プロローグ
俺は赤が嫌いだ。
初めて人を撃った時、目に入ったのが綺麗な赤だったからだ。
血だったのかもしれないし、警報灯の反射だったのかもしれない。あるいは、焼けた鉄板の向こうで揺れていた炎の色だったのかもしれない。今となってはもう分からない。分からないが、引き金を引いた直後、視界の端にやけに鮮やかな赤が残ったことだけは覚えている。
戦場じゃ、人は驚くほど簡単に死ぬ。
撃たれれば死ぬし、斬られても死ぬ。怪物に喰われれば、もっと分かりやすく死ぬ。運が悪ければ流れ弾でも終わるし、運が良くても次の任務で終わることがある。そんな場所で、いちいち何かを大事にしていたら身がもたない。
だから俺は、期待しない。
誰にも。
隊の連中とも必要以上に話さないし、馴れ合いもしない。仲良くなったところで、死ぬ時は死ぬ。死ななくても、命令ひとつで散り散りになる。なら最初から線を引いておいた方が楽だ。裏切られても傷つかないし、いなくなっても困らない。
少なくとも、そうしておけば余計なことは考えずに済む。
王国東部防衛線は、今日も騒がしかった。
空では警戒機が低く唸り、遠くでは電磁砲の砲撃音が腹の底まで響いてくる。補助知能の無機質な報告が、あちこちの端末から断続的に流れていた。敵影確認、損耗率更新、残弾報告、応援要請。どれも似たような内容で、どれも似たように切迫している。
防衛線って言葉だけ聞けば、何か固くて頼れるものに思えるかもしれない。だが実際は、継ぎはぎの塀みたいなものだ。人手も物資も足りない。壁面装甲の修復はいつも後回し。兵は疲れていて、士気は高いというより削れ切っている。敵が本気で押してくれば、いつ崩れてもおかしくない。
獣人国の連中はしつこい。
正面から来るだけならまだいい。偵察、攪乱、夜襲、補給線狙い。しかも最近は怪物まで混じるようになった。空っぽの、目だけぎらついたあの化け物どもは、殺すためだけに動いているように見える。あれが戦場に一体混ざるだけで、話は面倒になる。
だから、誰かを信用する余裕なんてない。
自分の持ち場を守る。
命令をこなす。
死なない。
それだけだ。
今日の任務もそうだった。
外縁監視区画の巡回。敵影はなし。怪物の痕跡もなし。ただし緊張だけは常にある。静かな時ほど嫌なものだ。何も起きない時間は、何かが起きる前触れみたいに感じる。
任務を終えて戻ると、薄汚れた休憩区画にはいつもの空気が溜まっていた。疲労、汗、油、保存食の匂い。誰もが黙っているわけじゃないが、明るく喋る気力のあるやつも少ない。座って飯を掻き込んで、また立つ。その繰り返しだ。
俺は壁際の空いた席に座って、配給の固いパンと煮込みを受け取った。味は大してしない。温かいだけまだましだ。こういう時、誰かと一緒に食う意味が俺には分からない。話したところで腹が膨れるわけでもないし、気が紛れるほど平和でもない。
だからいつも通り、一人で食うつもりだった。
そういう時間が、一番楽だ。
誰にも合わせなくていい。
誰にも何も期待されない。
ただ黙って食って、終わったら立つだけでいい。
周囲では、誰かが負傷者の数をぼやいていた。別の誰かは、補給が遅いと毒づいている。笑い声はない。あっても短い。すぐ消える。
赤が嫌いだと思うのは、こういう時だ。
夕方の警戒灯。
応急処置用の薬液。
負傷兵の布。
焼けた防壁の向こうに見える火。
戦場にある赤は、ろくな意味を持たない。
きれいだと思った瞬間があったことも、なおさら気分が悪かった。人が死ぬ場所で、色だけが妙に鮮やかに残る。その不釣り合いさが嫌いだった。
王国がいつまで保つのか、俺は知らない。
知ろうとも思わない。
上はまだやれると思っているのかもしれないし、もう駄目だと分かっていて言わないだけかもしれない。どちらでも同じだ。前線にいる兵間にできることは変わらない。
生き延びること。
それだけだ。
だから俺は今日も一人で飯を食う。
誰とも深く関わらず、
誰にも背を預けず、
必要な時だけ引き金を引く。
それで十分なはずだった。
少なくとも、この時の俺はまだ、本気でそう思っていた。




