いつも通り
それからしばらく、俺たちはよく同じ区画にいた。
完全に固定の組み合わせというわけじゃない。前線の配置はその日の損耗と補給と上の都合でいくらでも変わる。それでも、飯の時間になると気づけば隣にルークがいて、任務が重なれば自然に同じ遮蔽物を使っていた。
戦場で“自然に”というのも変な話だが、実際そうとしか言えない。
わざわざ合わせた覚えはない。
俺から探しに行ったこともない。
ただ、いつの間にかそうなっていた。
「ノア、今日の配給ちょっと当たりじゃない?」
「どこが」
「パンが昨日より柔らかい」
「誤差だろ」
「その誤差が大事なんだよ。戦場ってそういうもんでしょ」
ルークはいつも通りだった。
脇腹の傷もだいぶ塞がったらしく、動きに支障はない。医療班にはしばらく安静を言い渡されていたはずだが、前線でそんなものが守られるわけもない。本人も守る気がなかった。
「お前、ほんとは静かにしてるの苦手だろ」
俺が言うと、ルークは煮込みの器を持ったまま笑った。
「苦手。っていうか、無理かも」
「だろうな」
「ノアは平気そう」
「平気だ」
「すごいよね、それ」
すごいと言われることでもない。
黙っているだけだ。
ただ最近は、ルークが喋っていても前ほど鬱陶しく感じなくなっていた。慣れたのかもしれないし、こいつの声があることで飯の時間と任務の時間がちゃんと切り替わるようになったのかもしれない。
休憩区画のざわめき。
配給の匂い。
壁際の固い椅子。
ルークのどうでもいい話。
その並びが妙に定着していた。
「そういえばさ、昨日の補修班の子が――」
ルークが話し始める。
聞いているようで聞いていない内容だ。
誰が転んだとか、誰が怒られたとか、誰がこっそり保存食を余分に持っていったとか。前線のどうでもいい話。けれど、どうでもいい話が成立する時間そのものは、たぶんどうでもよくない。
俺たちはその日、外縁の見回りと中継区画の補助任務を回っていた。大きな交戦はない。小競り合いもない。警戒の張り詰めた静かな日だ。兵からすれば一番ありがたい種類の一日だが、逆に気が抜けると嫌な予感も膨らむ。
「ノア、今の聞いてた?」
「聞いてない」
「正直すぎるなぁ」
「重要なら二回言え」
「ひど。大した話じゃないけど」
「ならいい」
ルークは苦笑して、耳覆いの位置を直した。
もう見慣れた仕草だった。
見慣れた、と思ったところで少しだけ引っかかる。
こいつについて“見慣れた”と思うものが増えている。
飯を食う時の座り方。
軽口を叩く時の目線。
耳覆いに触れる癖。
戦場で一瞬だけ声が低くなる時の調子。
そんなことを覚えるつもりはなかった。
だが、覚えている。
任務の合間、短い待機時間ができた。通路の片隅に腰を下ろし、端末の更新を待つ。壁の向こうでは整備用ドローンの駆動音が響いていた。
「ノアってさ」
ルークが隣で膝を抱えながら言う。
「なんでそんなに人と距離取るの?」
「取ってない」
「取ってるでしょ」
「必要以上に近づかないだけだ」
「それを距離取るって言うんだよ」
返す言葉が面倒で、俺は黙った。
ルークは少しだけ空を見上げるような顔をした。地下通路だから空なんて見えないが、たぶんそういう間の取り方だった。
「昔、裏切られたとか?」
「ない」
「じゃあ、信用した相手が死んだとか」
「そういう話がしたいのか」
「いや、別に。ただ気になっただけ」
俺は壁にもたれて、短く息を吐く。
「期待しない方が楽だからだ」
自分でも驚くくらい、あっさり口から出た。
ルークは何も言わない。
だから続きを言う気になったのかもしれない。
「誰かがどうなるかなんて、前線じゃ分からない。なら最初から線を引いといた方がいい。死んでも困らないし、裏切られても驚かない」
「へえ」
それだけだった。
同情もしないし、分かったような顔もしない。
ルークはしばらく黙ってから、小さく笑う。
「ノアらしい」
「何が」
「臆病なくせに、言い方だけ強いとこ」
思わず顔をしかめた。
「お前な」
「違う?」
違う、と即答できなかったのが腹立たしい。
ルークはそれ以上責めなかった。
ただ、いつもの調子で立ち上がる。
「まあいいや。ノアがそうしたいならそれで。でも俺は勝手に隣にいるから」
「なんでだよ」
「居心地いいから」
その返しはあまりに自然で、一瞬言葉を失った。
「……適当だな」
「わりと本音」
そう言って笑う。
こいつのそういうところが、ずるい。
重く言わない。
だから受け取り損ねる。
夕方、珍しく警報もなく終業に近い時間が来た。休憩区画はいつもより少しだけ空気が柔らかい。死者が出ていない日というのは、それだけで人を少し黙らせる。喋る必要のあることが減るからだろう。
俺はいつもの席に座り、器を受け取った。
当然みたいにルークが隣へ来る。
「今日、平和だったね」
「平和ではない」
「前線基準では平和」
「まあ」
その“まあ”を自分で言って、少しだけ可笑しくなる。
前ならもっと即座に否定していた気がする。
「ノア、最近ちょっと丸くなったよね」
「気のせいだ」
「いや絶対そう。最初なんて俺、三日くらいで追い払われるかと思ってたもん」
「面倒だっただけだ」
「今は?」
「……習慣」
口にしてから、失敗したと思った。
ルークがぱちりと目を瞬く。
「え、なにそれ。嬉しいこと言うじゃん」
「違う」
「何が違うの」
「変な意味じゃない」
「じゃあ普通に嬉しいやつだ」
こいつは本当に都合よく受け取る。
だが、否定しきれないのも事実だった。
飯の時間に隣へ来る。
任務中に声が飛ぶ。
軽口が挟まる。
それに返す。
それがもう、前ほど不自然じゃない。
むしろ崩れると少し調子が狂う気がする。
名前をつけるほどじゃない。
たぶん、まだ。
けれど少なくとも、俺の中でルークは“ただの同僚”ではなくなっていた。
戦場で会って、
戦場で飯を食って、
戦場で背中を預ける。
それだけの関係だ。
それだけの関係のはずなのに、妙に座りがいい。
「ノア」
「なんだ」
「もし俺が明日いなくなったら、ちょっと寂しい?」
「死ぬ前提で話すな」
「例え話」
「知らん」
「ふーん」
その“ふーん”が気に入らなくて、俺は器に視線を落とした。
ルークはそれ以上追及しなかった。
代わりに、少しだけ笑ってからパンをちぎる。
その横顔が妙にいつも通りで、俺は変に安心した。
明日もたぶん、こいつはここに来る。
また軽口を叩いて、また俺が雑に返す。
そういう日が続くんだろうと、何となく思った。
前線にいるくせに、そんなふうに“続く”前提で物を考えたのは、たぶん久しぶりだった。




