居座り
次の日も、ルークはいた。
休憩区画の壁際。いつも俺が座る場所の、ひとつ隣。まだ俺は席に着いていないのに、あいつはもう配給の器を卓に置いていた。こっちに気づくと、まるで待ち合わせでもしていたみたいに片手を上げる。
「お、来た来た。遅いじゃん」
何に対して遅いのか分からない。
俺は返事もせず席に座った。別の場所へ行くという手もあったが、それをすると逃げたみたいで癪だったし、何よりそれこそ面倒だった。たかが休憩のたびに席を変えるほどのことでもない。
「今日もひとり飯の予定だった?」
「お前がいなければな」
「ひどいなぁ。俺、ちゃんと癒やし担当なのに」
癒やし、という言葉がこの防衛線に似合わなすぎて、思わず顔をしかめた。
ルークは気にせず笑っている。昨日と同じ調子だった。軽い声、軽い表情、なのに浮いている感じはそこまで強くない。妙にこの場所に馴染んでいる。空気を読んでいないわけじゃない。読んだうえで、自分の軽さを残している感じがした。
俺は黙ってパンをちぎる。
「今日の外縁どうだった?」
「普通」
「便利な言葉だよね、普通。前線で使うとだいたい“少なくとも今は死んでない”って意味になるけど」
その通りだったが、わざわざ同意してやる気にはならない。
「お前は」
「砲台補助」
「そうか」
「うわ、興味なさそう」
「ない」
ルークは笑いながら煮込みをすくった。
「でもノア、俺のこと覚えてくれてたでしょ?」
「昨日会ったばかりだ」
「じゃあ忘れられてなかった。よかった」
よかった、の意味もよく分からない。
こいつはたぶん、会話の目的が内容じゃないのだろう。言葉を投げて、返ってきたらそれでいい。返ってこなくても気にしない。そういう種類の人間だ。
正直、苦手な部類ではある。
こういうやつは距離の取り方が分からない。近すぎるくせに踏み込みすぎない、みたいな妙な器用さがある。嫌なら避ければいいだけだが、避けるほどの理由もない。結果、気づくと隣に居座っている。
ルークはしばらく周囲を眺めていたが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、ノアっていつも任務終わりでも綺麗だよね」
「は?」
「いや、泥とか血とかついてても、なんか“整ってる”っていうか。俺なんて毎回すごいことになるのに」
「知らん」
「自己管理うまそう」
どうでもいい観察だ。
だが、こいつは意外とよく見ている。
昨日も思ったが、周りの兵士や区画の動きに対する目配りが自然だ。何かを探っているような感じはない。ただ、視界と耳の使い方が広い。話しながらも周囲を拾っている。
有能、なのかもしれない。
少なくとも、ただうるさいだけの兵じゃない。
「ノアさ、ずっと一人で飯食ってて飽きない?」
「飽きる要素がない」
「いやいや、あるでしょ。毎回同じ壁、同じ飯、同じ顔ぶれ」
「だからいい」
「変わってるなぁ」
「お前には言われたくない」
口にしてから、少しだけ間が空いた。
ルークは目を丸くして、それから吹き出した。
「今の、だいぶ会話だったよ」
「……そうかよ」
「進歩進歩」
進歩扱いされるのは気に食わない。だが否定するのも面倒だった。
飯を食い終えかけた頃、近くの卓で怒鳴り声が上がった。補給の配分でもめているらしい。珍しいことじゃない。この線では、余裕のなさがすぐ声に出る。誰かが止めに入って、誰かが舌打ちして、すぐ収まる。いつもの流れだ。
ルークはその方を見て、ぼそっと言った。
「余裕ないよね、みんな」
「あるわけない」
「だよなぁ」
そこで、あいつの声が少しだけ低くなった。
「こういう時、誰かひとりでもいつも通りだと、ちょっと楽なんだけど」
俺はそっちを見なかった。
その“誰かひとり”を、自分のこととして言っているのか、それともただの一般論として言っているのか分からない。だがどちらにせよ、少しだけ本音っぽく聞こえた。
だからといって、何か返す義理もない。
「俺にそれを期待するな」
「してないよ」
即答だった。
「ノアはノアでそのままでいいし。俺は俺で勝手に喋るから」
「最悪だな」
「相性いいかも」
「どこがだ」
「追い払わないとこ」
それは反論しにくかった。
追い払っていないのは事実だ。
ただ、認めるのも癪だった。
結局その日は、最後までルークが隣にいた。任務の愚痴、飯の不味さ、補修班の手際、サポートの機械音声がちょっと怖い話。話題はあちこち飛んだが、どれも深刻になりすぎないところで切り上げられる。重くしないのがうまいのだろう。
俺は必要なことしか返さなかった。だが、返している時点で昨日よりは会話になっていたのかもしれない。
そういう日が、何度か続いた。
毎回、飯の時間になるとルークが来る。
最初からそこにいる日もあるし、後から器を持って現れる日もある。
今日も来るのか、と思うことすらあった。
そしてだいたい来る。
「やぁ、元気? 任務おつかれ〜」
その軽い挨拶が、妙に定着した。
俺は相変わらず愛想よくは返さない。せいぜい「どうも」だの「普通だ」だの、その程度だ。それでもルークは満足そうだった。返事の内容じゃなく、返ってきたことそのものを面白がっているように見える。
数日後、珍しくルークが来なかった。
その日は朝から任務が押していて、休憩時間も短かった。区画に戻った時には空席が少なく、周囲もいつもより慌ただしかった。俺はいつも通り壁際へ座り、配給を受け取って食べ始めた。
静かだった。
いや、区画自体は静かじゃない。誰かの話し声も、食器の触れ合う音も、遠くの足音もある。だが、自分の周囲だけ少し音が減ったように感じる。
俺はそこで初めて、隣に誰もいないことを意識した。
意識したからといって困るわけじゃない。
ひとり飯の方が楽なのは変わらない。
むしろこれが本来の形だ。
そう思いながらパンを齧ったが、妙に時間が進まない。煮込みの湯気も、いつもより素っ気なく見える。たった数日で何が変わるとも思えないのに、空いた席がやけに目についた。
自分で少し嫌になる。
ただ隣が静かになっただけだ。
それだけのことだろう。
「……何してんだ、俺」
小さく呟いた時だった。
「ん? 俺呼んだ?」
横から声がして、思わず顔を上げる。
ルークが立っていた。器を持って、いつも通りの顔で。
「遅くなった〜。整備班に捕まってさ。あ、座っていい?」
もう立ったまま座る気だった。
俺は一瞬だけ言葉を失って、それから短く言う。
「勝手にしろ」
「やった」
嬉しそうに座るな、と言いたくなったがやめた。
ルークは器を置いて、ちらっと俺の顔を見る。
「今、ちょっと安心した?」
「してない」
「ふーん」
その“ふーん”が、妙に分かったような声で気に入らない。
「勘違いするな」
「してないしてない。ノアは一人でも平気。でも俺がいた方が、たぶん少しだけマシ。そういうことでしょ?」
「違う」
「はいはい」
こいつは本当に、人の否定を聞かない。
だが、そこで本気で苛立つほどでもなかった。
ルークが来たことで、さっきまでの妙な空白が埋まった気がした。うるさくなっただけとも言える。実際、あいつはすぐに今日の整備班の愚痴を始めたし、途中から隣の卓の兵まで巻き込んで笑わせていた。
俺は相変わらず、そこに深く混ざるつもりはない。
それでも、隣にルークがいる光景が、もう少しだけ普通になっていた。
友達になったわけじゃない。
仲間意識が芽生えたとか、そういう綺麗な話でもない。
ただ、あいつが隣にいるのが習慣になり始めていた。
それだけだ。
それだけのはずだった。




