プロローグ
俺は昔、仮想遊戯で遊ぶのが好きだった。
休みの日は朝から端末を起動して、気がつけば夜になっていることもあったし、平日だって帰ってから少しだけのつもりで潜って、そのまま眠くなるまで遊んでいた。今思えば、あれはずいぶんと贅沢な時間の使い方だったのかもしれない。何者でもないまま、どこへでも行ける気になれた。画面の向こうの景色は都合がよくて、現実より少しだけやさしくて、何もしなくても退屈を埋めてくれた。
あの頃の俺は、そういうものがずっと続くんだと思っていた。
別に、それが悪いことだったとも思わない。若かったんだろうし、仕事だって今ほど責任のある立場じゃなかった。営業部の端っこで先輩に頭を下げながら数字を追って、終われば適当にコンビニで飯を買って帰る。そんな毎日だった。自由といえば自由だったし、気楽といえば気楽だった。
けれど人間、案外変わる。
家庭を持つと、ほんとうに変わるものなんだと思う。
昔みたいに、仕事が終わってからそのままどこか別の世界へ潜っていくような気力はなくなった。いや、気力がないというより、もうそこまで必要じゃなくなったのかもしれない。帰る場所ができると、人はちゃんと帰るようになる。少なくとも俺はそうだった。
会社を出て、いつもの道を歩いて、玄関の前に立つ。たったそれだけのことなのに、不思議なくらい気持ちが切り替わる。昼間まで部長に数字のことで詰められていたとか、取引先の無茶ぶりに振り回されたとか、そういうものが扉一枚ぶん向こうへ押し出されていくみたいに、少しずつ薄くなっていくのだ。
家の中には、あたたかい匂いがある。
うまく言えないが、料理の匂いだけじゃない。洗剤とか、柔軟剤とか、子どもの甘い匂いとか、日が落ちる前の部屋の空気とか、そういうものが全部混ざった、あの家だけの匂いだ。あれを吸い込むと、ようやく一日が終わった気がする。
たぶん、俺はあの匂いが好きなんだろう。
玄関を開ける音がすると、ぱたぱたと軽い足音がして、すぐに小さな影が飛び込んでくる。ああ、帰ってきたんだなと、その瞬間に実感する。向こうから当たり前みたいに迎えに来てくれる存在がいる、というのは、思っていた以上に人を救うものらしい。
その向こうで、台所に立っている人がいて。火の音や皿の触れ合う音がして、夕飯の支度をする背中が見えて。たったそれだけで、家ってちゃんと家になる。
昔の俺に言っても、たぶん信じなかっただろう。
仮想遊戯の方が楽しいに決まってる、とか。家に帰って誰かと飯を食うより、一人で好きなことをしてる方が気楽だ、とか。そういうことを、いかにも分かった顔で言っていた気がする。
でも今は、そうじゃない。
もちろん、仕事がしんどい日もある。帰るのが遅くなる日もあるし、家に着く前に一回くらい立ち止まって煙草を吸いたくなる時もある。それでも、結局思うのは早く帰りたいってことだ。あの扉を開けて、いつもの声を聞いて、飯を食って、今日のどうでもいい話をして、それで一日が終わる。それだけで、まあ悪くないと思える。
幸せっていうのは、案外そういうものなのかもしれない。
大きな成功とか、劇的な出来事とか、そういう派手なものじゃなくて。帰る場所があって、待っている顔があって、食卓に湯気が立っている。そういう、どこにでもありそうな形の中に、ちゃんと手触りのあるものとして転がっている。
少なくとも、俺はそう思っている。
昔、仮想遊戯の中でいろんなものを見た。綺麗な景色も、都合のいい世界も、いかにも幸せそうな生活も。あれはあれで、たしかに面白かった。けれど今の俺には、もうそこまで眩しく見えない。
きっと、ちゃんと持ってしまったからだ。
帰りたい場所を。
守りたいものを。
つまらない仕事の日でも、急いで帰りたくなるような、そんな当たり前を。
だから今日も、なるべく早く帰ろうと思う。
玄関を開けたら、きっとあの子が走ってくる。
台所では、今日もいい匂いがしているはずだ。
そういうことを考えるだけで、少しだけ足が軽くなるのだから、家族っていうのはたいしたものだと思う。




