表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
恋の反比例_IRIS.log

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/258

不在

同窓会の会場は、思っていたよりずっと騒がしかった。


大人になったはずの人たちが、中学生の頃と同じような声で笑っている。

仕事の話、結婚の話、子どもの話。

誰がどこに住んでいて、誰が転職して、誰がまだ独身で、誰が昔のまま変わっていないか。

そんなことが、テーブルの上を軽く跳ねていく。


私はグラスを持ったまま、もう一度店の中を見回した。


やっぱり、レンはいなかった。


遅れて来るのかもしれない。

そう思って、最初のうちはあまり気にしないふりをしていた。

でも一時間ほど経っても来なくて、二時間近くなっても来なくて、私はやっと、それを不自然だと思い始めた。


一番近くにいた女子に、何気ないふうを装って聞いた。


「そういえば、レン来てないんだね」


その子は少し首を傾げた。


「来てないね。誘われてなかったっけ?」

「さあ、どうなんだろ」

「最近どうしてるんだろうね」


その返しに、私は少しだけ引っかかった。


最近どうしてるんだろうね。

昔の同級生に向けるには自然な言葉だ。

でも、レンみたいな人に向けると少しだけ変に聞こえた。


だってレンは、目立つ人だった。

サッカー部で、モテて、明るくて、誰とでも話せた。

卒業してから何年も経っても、ひとりくらいは連絡を取っていそうなものなのに。


私は別の男子にも聞いてみた。


「レンって今なにしてるか知ってる?」

「レン?」

「うん」

「あー……いや、知らないな」

「誰か知ってる人いない?」

「さあ。いたっけ?」


最後の一言は、酔っていただけかもしれない。

名前を聞き返したわけじゃない。

でも、まるで記憶の輪郭が少し曖昧になっているみたいな言い方だった。


私は笑ってごまかした。


「いたでしょ。サッカー部の」

「あー、いたいた。いや、もちろん覚えてるよ」


本当に覚えている人の言い方ではなかった。


そのあとも何人かに聞いた。

でも返ってくる答えは、どれも似たようなものだった。


「最近は知らない」

「連絡先残ってない」

「進学してから会ってない」

「そういえば、どうしてるんだろう」


不自然なほど、誰も知らなかった。


大人になると、人は案外あっさり繋がりを失う。

卒業して、進学して、就職して、引っ越して、結婚して。

そのうち連絡しなくなって、気づけば何年も会っていない。

そういうことは珍しくない。


頭では分かっている。

だからこれは、ただそれだけなのかもしれない。


それでも私は、なぜか胸が冷えるのを止められなかった。


レンのことを最後にちゃんと見たのは、いつだっただろう。


高校に入ってから何度か会って、電話をして、連絡が減って。

それから完全に切れたわけじゃないまま、気づけば何年も経っていた。


別れの挨拶もしていない。

喧嘩もしていない。

嫌いになったわけでもない。


ただ遠くなって、ある日からそのままだ。


思い出の中のレンは、ずっと中途半端な場所に立っている。

振り返れば見えるのに、もう手は届かないところ。


その人が今どこで何をしているのか、誰も知らない。

それは、少し怖いことだった。


トイレに立ったふりをして、私は店の外に出た。


夜風が少し冷たかった。

酔いの回った頭が、外気に触れてゆっくり冷えていく。

スマホを取り出して、連絡先の一覧を眺める。


もう使われていない番号だと知っている。

昔一度だけ、機種変更のあとに送ったメッセージが返ってこなくて、そのままになっている。

それでも私は、その名前をしばらく見ていた。


レン。


たった三文字なのに、昔の季節が少し戻ってくる。

放課後の廊下とか、夏のグラウンドの音とか、制服の袖口の匂いとか。

そういう細かいものまで、一緒に浮かぶ。


私は結局、何も送らなかった。


送る言葉が思いつかなかったからじゃない。

たぶん、送っても届かない気がしたからだ。


店に戻ると、みんなはまだ賑やかだった。

誰かが昔の先生の真似をして笑いを取っていて、別の誰かが写真を撮ろうと声を上げている。


私はその輪に入って、一緒に笑った。

笑いながら、たまに空いた席の方を見た。

最初から誰も座っていなかった席なのに、そこだけ少し静かに見えた。


帰り際、幹事の子に聞いてみた。


「そういえば、レンにも案内送ったの?」

「送ったはずだけどなあ」

「返事は?」

「なかったと思う」

「そっか」

「住所録、昔のままのとこも多いしね。今どこにいるのか分かんない人、結構いるし」


そう言って幹事は忙しそうに笑った。

本当に、それだけの話なのかもしれない。


私は「またね」と言って店を出た。


駅までの道を歩きながら、昔のことを少しだけ思い出した。


レンが、好きな人がいるんだ、と言った夜。

その相手の名前が、アイリスだったこと。

銀髪で、綺麗で、静かな人だと話していたこと。

会った回数も、どこで会ったのかも、うまく説明できないと言っていたこと。


今になって思う。

あの話は、最初からどこか変だった。


でも、中学生や高校生の恋なんて、たいてい少し変だ。

現実味のない相手に本気になったり、ほんの数回目が合っただけで運命だと思ったり。

だから私は、あの時ちゃんと不思議がれなかった。


ただ、自分じゃなかったことが痛かっただけだ。


駅のホームで電車を待ちながら、私は夫に連絡した。


――今から帰るね。


すぐに返事が来る。


――おつかれ。気をつけて。

――何か食べる?


その短い文を見て、少しだけ肩の力が抜けた。


家に帰れば、夫がいる。

温かい部屋があって、たぶん冷蔵庫には昨日の残り物がある。

私は今日のことを少し話して、夫は「へえ」とか「そんなもんか」とか言いながら聞いてくれるだろう。


それは穏やかで、ちゃんとした生活だった。

私が選んで、今も大事にしたいと思っている毎日だ。


なのに、胸のどこかに小さな棘みたいなものが残っている。


レンは今、どこにいるんだろう。


幸せになっていてほしい、と思う。

本当にそう思う。

昔好きだった人が、どこかでちゃんと生きていてくれたらいい。

そう願うことは、もう裏切りじゃないはずだ。


でも同時に、誰もその後を知らないという事実が、やけに重かった。


まるで、途中から少しずつ世界の外にこぼれ落ちてしまったみたいに。


電車が来て、扉が開く。

私は乗り込んで、窓に映った自分の顔を見た。


大人の顔だった。

もう中学生のエマではない。

レンに一目惚れして、視線ひとつで心臓を痛くしていた頃の私は、もういない。


でも、いなくなったはずのものが、時々まだ胸の奥に残っている。


恋は終わる。

愛は続いていく。

たぶんそれは本当だ。


だけど、終わった恋が完全に消えるわけでもない。

消えないまま、生活の底に薄く沈んでいく。

普段は見えなくても、ふとした拍子に揺れて光る。


レンのことも、きっとそうなるのだと思った。


帰宅すると、夫が玄関まで来た。


「おかえり」

「ただいま」

「楽しかった?」

「うん。まあまあ」


コートを脱ぎながら、私は少し迷った。

それから靴をそろえて、小さく息をつく。


「ねえ」

「ん?」

「昔の同級生でさ、すごく久しぶりに名前を聞いた人がいて」

「うん」

「でも、誰もその後を知らなかったんだよね」


夫はそれを茶化さなかった。

ただ「そういうの、あるよな」と静かに言った。


私は頷いた。


そういうの、ある。

たぶん本当に、ただそれだけのことだ。

ただそれだけのことなのに、どうしてこんなに静かに引っかかるんだろう。


食卓には、簡単な夜食が用意されていた。

湯気の立つスープと、切っただけのサラダと、あたため直したパン。

私は席に座って、夫と向かい合った。


この人を私は愛している。

それは確かなことだ。

今日も、明日も、多分この先も。


それでも、レンという名前は消えない。

消えないまま、たぶんもう二度と確かめられない。


私はスープをひと口飲んだ。

少し熱くて、ちょうどよかった。


あの人がその後どうなったのか、結局、誰も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ