糸
プリストラの本当の得意が短刀じゃないと知ったのは、旅の六日目だった。
その日は朝から空が曇っていて、街道の脇を流れる風も少し湿っていた。俺たちは宿場町を出たあと、近くの村から持ち込まれた依頼を引き受けて、森の外れにある古い水車小屋へ向かっていた。
話によれば、村へ届けるはずだった薬草と保存食の一部が途中で盗まれ、その痕跡がこの辺りで途切れたらしい。相手が本格的な盗賊団というほどではないにしても、人数がいれば厄介だ。斡旋所も、経験を積むにはちょうどいい案件だと判断したんだろう。
「足跡、三人分くらいかな」
先を歩いていたプリストラがしゃがみ込んで地面を指した。
ぬかるみに残った痕は、確かに複数ある。
「よく分かるな」
「軽いのと重いのが混じってるからね。あと、こっちの踏み込み浅い人、たぶん急いでない」
「そこまで見えるのか……」
俺が感心すると、プリストラは少し得意そうに笑った。
「旅に出てから、こういうのいっぱい見たもん」
「お前、昔から目ざとかったよな」
「でしょ?」
横でベゼッセンがぼそりと呟く。
「目ざといっていうか、執念深いんじゃない?」
「なにそれ、褒めてる?」
「半分くらいは」
「微妙だなあ」
そんなやり取りをしながら進むと、やがて木々の向こうに朽ちかけた水車小屋が見えてきた。もう長いこと使われていないらしく、水路は細く、屋根も一部崩れている。人が隠れるにはちょうどいい場所だ。
「気配、ある?」
ソラが小さく尋ねる。
俺は目を閉じて、意識を澄ませた。
接続、と呼ばれる俺の祝福は、まだ自分でも完全には掴めていない。相手の心が読めるなんて大それたものじゃなくて、近くにいる誰かの気配や感情の端が、たまに触れるように分かるだけだ。
それでも今は、確かに感じる。
「……いる。中に二人、外に一人」
「へえ」
ベゼッセンが興味深そうに俺を見る。
「便利だね、それ」
「曖昧だけどな」
「曖昧でも十分さ。いるのといないのでは大違いだよ」
ガラの悪い男たちが三人。
たぶん飢えた獣みたいな魔物よりは厄介じゃない。でも、人間は人間で面倒だ。考えて動くし、逃げようともする。
俺たちは水車小屋を囲むように散った。
正面には俺とリーフデ、左へプリストラ、右にソラ。ベゼッセンは後方から全体を見て、必要なところへ支援を入れる。
「行くぞ」
合図と同時に、俺は正面の扉を蹴り開けた。
「なっ――!?」
中にいた男が慌てて立ち上がる。薬草の束と箱が積まれていて、その脇に短剣を持った男が二人。話し合いで済みそうな顔ではなかった。
「盗品を置いて大人しくしろ!」
言いながら踏み込む。相手のひとりが刃を振り上げた。速くはない。けれど狭い場所だ。無闇に大振りすると壁に当たる。
俺は身体強化を脚に流し、最小限の動きで懐へ入った。短剣を手元で受け流し、そのまま柄で手首を打つ。相手が怯んだところへ足を払うと、男は床板に背中を打ちつけた。
もうひとりが横から突っ込んでくる。
その瞬間、視界の端で何かが光った。
細い。
ほとんど見えないくらい細い線が、空気の中を走った気がした。
「え?」
次の瞬間、男の足首がもつれる。
刃の軌道がぶれて、俺の肩を狙った一撃が空を切った。
「アキ、前!」
プリストラの声。
反射で剣を振ると、男の短剣が弾き飛ばされた。
そのまま柄頭で顎を打ち、床へ転がす。
「今の……?」
振り返ると、入口の脇にいたプリストラが片手を上げていた。指の間に、光を受けてかすかにきらめくものがある。
糸だ。
「あと一人、外!」
言われるより早く、外から足音が遠ざかる。見張り役だろう。逃がせば面倒だ。
俺が飛び出そうとしたとき、プリストラが一歩前へ出た。
「ここ、任せて」
いつもの明るい声なのに、その一瞬だけ、妙に研ぎ澄まされて聞こえた。
彼女は短刀を片方だけ抜くと、逃げる男の進路へ向かって駆ける。
速い。けれど速さそのものより、軌道が独特だった。真正面から追うんじゃなく、少し外側へ回り込むように動いている。
男が振り返りざまに剣を振るった。
プリストラはそれを短刀で受ける――ように見えたけど、違った。
男の手首に、細い糸が絡んでいた。
「なっ……!?」
引かれた男の刃筋が逸れる。
次の瞬間にはもう一本、今度は膝の裏へ。体勢が崩れたところへ、プリストラの短刀が喉元すれすれで止まった。
「そこまで」
明るい笑顔のまま言う。
なのに、男は青ざめて動けなくなった。
俺は呆気に取られていた。
短刀の動きが速いのは知っていた。今までの戦いでも頼りになっていたし、間合いの詰め方が上手いのも分かっていた。
でも、本当に怖いのはそこじゃなかったんだ。
「お前、それ……」
「糸」
プリストラはあっさり言って、男を縛り上げながら肩をすくめた。
「短刀だけだと思ってた?」
「思ってた」
「そっか」
なんでもないように返してくるけど、こっちはそれどころじゃない。
細くて、見えにくくて、動きに合わせて相手を誘導できる。しかも武器を絡め取ったり、足を止めたりもできる。正面から戦うだけの技じゃない。むしろ、相手の動きを崩して自分の間合いへ引き込むのが本質だ。
「すごいな……」
思わずそう漏らすと、プリストラは一瞬だけ目を丸くして、それから少し照れたように笑った。
「えへへ。ありがと」
水車小屋へ戻ると、ソラたちも片付けを終えていた。
ソラは外にいたもうひとりの逃走先を塞いでいたらしく、リーフデが縛り上げを手伝っている。ベゼッセンは盗品の確認中だ。
「お疲れさま。見事だったね、プリストラさん」
ソラが素直に褒める。
「ありがとうございます、ソラさん」
「糸を使うとは思わなかった」
ベゼッセンが興味深そうに言うと、プリストラは少しだけ唇を尖らせた。
「隠してたわけじゃないよ? ちゃんと使う場面がなかっただけ」
「でも、見せ札は最後まで取っておく方が得だしね」
「まあ、それはそう」
俺は改めてプリストラの手元を見た。
指先に絡む糸は、本当に見えにくい。戦いの最中に初見で対応するのは難しいだろう。
「前から使えたのか?」
「うん。村にいた頃はまだ全然だったけど、旅に出てからかなり練習した」
「全然気づかなかった」
「アキ、正面から来るものに強いからね。横とか後ろから絡めるの、たぶんちょっと苦手でしょ」
「……否定できない」
図星だった。
俺は剣士だから、どうしても間合いと正面の攻防に意識が向く。もちろん周囲を見る努力はしているけど、プリストラみたいに相手の位置をずらして戦うのは得意じゃない。
「だから、補えるかなって思って」
何気ない口調だった。
でも、その言葉は少しだけ胸に残った。
「アキの動き、昔から見てるし」
「昔から?」
「うん。だって幼なじみだもん」
それだけ聞けば、別に変なことじゃない。
ただ、彼女が言うと妙にまっすぐで、ほんの少しだけ熱を持って聞こえた。
村へ盗品を返し終えたあと、俺たちは礼を言われながら宿場へ戻った。
依頼そのものは難しくなかった。けれど、俺の中ではそれ以上の収穫があった気がする。
仲間のことを、またひとつ知れた。
ソラは変わらず綺麗で、リーフデは力強くて、ベゼッセンは頼りになる。
そしてプリストラは、思っていたよりずっと器用で、ずっと狡い戦い方ができる。
それは悪い意味じゃない。
むしろ、旅を続けるには必要な強さだと思った。
夕暮れの道を歩きながら、俺は隣のプリストラに声をかけた。
「助かった。さっきの糸」
「うん」
「お前がいなかったら、たぶん一人逃がしてた」
そう言うと、プリストラは少しだけ黙って、それから笑った。
「じゃあ、もっと頼ってよ」
「え?」
「私は、アキの役に立てるの嬉しいから」
振り向いた顔はいつも通り明るかった。
なのに、その言葉だけは少し深く沈んで聞こえた。
俺が何と返すか迷っているうちに、プリストラはもう前へ走っていってしまう。
「ほら、早く! 置いてくよー!」
「置いてくなよ!」
慌てて追いかけると、前の方でソラが笑っていて、リーフデがその横で小さく頷いている。ベゼッセンはそんな俺たちを見て、また何か考えているような目をしていた。
街道は続く。
仲間のことを知るたび、旅は少しずつ深くなっていく。
その日、俺はただ単純にそう思っていた。
まだ、その先で何を知ることになるのかも知らずに。




