令嬢
ソラがすごい人なんだと、俺が本当の意味で実感したのは、小さな宿場町に着いた日のことだった。
その町は街道沿いの休憩地として栄えていて、規模はそう大きくないけれど人の出入りが多かった。商隊が止まり、旅人が宿を取り、近くの村からも日用品を買いに来る。だから表通りは賑やかで、昼前から焼き菓子の匂いと人の声で満ちていた。
俺たちはその日、次の依頼まで半日ほど空きがあったから、補給と休息を兼ねて町へ入った。
剣の手入れをして、乾物を買い足して、できれば少し甘いものも食べたい。そんなことを考えていたのに、結局その日の印象を全部持っていったのはソラだった。
「やっぱり、良いところのお嬢様って違うんだな……」
思わず口に出すと、隣を歩いていたベゼッセンが小さく笑った。
「今さら?」
「今さらっていうか、旅してる間はあんまりそういう感じしなかっただろ」
「それでも十分してたと思うけど」
そう言われると否定しきれない。
上品な言葉遣い、姿勢の良さ、歩き方ひとつ取っても育ちの良さがにじむ。けれど旅装に身を包んでいる間は、同じ道を歩く仲間としての印象の方が強かった。
でも、町に入った途端、それが少し変わった。
まず、買い物の仕方が綺麗だった。
無駄に偉そうにもしないし、だからといって卑屈でもない。店主の目を見て挨拶して、品物を丁寧に手に取って、相手の話をちゃんと聞く。値切るべきところは礼を失さずに交渉するのに、最後には店主の方が満足そうな顔をしている。
「ソラさん、これ、前にもっと安く買えた気がするんですけど」
俺が干し肉の束を見ながら言うと、ソラはくすりと笑った。
「アキさんは正直ですね。でも、相場を知ることは大切ですわ」
そう言って店主の方へ向き直る。
「こちら、旅の途中で使うものですし、少しだけ融通していただけませんか? 量を増やしていただけたら、とても助かるのですけれど」
声は柔らかいのに、言っていることはしっかりしている。
店主も嫌な顔ひとつせず、「お嬢さんにそう言われちゃなあ」と苦笑しながら、おまけまでつけてくれた。
すごい。俺がやったらたぶん普通に断られる。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いやいや、また寄ってくれりゃそれでいいさ」
店を出たあと、俺は思わず感心した。
「ソラさんって、何でもできるんですね」
「そんなことはありませんわ。ただ、相手が何を大事にしているか考えるだけです」
「それが難しいんだよ」
俺が真顔で返すと、ソラは少しだけ楽しそうに目を細めた。
さらに驚いたのは、そのあとだった。
通りの向こうで、荷車が段差に引っかかって動けなくなっていた。年配の夫婦が困った顔をしていて、積み荷の箱は今にも崩れそうだ。人通りはあるのに、みんな急いでいるのか、横目で見るだけで通り過ぎていく。
「あら」
ソラが足を止めた。
次の瞬間には、リーフデがもう動いていた。
「ソラ様」
「ええ、行きましょう」
迷いがない。
俺たちも慌ててついていく。
「大丈夫ですか?」
ソラが声をかけると、老夫婦は一瞬驚いたあとで、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、お嬢さん。車輪が嵌まってしまって」
「謝ることはありませんわ。リーフデ、持ち上げられますか?」
「はい」
リーフデが荷車の側面へ回り、ぐっと腰を落とす。筋肉のついた腕がぐいと持ち上がると、重そうな荷車がほんの少し浮いた。そこへ俺とプリストラが車輪の位置を直し、ベゼッセンが土を均すために小さな魔術を使う。
「今です!」
俺が押すと、荷車はがくんと揺れてから無事に段差を越えた。
「おお……!」
老夫婦の顔が明るくなる。
「ありがとうございます、本当に……!」
「お気になさらないでください。お怪我がなくて良かったですわ」
ソラは本当に、それが当然みたいに言う。
見返りを求める顔なんて一切しない。
そのやり取りを見ていた周囲の人たちまで、どこかやわらかい顔をしていた。
たぶん、こういうことなんだろう。ソラがどこへ行っても好かれる理由は。
見た目が綺麗だからだけじゃない。
優しい言葉を選べるからだけでもない。
助けるべきときに自然と手を差し出せる。その振る舞いに、嫌味や打算が少しも見えないからだ。
少なくとも、そのときの俺にはそう見えた。
昼を過ぎた頃、町の小さな礼拝堂で、近隣の子ども向けに読み聞かせをしているという話を聞いた。待ち時間つぶしに覗いてみようということになり、なんとなく全員で向かう。
すると、そこで一番子どもたちに囲まれていたのは、やっぱりソラだった。
「次はそのお話がいい!」
「わたし、ソラおねえちゃんの声すき!」
「ふふ、ありがとうございます。では、もう少しだけ続きにしましょうか」
長椅子に座って本を開くソラは、まるで絵本の中から出てきたお姫様みたいだった。金髪が揺れて、柔らかな声が礼拝堂に響く。子どもたちは目を輝かせて聞き入り、端で見守っていた大人たちまで穏やかに笑っている。
リーフデはその少し後ろに立ち、誰よりも真剣な顔でその光景を見ていた。
その表情を見て、俺は少しだけ納得した。
心酔、ってこういうことなのかもしれない。
強くて、綺麗で、優しい。
しかも、自分の手が届く場所にいてくれる。
そういう人がいたら、ついていきたいと思う気持ちは分かる。
「リーフデさんって、ほんとにソラさんのこと大事なんだな」
小声で言うと、隣のプリストラが頷いた。
「うん。あれ、たぶんすごく好きだよね」
「好きっていうか、もう信仰じゃない?」
「ちょっと分かる」
俺たちの会話を聞いていたのか、ベゼッセンがぼそりと呟く。
「まあ、あれだけの人なら分からなくもないかな」
意外だった。
この人、ソラを手放しで褒めるようなタイプには見えなかったからだ。
「ベゼッセンでもそう思うんだ」
「何その言い方。僕だって綺麗なものは綺麗だと思うよ」
そういうものか。
けれど確かに、ソラには人を納得させる何かがあった。
夕方前、町外れで小さな騒ぎが起きた。野犬が出たらしい。人を襲うほどではないが、荷袋を漁って困ると聞き、俺たちは近くにいたこともあって様子を見に行くことになった。
見つけたのは二体。痩せているが動きは速い。
俺が前へ出ようとしたとき、ソラが静かに言った。
「ここは私が」
「え?」
「もちろん、援護はお願いしますね」
細い剣を抜く仕草まで綺麗だった。
無駄がなくて、音まで澄んでいる。
野犬が一体、低く唸って飛びかかる。
ソラは半歩だけ体をずらし、最小限の動きでそれをかわした。返す切っ先が肩口を浅く裂く。もう一体が横から回り込むより早く、今度は踏み込みと同時に喉元へ一閃。鋭いのに、乱暴さがまるでない。
気づけば二体とも戦意を失って逃げていた。
「すご……」
思わず声が漏れた。
「ありがとうございます。ですが、仕留めきれなかったのは反省ですわ」
「いや、十分すごかったよ!」
俺の言葉に、ソラは少しだけ困ったように笑う。
「そんなふうに褒めていただくほどでは」
「いえ、ソラ様は本当にお見事でした!」
食い気味に言ったのはリーフデだった。
普段の落ち着いた口調を崩してまで力説するあたり、本気で感動しているんだろう。
「ほら、リーフデ。大げさですわ」
「大げさではございません。今のは完璧でした」
そのやり取りに、俺たち三人は顔を見合わせて笑った。
宿へ戻る道すがら、町の人たちが何人もソラへ声をかけてきた。
助けてもらった老夫婦。礼拝堂の子どもたち。店の主人。ほんの半日いただけなのに、もうすっかり“好かれている”。
その中心にいるソラは、誰に対しても同じように穏やかで、丁寧で、優しかった。
夜、宿の食卓でスープを飲みながら、俺はぼんやり考えた。
たぶん、こういう人を本物の令嬢っていうんだろう。
ただ綺麗なだけじゃない。育ちの良さだけでもない。自然と人を安心させて、場を明るくして、手を差し伸べられる人。
「今日は楽しかったですね」
ソラがそう言うと、リーフデはすぐに答える。
「はい、ソラ様。大変良い一日でした」
その声は心の底から満たされていた。
俺も、自然に頷いていた。
「うん。なんか、いい町だった」
「町が良かったのか、ソラさんがいたから良かったのか、微妙なところだけどね」
プリストラが茶化すように言う。
ベゼッセンはスープを飲みながら、意味ありげに目を細めた。
「それを言うなら両方でしょ」
そうかもしれない。
少なくともこの日の思い出は、町の景色より先に、ソラの笑顔と一緒に浮かぶ気がした。
俺はそのとき、何の疑いもなく思っていた。
この人は優しい。
この人はきっと、誰からも好かれるべき人なんだと。




