プロローグ
俺は自由が好きだ。
好きな時に寝て、好きな時に起きる。
朝はひとりで起きることもあるけど、だいたいは誰かの腕だの足だの尻尾だのが勝手に体にくっついてて、そのぬくさで目が覚める。昨日の夜は誰の隣で寝たんだっけとか、そういうのは起きてから考えればいい。眠い時は寝る。腹が減ったら起きる。日だまりが気持ちよさそうなら、そこでまた寝る。俺はそういうのが好きだ。
今日も最初に感じたのは、背中に当たる体温だった。
暑苦しいなと思って振り向いたら、小さいやつが俺の腰にひっついて丸くなってる。寝息が細くて、耳が時々ぴくっと動く。昨日の夜、飯のあとに眠そうな顔でふらふらしてたやつだ。自分の寝床があるくせに、人のそばのほうがあったかいと分かると、勝手にもぐり込んでくる。
「重いんだけど」
言っても起きるわけがない。俺はそいつの頭を軽く押して、腕を抜いて、上半身を起こした。
枝と葉を組んで作った寝床のすき間から朝の光が差してる。揺れる葉っぱの影が床の上を行ったり来たりしていて、そのたびに明るさが少しずつ変わる。外はもうすっかり朝だ。腹も減ってる。喉も乾いた。起きる理由としては十分だった。
寝床から這い出ると、朝の空気が鼻先をくすぐった。夜の冷たさが少しだけ残ってる。けど、嫌な感じじゃない。森の朝はだいたいそうだ。ひやっとして、でも日が昇ればすぐあったかくなる。俺はその変わり目が好きだった。
外へ出ると、思った通り、木のあいだから光が落ちていた。
地面の一角だけが明るくて、そこだけ別の場所みたいに見える。昨日までの土と同じなのに、日が当たるだけで色も匂いも違う気がするから変だ。俺は何も考えず、そのまま日だまりへ歩いていって、ごろんと転がった。
あったかい。
背中から熱が染みてきて、肩のあたりがふっと軽くなる。耳の先まであったまる感じがする。尻尾も勝手にだらっと伸びる。腹は減ってるけど、こうしてると別にすぐじゃなくてもいいかって気分になる。空は青いし、風はやわらかいし、今日はたぶん気持ちのいい日だ。
俺は目を細めて空を見た。木の枝の向こうに、細くちぎれた雲が流れていく。鳥の声もする。近くで葉っぱが揺れる音も、遠くで誰かが笑ってる声も、全部ちゃんと聞こえる。群れの朝の音だ。
火のはぜる音。
鍋をかき混ぜる音。
水を運ぶ音。
小さいやつが騒ぐ声。
起きたばかりの低い欠伸。
目を閉じてても、誰がどこにいるかだいたい分かる。年長の女は火のところ。年長の男は朝早くから何か切ってる音がするから、たぶん肉か木だ。小さいやつらは起きた勢いのまま走り回って、朝から怒られてる。そういういつもの音を聞いてると、なんだか安心する。
「朝からだらけてる」
上から声が落ちてきた。
俺は片目だけ開けた。ミアだ。
「だらけてねえよ。起きたばっかだし」
「起きたばっかならもっとしゃきっとしてる」
「それはそっちの勝手な決めつけ」
「レオは毎日そう言う」
見上げると、ミアが木の器を持って立っていた。朝の光が髪にかかって、少しだけ金色っぽく見える。ミアは昔からきれいだ。別にそういうのをいちいち口に出したりはしないけど、群れの中でも目立つ。本人は普通の顔してるけど。
「ほら」
器が差し出される。湯気が顔に当たった。肉と草の匂いがして、一気に腹が鳴る。
「持ってきてくれたのか?」
「ナギが呼んでも来ないから」
「ナギが来いよ」
「今、火のところ手伝ってる」
「真面目だなあいつ」
「レオが真面目じゃないだけでしょ」
俺は起き上がって器を受け取った。まだ熱い。ふうふうしてから飲むと、少ししょっぱくて、草の苦みがちょっとだけあって、でも肉の脂で全部まとまってる。朝の腹にはちょうどいい味だった。
「うまい」
「でしょ」
「ミアが作った?」
「ちょっとだけ」
「じゃあそのちょっとがうまい」
「感じ悪い」
睨まれたから、俺は笑ってもう一口飲んだ。
ミアは俺の隣へ座る。肩が少し触れる。日だまりのぬくさと、隣の体温が一緒になる。朝の森は外の空気が気持ちいいけど、誰かが近くにいるぬくさは、それと別で好きだった。
俺は自由が好きだ。
でも、自由ってひとりでいることとは少し違う。
こうして好きなところで寝て、好きな時に起きて、好きなように動けること。
それでいて、帰れば飯の匂いがして、誰かの声がして、勝手に隣へ座るやつがいること。
そういうのが全部ひっくるめて、俺の好きな自由だった。
「レオー!」
遠くから声が飛んできた。
でかい声だな、と思ったらやっぱりナギだった。
「起きてるなら来てよ! もう食べるの終わっちゃう!」
「終わるなら俺の分残しとけ!」
「そう言っていつも遅いんだから!」
「じゃあ持ってこいよ!」
「ミアが先に持って行ったでしょ!」
ミアが隣で吹き出す。
「ほら、ナギ困ってる」
「ナギはいつも困ってるだろ」
「だいたいレオのせいでね」
それはそうかもしれない。でもナギは文句を言いながらも結局いつも一緒にいる。小さい頃からそうだ。俺が木に登れば下で待ってるし、川へ飛び込めば岸で騒ぐし、危ないって言いながら最後にはついてくる。面倒見がいいのか、放っておけないのか、その両方だろう。
俺たちが火のある場所へ行くと、朝の匂いがもっと濃くなった。
焼いた肉の匂い。
煮た草の匂い。
湿った薪が少し混じった煙の匂い。
それに混ざる、みんなの毛の匂いと土の匂い。
年長の女が鍋をかき混ぜながら、こっちを見て眉を上げる。
「やっと来た」
「今来た」
「遅い」
「朝はゆっくりするもんだろ」
「それを毎日言うのはレオだけだよ」
そう言いながらも、皿にはちゃんと多めによそってくれる。こういうところが好きだ。口では呆れてても、追い払ったりはしない。年長の男も何も言わずに肉を少しこっちへ寄せてくれた。ナギはそれを見て、だから早く来ればいいのにって顔をする。ミアは笑ってる。
小さいやつが俺の脚に抱きついてきた。さっきまで寝てたくせに、もう元気だ。頭をわしゃっと撫でると、嬉しそうに喉を鳴らした。
こういうのが、好きだった。
飯を食ってる間、みんな好き勝手に喋る。
今日はどこへ行くとか。
川の魚が昨日は多かったとか。
花の咲くあたりに変な匂いがしたとか。
誰々が昨日また木から落ちそうになったとか。
ほんとにどうでもいい話ばっかりだ。
でも、それがよかった。
俺は肉を噛みながら、火の向こうで揺れる湯気を見た。朝の光がそこに混ざって、ぼんやり白く光ってる。あったかい飯を食って、近くで誰かが笑ってて、隣でミアが呆れた顔をして、向かいでナギが真面目に骨を外してる。
たぶん、俺はこういう時間のために起きてる。
「今日どうするの?」
ミアが聞いた。
「んー」
俺は骨を舐めながら考えるふりをした。
「寝る」
「却下」
「なんでだよ」
「朝寝てたでしょ」
「朝寝るのと昼寝るのは違う」
「同じだよ」
ナギまで頷く。ひどい。
「じゃあ狩り」
「ほんとに?」
「気が向いたら」
「出た」
ミアが呆れたように笑う。ナギも、やっぱりねって顔をした。
俺は別に嘘をついてるわけじゃない。ほんとに、その時の気分で決めるだけだ。森は広いし、川もあるし、木の上は風が気持ちいいし、花の多い場所は昼寝にちょうどいい。今日はどこへ行ってもたぶん楽しい。そう思えるだけで十分だった。
飯を食い終えて、腹が満ちると、また少し眠くなる。朝の日差しはもうすっかりやわらかくて、森のあちこちに丸い光を落としていた。
俺は立ち上がって、ぐっと背を伸ばした。
「俺、上行ってくる」
「また?」
ナギが聞く。
「また」
「落ちないでよ」
「落ちねえって」
「この前落ちそうになってたじゃん」
「あれは落ちてない。踏み外しただけ」
「それを落ちそうって言うんだよ」
ミアが笑う。俺は聞こえないふりをして、近くの木へ飛びついた。
爪を立てて、するすると登る。枝から枝へ移るたび、風の流れが変わる。下から見てた時よりも空が近い。葉の匂いも強くなる。少し高く上がるだけで、群れのいる場所がよく見えた。
火。
寝床。
干してある毛皮。
転がる小さいやつ。
鍋の前にいる年長の女。
座ったまま何か削ってる年長の男。
ミアとナギ。
俺は高い枝の上で腹ばいになった。
見下ろすと、みんなは思ったより小さく見える。けど、ちゃんとそこにいる。声もする。匂いも流れてくる。ひとりで高いところにいても、下には群れがある。その感じが好きだった。
空は青くて、森は広くて、風は気持ちいい。
今日もたぶん、いい日になる。
どっちへ行こうか。
川か、花の咲く方か。
それとも、もう少しだけ知らない方へ行ってみるか。
考えるだけで、ちょっとわくわくする。
俺は自由が好きだ。
好きな時に走って、好きな時に笑って、好きな時に戻る。
帰ればみんながいて、飯の匂いがして、誰かの体温がある。
そういう毎日がずっと続く気がしていた。




