠いものなのに、ちゃんとそこにある。
手が届かないのに、見上げれば見える。
誰にも触れられないまま、ずっと昔から光っている。
そういうのが好きだった。
大流星群の話を知ったのは、星空生成装置でもらった小さな案内紙だった。二十年に一度、空を埋めるほどの流星が見えることがある、と書いてあった。最初は嘘みたいだと思った。けど、職員さんが本当だよと笑っていたし、本でも似たようなことが載っていた。
二十年に一度。
それが今年だ。
僕は望遠鏡から目を離して、裸眼で空を見た。
黒い空に、細かな光がたくさん散っている。
「本物を見たいな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
流れ星なんて、ひとつ見つけるだけでも大変なのに、その何十倍、何百倍も空を流れるところを見られるかもしれない。そんなの、待ちきれないに決まってる。
きっとその日は、人生でいちばん綺麗な日になる。
僕は本気でそう思っていた。




