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IRIS-Log-Archive  作者: IRIS
恋の反比例_IRIS.log

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知らない人

それから私は、何度かレンの相談相手になった。


何度か、と言っても、毎日のように呼び出されるわけじゃない。

放課後に少しだけ。

たまたま帰り道が重なった時に少しだけ。

部活のない日、廊下や階段の端で立ち話をするくらいだった。


だから余計に、忘れられなかった。


レンに話しかけられるたび、私は嬉しかった。

そしてそのたびに、少しずつ傷ついた。


好きな人の声を近くで聞けるのは嬉しい。

でも、その声が誰か別の人のために揺れるのを聞くのは苦しい。


そんな当たり前のことを、私はあの頃、ひとつずつ覚えていった。


「エマってさ、こういう話しても引かないよな」


ある日の帰り道、レンがそんなことを言った。

駅へ向かう途中の、商店街を抜けた先の歩道だった。

夕方で、人の流れもまばらで、空気が少しだけ湿っていた。


「引くような話してる自覚あるんだ」

「ある。ちょっと」

「ちょっとなんだ」

「だって自分で説明してても、変だもん」


私は横目でレンを見る。

レンは困ったみたいに笑っていた。


こういう顔を見るたびに思う。

きっとこの人は、誰にでも優しい。

だからモテるんだろうし、たぶん本人はそのことにあんまり無自覚なんだろう。


「でも本気なんでしょ」

「うん。本気」


即答だった。


その返事が綺麗すぎて、私は少し黙った。

レンは気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、そのまま前を見て歩いていた。


「その、アイリスさんって」

「うん」

「どんなふうに喋るの?」


自分でも変なことを聞いたと思った。

でも、もう顔も名前も聞いてしまった以上、私はその人の輪郭を知りたかった。


知らないままだと、余計に苦しかった。


レンは少し考えてから答えた。


「静かだよ」

「うん」

「別に、声が小さいとかじゃなくて。なんか……喋ってても静かなんだよな」

「分かるような分からないような」

「だよな」


レンは笑った。

その笑顔がいつも通りすぎて、逆に腹が立ちそうになる。


「優しいの?」

「優しい……のかな」

「そこ曖昧なんだ」

「優しく見える。すごく」

「見える?」

「うん。でも、なんか……それだけじゃない気もする」


私は少しだけ足を緩めた。

レンもそれに合わせるみたいに歩調を落とす。


「怖いって言ってたもんね」

「うん。怖い時もある」

「なのに好きなの?」

「好き」


やっぱり即答だった。


本当に、まっすぐだと思う。

こういうところを好きになったんだろうなと、自分で思って、自分で少しへこんだ。


「どこが好きなの?」


聞かなきゃよかったかもしれない。

でも聞いてしまった。


レンは、今度は少し長く黙った。

夕日の色が、道の端のガードレールに薄く残っていた。


「最初から、全部見抜かれてる感じがした」

「え」

「変な意味じゃなくて。取り繕っても無駄っていうか」

「それ、好きになる理由としてはどうなんだろ」

「分かんない。でも楽だった」


楽。


その言葉が少しだけ胸に残った。


誰かの前で楽でいられること。

無理しなくていいこと。

たぶんそれは、恋の理由としてすごく自然なんだと思う。


「あと、綺麗だったし」

「結局そこ大きいんじゃん」

「大きいよ。めちゃくちゃ」

「正直すぎる」

「でもエマだって、顔がいい人好きだろ」

「……まあ、嫌いではないけど」


言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。

レンは笑っていた。


その笑い方が軽くて、私は少しだけ救われる。

相談の内容は重いのに、レン自身はいつもどこか普通で、その普通さが私をつなぎ止めていた。


「髪、長いの?」

「肩よりちょっと長いくらい」

「へえ」

「たまに光って見えるんだよな」

「それは盛ってるでしょ」

「いや、ほんと」


真顔で言うから、冗談に聞こえない。

私は半分呆れながら、半分だけ本気でその姿を想像した。


銀色の髪。

静かな目。

優しく見えるけど、少し怖い。

全部見抜いているみたいな顔をする人。


そんな人が、本当にいるんだろうか。


「同い年くらいには見えない?」

「見えない」

「年上?」

「たぶん」

「たぶんばっかり」

「しょうがないだろ。そういう感じなんだから」


レンは苦笑して、それから少しだけ真面目な顔になった。


「なんかさ、年齢とか、学校とか、家がどことか、そういうの全部どうでもよくなるんだよ」

「重症だね」

「重症だと思う」

「会えないのに?」

「会えないから、かも」


私はその言葉に返事ができなかった。


会えないから忘れられない。

形にならないから終われない。

それは少し、分かってしまう話だった。


私だって、まだ何も始まっていないのに、レンのことを簡単には諦められない。


始まっていない恋は、終わり方も分からない。


「エマはさ」


また急に名前を呼ばれて、私は少しだけ肩を揺らした。


「好きな人いる?」


心臓が大きく跳ねた。


でもここで動揺したら終わりだと思った。

私はなるべく普通に笑ってみせる。


「いたらどうするの」

「相談に乗る」

「頼りになるかなあ」

「なるなる」

「軽いな」


ごまかせたのかどうか、自分でも分からなかった。

レンは特に深追いしてこなかった。

それが助かったような、少し寂しいような、変な気持ちになる。


「エマはちゃんとしてるからな」

「何それ」

「こういう時、変に夢見ないで現実的なこと言うし」

「それ褒めてる?」

「褒めてる」


私は少し黙った。


ちゃんとしてる。

現実的。

そういうふうに見られているんだな、と思う。


たぶんレンの中で私は、安心して話を聞ける人なんだろう。

でもそれ以上ではない。


それが分かるのが、少しだけ痛かった。


駅が見えてきて、人通りが増える。

このまま別れるのも、少し惜しかった。

でも引き止める理由もない。


「レン」

「ん?」

「その人に、また会えたらどうするの」


そう聞くと、レンは少しだけ驚いた顔をした。

それから、前を向いたまま言う。


「たぶん、ちゃんと好きって言う」

「今までは言ってないの?」

「言ったような気もするし、言えてない気もする」

「ほんと曖昧だね」

「うん。でも次があるなら、今度はちゃんと言いたい」


夕方の雑踏の中で、その言葉だけが妙に真っ直ぐだった。


私はそれを聞いて、ああ、だめだなと思った。


かなわない、という意味じゃない。

最初からそんなことは分かっていた。


ただ、この人の恋は本物なんだと思った。

それが、私の中で静かに決定してしまった。


駅の改札前で、私たちは立ち止まった。


「今日もありがとう」

「別に」

「いや、ほんと助かってる」

「そういうの、好きな人に言ってあげなよ」

「会えたらね」


レンは少しだけ笑って、手を振った。


「じゃあまた」

「うん。また」


改札を抜けていく背中を見ながら、私はひとりで立ち尽くした。


また。


その言葉が嬉しいのに、少しだけつらい。


私はレンの「また」の中にいられる。

でも、それは恋の相手としてじゃない。

たぶん、安心して気持ちを置ける場所としてだ。


帰りの電車の窓に、自分の顔がぼんやり映っていた。

私はその顔を見て、思ったより普通だなと思う。


泣きそうでもない。

絶望しているわけでもない。

ただ少しずつ、自分の恋が届かないところにあるのを理解し始めているだけだった。


アイリス。


会ったこともない、知らない人。

なのに、その人の輪郭は少しずつ私の中で育っていく。


銀色の髪。

静かな目。

優しく見えるのに、怖い人。

レンが好きになって、そしてたぶんもう会えない人。


知らないままでいたかった気もする。

でも今さら、知らなかった頃には戻れない。


恋って、こういうふうにじわじわ狭くなるんだなと思った。


自分の知らない誰かのために、好きな人の心の大部分が埋まっている。

それを知ってしまったあとでも、まだ好きでいるしかない。


そんなの、少し惨めだ。


でも私は、その惨めさごと捨てられなかった。

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