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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
旅人は煙とともに_IRIS.log

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道連れ

 出発は朝のうちになった。


 空は薄曇りで、日差しが弱い。こういう日は助かる。照り返しで道の罅が見づらくなることもないし、怪物の動きも極端には荒れにくい。もちろん、天気が味方だからといって生き残れるほど優しい世界じゃないが、悪条件が一つ減るだけで十分ありがたい。


 門の前には、荷と人が揃っていた。


 薬と部品を詰めた布包みが二つ。水袋が三つ。乾き肉。弾薬少々。そして、私の足を引っ張るかもしれない同行者が二人。


 一人は、見張りの男が言っていたジン。二十歳そこそこだろうか。背は高いが痩せていて、無駄口を叩かなそうな顔をしている。肩には古い小銃。手入れは悪くない。目だけはまっすぐだった。


 もう一人は、十四、五くらいの少女。薄い布を頭に巻き、荷物を胸に抱えている。少し緊張した顔つきで私を見た。


「リノ」


 自分から名乗る。いい度胸だ。


「サニー」


「知ってる。昨日から有名」


「ろくな有名じゃないといいけど」


「揚水機直した人と、怖そうな人と、煙草くさい人」


「全部私か」


「うん」


 私は鼻で笑った。正確だ。


 ジンが私の荷台を見て言う。


「薬は俺が持つ」


「落とすなよ」


「落とさない」


「みんなそう言う」


 ぶっきらぼうに返したが、荷の固定を手伝う手つきは丁寧だった。悪くない。少なくとも、自分を役立たずだと思っていない人間の動きだ。


 見送りに来た帳面の女が、私に油缶を手渡した。


「約束の分。弾は少ないけど勘弁」


「文句言っても増えないでしょ」


「増えたら私が欲しい」


 そのやり取りの向こうで、昨日の少年――コウが壁際から手を振っていた。


「サニー!」


「何」


「死ぬなよ!」


 朝一番で言う台詞じゃない。


 けれど、この世界では挨拶みたいなものだ。私は片手を上げて応えた。


「そっちもね」


 門が開く。冷たい外気が流れ込んだ。


 私は先にバイクを出し、ジンとリノは徒歩で続いた。最初のうちは道幅もあり、三人で並べるくらいの余裕がある。だが少し進めば瓦礫が増え、崩れた道路の端を選んで進まなければならなくなる。バイクは便利だが、こういう時は万能じゃない。


「乗らないのか」


 ジンが聞いた。


「全員乗って転んだら笑えない」


「二人乗りは?」


「荷が邪魔。あと、お前らが私の運転に耐えられる顔してない」


 リノが少しだけ口元を緩めた。


「速いんだ」


「速くないと死ぬ」


 それきり、しばらく会話は途切れた。


 道の左右には、かつて建物だったものが並んでいる。壁だけ残った家。窓枠だけが空を切り取っている店。中身の抜けた倉庫。風が抜けるたび、どこかで金属板がかたかた鳴った。


 進路を決める時、私はほとんど考えずに古い標識を拾っている。色褪せた文字、半分崩れた矢印、消えかけた番号。慣れているだけだ。昔からそうだった。


 朽ちた案内板の前で私が足を止めると、リノがそれを見上げた。


「読めるの?」


「少しは」


「それ、なんて書いてあるの」


 私は掠れた英字を目で追った。上半分は剥げているが、地名と方角くらいなら分かる。


「西へ三十。多分、昔の距離表記」


「変な字」


「今のじゃないからね」


「ジンは?」


「読めない」


「おれも」


 二人して素直に言う。私は指で看板を叩いた。


「読めなくても、矢印が分かれば十分」


「でも読めるの、便利だな」


 ジンの言い方には、羨ましさより観察の響きがあった。こいつは多分、見たものをそのまま覚える。そういう人間は生き延びる確率が少し高い。


 正午前、最初の面倒が来た。


 前方の車列の残骸の間から、ぬるりと影が三つ出てきた。犬に似ているが、脚が多い。口の裂け方も浅ましい。新しい血の匂いに反応したのか、こちらへ頭を巡らせて低く鳴く。


「下がれ」


 私はそう言うのとほぼ同時に拳銃を抜いた。


 一発目で先頭の目の上を撃ち抜く。倒れたそれを飛び越えようとした二匹目へ、ジンが発砲。肩口に当たっただけで倒れきらない。私は舌打ちして距離を詰め、横から撃ち込んだ。三匹目はリノの悲鳴で一瞬そちらを向いたが、その隙に私が頭を割った。


 静かになる。


 火薬の匂いが、乾いた風に散る。


「悪くない」


 私はジンに言った。


「外した」


「生きてる。なら十分」


 リノは顔を強張らせていたが、逃げなかった。腰が抜けていないだけ立派だ。


「初めて?」


 私が聞くと、リノはこくりと頷いた。


「吐くなら今のうち」


「だ、大丈夫」


「そう。偉い偉い」


 雑な慰めでも、少しは効いたらしい。彼女は深呼吸を繰り返してから、布包みを抱え直した。


 それから先の道は、さらに悪くなった。


 崩れた橋を避けて河床へ降り、乾いた泥の上を歩く。途中で古い配送車の列に行き当たり、私は荷台を覗き込んだ。ほとんど空だったが、床に散らばった缶と紙箱の中に、まだ使えそうな布きれが少しあった。私は無言で拾ってポケットに突っ込む。


「そういうのも拾うんだ」


 リノが言う。


「使えるものは拾う。使えないものは踏む」


「じゃあ私は?」


「今のところ歩いてる」


 リノが吹き出した。緊張が解けてきたらしい。


 夕方前には、野営できそうな建物跡に辿り着いた。壁が二面だけ残っていて、風除けにはなる。ここから先は夜に動くには足場が悪い。私はそう判断して、バイクを横付けにした。


「ここで休む。火は小さく」


 ジンが頷き、リノはすぐに荷を下ろし始めた。手際は遅いが、言われた通りに動こうという意思は見える。手がかからない道連れは、それだけでありがたい。


 乾き肉を齧り、水を少しずつ回す。空は早くも藍色になり始めていた。火の明かりは小さく、風は冷たい。


「なんでついてきた」


 私は肉を噛みながらリノに聞いた。


「弟がいるから」


「それだけ?」


「それだけじゃ駄目?」


「別に」


 リノは火を見つめたまま、小さく肩をすくめた。


「熱が下がらないって聞いたから。薬が届かなかったら嫌だった」


 分かりやすい理由だ。分かりやすすぎて、少し羨ましい。


「ジンは?」


「頼まれた」


「それだけ?」


「それだけで足りる」


 無愛想な返事。私は少し笑う。


「真面目だね」


「旅人に言われたくない」


「偏見だなあ」


 会話はそこで終わった。悪くない終わり方だった。


 やがて二人が眠りに落ちる。私は壁にもたれて座ったまま、火を見ていた。煙草に火をつけようとして、やめる。匂いが広がると面倒だ。代わりに空を仰ぐと、雲の切れ間に星が見えた。


 静かだ。


 こういう静けさは嫌いじゃない。誰かと同じ場所にいて、でも話さなくていい時間。昔なら、たぶんもっと簡単に受け入れられたのだろう。今は少しだけ重い。明日のことを考えなければならないからか、それとも別の理由か。


 胸の奥に、鈍い熱がある。


 私はそっと手を握った。震えはない。まだ平気だ。平気なうちに着いて、荷を渡して、さっさと離れる。そう決めているのに、火の向こうで眠る二人の顔を見ていると、ほんの少しだけ速度を落としたくなる自分がいた。


 くだらない。


 そんなことを考えていたせいだろうか。立ち上がった瞬間、喉の奥がひきつった。


 咳がひとつ、ふたつ。


 私は慌てて建物の外へ出た。暗がりにしゃがみ込み、口を押さえる。咳はすぐに収まったが、手のひらに残った熱が嫌だった。


 月明かりの下で手を開く。


 血はついていない。


 その代わり、手の甲の血管が黒く浮き、細く脈打っていた。


「……早いな」


 呟いた声は、自分でも驚くほど掠れていた。


 私はしばらくその手を見つめ、それから袖で隠した。今夜はまだ誤魔化せる。明日も、多分。問題はその先だ。


 風が吹く。遠くで、何かが鳴いた。


 私は壁に背を預け、目を閉じる。


 眠れはしない。それでも、朝は来る。

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